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2020年3月29日 (日)

ポスト・コロナショック時代に、新しい教育活動を開始する私立学校(9)哲学の新しい役割 スペキュラティブシンキングの取り込み

★久々に週末は外出しなかったので――とはいっても、昨日は静かにパワーランチでミニミーティングにでかけ散歩はしましたが――、夕方から今朝まで妻とずっと対話していました。新型コロナウィルス感染爆発に対応するニュースをみながら、インドネシアの娘夫婦とラインでやりとりもしながら。私はラインはやっていませんが(汗)。

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★今回のニュースやSNSの反応をみながら、これからアートはどうなっていくのかという話と現実散歩する時の装備はどうするのかという現実的な話やどんな料理を創るのか、ぐるぐるすべてがつながっていて眩暈がする話なわけですが、そんな中で、日本のアートの世界では、<スペキュラティブアート>というのはまだ流行っていないのに、<スペキュラティブデザイン>というのは支持されているのはなぜか?という話になりました。

★長谷川愛さんという今アート界で話題のアーティストですが、彼女は<スペキュラティブデザイン>とは言うけど、<スペキュラティブアート>とは言わない。<アート思考>とは言うけれど。

★この<スペキュラティブ>というのは、哲学者は「思弁的」と翻訳しています。しかし、デザイン界やアート界では、たぶん「不確かな中で思考する」という意味で使っています。「不確かな中で」ですから、確かな事実という限られた現実をもっと超えたものも大きな現実として見直すという意味では「思弁的」というのもなるほどです。

★いずれにしても、アート界では<スペキュラティブデザイン>、哲学界では<スペキュラティブリアリティ>として新しい言葉が生まれたのは、両方ともイギリスでした。長谷川さんがRCAで学んでいた時に、娘もロンドンで学んでいましたから、娘のリサーチアートが<スペキュラティブデザイン>と重なる部分が多いのは納得がいきました。

★娘は、自分のやっていることは、ロンドンではあたり前だけれど、日本ではまだまだ。インドネシアでも、そんな用語が明示されて共有されてはいないけれど、受け入れられると。おそらくアート市場が日本より柔軟なんだと。夫は気鋭のアーティストで東南アジアで売れている画家ですが、バイオテクノロジーなどと結びつく絵画で、工学系の大学で学んできたということもあって、<スペキュラティブデザイン>にやはり重なるところもある。

★妻の方は、文化人類学的なアプローチで研究していたところ、カンタン・メイヤスーの<スペキュラティブリアリティ>に行き着き、「祖先以前性」という場で、アートはいかにして可能かという実験をやっています。産業以前の人間の生活世界の発想はどこにあるのか根源を探そうというわけです。<スペキュラティブオリジン>と本人は言っています。

★私はアートには全く才能がなく、彼女たちのアートを見ながら、哲学的にどう理解するのか無粋な対話をしかけています。それで、ときどき長大な対話になるのですが、どうも「デザイン」のマーケットは日本にはあるけれど、「アート」のマーケットは小さいから、というのが、<スペキュラティブアート>は流行らないというのが結論でした。

★そんな話を聞いた私は、なるほどとすべてがつながったのです。もちろん現状でですから、また変わるのですが、特に、今<スペキュラティブデザイン>を提唱したアンソニー・ダンーー長谷川愛さんの師匠――でさえ、その言葉を使わず、<クリティカルデザイン>を使っていると言いうのを聞いて、<スペキュラティブデザイン>は、日本では、巧く商業ベースに乗ったのだなあと直観したのです。

★<スペキュラティブデザイン>は、<スペキュラティブリアリティ>の明るい部分にのみ焦点を当てるようになるでしょう。商業ベースですから。それでも、今まで存在として排除されていた領域を現実に取り入れていくという意味では<スペキュラティブ>の役割を果たしているのです。

★しかし、闇の部分には近寄らないようにしないとデザインマーケットでは売れません。

★ところが、アートは、その闇の部分は認識をして、そうならないようにサインを表現します。それゆえ、あまりに不気味で世の中を本質的な側面から警鐘を鳴らせます。しかし、耳障りですから日本のような道徳的アートマーケットでは売れません。臭いモノには蓋をしていますから。

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★しかし、<主体>と<客体>の両方の概念がコペルニクス的転回をするというのは共通しています。マーケットの範囲が違うというのが実際のところだったというわけです。

★こんな話をしながら、ロジカルシンキング、クリティカルシンキング、クリエイティブシンキング、スペキュラティブシンキングの関係図が思いつきました。そして、いかにクリティカルシンキングとクリエイティブシンキングが今後ますます重要か気づいたのですが、その駆動力は良くも悪くもスペキュラティブシンキングだったのです。今まで、このスペキュラティブシンキングの存在を考えていなかったことに気づいたわけです。

★思考コードのC軸を超えるS軸があったわけですが、それはクリティカルシンキングによってクリエイティブシンキングに回収されます。しかしその回収の作業をやらないことには、C軸思考はB軸思考やA軸思考に回収されてしまうのです。

★この<ABCs思考>こそ、新しい教育のコンセプトあるいはガイストとなるでしょう。それを明らかにしていく学びの環境は、サイバースペースとリアルスペース、データと体験のハイブリッド座標軸によってデザインされることになるでしょう。

★そうそう、哲学の役割は、上記の関係図にあることをすべてを俯瞰する視点を創ることです。この俯瞰図は、いずれまた変容するでしょう。このように、人間が世界を描く前提としての現実の捉え方の変容を仕掛け続けるのが哲学の役割です。

★負け惜しみに聞こえますね。そうですよ。そんなことを考える前に、作品を新しい時代の潮流を直感しながら自前で創れてしまうアーティストたちに囲まれて生活していると羨ましくてしょうがありません。

★これは、user中心主義からauthorship(根源)へというアンソニー・ダンのビジョンです。いいですね。じゃあ私は、そのビジョンを描いて作品を描くというアーティストの次元変容を解明して、一般化しましょう。だって、今回のような感染症のパンデミックは、環境破壊によっていずれまたおこるでしょう。user中心主義の生活世界がいかに脆弱か身に染みました。1人ひとりが生活世界そのものを創り出す最小限の力をもったうえで、協力していくという生活世界が大切です。それにはauthorshipという創造する根源主義は重要です。

★ハイブリッドワークショップ開発を急ぎたいと思います。それから、上記の図について説明はいずれまた。思いついたので、備忘録として。でもシェアもしたいなあと。

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