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2020年2月27日 (木)

京都のノートルダム 動き出す(13)日常の授業シーンで 私とは何か。自己存在が世界とつながる瞬間。

★霜田先生の授業に立ち会えなくて残念そうな顔をしたら、10分休みの時間に資料を持ってきてくれました。

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(霜田先生もPBL型授業を極める探究の道を歩んでいます)

★高2のプレップコースの倫理の授業。「自己中心主義への批判 他者のまなざし・公共性」というテーマでPBLが展開。レヴィナス、サイード、ガダマー、アーレントを生徒と共有。倫理の教科書にここまでの思想家を扱っているものってあったかなあと思い、凄すぎると思いました。

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★プリントを配布して説明するだけではく、グーグルクラスルームを使いながら、思想家の言葉について感じたことを書き込み、シェアしながら、対話を深めていく。そんな倫理の授業だったらおもしろかったのになあと高校時代を思い出したら、自分の受けた倫理も生徒が調べたことを発表する形式で、それはそれでおもしろかったと今頃思い出しました。そういえば、私はソクラテスの対話編のシステムについてという課題でプレゼンしていた記憶を呼び覚ましました。40年以上も前の事です。タブレットはなかったなあと。

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★それにしても、生きる(存在する)とは、神様からの何?と問いかけ、贈り物と試練の2択にしたら、試練の方を選ぶ生徒が多かったというのは今の高1はなんというセンサーを持っているのだと感心しました。霜田先生は選ぶだけではなく、その理由も生徒に書き込んでもらい、グーグルクラスルームでシェア。

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★そこから、対話がはじまるわけです。

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★それにしても、他者と出会ったとき顔をつくるロールプレイの話は最高でした。どんなロールプレイかというと、それは演劇的なものです。具体的には、そもそも他者と出会う眼差しとは何かを考え、自分だったらどんなロールプレイにするか考えてみてください。答えをここで聞くより、はるかにおもしろいですよ!

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