防衛機制と自己防衛システム
★Z世代やその前世代であるデジタルフロンティア世代、いまめのまえの児童であるAI世代、デジタル世代と大まかに呼ぶとします。D世代。このD世代と私たち団塊・断層・新人類世代あたりが40代後半以上でしょうか。アナログ世代とでもよんでおきましょうか。A世代。
★最近、このA世代とD世代との対話の中に入っていて、気づくことは、A世代がD世代の言動を、防衛機制に回収して論じていることです。防衛機制はあくまで自己防衛システムの1つの在り方です。
★しかし、防衛機制=自己防衛システムという話になって、固定概念や先入観に囚われることから、解除されることをA世代がD世代に向かって説教しているシーンがあります。
★そのときD世代は自己防衛システムを作動して、自分の考えや感情や行動指針を破壊されないように構えます。
★A世代は、それが殻にこもっている、その防衛機制を外しなさいと逆防衛機制を働かしていることがあります。
★アンナ・フロイトが防衛機制や転移について整理していた時代は、20世紀初頭でしょうから、抑圧するものの状況が相当変わっています。
★D世代が、デジタルワールドで翼を広げていて、アナログ世界には、通常のあるいは普通の関心しかないのに、A世代が、なぜそこに関心をもたないのだ、壁をつくらなくてよい、防衛機制を解除せよと言っても、D世代は、そこに壁はつくっていないんだけど。。。。となっています。
★ディスコミュニケーションとか最近接発達領域の見間違いとかが起こっているような気がします。
★防衛機制とは見ないように欲を転移していくメカニズムだと私は思います。自己防衛システムは見えないけれどあるものを探そうとする欲の解放です。ただ、相手が見えないのですから、自己防衛しながら進むしかないわけです。自己防衛システムは私たちの3D世界からは見えない4D以上の無限の次元空間を3D世界を変容させながら歩いていくシステムだと思います。
★この自己防衛システムを作動しないように防衛機制的人間観に転移してきたのが近代の闇あるいは陥穽だったのかもしれません。近代の本来の生き方は、防衛機制ではなく自己防衛システムの発動だったのかもしれません。
★おそらく、J.J.ルソーの自然状態を捨て、一般意思が作動する社会状態としての近代社会ではなく、全体意思ベースの社会状態の近代社会を構築してきたために、特に日本は、明快にルソーを捨てる宣言をして、明治維新を推し進めてきましたから、自己防衛システムではなく、防衛機制ばかりが働く人間関係ができてしまったのかもしれません。
★そこにデジタルワールドがやってきた。D世代とA世代が立っている世界が変わってしまったということでしょう。
★したがって、防衛機制から解除する創造的才能の役割はA世代が中心で、D世代は自己防衛システムを作動することが創造的才能の発揮なのです。それを、防衛機制を作動していると錯誤して、説教を垂れていては、とんでもない事態に陥りますね。
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