ポスト・コロナショック時代に、新しい教育活動を開始する私立学校(50)工学院のオンラインは教育の枠組みを超え始める <顔>を感じるというコトへ
★「工学院のオンライン③」が同校サイトにアップされました。オンライン授業を行って2週間目になりますが、その様子を丁寧に記述している教師の<顔>がここいは確かにあります。しかし、それはもちろん見えないのです。でもあるのを感じます。
★<顔>問題にダイレクトに触れる論考になっているのが、凄いなあと。オンライン学習は、ある意味あらゆるものを越境していきます。たんなる教科横断なんてことはもはや問題でないくらいあらゆる領域を軽々と超えていきます。そんなことを感じさせるカジュアルだけれど深い論考になっています。
★ZOOMなどのオンライン授業は実は<顔>問題を私たちに提出しています。哲学者レヴィナスは、自分の顔を自分で見ることはできない。自分の顔を見るには他者との対話が大切だという話なのですが、そのときの<顔>とは何を意味しているのか?<自分>とか<他者>ㇳは何を意味しているのか?そもそも<対話>とは何を意味しているのか?
★そういう哲学的な問題を突き付けられますね。
★それから、ZOOMでは、自分の顔を出して話さないようにとか、顔を出さないで参加してもよいとかいう話題が頻繁に起こります。心理学的な繊細な問題がここには横たわっているのでしょう。リアルな時空で視線を合わせながらとか言われていることとは、真逆の話が語れれているわけです。いったいこれはどういうことでしょう。工学院でも2週間かけて、そこの判断は生徒が自らしていくようにゆったりしています。
★このときの生徒の選択判断のメカニズムとは何でしょう?
★また、リアルな時空の時よりも、きっちりデータが1人ひとりでてきますから、ある意味それは一望監視装置=パノプティコンだし、個人の提出物をみんなで一気に共有できてしまうわけですから、多くの人による少数者の監視=シンプティコンという社会学的あるいはメディア論的な問題も提出されます。
★この、ギリシャ哲学以来何千年もかけて議論されてきた専門家たちによる問題を、オンライン授業を共につくる教師と生徒が実践的にクリアしていくという歴史的事件が記述されているのです。
★どうクリアしていくのかは、共感的コミュニケーションやコンパッションを共有する人間関係の結びつきによって行っているのですが、そんなことは、そう簡単にはできません。
★おそらく教育の枠組みでは、このような話は個人的な教師の内面的な悩みとして見過ごされてしまいます。ですが、工学院はその枠組みを超えて語り合う場をつくる共感的なメンターチームが存在するということでしょう。
★共感的メンターチームのマインド×メカニズム×マネジメントという<顔>というか<柔らかい聡明で優しい表情>がオンライン体制を包み込んでいますね。
★この3Mについて、次回から少しずつ考察していきたいと思います。とにも凄いことがここでは起きています。それを注目するのは、本当は大学の先生やメディアの方々の応援を頼みたいのですが、自分が何をやったかを語る人が多すぎて、というよりそれが仕事なのだからしかたがないのですが、この工学院の論考を書かれている先生(いったい誰なのかは今度調べてみます)のように、他者の実践を見守る眼差しで書くことはなかなかないのです。その先生の<顔>はすてきですよね!きっと。
★とにも、私なりに気づいたことを引き続きメモしていきたいと思います。
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