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2020年8月 7日 (金)

世界を変える女子校(06)清泉女学院 世界を変える授業のリノベーション

読売オンライン(2020年8月5日)の記事「学習体制のリノベーションで未来を「生きる力」を育てる…清泉女学院」には、「清泉女学院中学高等学校(神奈川県鎌倉市)は、2021年度から学習体制をリノベーションする。生徒一人一人の「生きる力」を養うことを目的に、土曜日の総合的な学習・探究の時間を充実させて課題解決力を磨き、授業を65分に拡大して思考力・判断力・表現力を高める」とあります。

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(写真は、同校サイトから)

★もともと、論理的・批判的・創造的思考力を重視したカリキュラムを形成し、自然や人間の生命を尊重する学びを形成してきた質の高い教育の評判が高い女子校です。人気も当然高いですね。しかし、偏差値や受験市場での評価に甘んじることなく、そのカリキュラムポリシーを反映したアドミッションポリシーとして、ポテンシャル入試という思考力型入試を行っても来ました。

★2021年は、算数一科目入試も行います。しかし、その入試名は「ステムポテンシャル入試」と呼んでいます。どうやら、計算問題や難しい算数の問題を出題するいわゆる受験算数得意入試とはコンセプトが違うようです。同校サイトにはこうあります。

< 「STEMM」は、science(科学)・technology(科学技術)・engineering(工学)・mathematics(数学)・medicine(医学)の頭文字。「STEMM教育」は、時代が求める人材を養成する教育として、今注目を浴びています。文系理系を問わず、これからの世界では「STEMM」を理解し、人間社会と地球環境との共生にその知恵を応用していくことが不可欠です。清泉では、「サイエンス・ICTプログラム」を、4つのスペシャルプログラムの一つに掲げて歩んできました。理数的思考を得意とするこの入試の合格者が、まずこのプログラムによってその資質を大いに伸ばし、他のプログラムによる学びを加え、変わりゆく時代をより良くしていくのに貢献できる人材となるように導きます。>

★なんて先進的なのでしょう。

★このようなチャレンジを学校全体で取り組んでいくと、自ずと教科書の枠内で授業を展開する45分や50分授業では物足りなくなります。それに清泉はグローバルな学校ですから、海外の高校の教育の情報にも精通しています。生徒自身が問題を発見し、探究し、思考力・判断力・表現力を伸ばしていく授業を展開していきたいという欲求は高まるのは想像するに難くありません。

★姉妹校にインターナショナルスクールもあります。当然IBの情報もシェアしています。

★そういうわけで、土曜日のライフナビゲーションプログラムが、IBのコアカリキュラムであるTOKやEE、CASが組み込まれた分厚いPBL授業になるのでしょう。

★また、教科の授業も65分になるというのは、知識習得→探究→深い思考というサイクルが回るようになるはずです。これはIBがそうなように、教科学習に10の学習者者像のような人間像をリフレクションする時間やTOKのような哲学的対話やエッセイライティングを盛り込むことを想定しているのでしょう。

★それにしても、1998年ごろだったか世田谷学園の理事長・校長故山本慧彊先生は、70分授業を掲げ同学園はしばらく70分授業を行っていました。ニュージーランドの海外研修に行った生徒が、一方通行の授業ではなく、ディスカッションや対話型の授業に感動し、帰国後校長室に詰め寄ったそうです。それを契機に、70分授業に変えたわけです。

★しばらく続いたでしょうが、2001年に山本先生が他界されて以降、どこかのタイミングで元に戻りました。東大にたくさん入れるには、当時は知識習得型の授業が有効だったのでしょう。算数一科目入試も行っていますが、清泉とは対極の算数一科目入試であることはディプロマポリシーが異なるわけですから、当然そうなります。

★そしてそれでよいのです。どちらがいいかわるいかではなく、どの価値を選択するかは自由です。

★学校の教育は一貫性が大切です。いろいろあるより一貫していることが大切です。山本先生の時代は山本先生の精神が貫いていたからそれでよいわけです。今はまた別の一貫性ということなのです。

★そして、清泉は、カトリック精神を貫くとこうなるのではないかというチャレンジなのでしょう。同校サイトに創設者聖ラファエラ・マリアの言葉が紹介されています。

「思いがけない出来事は、人生の妨げと見るのではなく、むしろ、弾みと見るべきだ。海の波が弾んで船を目的地へ運んでいくように、私たちを最終目的地に導くきっかけになるものだ。」(1885年10月4日、黙想の手記)」

★ポストコロナ、2021年の清泉は、まさに聖ラファエラ・マリアの言葉通りになりますね。

★ところで、読売新聞の記事の中に登場している進路指導・研究部長の芝崎美保教諭は、現在かえつ有明の副教頭をしている佐野先生が前職の学校で進路指導部長を担っていた時代のOGだそうです。

★その当時から佐野先生は、偏差値という他人があてがう基準に翻弄され自分を責めることになるような進路指導を打ち砕き、今日も自分を見つけ友人を受容できる安心安全な共感的コミュニケーションを広げ、授業も全学年全クラスアクティブラーニングを行っています。

★手法は違えども、マインドは遠くにいても響き合っているというというのがステキです。カトリックとダライ・ラマと宗教は違いますが、スピリッチャリティとしてどこかつながっているのでしょう。そういえば世田谷学園もダライ・ラマ法王が何度か訪れていますね。

★いずれ世田谷学園も山本彗彊先生のマインドが蘇るかもしれません。

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