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2020年8月18日 (火)

ポストコロナ時代の「私とは何か?」(01)トラウマヒーロー物語を変更できるか?

★20世紀末は、大きな物語が喪失した時代だとはよく言われてきたことです。近代社会の正当化理論としての哲学や政治経済学、すなわち近代国家の存在理由をめぐるストーリー。その物語の構造は、トラウマヒーローストーリーです。何らかの強烈なコンプレックスがあって、そこからGRITよろしく直面する艱難辛苦を乗り越える物語です。神話や聖書の物語構造がプロトタイプなのかもしれません。

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(この同心円アイデンティティモデル=トラウマヒーロー物語を変更できるか?)

★しかしながら、乗り越えたとしてもダースベーダーのようになるかもしれなし、ルーク・スカイウォーカーのようになるかもしれません。それで、現代思想やサンデル教授の正義論が流行ったし、ミヒャエル・エンデは警鐘を鳴らし続けたのでしょう。

★今NHKの欲望の資本主義などのドキュメンタリーは、この流れを汲んでいるのですが、ということは、トラウマヒーロー物語が前提になっているということでしょう。

★しかしながら、大きな物語の喪失ですから、そうしたトラウマヒーロー物語の主人公としてのリーダーは不在なわけです。それを加速させているのは、SNSのようなインターネットのイノベーションでした。1995年にWindows95が販売されて以降、大きな物語は各個人に微分化されていきました。

★しかし、そのときに、新たなプロトタイプができたかというと、そうではなく、1人ひとりがトラウマヒーロー物語を強いられるようになります。

★自分史とか、自己啓発セミナーとかで、徹底されます。コーチ、ファシリエーターは、「気づき」と称して、フロイトもデルのアレンジをしていきます。トラウマを利用して、自分をダウンローディングして、困窮から解放されようとしている自分に気づき、そこからいかに解放されるかプロジェクトが立ち上がります。

★クリティカルシンキングと称して、その気づきを創り出すことを意味しています。

★しかし、同時に1919年に米国の裁判で、思考の自由市場化が下されたとき、すでに、フロイトモデルやトラウマヒーロー物語からの解放が宣言されました。これを継続して担ったのがコンテンポラリーアートです。それに、当時デューイがヘーゲルを捨てたのは、その物語から解放されたかったからでしょう。PBLの本意は、現状のPBLからの解放というわけですね。

★それはともかく、アートとデザインの決定的な違いは、商業性にあるのではありません。現状の危うさを表現するのがアートで、現状の危うさにマスクをかけるのがデザインです。それゆえ、デザインの領域でも、DE-SIGNと脱表現について議論が巻き起こり、アートとデザインのグラデーション領域が生まれているのでしょう。

★いずれにしても、個別最適化という名で、このトラウマヒーロー物語を個人のアイデンティティとして埋め込んで、1人ひとりが乗り越えられるんだという個別最適化神話が生み出されています。

★大きな物語のモダニズムの時に、国家とは何かをメディアが多く取り上げたように、ポストモダニズム化では、個別最適化や1人ひとりの才能についてメディアは取り上げるし、SNSでは、それを1人ひとりが書き込み、拡散しています。

★本間は、いつもと違うコトいっているじゃあんと思われるかもしれません。もしそう思われたのなら、私自身が、このトラウマヒーロー物語から解放されるにはいかにしたら可能かにいきつくプロセスの話をしているので、当然そのときこのトラウマヒーローに即して語ることが多いわけですから誤解をまねいているかもしれません。

★「自分事」とか「自分軸」という言葉が教育界や自己啓発セミナーでははやっていますよね。これはトラウマヒーロー物語の再生産の呪文の言葉だと私は思い、使う時は慎重になります。でも、そんなにこだわる性格でもないので、つい便利だからと使うということもありますが(汗)。

★いずれにしても、「私とは何か」は、現状ではトラウマヒーロー物語です。AO入試や就職活動も、そのトラウマをどのように乗り越えてきたかのエネルギーが問われているのだと思います。

★あたかも、トラウマと乗り越えた後のあるいは乗り越えようとするゴールとの差異が大きければ大きいほど深い学びを行っているかのような空気が世の中には流れています。

★では、どうすればよいのか?この「トラウマ(無意識)―エゴ―超自我」とこの自己もデル=トラウマヒーロー物語が映し出す「自己内世界」が同心円状になっているモデルを変更することです。

★この同心円状の絵は、立体で書くと氷山モデルやピラミッド(マズローモデル)に置き換えられます。

★新しい物語、新しい神話を1人ひとりが、自分のプロトタイプでつくる世界制作の方法を探るのが、PBLの本意です。シーモア・パパートやレズニックが、3Rから3Xといったとき、このことを直感していたのでしょう。

★彼らは、J.J.ルソーの系譜です。ルソーは、すでにこのトラウマヒーロー物語という「演劇」から「祭り」としてのドラマに移行することを説いていました。ルソーが、明治国家から排除されたのは、これからトラウマヒーロー物語を創作するのに邪魔だったからでしょう。

★それにしても、ルソーは、社会や演劇、音楽などの起源を言語に求めているのは凄まじい着想ですよね。

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