ポストコロナ時代の「私とは何か?」(03)実は私は何か了解している自己。でもそれを見えなくしている無責任な環境。
★SNSの世界は本当に悲しいこともある。中高生は、自分は何者か実は了解している。しかし、それを表現するフォームがなかなか見つからない。あれがフォームだと思っても、帯に短したすきになんとか。合わないのなら、自分で創ればよいのだが、そう一足飛びにはいかない。
★それなのに、そのフォームのことをよくしらないで、欲しがるとは何事かと無責任な話をする。あげくのはては、自分の学校の校長は理念を語れないとか、難しいとかいう。いってもいい。愚痴はよい。でも、その事態をどうやってサポートするかの提案ではなく、行動をしているかである。
★こう提案しているのですよでは困る。思考力がないと非難する前に、自分が動けばよいじゃないか。
★そんな無責任な環境を創り出しておいて、中高生が自立していないとか、仲間の教師をさげすむような言動をはきまくる。
★そして、共感的なコミュニケーションが大切だとかいうのである。
★自分はこんなにすごいけれど、あいつは難しいことをいうとか、世界が狭いとか、ほぼ名指しでいう。
★自己中心主義、自分ファーストを絵にかいたような、共感主義者がいる。偽善くさいだろう。
★だれだって、自分のことは実は知っている。でも、フォームが不足しているだけなのだ。言葉で表せなくても、他の道具で表すことができればよいのである。だが、それすらもないことはいっぱいある。知のインフラが不足しているのである。
★せめて、そのことをアピールし、こういうフォームをいっしょにつくっていきたいと表現できればと祈るような日々である。
★それなのに、フォームの話ではなく、フォームで防御できないことをいいことに、その中高生の内面に土足で入り込み、踏みにじる。
★リバタリアンでもなんでもない。ただの自分ファーストである。似非共感主義者は、ものすごい敬語を使う。相手を引き下げて、自分を上げるのである。自分をひくめて相手をあげることを抑圧だと言いながら、その逆をやる。
★中高生の進路先は、ぴたっとあてはまるフォーム探しである。間違っても自分探しではない。自分もわからない、人もわからない深遠な自分なんてのは、自己啓発セミナーが踏み外す、オカルトの世界である。
★つまり、無責任な環境とは妖怪の生息する領域なのだ。
★もはや祈るしかないが、わが友人がその妖怪に飲み込まれるのだけは避けたい。よりによって寄せ付けるとは。。。。
★とはいえ、あまりに酷い時は、ゴーストバスターズにならざるを得まい。
★中高生のみなさんも、自分の存在の質を、表現するフォームをみつけるか、いつか創ろうと夢見るか、ともあれ、自分の存在の質を自ら守ることはしたほうがよい。そして、共感的コミュニケーションとは、その存在の質をシェアすることであるのだから、響き合う仲間を探すことである。
★フォームなんてという忍び寄る妖怪の言葉に惑わされることのないように。オープンマインドとは、自分の存在をトラウマというフォームに置き換えることではない。フォームができていないときに、すっと忍び込んだトラウマフォームウイルス。自分の存在の質を台無しにする刃に対抗する盾にもなる免疫フォームをできるだけ早く見つけて欲しい。そんなフォームは自己防衛機制だというささやきにのらないように。
★防衛機制と生命防衛システムとは全く違う。前者は他者を引き吊り回す。後者は他者と協働するのであるから。
★そして、その響き合う仲間は、同年代とは限らないし、大学の先生だったり、塾の先生だったり、学校の先生だったり、親戚のおじさんだったりするかもしれない。まだ見ぬ恋人かもしれない。響き合いのない共感的コミュニケーションはない。未来からだって響いてくるものだ。
★お札をはりにいきたいくらいである。しかし、祈りをおくることしかできないか。。。とにかく、身動きのとれないスキを突かれた感じだ。体制を立て直さなくては。
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