★今年の東大の入試問題と合格者のある傾向との関係について、サンデー毎日(2020年3月22日号)の記事は、重要な解釈を掲載しています。それは、数学と英語が難しかったから、6年間中高一貫校が3年制の高校より有利だったのではないか。また、女子合格者の比率が20%に限りなく近づいたのではないかと。
★この2つの解釈から、「入試問題は入試準備のための学力観を規定している」ということが改めて明らかになったわけです。もともと入試問題は学校の顔というのは受験業界では人口に膾炙されてきたし、今ではアドミッションポリシーの明快化が義務付けられていますから、このことは当然ではあるのですが、東大の場合は、それが如実に機能しているということが、この解釈が正当だすれば、明らかになったということです。
★この正当性をどうエビデンス化するかは、専門家に任せるしかありませんが、サンデー毎日の東大合格発表記事は年中行事さながらですから、影響力は絶大です。サンデー毎日がというか、データ・情報提供元の大学通信がといったほうがよいのかもしれませんが。
★さて、ここで問題は、入試問題が学力観を規定するということではありません。「どんな学力観を規定するか」です。いや、入試問題が学力観を規定するのだから、本当は大学入試改革はきちんと議論するのが民主主義国家なのですが、そこをやらず、しかもある一定の学力観を保守するために、東大が今回の大学入試改革をつぶしにかかったかのような言動をしたのは、本当は大きな問題かもしれません。
★しかし、東大内部のことなど知る由もないので、そこはジャーナリストのクリティカルシンキングに任せて、私たち一般ピープルは、見える範囲内で、推理しながら、もし罠があるとするならば、そこにはまらないようにセンサーを研ぎ澄ましながら、サーチライトをあてていくしかありません。
★まず、数学を難しくしたことによって、数学的思考をきちんと学ぶの環境のある一貫校の生徒をとりたかったということと、英語を難しくて、男子校に比べグローバル教育に力を入れている女子校や相対的に英語が得意な女子生徒をターゲットにあてたという話は、ジェンダーギャップを縮めようとしながら、ジェンダーギャップを正当化する価値観を認めたという問題はあります。
★まあ、しかし、それはこちらにおいておいて、STEAMとグローバル教育という学力観を明快に打ち出したということですね。それゆえ、海城や西大和のように、数学にもグローバル教育にも力を入れた男子校と共学校は、合格者をアップすることができてしまった。
★これによって、男子校は海城のように数学とグローバル教育に力を入れるように規定されるわけです。
★共学校は、今まで以上に21世紀型教育や未来志向型の教育を行っていくでしょう。女子校は、豊島岡のようにグローバル教育だけではなく、数学にも力を入れていくでしょう。
★かくしてG-STEAM学力観がけん引することになるわけです。なんだ本間が言っていることに近くなるから何が問題なんだといわれるかもしれません。
★違うのです。センター試験の存在があることをお忘れなく。基礎学力はセンター試験の世界に貶められてしまっているのが現状です。東大はこれにメスをいれようとしなかったことが問題なのです。G-STEAMのようなソフトパワー重視も、でも知識がなければねという学力観を規定しているところが大問題なんです。
★G-STEAMだから、今までのように論理的思考だけでよいよという発想ではなくなります。ロジカルシンキング、クリティカルシンキング、クリエイティブシンキングまで必要とする時代だというのはいいんです。
★でも、そのためには知識を暗記しておく基礎学力が重要だということが必要十分条件になってしまっているところが問題です。
★それならば、英語民間試験にあんなに反対しなくてもよかったのにとなりそうですが、そうではないのです。英語民間試験を採用すると、グローバル教育に偏るんです。
★すると、数学を難しくすると、そこで差がなくなるので、英語民間試験の準備でアドバンテージの高い生徒がどっと入学するのです。海外大学ではそれはどってことないので、東大でも本当は問題ないのですが、「知識がなくては思考ができないという学力観」が破壊されるのが東大では問題だったのです。
★この学力観、たかが合格者3010人(同世代人口の約0.3%)の話で、どうってことないではないですかという話だといいのですが、日本の大学はほとんどが東大の考え方に呪縛されています。そして入試問題ができていきます。その入試問題に向けて高校が大学入試準備を行います。
★まったくもって、今も続く幕藩体制です。参勤交代の時、各藩の藩校で行われているカリキュラムは報告しなくてはなりませんでした。日光隣接地ある足利学校が実はそのチェック機能の拠点だったと聞いたことがありますが、諸説ありでしょう。
★しかし、東大初綜理の加藤弘之は幕臣だったし、その仲間が民法、商法を作成し、明治政府の新しい考え方をもったグループを排除して、≪官学の系譜≫ができてきたわけです。
★まさかそんな歴史が脈々と続いているかどうか定かではありませんが、学歴主義は幕藩体制を生かす代物だったのかもしれません。
★そんなことはともかく、これでは、「知識がなければ思考はできない」という学力観が広がるのは当然です。パンデミックは、弱者がまず最初に痛い目をみます。この学力デミックも同じです。「知識がなければ」が教育格差を生む構造になっているからです。
★創造的思考の上部構造はよくても、知識工場の下部構造が問題なのです。予測不能な時代、クリティカルシンキングやクリエイティブシンキングは大事です。しかし、サバイブできるのは、知識を持った階層だけという話です。
★幕藩体制というのは、封建制の1ケースですから、近代の矛盾の1因は、実は封建制を内包したまま展開していたことにありますね。
★G-STEAMという教育は進むけれど、知識重視の基礎学力観は相も変わらず続くから教育格差=経済格差はますます広まるということです。
★しかし、たかが0.3%の話です。されど・・・なのですが、やはり0.3%です。こんな学力観に呪縛されていいはずがないでしょう。この学力観はone of themにすぎません。もっといろいろあってよいのです。呪縛から解放されましょうよ。私立大学はそれができるはずですよ。
★それも無理なら、海外大学に脱出です。それができなければ、自分たちで大学を創ってしまえばよいですね。何でもありな世の中です。それが予想不能な時代のもう一つの側面です。
★まあ、私の言うことなど、東大は歯牙にもかけないでしょうし、かりに目に入っても、そんなことは考えていない。サンデー毎日や受験業界が勝手に言っていることでしょう。関係ない。なんならエビデンスもってきてというでしょうかね。
★もしそうだとしたら、この国はやはり変わらないでしょう。
★いや、それでもG-STEAMは自ら東大の内部から変えていくトロイの木馬になるでしょう。歴史とはそういうものです。
★ただ、その変化までに犠牲者があまりに多いということです。
最近のコメント