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2020年6月 4日 (木)

ポスト・コロナショック時代がもたらすコト(25)工学院の教師とZoom対話 オール生徒で学びを引き受ける時代

★本日夕刻(6月4日)、工学院の教務主任の田中歩先生と進路指導部主任の鐘ヶ江先生とZoom対話をしました。特にテーマはなく、分散登校が始まったところで、コロナ禍における教務や進路指導のことなどについて情報交換をしたという感じですが、工学院の現状の進化の段階を確認することができました。昨年から進化のカーブが急上昇を描き、今回のオンラインPBL授業でさらに飛躍しているという実感をお二人が抱いていることが了解できました。その進化の段階とはどこらへんか?というと生徒中心主義の意味が明らかになったということでしょう。

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★ある意味、今の高3が中1からC1英語、PBL、ICT教育に取り組み、新高校1年と合流したときから、STEAM教育やMOG、探究論文の新しいプログラム開発が本格的に加わり、骨太の教育ができてきたわけです。

★こうした進化の過程を思い起こす話題にもなりました。歴史はときどき振り返ることは大切です。最初にやったことは、思考コードをつくったということです。PBLをやるにしても、ICTをやるにしても、何をやるにしても学びの自分軸や迷ったときに光を求めるコンパスがないとということで作成したという話を確認しました。

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(日々悩みながらPBL授業に挑戦した思い出話も出ました。今や在校生は世界で活躍しているし、STEAMセミナーでファシリテーターの役まで果たすようになった。自律した学習者を超えた感じがすごいと。試行錯誤というリスクテイクができるし、思考コードでリフレクションもできると)

★C1英語に関してはCEFRがあったので、どんどん進みました。PBLやICTは、思考コードの学内共有が最初はなかなか難しかったので、やはりPBLやICTは拡大しなかったなあと。時代がまだ追いついていなかったと。しかし、今では、生徒自身がプロジェクトを企画運営する時に、ゴールイメージをつくる際に活用するまでになっていると。それはとても重要なことですねと。

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★この思考コードの広がりは、今考えると、教師と生徒の関係の成長の過程だったのではないかと。すなわち、最初教師が授業をがっちり握っていて、生徒に手放さなかったし、生徒も教えてくれないPBL授業は不安だったのです。しかし、多様なプロジェクトに挑戦する生徒がでてくると、教師もいっしょに応援するので、今の高3が高1のころから、教師が教えるが50%、生徒が学ぶが50%くらいになてきたのではないか、そして高1の時の3か月留学で、生徒が自分で考えて判断して自己決定していくことの楽しさを感じる生徒が増えてきたし、生徒が留学先から送ってくるメールをブログに教師が載せているうちに、教師は生徒の学びをサポートする側にだいぶ回ってきた。共感的コミュニケーションが広がったと言い換えてもいいかもと。

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★そして、何より得難いのは、高2の1年をかけて、教師も生徒もグローバルプロジェクトをいっしょに創り、実際にやってのけた達成感の共有だったと思うと。この世界は本当に未知との遭遇でした。今回のパンデミックの事態を乗り越えることもやはり未知との出遭いで、解は自分たちで、創っていかなくてはならないわけですと。とにかく、このプロジェクトには今までの進化の歴史がすべて収斂して、何かビッグバンが起きた感覚で、生徒のセルフキャリアデザインにも大きな意味があったと。

★この体験を共有したことが、教師は学びを生徒が完全に引き受けたことを確信し、自分はヘルプや見守ることができるようになったと言います。

★とにかく、生徒全員と体験したわけです。グローバルというのは、何も海外のことだけをいうわけではありません。宇宙船地球号ですから、いまここもグローバルなわけです。生徒は凝り固まるのを自分で解放できるところまでもう少しだとお二人は言います。

★いろいろな生徒が鐘ヶ江先生だったらどう考える。自分の考えや価値観は狭くないだろうかとセカンドオピニオンを尋ねる感覚でやってくると。

★田中歩先生は、そういうことが言えるようになった教師と生徒の関係はかなり理想的ではないかなと思っていますと。教育は生徒1人ひとり違いますから、何か一つの理論で生徒をみたりはしないようにしています。もっと多くのレンズで見守ることが大切かなと。ある意味思考コードは9つのレンズで、生徒はどこで迷いどこへ行こうとしているのか多角的に見守ることができますと。

★また、グローバル教育を行っていて感じるのは、学内異文化理解が必要だと感じるとも。

★というのは、今ハイブリッドインターで行っている哲学クラスは、広く哲学を学んでいて文化的偏りはないようにトレーニングされていますが、東洋的な考え方は全面にはでてきません。外国人講師は、むしろ日本大好きなのですが、哲学となると別です。

★それに、講師の哲学的バックボーンは、英米系ですから、本間さんのようにドイツやフランスの哲学的背景をそのまま持ち込むと、生徒は文化的な葛藤をおこしますねと。ああわかります。デューイがそうだったように、そこをプラグマティックにいったん相対化して、共有できる対話をすることは大事ですよねと。文化とは1人ひとりのバックボーンに影響していますから、人間の存在の外にあるわけではないですね。そこを無視すると葛藤がたしかに起こります。

★鐘ヶ江先生は、その葛藤が、文化的背景の違いにあることに気づくことが大事で、海外にリアルにいかないとわからないというのではなく、いまここでも同じようなことが起こっているのだと気づいて欲しい。そうはいっても、グローバルプロジェクトでそれは国内外両方ですが、現地に行ってリアリティのインパクトはすさまじかったですね。身近なところでは気づきにくいのも確かですと。

★田中歩先生は、共感的なコミュニケーションの中での批判的思考は実にナチュラルなのです。でも時に批判的思考が前面に出ると実に抑圧的になるときがあります。それは社会にでると、そういうことはありますから、抑圧的コミュニケーションに対する耐性も一方で必要です。しかし、それには共感的コミュニケーションが背景にあって、思考コードのような迷ったときにゴールを探せるコンパスが前提にあるのは大切だと思っているのですが、いまそれは確信になっている感じですね。

★オール生徒で学びを行っていく。でも、学歴社会みたいなドメスティックな中にいたら、居心地がよいだけで止まってしまうこともある。そんなとき、もう一歩高い目標があるという情報を提供してくる教師がいる。それは教師というより人生としての先輩だという感じですね。この点について、卒業生が、常に一歩先の目標があることや限界をこえることは可能ではないかと指摘してくれるメンターのような教師の存在に感謝していると語ってくれたのですが、私たちはその言葉にむしろ感謝ですと。

★工学院の進化が急なのは、教師と生徒の関係の変容による、教師と生徒のそれぞれの自己変容の加速だったと了解できました。生徒中心主義とは、学びの責任を全面的に生徒が引き受けられる教師と生徒の関係性だったのですね。

★鐘ヶ江先生は教師と生徒を1人ひとりみているだけは、生徒の存在の関係性はみえないですね。存在とは関係性だから、つまり関数方程式だからと。さすが数学の教師。

★いろいろな学問的成果をインテグレイトして現場で生徒が活用できる環境をコーディネート(まさに座標で、思考コードは座標だったのだと感じました)しているプラグマティックな二人の先生。グローバルな人間とはこのような先生方のことをいうのだと感じた次第です。長時間の対話ありがとうございました。

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