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2020年5月 2日 (土)

ポスト・コロナショック時代がもたらすコト(9)聖学院インパクトの本当の意味 人類の進化へ 妄想編

★昨日、聖学院のZoomミーティングで感じたことは、<新しい存在>の顕在化でした。もともと聖学院にはタラント(賜物)として、超自然から与えられたポテンシャルがあったわけですが、それが可視化されたというか見える化されたというか。そのことが、オンライン学習を介して実感できたのです。

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★今回のミーティングで、聖学院の先生方は、リアルな時空における授業でも大切だとはウスウス感じていたでしょうし、個人的には深めていたかもしれませんが、学校全体で行われる議論では、優先/優占的ではなかった対話に集中していました。サイバー時空におけるオンライン学習を実装することを通してあるいは媒介項とすることによって、自らを変容させ世界を変える影響力のある深い問いを相互に問い続けることに集中していたのです。そして、I:リアルな時空でしかできないコト、C:サイバーな時空でしかできないコト、E:リアルな時空でもサイバーな時空でもできるコトの対話をし続けていました。ICEモデルを授業デザインで使いながら、ミーティングそのものにもICEモデルが適用されていました。

★ICEモデルは、ベースは<正ー反ー合>というダイアローグ(対話)ですから、実にキリスト教的精神だったのですが、ICTや授業モデルというテクノロジーがオンライン学習というテクノロジーに変換されることによって、潜在的にあった、上記のリアル時空とサイバー時空のベン図の関係が顕れてきたわけです。

★新しくできたというより、潜在的にあったものが顕在化した、現実態になったという感覚です。従来はそれを上記の図のように四角く切り取っていたわけです。それがそうでないことに気づいた瞬間です。

★カントやヘーゲル、ヘルダーリンが、認識の向こうに憧れの物自体があるが、それは認識はできないのだと言っていたわけです。リアルな時空の限界だったのかもしれません。その限界ラインを認識したからこそ、そこから不可知論が生まれたし、いやわからないといえども精神の現象学をたどって物自体に迫ることはできるという弁証法が生まれたし、いやそれは詩的想像力で直観することができるという発想も生まれたのでしょう。

★しかし、リアル時空での人間存在=beingは、それを見ることができない。気遣うことはできるけれど。それゆえ、不安な現存在(dasein)なわけです。そこをなんとかしようとハイデガーや西田幾多郎は思索したわけです。もっと前には漱石や龍之介が胃をキリキリさせながら文学的表現としてとらえようとしたのでしょう。

★聖学院の先生方は、その憧れの物自体や現存在が忘却した存在自体を、サイバー時空への教育出動力によって顕在化したのかもしれません。

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★わかりやすく描き直すと、四角い存在からベン図存在へと人間は進化するわけです。完全に妄想の領域に入ってきましたが、そう感じたわけです。

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★従来の人間存在は、I:海馬とC:前頭前野がメインでした。しかし、サイバー時空では、E:上頭頂小葉も活性化します。従来の人間存在は海馬と前頭前野が意識的に使われてきた。上頭頂小葉は無意識的に使われてきた可能性が大です。それがサイバー時空でオンライン学習をしていくとE:上頭頂小葉を意識して活用します。Zoomなどのアプリでモニタリングしてしまうのです。自分の顔は自分で見えなかったはずなのに、見えてしまうのです。

★これによって脳の外形も変化するのではないでしょうか。新しい人間存在として、頭蓋骨と脳のカタチや質量に変化が起こる可能性がありますね。まさに人類の進化が起こるわけです。妄想はいってます(汗)。

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★Zoomミーティングで、聖学院の教頭の伊藤豊先生が、ご自身の国語の授業をICEモデルで問いを創ってデザインしたプレゼンをされていました。以前だったら、上記の左の写真である伊藤先生をしっかり見つめて傾聴しているだけだったのですが、Zoomミーティングでは、上記の右のZoom画面の写真のように、参加者全員の顔と伊藤先生の顔を同時に視野に入れながら傾聴するわけです。

★伊藤先生以外はミュートで声が聞こえないようにしているのですが、それがかえって多くの先生方の知と情動が揺れ動いていることが伝わってきます。

★もはや、伊藤先生1人の顔が<伊藤先生>ではなく、参加者と伊藤先生すべてが<伊藤先生>の顔として認識している<自分>がいるのです。しかも、その<自分>もZoomの画面の中にいて、<伊藤先生>の顔の中にいるのです。

★そんな眩暈がするようなメンタルローテーションは上頭頂小葉で活性化していると言われているのです。

★この現象は、beingからinterbeingへの人間存在の新しい在り方なのではないか。そう感じたのです。

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★そして、今回のZoomミーティングで何度も強調されていた聖学院の理念としてのマインドは、<Only One for Others>だったのですが、それは目に見えないマインドだったのが、目に見える姿として現れたのです。

★まさに、interbeing=Only One for Othersという新しい人間存在の出現です。しかもこれは、頭蓋骨や脳のカタチと質量をやがて進化させてしまうかもしれないのです。人類の新たな進化の局面に立ち会ったと感じたのです。妄想だと言われるかもしれませんが。

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