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2020年1月 3日 (金)

自由と市場と組織と国家(09)「主体的に学ぶ」行為者の前提、そしてそのまた前提。

★「主体的に学ぶ」行為とは、「自分の興味と関心のあることを自ら調べ、自ら課題を発見し、それについて対話し、議論し、編集し、協働し意思決定などをしながら深く学び、創造的に自ら問題を解決をしていく行為」というイメージでしょうか?とすると、「学びの自由」が前提になっていっることは明らかですね。自由が保障されていなければ、対話もできないし、創造的に自分の意志で問題を解決することなどできないでしょう。

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★しかしながら、その「学びの自由」は、結局は、財を自らの判断で活用したり、創ったりできる条件です。ここでいう財とは、商品やサービス、著作、研究成果物など物質化されたものや物質化される前の精神的なもの、空気など自然環境、財を共有するシステムなどすべて含んでいます。したがって、「主体的に学ぶ」行為とは、財の質を調べたり、財のアップデートをしたり、財そのものを創造したり、財の使い方などを解き明かしたり、その財をどのように共有していくのかそのシステムの最適化を解き明かすことです。

★ということは、私たちは財をめぐるポイントは、財の共有の仕方と財の生み出し方の2点だということになります。財の共有において、財の生み出し方において「自由」が保証されているから、「主体的な学び」の行為ができるわけです。

★さて財の共有における自由とはいかなることでしょう。財の生み出し方において自由とはどういうことでしょうか。

★話が抽象的でわかりにくければ、ご自身の生活を見回してください。多様な財を生活環境としているはずです。その財は自分で生み出すものもあるでしょうが、たいていは市場にでかけていって購入してくるものでしょう。または、自治体や政府、コミュニティからもらったものでしょう。つまり分かち合ってもらったものでしょう。自分の日々の仕事は、身体にいれる食品だったり、様々なアイデアだったり、ファッションだったり、インフラン関係だったり、サービスだったりするでしょう。これらは、みな財です。

★この財の共有は、したがって、自分が欲しいものを他者が欲しいものと交換することによって共有したり、一定の財をそのコミュニティで配分したりして共有していくのです。つまり、共有は配分と交換によって決まります。

★配分と言えば、たとえば、行政当局による補助金だっり、公共事業のようなものだったり、すなわり税金の配分が分かりやすい例ですね。交換と言えば、自分の欲しいものと他者が欲しいものの交換の究極のカタチは、商品と貨幣の交換です。つまり市場の行為者同士が貨幣を媒介としてやりとりすることというのが分かりやすい例ですね。

★「主体的に学ぶ」行為は、結局は、この配分と交換の在り方によって規定されています。規定されているとはどういうことでしょうか?それは、公正な配分がされているか誰かの勝手なコントロールによって行われる偏向的な配分なのか、公正な交換なのか非対称的な偏向的な交換なのかによって、「主体的に学ぶ」行為は規定されてしまうのです。

★その規定の世界は、上記の図のように4つです。ユートピアンの世界Uかリアリストの世界Rかリバタリアンの世界Lかフェイカーの世界Fか、どこかに位置しています。

★「主体的に学ぶ」行為者は、この4つの世界のいずれかに影響をうけます。主体的に学ぶ行為者の前提の自由もこの4つの世界に影響をうけます。

★「主体的に学ぶ」行為をするといっても、その前提の「自由」といても、行為者が位置する世界という前提によって影響を受けるのです。

★行為を条件づける「自由」も「世界」も抽象的な「自由」や「世界」ではなく、4つの規定の仕方に影響を受けます。たとえば、現在の日本は、否が応でも、優勝劣敗的価値観、功利主義的価値観、比較優位的価値観に支配されているリバタリアンの世界です。つまり強欲資本主義の世界に属しています。

★「主体的に学ぶ」行為者は、この前提及びその前提を意識しない時、たいていの場合は、競争して勝ち組になることが主体的に行為する目的になります。中には、それは違うのではないかと抵抗してモモ的世界をそこで創り、自らの精神や自然環境や柔らかい人間関係を保つ場づくりをします。しかし、リバタリアンの世界Lのパラダイムを覆さない限りは、守り続けるしかないのですが、自然環境破壊を防ぐことはできません。世界Lの社会の組織を変えることはできません。

★その居場所で、賛同者が心地よく生きて行くのですが、閉鎖的空間では生きて行けないので、どうしても世界Lと葛藤を続けなくてはならないでしょう。これでは、90%の人間は、世界Lで生きて行くスキルが大事で、そこで抵抗するスキルを身に着ける必要性を感じる人間は圧倒的に少ないわけです。

★日本で生きて行く限りはある程度の時期まではそれでよいのですが、国力が半減した時には、そもそもこの世界Lではグローバル社会では通用しなくなります。居場所をつくってきたコミュニティ自身も、共倒れです。この配分と交換が生み出す4つの世界については、次の回でもう少し考えてみたいと思います。

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