★今、多くの高校生が総合型選抜(AO入試)の提出書類を創っている真っ最中だと思います。志望理由書、自己推薦書、課題、願書、インターネット登録などなど。大学によっては出願締め切りがきてしまっているところもあります。
★学校の先生は、調査書や推薦文のコーディネートなどしながら、生徒が作成してきたこのようなプロダクトに対し、メンターやコーチの役割も果たしていることでしょう。
★1990年に慶応義塾大学湘南藤沢キャンパスSFC)が、日本初のAO入試を実施したときから、全国に、賛否両論あり、紆余曲折ありで、広まりました。ベルリンの壁崩壊直後だったし、SFC自体がグローバルでイノベーティブな大学なので、AO入試は印象的でした。1999年に前職の教育研究所でSFCのアドミッションオフィサーと私学の先生方と勉強会をやったのを覚えています。
★あの当時まだ広報部長だった鴎友の吉野先生が、AO入試の書類を受ける受けないにかかわらず生徒全員がトライする機会を作ると決意をしたほどインパクトがある入試でした。もう20年以上も前の話ですが、当時の鴎友のエリクソンなどの発達段階に応じたキャリアデザインの手法は脚光を浴びていましたが、それにぴったり重なっていると感じたのだと思われます。
★しかしながら、受験市場というのは、他のマーケット同様、グレシャムの法則が成り立ちます。悪貨は良貨を駆逐しますから、書類を出せば合格してしまうAO入試も出現しました。すでに高校生人口が減少する時代に突入していましたから、そういう流れは否めません。
★今でも、一般受験は無理でも総合型選抜なら大学に入れるみたいなコピーを掲げる塾もあるぐらいです。市場経済ですから、そういう比較優位的なというか比較広告的なというかまあしかたがないのです。消費するかどうかは私事の自己決定です。
★とはいえ、文科省が2016年から開始した定員厳格化が、AO入試でそう簡単に入れない状況を創ってしまいました。今では、AO入試にかける労力よりも一般受験の方がなんとかなるという風潮も出始めたほどです。
★こんなに紆余曲折ありながら、今では多くの大学が採用している総合型選抜(AO入試)が広まったのは、広報戦略の意味合いも半分はあるでしょうが、一方で大学は研究共同体ですから、いっしょに学びたいと共感し合える学生が欲しかったからだし、そのような学生は大学卒業後も最先端のプロジェクトで活躍するので、結果的に大学の投資効果を高めます。だいいち研究共同体で大切なマインドはGRITです。才能があっても、やりきる根性が必要なんです。
★大学は研究と就活のための教育の両方の役割を担います。大学機関は、今や国だけではなく民間企業とも共同研究をしていきますから、民間企業もまた大切なステークホルダーネットワークです。そこに優秀な人材が受け入れられることは、研究資金調達のためにも重要なエンロールメント戦略なのです。
★大学入試とは、何も人生の純粋培養機関に入門することではなく、社会における政治経済の力学の中で、ゆさぶられながら、人類の未来の知を生み出す思惑がある共同体に入会するための通過儀礼です。その思惑は事前にリサーチするのは当然です。それは一般受験も、総合型選抜も同じなのですが、一般受験は偏差値で選ぶことができます。大学側は、そこは百も承知ですが、受験生の思惑と自分たちの思惑のマッチングは緩いのです。偏差値だけが重要です。優秀な生徒が、自分の大学を経由してステークホルダーにつながっていくのは、思惑がどうあれ重要なのです。
★そのためには、効率の良い選抜方法で受け入れる部分があってよいし、経営のためには、そこにあまりコストをかけられないのが、日本の大学の台所事情でしょう。それにたくさん受験してくれると受験料収入が馬鹿になりません。
★こうして考えると、総合型選抜(AO入試)が、実は大学にとって極めて重要な研究共同体入会のためのチャンスだということがわかるでしょう。だから、手間暇かけるしコストもかけるのです。書類選考や口頭試問などアドミッションオフィスの体制をしっかり組まなければなりません。米英のようにアドミッションオフィサーが世界を飛び回っているような機関にまではまだなっていませんが、そうなろうとはしているでしょう。
★ですから、総合型選抜(AO入試)に取り組むこと自体、断固たる決意が大事なんですね。取り組み方も、これは一つのプロジェクトです。自分だけががんばっているのではなく、大学と受験生の互いにやっていけるかどうか、やっていくのならどんなプロジェクトを4年間いっしょにやっていけるのか契約をとるために交渉する一大プロジェクトです。
★ですから、枕が長くなりましたが、最初の図にあるように、プロジェクト型の取り組みが必要になります。SFCの井庭崇教授のパターンランゲージのうち、サイトで閲覧できるラーニングパターンのイメージのいくつかを活用して、どんな構えと行為で自分がやりたいプロジェクトをつくっていくのかそのハイパーループの回路=世界制作回路(図は、あくまで、一つの例ですから)を、受験生は自分で並べ替えてみてはどうでしょう。
★たとえば、まずはやってみようから始まるでしょう。ワクワクしながら、どっぷりつかって、その経験から何か気づいたら、フロンティアンテナを張り巡らしてリサーチしていくでしょう。整理する段階で捨てる勇気も必要ですね。
★この段階で、いきなりこの大学で学びたいと思うのは勝手ですが、それではプロジェクトの企画としては弱いというのは受験生も自分でわかると思いますよ。
★当然、そこから議論する仲間をみつけるでしょうし、鳥の目虫の目で自分が興味をもったモノやコトについて考えを巡らすでしょう。そして仲間とシェアしたり議論したりするでしょう。その仲間は友人だったり、先生だったり、塾だったりするわけです。このとき学びの共同体を形成するPBL型教育を実施している学校にいると、はじめてその価値の重要性に気づくものです。
★基本プロジェクトの企画は、机の上でつくるものではなく、動きながら対話しながら創っていきます。何度も練り直し、多角的な視点でモニタリングしながら、今まで見えなかった新たな関係が見えてきます。
★その発見したことの意味が社会や世界にどうインパクトを与えるのか、メラメラとプロジェクト遂行の内なる情熱が生まれてきますね。この情熱、あくまで内なる情熱ですが、その情熱が相手に伝わるかどうかは総合型選抜の醍醐味ですね。
★しかも魅せる創意工夫もしなければならないし、突き抜けているかどうかも重要です。偏差値これくらいで合格できるというものではありません。確固たる決意をもって挑んでいきます。
★すると、T字型の学びや探究、いや研究が始まっているなあと感じている自分に出遭うことができるでしょう。確固たる決意とは、そのゴールの価値の重要性についてのゆるぎなき意志であって、そこにいくまでの道は多様です。いきつくための道を途中で変えるのはなんら問題ないのです。確固たる意志と頑迷固陋とはまったく意味が違います。
★そして、ここまで到達した段階で、実はまだ広がりが足りない深堀が足りないとなるので、T字型研究は、再び今までのサイクルを回転させます。そうなるとハイパーループができて、回るたびにT字型研究は広がりと深堀を成長させます。
★とはいえ、総合型選抜は研究ではありません。いっしょにやっていけるかどうかの選抜です。期限があります。今がそうなのでしょうが、そこでまだ足りなくてもアクセルを踏んでなんとかやり切らなければなりません。続きは大学に入ってからです。完璧でないから諦めるではなく、最後まであきらめずにゴール前のアクセルを踏むわけです。
★あとは相手である大学が決めることですから、受け入れられるかどうかは相手に委ねるしかないでしょう。自分のプロジェクトと大学側のプロジェクトのコンセプトが完全に一致することは、この段階ではありません。
★ギャップはあるでしょうし、ズレもあるでしょう。できれば、このギャップを埋めたいし、ズレは修正したいわけです。そのために大学の実績やそこで研究している研究者の実績を追跡するわけです。これも最初のフロンティアテナにひっかけるわけです。そうはいってもギャップやズレがこの段階で一致することは難しいですね。
★あくまで、仮説推理でしかありません。
★ただ、大学もはじめから一致することなど望んでいないでしょう。ギャップはあっても、入学後埋めるどころか盛ってくれるだろうと判断するかどうかです。ズレがあっても、このズレは新鮮で、もしかしたら新たな開発が行われる潜在的可能性が大かもと判断するかどうかです。
★ということは、思い切って「突き抜けた」アイデアのプロジェクトをぶつけることですね。
★こうして眺めると、総合型選抜は、にわかに突貫工事ではなかなかできないですね。中高6年間なり、高校3年間なり、多様なプロジェクトを経験しながら、自分自身のプロジェクトを見つけるという知の旅をしてきたかどうかは大きいのです。
★そして、プロジェクトとは大学では研究チームのことを意味しますから、自分のプロジェクトが仲間と共感でき、最終的には世界を変えるプロジェクトであることを共感をもって受け入れられることが必要です。マイプロジェクトは最後は自分の手を離れてワールドプロジェクトになれるかどうか。それには、頑迷固陋な自分を変容できるかでもあるのです。
★総合型選抜(AO入試)は、手間がかかりますが、それでも応募者倍率は2倍から5倍くらいにはなります。合否はあるのです。ですから、やはり突き抜けるアイデアや情熱、GRITは大前提です。しかし、合否はかっこにいれて、このような機会を経た受験生の未来はやはり輝いています。
★このような経験をした高校生の未来への道は多様に存在します。そんな高校生といっしょにやりたいという大学や機関は必ずあります。偏差値やネームバリュー、ブランドという眼鏡では、手を広げて待っている相手が見えないものです。
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