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2020年9月20日 (日)

思考コードがつくる社会(21)オールドパワーではポテンシャルは開花できない。だからニューパワーが誕生。

★これまで、晶文社の「2021年首都圏中学受験案内」の「思考コード」分析をしてきました。そこでデータ的に判明したことは、オールドパワーでは、生徒のポテンシャルを生徒と共に見出し、開花することができないということです。

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★オールドパワーとニューパワーの違いは、いろいろあるのですが、抑圧的コミュニケーションか共感的コミュニケーションかという違いがわかりやすいでしょう。自由の制限の仕方がパターナリズムか、危害原理かの違いと、制限の基準が強制か共創かということです。あるいは、倫理的判断とリーガルマインドによる判断の両方をするかどうかです。倫理的判断だけでは、強い弱いの違いはありますが、パターナリズムに陥りがちです。

★どうしてそうなるかというと、もちろん要因はいろいろあるのですが、社会が学歴社会を受け入れ、それを強化してきてからです。学歴社会は富裕層を正当化する社会構造です。基本的には脅威論をかざして、だからがんばるんだと競争主義を当たり前とするパターナリズムが受け入れられてきたからです。女性の社会進出が先進諸国で最低なのを解消しようとして、政策論的に進められたとしても、パターナリズムの解消がない限り、元の木阿弥です。

★学校社会のみならず、家庭や企業、大学、お役所、国会、医療関係などあらゆるところで、パターナリズムの解消を哲学なり活動なりをしていく必要があるのですが、教育哲学がすでにパターナリズムに陥っていてなかなか難しいチャレンジなのです。

★倫理や哲学では、この自家撞着から抜けることが難しいのです。どうしてもリーガルマインドで法的な基準を考えるところまでいかんければなりません。そのとき、数学的思考や科学的思考がスクランブルします。教科横断的といても、哲学や心理学段階では、自由を制限する実態を把握できません。

★リーガルマインドで、世の中の問題を解決しようとすると、エビデンスを数学的に科学的に見出すリサーチが必要になります。そして解決には絶対的方法があるのではなく、法の解釈と法の創造と国民的感情をもとに最終審の判断の論理的構成物によって解決されます。もちろん、裁判にしようというわけではないのです。

★リーガルマインドは、2022年に改正民法が施行されて、18歳成人になる高校生にとっては身につけなければならない大テーマです。法解釈と法創造と法感情と数学的思考と科学的思考がリーガルマインドには必要です。特にシノプティコンというAI社会になったとき、ここの法整備がまだできていません。デジタル庁がそこを考えているかどうか?

★ともあれ、SNS上のフェイク問題一つにしても、表現の自由問題ですぐには解決できないのです。混迷しているのは、倫理観や道徳感情で騒然となっているからです。

★だからといって、法律問題にしても実は解けないということがわかります。哲学が無力であり、道徳感情は多様なパターナリズムの応酬になってしまうのです。哲学や道徳は、思考事件では役に立ちますが、社会実装段階では無力です。それはすでにJ,J,ルソーが指摘していました。社会契約しか解決という暫定的方法はないのです。

★最近のドコモのクレジット問題も道徳問題ではなく、セキュリティという法律問題です。

★今後、ブロックチェーンによるAI社会のシノプチコンになっていきます。すでになっているのですが、ここを誰がどう考えるか?総務省の問題でしょうか?デジタル庁の問題でしょうか?

★まずは、グローバル市民一人一人が学ばなければなりません。そして法解釈、法創造、法感情はロジカルで、クリティカルで、クリエイティブな思考が必要ですね。

★それなのに、リーガルマインドは高校生には無理だとか、創造性は大学入試には関係ないとかいうことを平然と言うオールドパワーは、生徒1人ひとりのポテンシャルを共に見出し開花する環境を創ることができないのです。

★それもそのはずです。東大の一般入試は、思考コードでA1A2A3B1B2思考で合格できます。オールドパワーはこの思考ができることで止まります。それ以上は東大の入試問題に関係ないのです。では、他の大学はほとんどが、東大の真似で、偏差値に合わせて易しくしていくだけです。

★ところが、このオールドパワーから抜け出ようとするニューパワーの動きがSFCに代表されるAO入試(総合型選抜)の動きとなっているのです。同じことが中学入試の新タイプ入試に言えるのです。

★麻布や開成、武蔵は、その新タイプ入試の発想を教科テストの中に埋め込んでいます。これで思考力入試と同じだとみなす学校も最近出てきました。思考コードでB3やC1を少し出すわけですから、それに興味を持って合格する生徒もいるし、合理的にそのような問題を切り捨てて勉強する生徒もいます。

★したがって、ポテンシャルを積極的に開発しようというより、そういう生徒が入ってきて、6年間の中で、いろいろな経験を糧にしてポテンシャルを開花するのが自由だと考えているのです。ですから、ポテンシャルが開花する生徒もいるしそうでない生徒もいるのです。全員がポテンシャルを開花するかどうかは、学校のミッションではないと。こういう学校は生徒によってニューパワーだったりオールドパワーだったりするので、グレーパワーとしておきましょう。

★ニューパワーの学校は、すべての生徒がポテンシャルを開花する環境やプログラムをつくっています。そしてある時点で、授業自体生徒といっしょにつくっていきます。パターナリズムが無化されて共感的コミュニケーションで満ちている学校でしょう。

★もちろん、新タイプ入試を行う学校が完全にパターナリズムから解放されているかというと、それはないのです。すべてを法律で判断できないので、必ずパターナリズムの判断に迫られます。ニューパワーの学校は、そのとき議論をします。対話をします。江原素六時代の麻布は、そうだったのです。今はどうか、本当のところはわかりませんが、期待は大きいのです。

★しかし、聖学院やカリタスや工学院などのように、その期待を学びの環境やプログラムに具現化しているニューパワーの学校こそ、クリエイティブクラスの人材が多数輩出されることが実証されるでしょう。このニューパワーへのシフトが、教育におけるポスト社会のザ・グレート・リセットなのです。

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