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2020年1月 5日 (日)

自由と市場と組織と国家(12)対話が根付くかえつ有明

★年末年始、世界情勢は緊張がはしっています。トランプ政権と中東の関係は危うさを感じないわけにはいきません。新自由主義の最後の砦メルケルドイツも極右と緊張関係を増大しています。新自由主義というリバタリアン世界Lが崩れることは歓迎ですが、それが保護主義や右傾化するのは困ります。

★そんな中、かえつ有明は、8年前から共感的コミュニケーションを根付かせていますが、その象徴的なイベントが中2生といろいろ経験してきた大人が<対話>するワークショップを開催しています。<学校内開催♩中2生160人と、中高大学生と、色々あった大人との対話の会 in かえつ有明中学校 (東京第8回)>というイベントです。

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(写真は、かえつ有明公式facebookから)

★同校は8年前から、共感的コミュニケーションを教育に根づかせることによって、政治経済社会のリバタリアン世界に取り囲まれている≪Z世代≫の生徒の居場所をつくる意志の力の矢を教師と生徒が一丸となって生成してきました。

★共感的コミュニケーションとは、優勝劣敗主義、功利主義、目的合理主義、比較優位主義の軋轢を鵜呑みにしない居場所主義志向です。

★同校のfacebookによると、中2生と<対話>するいろいろ経験してきた大人の例を次のように列挙しています。

・大阪や九州からもわざわざ来る人
・地獄でクモの糸をつかんだ大人
・一回全部失った大人
・勇気を出して踏み出したら意外と大丈夫だった大人
・みんなと同じことをやらなくてよかった大人
・親の言うことを聞かなくてもなんとかなった大人
などなど 

★地獄でクモの糸をつかんだなんていうのは、今だからユーモアある表現ですが、当時はどんなに苦しかったのか想像を絶しますね。新自由主義的リバタリアン世界に取り囲まれている日本社会の中で、そこから脱してきた大人たちと中2生は<対話>するわけですね。

★8年前と違い、今やかえつ有明に入学してくる生徒は、偏差値や大学合格を第一義の目的にする生徒はいません。もちろん、それらは通過するリアルな話ですが、それはそういう環境があるだけです。その環境に足をひっぱられるのではなく、内省的な自己対話と今回のような共感的なコミュニケーションの場に価値を見出した生徒が入学しています。

★ですから8年前は、居場所をつくる設定を佐野先生、金井先生をはじめ、先生方が奔走していたでしょうが、今では中2生がプロジェクトを自ら生み出して、先生方はサポートに徹することができるようになっています。

★そして、時代がさらに変わり、リバタリアン世界Lが崩れる時、今まで場を張っていた居場所は急激に広がっていくでしょう。そのとき、人権主義志向の意志の力を生み出すのか、保守主義志向の意志を生み出すのか、創造主義志向の意志を生み出すのか見守りたいと思います。

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★もっとも、佐野先生と仲間たちは、ダライ・ラマ的な世界を共有していますから、個人的には創造主義志向の意志の矢が形成されるのではないかと期待しています。

★ダライ・ラマはそういえばメルケルにも会いに行きましたね。批判などしなかったでしょうが、ある光をメルケルに印象付けたことは確かでしょう。メルケルは新自由主義である一方でマキャベリズムでもあると揶揄されてきたわけですが、それがゆえに自己内部での葛藤はものすごかったでしょう。ダライ・ラマの微笑みは、そこをいっしょに見つめ共感したに違いないでしょう。ここにドイツの新しい道のヒントがあるのでしょう。メルケルは新自由主義の象徴ですから、ことはメルケル1人のことではありません。

★すくなくとも極右勢力の方向にはもっていかない構えは引退しても残していくでしょう。それがダライ・ラマとの出会いを意味するのではないでしょうか。ダライ・ラマに直接会う機会に遭遇した私は、ダライ・ラマの自然なかつだからこそ超自然的な存在に衝撃を受けました。想像を絶する葛藤の真っ只中にいるメルケルにとってはなおさらそうだったでしょう。

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