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2020年1月 4日 (土)

自由と市場と組織と国家(10)「主体的に学ぶ」行為はデストピアでもユートピアでもどちらでもできる危うさ。

★「主体的対話的で深い学び」は、実はデストピアでもユートピアでもどちらにおいてもできる行為です。ユートピアを志向する意志の力がなければデストピアで「主体的対話的で深い学び」ができてしまいます。ウダウダここまで述べてきたのも、このことについて語る準備だったのですが、ようやく語れるところまできたかなと。

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★私たちの生活世界は、「財の配分と交換」と「財の創造と活用」によって成り立っているというのは、前回少し述べました。なんだ「組織と市場」と「生産と消費」という言葉を置き換えただけではないかと言われるかもしれません。もともと「組織と市場」という現実から出発していたので、そう言われるのは当然です。しかし、その現状をつくっているそのような言葉のイメージでは、組織と市場は分断しているし、生産と消費も分断しています。

★本当はつながっているのに、分断しているように語られる。それは非対称性を生み出していることに多くの人々が気づかいないようにするための戦略でした。意識しているかどうかはわかりませんが、大衆はその流れに乗ってきました。しかし、グローバル市民という概念が生まれている1989年以降の世界では、市民的クリティカルシンキングも表舞台に現れてきています。

★そんなわけで、組織と市場という外延的表現に対し、配分と交換という歴史的には古いけれど、内包的表現を取り出して、外延と内包の関係をひっくり返してみたのです。外延同士の置換では、列挙しているだけで、つながりが見えてきません。つながりが見えるには内包的意味を表現する必要があったのです。共感的コミュニケーションという事態が徐々に広まっている昨今は、実は外延的表現ではなく、内包的意味を表現できるようになっているコミュニケーションが生まれているのです。外延と内包は、隠喩・換喩・提喩というレトリックの話題の中の特殊な話としてでてくるのですが、フランス構造主義が、それを反転させ外延と内包の関係を前面にだしました。

★一時ブームになりましたが、それは言語の話の中で終わり、他の分野まで越境しませんでしたが、その後文化人類学や考古学、建築学、芸術などが越境し合いましたから、構造主義の一部を包含する文化人類学が、この外延と内包を再び活用し始めています。

★外延と内包とは、そのほんの一部の機能を活用すると、形式と内容になりますが、これでは、形式と内容が分断されやすく、大衆にはわかりやすいのですが、地球市民にとっては大事なものを削ぎ落す概念です。外延と内包の関係を取り戻すことの方が有益でしょう。

★さて、寄り道しすぎました。本題に向かいましょう。財について語る時、「自由か規制か」という話がでてきます。しかし、これはあたかも自由は善で規制は悪だというイメージがつきまといますが、実際には悪の自由と善の自由、悪の規制と善の規制というのがあります。善悪は、あくまで方向性の違いの差異を示す意味で使っているのですが。

★どういうことかというと、配分と交換は、上記の図のように、公正な配分と偏向的な配分、公正な交換と偏向的な交換があるので、それを掛け合わせてできる4つの世界において、自由と規制のそれぞれの条件が変わるということを言いたいのです。

★ユートピアの世界Uは、現実にはない場所という意味です。理想なんて語っていてもないものはないという実証主義的な方も多く、日本は明治以降この世界Uを否定して教育や法の世界は進みました。それは今も変わりありません。しかし、世界Uは、上記のような図で行けば、現実にはなくてもビジョンとして脳内のには意志としてあります。この意志に照らし合わせるからこそクリティカルシンキングができるのです。

★それを排除した日本の教育や法律の世界、この組織は市場にも影響を与えますから、日本社会において国民が大衆ではなくグローバル市民として成長しない限り、世界Uを持ち出すことはほとんどできません。

★日本社会は、功利主義、優勝劣敗主義、比較優位主義というリバタリアンの世界Lというのが現実です。この世界の中で、自由を担保しようとすることもするでしょうし、自由が成立する財の配分もしようとするでしょう。しかし、環境破壊、格差、心の病は広まっているわけですから、偏った配分と偏った交換、つまり公正でない配分、非対称的な偏向的な市場形成がされているわけです。

★その中で、しかし、配分の適性な規制や自由市場を保守する規制がなければ、完全に全体主義になってしまいますが、世界Uからみれば、すでにデストピアと言っていいでしょう。この言い方は私は2年前から言っているのですが、2020年のニュース番組や特集で、デストピアとユートピアという表現が使われ始めているのに、世界Lが動かざるを得ない何かが起きているのかとやや期待が高まっています。

★メルカリの新規採用時には30%がインド人だとか、日本に帰化されたインド人が、市議会議員として活躍し始めている報道をみて、国民は大衆からグローバル市民に変容する割合が高まるのではないかと。2002年ころ、ロサンゼルスから帰国するときに、隣の席にいたインド人が流ちょうな日本語で語り掛けてきました。超大手のIT企業のビジネスマンでした。

★彼は、自分の子どもの日本における教育をどうするか質問してきました。インターナショナルスクールでなく、日本の私学でそれに代わる教育をしているところがあるかと。その時点では、そういうい学校を私自身も探しているし、応援し始めている学校もあるが、まだまだ準備は整っていないと。今なら胸をはって紹介できるのですが。。。

★すると、彼はありがとう。やはりそうか。このままでは私たちインド人がソフトパワーを担当し、日本人はハードパワーを担当することになるよ、大丈夫?と。それは困る互いに両方でできる人材をというと、私たちは世界に散らばるから、ハードパーワーは持ち運ばないと言われました。

★そのころ、私はPBLを行っている世界の学校をリサーチし、日本の学校にも広めようとHondaと協働していましたが、まずはHondaと共感するところから始めなければなりませんでした。Hondaの中に共感してくれる仲間の輪を広めることと、私が所属していた社の中に仲間を増やしていく必要がありました。

★Hondaは大企業ですから、仲間が出来るや否や、それが独断と偏見でないか調査するために、さらに外部の研究者の評価委員会をつくり、私たちのワークショップのリサーチに、フィールドワークやアンケートリサーチを途中から始めました。複数の大学の学者に依頼して、その学者に師事している大学院生がまずはやってきました。

★彼らの質問や批判に私は解答する場を設けられ、それをHondaのスタッフがリサーチするというものでした。当時の学生のよって立つ視点は、米国の教育心理学が基本でしたから、私の方は認知心理学とフランス文化人類学や構造主義的立場で応戦しました。PBLの研究をしたときに、はじめに影響を受けたのがMITメディアラボのシーモアパパート教授とハーバードのガードナー教授とスタンフォードの幾人かの教授でしたから、その根っこである、フランスの見識で応戦するのは当然だったわけです。

★大学院生相手に大人げなかったですが、その質問の意味はどこからくるのか、聞き返していき、教育心理学の研究における実証データが、そのまま私たちのワークショップにどのように当てはまるのか逆に問いかけました。それはそう簡単に答えられませんから、彼らのワークショップを評価する視点や根拠が脆弱であるという証明パフォーマンスをそこで行ったわけです。

★Hondaのスタッフは現場主義で、依頼しておきながら研究者よりではなかったので、現場主義の仲間がひるまない構えをみて安心したようです。しかし、それでは、終わりませんでした。今度は国立大学の教授を連れてきてその博士後期の研究生にリサーチを依頼していました。

★膨大なレポートがでて、そのプレゼンによると、結論は、本間は改革ビジネスをやっていて、とても教育的な立場でやっているとは認められない。組むなら大学研究機関と組むようにというものでした。まっ、当時所属していた私の教育研究所部門はグループ会社の一部でしたが、そのグループ会社というのが塾でしたから、2002年あたりはそういう意識があってもしかたがなかったのでしょう。

★しかし、いずれにしてもHondaは、ビジネスでやることを否定する側に逆に疑問をいだき、自分たちは新しいことをやっているという価値を見出したようです。投資する価値をかなり認めはじめ2000年から始まった連携事業は2009年くらいまで続いたでしょうか?私は、途中で次のステージにいかねばならいのという意志が強く、2007年で辞めましたが、リーマンショックの後、Hondaは教育投資をやめることになったようです。

★私としては、Hondaとセミナーをやるときに、松岡正剛さんと交渉してでてもらったりしました。PBLに編集知は欠かせなかったので、松岡正剛さんを引っ張り出したかったのです。その後、松岡正剛さんはICTのソフトパワーによって歴史の編集知をつくりだす作業を学校と取り組みたいということで、いくつか私立学校を結び付けました。そんなとき慶応普通部や灘のプロトタイプ授業で、金子郁容氏や鈴木寛氏と出会いました。リスペクトしながらも、やはりどこか世界が違うということもあり、交流は深まることはありませんでした。

★というのも、シンガポールの学校が日本に修学旅行でやってくるとき、Hondaと何かできないかという提案があったので、私たちの協働ワークショップにジョイントして欲しいとHondaのスタッフから依頼されました。

★当時の教育研究所のスタッフやアルバイトの大学院生は、今考えれば英語が堪能なメンバーが相当多く、Hondaのスタッフとシンガポールに飛んで、当時の協働ワークショップについて説明しにいきました。

★そして、現地からすぐに電話が何度も入りました。PBLを前面にだして説明したところ、すてきだけれど、それは私たちにとっては当たり前で、PBLを体験しにわざわざ日本に行くわけではないと、明日のプレゼンでは、PBLやチームビルディングで何をやるのか提案を欲しいといわれたと。

★Hondaのツインリンクもてぎでは、車の歴史とアシモのパフォーマンスが見られるのと里山が活用できたので、そこを活用するプログラムと工場見学のプログラムを加えて、練り直しました。エッグプログラムは、今ではどこでも行いますが、ある高さから卵を落としても卵が割れないようにするにはどうしたらよいのかそのプログラムも作りました。というのも、今では当然ですが、鉄腕アトムのようなロボットづくりと飛行機を飛ばすことがHondaの夢でもありましたから、現場で生み出す技術の体験とか重力について考えることはなにか関係するのではないかと勘で創って行きました。

★シンガポールの生徒は楽しんで帰国したようですが、今でいうSTEAMプログラムをきちんと創れなかったトラウマは私に突き刺さりました。そして、飛行機の中でであったインド人にソフトパワーは私たちに任せて日本人はハードパワー頑張ってくださいと言われたときの衝撃は今も忘れません。というか、それが次のステージを目指す契機でした。

★PBLを2泊3日の宿泊学習プログラムというオプションで満足するのではなく、日常の教科授業の中で行うことができないか?ソフトパワーは日本人も創造できなければ危ういと感じたわけです。

★2007年に盟友と一緒に退社した後、ぶらぶらしていましたが、すぐにB社からアプローチがあり、新しい学びを開発するアドバイスが欲しいということで、2011年3月11日までジョイントしていました。その日、ようやく新しい学びを多くの学校と生徒さんとお披露目する前日のリハーサルをSFCで行っていた時の事でした、あの凄惨な地震と津波が起きたのです。

★それによってB社も打撃をうけましたから、新しい学びへの投資はいったんとまりました。インド人との出会い、シンガポールの高校生の反応、リーマンショック、3・11は、私にオプションではなく、学校そのものにPBLをコンパクトに導入できるようにせよ、そうしなければ予測不能で不確実性の世の中で、ソフトパワーのないハードパワーだけではサバイブできないということを強く気づかせてくれました。

★そこで、そのことを議論した先生方と、21世紀型教育機構の前身の21世紀型教育を創る会を結成することになったのです。2020年、同機構は大きな成果を予定通りだします。そして次なるブレイクスルーが起きるでしょう。

★そんなとき、私は同機構をいったん離れることにしました。というのも、今のままでは、上記の図のように、世界Lの中の権力主義志向に対峙して≪Z世代≫のための居場所作りを志向する場を張ることはできますが、対峙して守るのに精いっぱいで、ユートピアンの世界Uにシフトする強烈な意志の矢を創ることは、物理的にも経済的にも政治的にもできないからです。

★同機構はすでに組織化したので、仲間たちが対峙し、その場を広げることはします。現状でできる最適化はそれでよいし、それしかできません。そのくらい20世紀デストピア社会は頑強なのです。

★私の役目は、「主体的対話的で深い学び」それ自体はよいのですが、それがどのような配分と交換が生み出す4つの世界のどこに位置づけられるのか行為者が意識できるようにすることです。その際5つの志向の意志が生まれますが、仮にユートピアンの世界Uは3D世界に存在しないからないとみなされると、創造主義志向の意志の矢は形成されないので、別次元にあるユートピアンの世界Uは存在することを語っていかねばなりません。

★そのことの共感を得るにはいかにしたら可能か?そこが私の最後のミッションだと思っています。このミッションを背負ったのが明治期に誕生した私学です。≪私学の系譜≫はユートピアンの世界の存在を語っていました。彼らといっしょに語っていた加藤弘之は東大初綜理になったときに、そのミッションを捨てるどころか、そんな世界Uは蒙昧だとして、弾圧し、教育も法律もあっという間にユートピアなき実証主義に転向していったのです。富国強兵・殖産興業、つまり優勝劣敗思想を構築したのでした。それは今も変わらないのです。このことについては、戦後史から教育基本法改訂までの歴史をひもとけば了解できます。いずれまた語りたいと思います。

★21世紀型教育機構は私立学校のコミュニティですから、≪私学の系譜≫を継承しています。では公立はどうか?制度上無理なのですが、この中で孤軍奮闘している≪Z世代≫の居場所をつくるために奔走している心ある教師もたくさんいます。しかし、その教師が互いにそれを自覚してコミュニティを創るところまではいっていません。そこはこれからでしょう。

★私の方は、そういう動きが、さらに創造主義志向の意志の矢にシフトすることを期待して、ユートピアン世界Uの存在共感が生まれる契機を見出したいと思います。

★もしも、創造主義志向の意志を前提とした「主体的対話的で深い学び」が、教科や科目、探究で行われたら、組織は変容し、市場も変わるでしょう。より世界Uに近づく変容が。そこからはアップデートでいけばいいのです。

★強欲資本主義では欲望は無限だそうです。創造資本主義では創造主義志向の意志が無限です。欲望?実はこれは権力主義志向の意志と置き換えることができます。

★5つの志向の意志のうちどの意志を選択するのか?これまた不確実です。しかしながら、意志とは少なくとも5種類あるし、その背景にある社会システムの違いに多くの地球市民が気づくことがまずはクリアすべき壁でしょう。もちろん国民が大衆である場合は、クリアできませんが、これはグローバル教育をと入れる学校が圧倒的に増えるので、大衆から地球市民にシフトするのは時間の問題です。そのとき、社会システムのどれを選択するのか、5つの意志のどれを選択するのか「主体的対話的で深い学び」ができる準備が整っていることが大切でしょう。

★いずれにしても、ここを直接触れるのが「総合的な探究の時間」です。またなんとか「探究」の目を教科や科目に埋め込められたら、意志の力の役割に気づく量と質が加速することでしょう。

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