自由と市場と組織と国家(15)創造主義志向の意志が生まれる:工学院の田中歩先生チーム・麻布・八雲・首都圏模試③
★福原将之氏が「Society5.0は脱工業化社会」という論考を連載中です。脱工業化社会に進む前に、20世紀社会を産業の側面からみた工業化社会について、わかりやすく論考しています。それによると、工業化社会の特徴の1つは、規格化であり、それは学校における学習指導要領による規格化につながるあるいは重なると記述されています。
★それでは脱工業化社会ではどうなるのか?詳しくは今後論じられるでしょうが、規格化から解放されるということになるのは予想するに難くないでしょう。ということは学習指導要領も変わるわけです。そんな社会変容の背景が「主体的・対話的で深い学び」にはあるということですね。
(チーム田中の1つTGプロジェクトで対話する田中歩先生。このときはジェネレーターの役割も果たしている。)
★規格化から脱規格化、画一化かから脱画一化=個人化という流れが、ICTが学校教育にはいってくることによっていっそう拍車がかかるわけだし、すでに先行しているところがありますが、その代表格が工学院大学附属中学校・高等学校です。同校は、日本で最初にできた私立の工学系大学です。ですから、学校自体が工業化社会から脱工業化社会への転換を体現しています。それゆえ、20世紀社会から21世紀社会にシフトしたときにどう変容していくのかリサーチすることは歴史的にも社会学的に文化人類学的にも大切なのです。
★当然、伝統ある日本の工業インフラ、建築インフラ、生活インフラのすべてにかかわる人材を輩出してきたわけですから、同校も例外なく伝統と革新の葛藤が半端じゃないのです。三田国際のように全く新しい環境から出発できれば、伝統と革新の葛藤はありません。革新しかないわけですから。もちろん、革新の捉え方で学内は常に議論が盛り上がり、それが葛藤を生むこともあるでしょうが。
★さて、中高において学びが規格化から脱規格化するということは、学びのスタイルが一方通行型授業から双方向型というか工学院ではPBL授業と呼んでいますが、そこにシフトするのは当然です。
(田中歩先生はプロジェクトではリーダーでありファシリテーターでもある。見守る眼差しが温かい)
★しかし、スタイルが変わることが大切なのではなく、PBLに変わることによって、知識力観や思考力観が変わるのです。知識が重要なのか、思考力が重要なのか?これは伝統的教育か革新的教育か?生徒は将来規格化された世界で生きて行くのか脱規格化された世界で生きて行くのか?みな同じ問いです。
★ところが、日本の学校というのは不思議なところで、自分たちが議論していることが、社会の変化や産業社会の変化や市場の変化や組織の変化と無関係のまま議論されて行きます。なぜなら、中高の教育は大学入試に直結する閉じられた世界で行われてきたからです。隣り合わせの社会や市場や組織のシステム変化、ましてそのすべてのシステムにグローバルなダイナミズムが直結していることなど、想いを馳せる習慣を持っていないのです。
★そこで6年前から脱工業化時代に向けて21世紀型教育への転換を準備した時に、徹底的に先生方は世界にでて世界標準の景色を見る活動を実は生徒と一緒に開始したのです。そのとき一英語教師だった田中歩先生がチーム作りや共感的コミュニケーションのGrowth Mindsetがすでになされていたという偶然が、最初は小さくはじめましたが、CEFRとブルームのタキソノミーをアレンジした「思考コード」を制作するプロジェクトをスータートさせたのです。
★そのときに中学受験業界で公開されているデータのうち、開成と麻布の合格者の偏差値分布などをリサーチし、合格者の偏差値のばらつきが麻布はあるということに気づいたのでした。合格するのに偏差値のバラツキがあるということはいかなる意味があるのか?CEFRもタキソノミーも偏差値とはまったく違う世界の話ですが、その考え方は麻布の入試問題に適合するのです。
★開成は偏差値通りほぼ結果がでるわけです。麻布は必ずしもそうでないわけです。つまり、麻布は偏差値で測れない問いが出題されているのではないか?この発想がCEFRとタキソノミーを結合した「思考コード」に結実します。時を同じくして、この考え方に影響しシンクロした首都圏模試センターは、授業に対するコードではなく、模擬試験を「思考コード」という新しい評価(形成的評価はすでにあるのですが、受験業界では新しい尺度)を開発することになります。
★グローバル教育と思考力(特に創造的思考)という大きな波が脱工業化の知になるわけですが、田中歩先生が英語の教師であり、心理学を学んできたという偶然がまた功を奏しました。
★もし田中歩先生がグローバル教育を推進するリーダーとしてCEFRを取り入れるだけでは、英語科だけが突出し、他教科に脱工業化社会の変容を伝えることはできなかったでしょう。認知心理学的な素養をもっているからこそタキソノミーを融合させる越境知を歩先生は有していたわけです。
★実は、共感的コミュニケーションが成立するには越境知が必要です。この越境知とは実は独立している外延的な各教科のそれぞれの内包的な世界を見つめる目がでなければできないのです。心理学の世界は見えるものの背景にある見えないもの、つまり内包的な世界に気づく視点を探究する学問です。小さくスタートした田中歩先生は、英語科主任となって学習指導要領を超えるケンブリッジイングリッシュスクールへの道を開きますが、すぐに教務主任になって、英語科のみならずすべての教科がつながるシステムをつくるプロジェクトを多角的に生み出していきました。
★もちろん、すべてチーム単位で進んだので、田中歩先生が陣頭指揮をとるというピラミッド型コントロールではありません。共感的コミュニケーションベースの手法で、先生方の内側から、生徒の内側から意欲や意志がわいてくる環境を整えていったのでしょう。当然、いきなり工学院が伝統と革新の融合を完成できたわけではなく、一英語教師、英語科主任、教務主任という田中歩先生の変容は、葛藤の変容の軌跡でもあります。
★それからグローバル教育を行っていても、CEFRのB1レベル当たりを目標としていると、思考コードに飛べないというのが本当のところです。CEFRのCレベル、思考コードのC領域を意識したカリキュラムデザインができないと脱工業化社会に適合できる学びを創ることができません。
★したがって、日本の中等教育が、脱工業化社会に対応できるかというと、そこが自覚的でないとできないのです。経済的にも危うい日本社会ですが、教育力も危うい本当の事情はここにあるのです。といっても大衆は気づきません。市民なら気づくでしょう。日本の国民の意識の質が問われます。この堂々巡りの閉鎖された日本の教育。焦ります。
★しかし、チーム田中、麻布、八雲、首都圏模試センターに<希望>はあるのです。そして、今ここに続く<希望の学校>が増えていることも事実です。(つづく)
| 固定リンク
« 自由と市場と組織と国家(14)創造主義志向の意志が生まれる:工学院の田中歩先生チーム・麻布・八雲・首都圏模試② | トップページ | 自由と市場と組織と国家(16)創造主義志向の意志が生まれる:工学院の田中歩先生チーム・麻布・八雲・首都圏模試④ »
「創造的破壊」カテゴリの記事
- どうする東京の私立学校2024(2023.12.01)
- 【研究所ブログ第6回】教科の授業と探究の接点(2023.11.27)
- 国立大学「地域枠」6割に 都市の生活社会をどうするかも当然重要(2023.11.27)
- 2025年以降は、教育力を「外生的技術進歩」と「内生的技術進歩」と「哲学シンキングなど」の3つのスコープで学校選択ができるようになる(2023.11.24)
- 羽田国際② 人口減の未来に外生的技術進歩と内生的技術進歩を統合する人材輩出に期待(2023.11.23)
最近のコメント