« ノートルダム女学院の2020年度始まる。根源に立ち還り、新しい息吹を生成する。 | トップページ | ポスト・コロナショック時代に、新しい教育活動を開始する私立学校(34)工学院 オンライン学習の様子発信開始。 »

2020年4月14日 (火)

ポスト・コロナショック時代がもたらすコト(5)オンライン学習のシナリオは、モリスの系譜でいくか?ベラミーの系譜でいくか?新しい道でいくか?

★昨日から、首都圏や関西圏の各学校でオンライン学習やWebを活用した授業が本格的に動いています。企業もテレワークが本格化しています。もちろん、スターウォ―ズやスタートレックのような世界はまだやってきていないですから、100%そうなっているわけではなし、いやむしろ本格的なオンライン学習やテレワークは10%くらいが現状ではないでしょうか。

Photo_20200414083901

★むしろ、エヴァンゲリオンの描く、昭和な気分の生活世界になぜか超未来型物語が併存しているという感覚の方がしっくりくるかもしれません。というか、私たちの社会はすでにGAFAによって超未来的な世界を実現しはじめている一方で、牧歌的な田園風景に憧れ、ツーリズムはたいへんな観光業になっています。がしかし、今やその両方が新型コロナウィルスによって危機にさらされています。

★医療崩壊だけではなく、このままいけば治安崩壊もあるし、そもそも電力崩壊もありえます。電力をコントロールしている最後の砦は今のところ人間です。しかも高度な専門知識が必要なので、たくさんいるわけではないのです。医療従事者と同じくらい重要な専門家集団です。

★しかし、新型コロナウイルスの威力はすさまじいわけです。電力崩壊は、医療崩壊も治安崩壊も経済崩壊も生活崩壊ももたらしてしまいます。それはすでに、私たちは多くの過酷な被災で経験しています。

★この凄まじい世界リスクに今多くの人が現場で壮絶な力を尽くしているわけです。

★そして、一般市民である私たちは、この情況を目の前にして何をすればよいのか途方に暮れるばかりです。

★最前線で高度な知恵を使い、体力の限界まで尽くしている人々に感謝と祈りを捧げながら、自分たちでもできることをやろうと。それは、不要不急の外出はしない、手洗い、うがい、ノー3密、マスク装着、健康管理、メンタルケアをしていくということだと言われています。

★何気ない行為のように思いますが、これができるようになるまで、多くの時間がかかったし、権利の闘争が積み重ねられてきたのを忘れてはいけませんね。膨大な歴史がこの生活世界形成の背景に横たわっているわけです。

★そして、いつもと違い思索の時間が増えるわけですから、どんな社会を自分は創っていくのか1人ひとり考える機会を与えられたということでもあります。

★世界リスクは、今はじめて起きているのではなくて、産業革命、宗教革命、民主主義革命、大航海技術革新が生み出した近代化の歴史は、リスクとの攻防史でもあったということは今や多くの識者が語っています。ですから、このリスクを回避する社会構想のモデルは、19世紀末に、すでにモリスとベラミーのユートピアにあると言われるゆえんです。

★GAFAを中心とするAI社会構想は、ある側面はベラミーの描いたユートピアという名のデストピアなのかもしれません。

★モリスの描いた田園芸術生活世界ユートピアは、ベラミー路線の陰に隠れて忘れ去られているように見えますが、私たちが田園都市線に乗る時、実はモリスのアイデアに乗っているのです。

★ベルリンに行ってバウハウスのミュージアムを訪れて、感動しているとき、モリスの構想に感動してもいるのです。

★ウイーン世紀末やその当時のジャパノロジーやアール・ヌーボーも同様です。ということは、赤レンガの東京駅を見たとき感じる気持ちも同様です。

★授業の中で生徒と宮沢賢治の作品の世界を共有しているとき、それはモリスの世界でもあるのです。

★HTHがエンジニアリングから次に行かなくてはと言っているとき、そこにはモリスの世界が横たわっています。

★京都の桂離宮に訪れたとき感じる心的世界はモリスの感性に重なります。

★ファインアートからスペキュラティブデザインに移行しようというアーティストやデザイナーは、モリスの世界とかぶっています。

★そしてクリエイティブシティやスマートシティといったとき、ベラミーのユートピアだけではなくモリスのユートピアも交錯します。

★戦後教育基本法や46答申に影響を与えたときの森戸辰男の精神は、極めてモリス的でした。もちろん、森戸のヤヌスの側面はあります。ベラミー的な教育行政も行っていて、批判も浴びています。実は、森戸のその輻輳路線は大学入試改革の発想にも接続してしまっています。

★芥川龍之介もこの両者のアイデアの狭間で苦悩しました。

★夏目漱石は、その苦悩の解剖をしていって感染してしまいました。

★モリスやベラミーの本を読むことはもちろんいいですが、私たちは、生活の中で、すでに両者の考え方の狭間で生きています。知識としてのモリスやベラミーは、興味と関心があれば歩んでみるのは大賛成ですが、一般には、自分の生活が両者のアイデアの間を往復しているとは気づいていません。そこにみんなでまずは気づ生きたいなあと思っています。

★この不要不急の外出をしないときに、両者のアイデアの間のどのへんを歩いたらよいのか、あるいは、全く新しい道があるのか想いを馳せる機会が訪れたということでしょう。

★そして、それを考えるトリガーになるのは、オンライン学習とテレワークです。ベラミー的な合理的マシーン的ユートピアとモリス的なの農村田園的なマインドフルなユートピアが交錯する議論が現場で実は噴出しているのです。まるで、スターウォーズの世界ですね。

★私もオンライン学習やテレワークに身を置きながら、行方を共に考えていきたいと思います。

|

« ノートルダム女学院の2020年度始まる。根源に立ち還り、新しい息吹を生成する。 | トップページ | ポスト・コロナショック時代に、新しい教育活動を開始する私立学校(34)工学院 オンライン学習の様子発信開始。 »

心と体」カテゴリの記事