ポスト・コロナショック時代の私立学校(72)ノートルダムのオンライン学習 未来はブラックボックスかパンドラの箱か宝箱か? Zoom雑談で②。
★待ち受ける予測不能な「未来」は、果たしてブラックボックスなのかパンドラの箱なのか宝箱なのかキャラメル箱なのかびっくり箱なのか千両箱なのか希望の箱なのか、開けてみなければわからないのか、わからないのであれば、意味は創ってしまえばよいのではないか。。。いろいろな気持ちが交錯するなか、雑談は進んでいきました。
★ノートルダムでは、ブルームのタキソノミーについては共通認識になっているので、それを知の座標に変換してビジョンをつくって雑談していきました。同校の理念を表すキーワードの中には、「トランスフォーム」というのがあるので、いつもつかっているフレームをそのまま使うより、少し変形してみるという共感覚があります。
★<Do Now>というフレームが授業の中で共有されているので、ときどき変化をつけると、そこからサプライズやあれっという気づきが生徒の中から生まれます。ノートルダムの文化には、「正反合」という欧米的な弁証法の精神と「守破離」という茶道の精神の両方があります。茶器も黒茶碗だったり、織部茶碗だったり、天目茶碗だったり、変化を楽しみますよね。Zoom雑談は少人数がゆえ、いつも行っているナレッジcaféとは違う、茶室感覚で展開していったのだと思います。
★お茶菓子として、自身の<オンラインPBL授業>の資料を共有しながら雑談対話は進みました。小学校の梅下先生の理科の授業、中高の三井先生の保健体育の授業、霜田先生の社会の授業。オンライン環境の多様なデバイスやアプリ、プラットフォームを駆使した授業でした。互いに新しい仕組みについて情報共有しながら、授業の本質に迫っていく雑談になっていったと思います。
★雑談は、90分授業3つというシークエンスさながら進みました。一回ごとに5分間休憩を挟みながら。Zoom疲れを体験しながら、それを今後どう回避したらよいのか、生徒に対するケアの話もしました。
★最初、プレゼンがZoomの共有機能で、PPTあり動画ありで行われ、そのあとまずは共感的なコミュニケーションをしました。プレゼンを受けて気づいたことを分かち合っていった感じです。
★そのあと、その気づきの中で特に気になったキーワードについて、「そもそも~?」という問いが投げられて、対話が深まりました。雑談対話ですから、間口を広げ奥行きの深さを探索するTの字対話をします。
★たとえば、梅下先生が、オンライン授業なので、最初にどういう流れでどういう意図で進めていくか、いつもよりきちんと提示しますとか、三井先生がシラバスをまずは共有していきますよねという話がでてきたときに、それはオンライン学習だからという意味はそもそも何だろうと問いが投じられます。
★その場でにわかに回答は定まらないし、急ぎませんが、3つの授業のプレゼンを通して、結果的に同じトピックについても話し合っていきます。すると、実はオンラインであってもなくても、「導入」で語る意味が実に重要だという気づきが起こります。
★オンライン学習でなければできないのではなくて、オンライン学習を実施したから配慮する必要性のある領域が見えてきたという感じですね。この「配慮」や「気遣い」は、ポスト・コロナショックの時代では授業を超えてあらゆる領域で越境的に重要な言動となるという見通しが生まれてくるわけです。
★哲学対話の実践は、ノートルダム女学院では宗教科の山川先生と保健体育科の三井先生が授業の中でコラボして実践していますし、他教科の先生方とも研修で共有しています。「そもそも~」と、当たり前になっている言説を問い直すトレーニングはしぜんに行われるのは、同校の先生方の特徴でもありますね。批判的思考というのは、ギリギリの限界や問題点に迫っていくことですから、哲学対話は有効です。
★そして、そのあと、実際に授業分析とどうリファインしていくかコラボフィードバックしていきます。そのときに、20のアクティビティタイプ(ATs)と20のパターンランゲージ(PLs)を活用しました。
★ATsはハーバード大学のプロジェクトチームが、多くの現場の教師と開発したものです。PLsはSFCの井庭教授のプロジェクトチームが開発したものです。やはり現場の学生や教師との対話やフィールドワークをもとにしています。
★合わせて40個の視点なのですが、この視点の背景に無限のかかわりがあるので、そういう風通しの良い視点との連携は、多様なネットワークが大切なのと同じくらい重要です。人材ネットワークは、結局知恵のネットワークですから、このような研究成果の視点は壮大なスケールの知恵のネットワークと結びつくことができます。一見手軽なのですが、なかなかどうして深いのです。
★たくさんの視点で間口を広げ、視点の背景の知恵の力をかりて、深堀していきます。
★1つひとつのATsやPLsのアイコンの意味を問い返しながら、知の座標のどこのポジションを生徒と共有しているのか雑談対話は展開していきました。
★それぞれ20のATsとPLsのアイコンを使いながらのコンパクトな対話は、実はオンラインだからできるということにも気づきました。小中校越境的に先生方が集まることができるのは、リアルな時空では、実はなかなか厄介なことです。
★それから、画面を共有しながら40ものアイコン1つひとつに集中できる(だからZoom疲れがでてくるというのもあります)というのもリアルなワークショップではなかな難しいと思います。
★上記写真のようにロイロノートやジャムボードのように知のフラクタルな感覚はリアルな時空ではなかなか共有できません。そして、この共有がオンラインの場合だとスムーズに学び方として生徒に渡せてしまうのです。
★霜田先生が、教師の授業の<編集力>がそのまま生徒の学びの<編集力>として転移してしまうのはすごいですよねというフィードバックはその通りだと実感しました。Zoomの共有機能やチャット機能、ホワイトボード機能、ホスト機能など生徒がすぐに使えてしまうわけです。生徒自ら編集したPPTも生徒が共有機能を使ってプレゼンできるわけです。
★そのとき単にプレゼンしているというわけではなく、共感的コミュニケーションのファシリテーターも生徒自身が行うことになります。行うというよりマシーンの操作という感じですね。ある意味スーパースーツでパワーアップしてしまう感じでしょうか。
★ポスト・コロナショックは、ポスト・オンライン学習の新しい学びの地平を確実に描いているという実感を共有出来たZoom雑談となりました。(つづく)
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