京都のノートルダム 動き出す(1)ワクワクする体験型説明会とその背景にある強靭な使命感
★京都のノートルダム小学校とノートルダム女学院中高が動き出しています。昨年夏以降、同グループは、歴史的に価値ある教育のポテンシャルを掘り起こし始める活動をはじめました。来たるべきがらりと変わる子供たちの未来の状況に立ち臨むために。
★京都のノートルダムグループのルーツは、1833年 マザーテレジア・ゲルハルディンガーによって、ドイツのバイエルン王国に創立された「ノートルダム教育修道女会」。1833年という19世紀初頭は、アメリカの独立戦争やフランス革命後、帝国と近代国家が激しくせめぎあう時代。背景には、イギリス産業革命がドイツやフランス、アメリカに拡大した時代でもあります。
★そんな時代にもっとも苦しんだ人々の中に、女性と子どもがいます。市民革命や産業革命が光の部分だけではなく貧富の差という影の部分ももたらし、それは女性と子供の劣悪な労働条件を強いていたのは説明するまでもないでしょう。
★そのとき、マザーテレジア・ゲルハルティンガーが立ち上がらない理由はなかったのでしょう。ただし、その活動は、新しい教育イノベーションを生み出すことによってでした。<目が覚めるような新しい学びの経験>を次々と開発していったのです。
★だから、1847年 マザーテレジア・ゲルハルディンガーと4人のシスターが渡米し、貧しい移民の子供たちの教育に携わったのは必然でした。このころ米国はドイツと競争しながら第二次産業革命ともいうべき科学の大進化をもたらしています。
★今思えば、ノートルダム教育修道女会は、世界のイノベーションが起こるたびに現れる新たな貧困者や困窮者のために教育イノベーションによって救済に奔走していたということでしょう。
★1948年 米国セントルイスから修道女会の4人のシスターが京都に派遣され、1952年にノートルダム女学院中学校が設立されるのですが、戦後日本の貧窮した女子のために再び教育イノベーションを行ったのです。
★つまり、ノートルダム教育修道女会は、産業革命がもたらす光と影のうち影を光に転換する<新しい学びの経験>を生みだす教育イノベーションを使命としているのでないでしょうか。
★実は、戦後日本にやってきたのは、第二次産業革命の最後の波を朝鮮戦争によってすぐに受けいれ高度経済成長に拍車をかけた日本で起こる教育のゆがみで戸惑う女子、今でもジェンダーギャップで苦しんでいるのですが、その状態を教育イノベーションによって救済しようとしたのでしょう。しかし、実は同時に、ノイマン型コンピュータの誕生の実験場になってしまったヒロシマ、ナガサキの悲劇を生んだ第三次産業革命の兆しにも警戒をしていたのです。
★この第三次産業革命は、しかし、日本にあまり恩恵をもたらさず、第二次産業革命にしがみついて、先進諸国の中では新たな困窮が生まれてしまったのです。その象徴が学歴社会でした。
★ノートルダムグループは、この学歴社会に対しては、なかなか教育イノベーションを見つけられず、しばらく低迷していました。しかし、第三次産業革命の本当の舞台は第4次産業革命であることがわかってきた今日、まさにそこへ向かう再び疾風怒濤の時代です。
★ここで、ノートルダムは三度動きはじめたのです。第4次産業革命が影を生むのではなく、SDGsのグローバルゴールズを解決できる生徒のが世に羽ばたける教育イノベーションを開発実践するのだという覚悟でしょう。
★その最初のアテンションが、本日2月22日(土)にノートルダム小学校が開催したノートルダムチャレンジ説明会だったのです。(つづく)
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