聖学院 感動の授業デザイン研究会 榊原先生の英語の授業 生徒自らが自分の存在の価値を見出す場
★昨夕、聖学院で座長の児浦先生は<授業デザイン研究会>を開催。多忙な時期であるにもかかわらず、聖学院の先生方のみならず、女子聖学院の先生方や静岡聖光学院の先生、株式会社カンザキメソッドの代表神崎氏なども参加。私もファシリテーターとして楽しませていただきました。
★今回は榊原先生の英語の授業をみんなでスクライビングして、多くの対話をしながらリフレクションし、最後は恒例の思考コード分析をしました。生徒自らが自分の存在価値や存在の輝きを見出す感動の授業。多くの共感を呼び、気づきの多い研究会となりました。2時間強あっという間でしたが、ゆったりとしたリズムで時が熟していく感じの対話でした。
★最初の20分間で、榊原先生の授業に対する構えや具体的な授業、ペアワークの実践などについてプレゼンがありました。自身の授業を20分間で、理念から実践まで語り、実際にペアワークのミニワークショップをやって共感を広める素晴らしい編集がなされているのに参加者は皆驚愕でした。
★映像あり、音楽あり、ロールプレイありで、授業そのものをイメージするのに十二分なプレゼンテーションでした。
★榊原先生の授業同様、編集に創意工夫の入念な準備の質感を感じたという声もリフレクションの中ででてきたほどです。
★プレゼンの後早速スクライビングです。いつもとは違い、今回は榊原先生のプレゼンを聞いた後、各チームでそのプレゼンの流れをみんなで協力しながら思い出してフローチャートを描き起こしていきました。今回榊原先生のプレゼンは体験的要素も入っていたので、そういう段取りになったのです。
★チームでスクライビングを行っていると、対話が当然生まれるわけですが、そこではいろいろな角度から話が盛り上がっています。ホワイトボードにフローチャートに刻印しているときに、刻印されない大事な対話の内容があります。それを聴きながら、フローチャートが出来上がったところで、その大事な対話をもう一枚のホワイトボードにスクライビング(転写)します。
★スクライビングのポイントは、この幾重もスクライビングを繰り返すのですが、それはそのとき同時に話されている時にその場に生まれる大事な内容を拾い直すことです。
★だからこの研究会のワークショップの流れは微妙にいつも違います。ファシリテーターが必要なのもそういうわけです。
★今回は、榊原先生が、学ぶことは何か得るための手段でない。テストの得点をあげたり、受験のためのものでも、就職のためのものでもない。そこから脱却したいのだというパッションのラグビーボールのパスがありました。
★参加した仲間は、ちゃんとパスを受け取って、そこを話していました。榊原先生は、生徒の授業に臨む<気持ち>をとても大事にしています。それが授業のプロセスのどのタイミングでどういう感情が生まれるのか仲間は対話しながらスクライビングをしていましたから、そこをもう一度スクライビングしました。
★フローチャートに沿って、「認知」「情緒」「行動」の3つの関係を対話して刻印していきました。
★すると、当然またまた深い対話が展開していきます。その大事な部分を今度は分かち合いサークルで共有することになるのですが、その前に聖学院の学びの理論に照らし合わせました。
★聖学院の授業実践は、独自のものですが同時に世界標準のものも考えています。そうでなければ生徒が社会に開かれていけません。そこで学習理論のリーダーでもある内田先生に、ここまでチームで対話されている内容いついて、SEL(ソーシャル・エモーショナル・ラーニング)やU理論などの鏡に反射してもらうことにしました。
★やはり、一般には授業で抜け落ちがちな生徒のフィーリングの部分がきちんと結びついているということが了解できると理論的なアプローチからも言えるのではないかと。
★そのあとチームごとではなく、全員がサークルになって自分の想い・気づきなどを分かち合いました。静かな情熱と生徒への愛情がそこにはあふれ出たのです。もちろん、榊原先生は学習は<楽習>ですから、そこには笑いもたくさんありました。同時に榊原先生は<フロー状態>も大事にしていますから、分かち合いは深く没入していったのです。
★その後、思考コード分析をチームごとにして、その分析したポストイットを一枚のホワイトボードに集約して、榊原先生の授業で、生徒はどんな思いを広げ、考えを深めていくのか一望できるようにしました。今までの対話が思考コードによってまた別の見え方になっていくからです。授業は多面的です。でも教師一人ではなかなかそれを意識することはできません。こういう場は本当に大切です。
★榊原先生の中2の英語の授業は、かなり哲学的なエッセンスが埋め込まれ、ジョブスの死を直前にした存在論的なメッセージやグランドゼロなど世界の究極の痛みに直面したとき、人間はなお輝きを取り戻すにはどうするのか、生徒は考えるわけです。
★そして、そのことを世界中の人がニュースや哲学書だけではなく、ポップスやロックで歌い、YouTubeで語り掛け、授業で対話している姿を生徒と共有していきます。ICTを駆使して、教室はいつの間にか世界にワープしているのです。なんて感動的なのでしょう。
★とはいえ、中2の英語の授業の単元は「現在完了」を学ぶ時間だったのです。実際には講演や歌の歌詞も活用していたので、仮定法過去も生徒たちは対話するパフォーマンスが仕掛けられていましたが、自分の存在を究極の時を迎えたときにどうとらえるのかというのを、現在完了や仮定法過去という言葉の時制で表現していくプログラムは理にかなっていると思いました。時制は単に文法的なスキルではなかったのです。人間は究極の経験をそうそうできるものではありません。
★ですが、その根源的な存在に触れることがなければ幸せに生きて行く気持ちを立ち上げられないでしょう。時を超えて過去に行ったり未来に行ったり、物理的に行くことのできない世界に行ったり。それには時制という言葉の法則が必要だったのです。榊原先生はその言葉の法則を使いながら対話するパフォーマンスをきちんとベースにしていたのです。
★それゆえ、思考コードの領域は、ドリル的なトレーニングの場からダイブして創造的かつ根源的な自己存在にまで至るバランスの良い授業であることが一目瞭然判明しました。
★思考コードの分析をみんなで囲んで一望しながらまた分かち合いサークルで対話をしていきました。自分の存在から世界へ行ったり来たりできるマインドセットがされていることが確認されました。中には、榊原先生の授業の隣で授業をやていると、音楽が流れていて、それに合わせて生徒が英語をガンガン言い合っていて、DJ英語授業だなぐらいしか思ていなかったけれど、こんなに深くでも英語のスキルを生徒が使いたくなるような工夫がされているなんて思いもよりませんでした。見直しましたというエールもありました。
★分かち合いサークルはリフレクションですが、その中には、参加者1人ひとりの想いも共有されます。自分の中で思い悩んでいたことも、自然と語ることになるシーンもあります。それを話しても安心な対話の関係が広がっているからでしょう。
★だからといって、どう解決するかその方法が語られるわけではありません。しかし、同じような想いでいる仲間もいることが了解できる共感的コミュニケーションの場は、再び自分が解決への道を歩く勇気を得られるかもしれません。あるいは、いっしょに歩いてくれる仲間が現れるかもしれません。
★すべての道は自分の内側からあふれでるのですが、それをせき止める壁がときどき現れるます。しかし、語って共感する仲間がいると実感した瞬間その壁が崩れるときもあります。
★感動の授業デザイン研究会はもう18回目を迎えているそうです。学校主催の研修会ではなく、ボランタリーな勉強会です。この継続自体奇跡です。続く理由は参加者にとってそんな賜物の場となっているというところにあるのだ感じ入りました。
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