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2020年5月13日 (水)

ポスト・コロナショック時代の私立学校(85)工学院のオンライン <オンラインPBL授業>

★工学院のサイトに「工学院のオンライン➄」という記事が更新されました。またアップデートしたということですが、これがどういうことかというと、リアルな時空で行っているPBL授業を、創意工夫することによって<オンラインPBL授業>というニューノーマルに持って行けたということのようです。

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★これがどんなにすごいことなのかわるでしょうか。オンライン授業は、リアルな授業に比べて、もっとも不足しているのはコミュニケーションの情報の量と質なのです。

★知識のやりとりのコミュニケーションは一見不足していないのですが、五感情報が圧倒的に制限されています。レコードやCDなどが、生演奏にかなわないのと同じですね。ライブ感というのは、脳神経心身全体で感じることができるのです。

★つまり、非認知的能力については、オンラインの場合は相当創意工夫しなければ不足しがちだということでしょう。

★それを、補っているのですから、文中に「先生方も頑張っていきます。生徒の皆さんも頑張ってください!」という思わずでたエールの含む意味はすさまじいものがあると思います。

★その工夫とは、実は、徹底的に生徒たちが自分たちで考えていく工夫をしていたり、まるで闇の中を進む事態に生徒同士が協力し合える学びの環境を設定したり、とにかく、オンラインのデータ化を活用してセルフリフレクションをする環境を整備したり、互いに感じたことを共有できるプラットフォームを設定したり、自己変容を振り返る時間を設定したり、多様です。

★オンラインPBL授業とは、オンライン授業とそういう意味で違うのです。授業ですべてまかなうのではないのです。限られたオンラインの時空から自分の内面を広げ深堀するT字意識という足場を創り、そこから殻を破って飛び立つ翼を自ら広げられるようにする探究の洞窟創りだったのです。

★その洞窟を探検するタスクは、さまざまなタスクです。そのタスクをこなすたびに知のスキルを身につけます。タスクはだんだん複雑になります。洞窟の奥にはいればはいるほど、未知なるタスクが顕れるからです。それをこなすには、そこまで身につけてきたスキルをミックスする必要があります。そのミックスはどれが最適なのかやってみなければわかりません。

★とても一人ではその洞窟の探検はできないでしょう。共感的コミュニュケーションとは友人の困窮をシェアして共に歩むことによってのみ成り立ちます。互いに励ましあって知恵を出しあって、洞窟探検を終えて外気に触れたときそのときの感動は一生ものです。

★だからこそ、この記事を書き込んでいる先生は、次のようにメッセージを投げるのです。

「高校3年生は目の前にある受験の存在が不透明になってしまっています。学ぶ上で大切な目標が示されずに走り続けることは大変なことです。
だからこそ、このような状況で忘れてはいけないのが「interaction」です。

様々な情報を共有することはもちろん、そのような状況を共感できる場があるかないかでは大きな差があります。

本校の掲げる21世紀型授業の本質はオンラインになっても変わることがないよう、先生方は様々な工夫をしています。

受験生のみならず、すべての生徒が自分自身を外から見て、対話をする中で昨日の自分から~を学んだ・成長した、と言えるような学びになるよう、先生方も頑張っていきます。

生徒の皆さんも頑張ってください!

オンラインは想像以上に負担がかかります。OnとOffを切り替え、適度な息抜きをしながらいきましょう。」

★授業の創意工夫もすばらしいですが、ケアとエールと優しい眼差しと。

★オンライン授業の是非はいろいろメディアで喧しいです。たしかに教育格差もあるでしょう。

★しかし、どんな状況下にあっても、高邁な勇気ある気持ちを互いにたたえ合うマインドについてはスルーされています。一度も格差のない社会がなかったのに、あたかもあったかのように語られ、それが失われたなどという安全地帯で激論パフォーマンスをしている評論家や見識者。

★工学院の先生方は、そのようなフィールドにはいません。生徒と共にいまここから未来にむけての未知のベクトルを試行錯誤して見つけようとしているのです。そして、その道の向こうには、生徒たちが自らの足で歩むしかないのです。どこまでもいっしょについていくことはできません。1人で歩いていけるスキルと道々で友をつくりいっしょに進める共感的コミュニケーション能力が内側から生まれてくるように努力するのみです。そのスキルや共感的コミュニケーションがそなわったとき、別離の時がくるのです。その別離のイメージを心に秘めて日々いかなる条件下でもベストを尽くすのが工学院の教師です。

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