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2020年1月

2020年1月30日 (木)

ノートルダム学院小学校の教師の開放的精神とシステム思考のすばらしさ(2)

★昨日、ノートルダム学院小学校の先生方は、前回の続きのブレスト対話を行いました。前回は松谷先生が、今回は梅下先生がファシリテーター。学内でファシリテーターができる教師がたくさんいること自体、教育のクオリティの高さを物語っています。

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★前回は、個々の授業で大切にしていることを、どんどんポストイットに書き出した広げていきました。このとき、一つの情報は一枚のポストイットに書いていました。おお慣れているなあと。意外と、一枚のポストイットにたくさんの情報を書き込んでしまうので、1枚1情報ですよと断らなければならない研修は結構あります。

★自然体のブレスト対話は、あまりこういうルールをばんばん言っていかないものですが、意外と難しい。それなのにノートルダム学院小学校の先生方はそれをナチュラルに行っている。これは、こういう環境が授業やふだんの研修で浸透しているということを示しています。

★さて、前回、KJ法ではなく、直観法で、その拡散されたポストイット群を一望して、そこから「~したい」というものを選ぶのではなく、また自分の言葉にしてポストイットに書きだしていきました。そこまでくると、松谷先生は、どうしますかねと問いかけると、「~したい」を実現するために「~をする」を書いたらとメンバーからでてきたので、その流れになりました。

★ファシリテーターが、チームの中から流れをつかむスキルをもっているものだということを実感させられました。

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★今回はその続きです。「~したい」「~する」となれば、だがしかしとなるわけで、その流れを梅下先生は投げかけました。「課題」なのか「未来」なのか「内面の変容」なのか「壁」なのか。。。梅下先生は、そこは自分で設定して書いてくださいと。

★そうすると、もう自然と、私はここに着目してこう書きましたとか、僕は少し具体的に書いてみましたとか、議論はまさに主体的に盛り上がっていったわけです。

★ポストイットは、位置を張り替えられるので、ここにきて少し分類分けしようという流れになり、それは先生方の想いが多面的に現れる絵柄になりました。自分たちの教育の目が覚めるような姿に感動が広がりました。

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★そして、ふと建学の精神や教育目標や方針を書き出し、その絵柄と比べる動きを先生方はしました。すると、「つながっている」と一言。

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★「つながっている」という実感が改めて生まれてきたわけです。でも、今まで暗黙知として先生方の内面にあっただけでした。もちろん、それでクオリティの高い授業が個々に行われていたのだからよいのですが、このように可視化して、つながったときそのシナジー効果がどこまで膨らむのか知りたいという流れになるのは当然です。

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★第3回目も、またまたおもしろいステージにジャンプします。いったい何が起こるのでしょう。またご報告いたします。

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2020年1月29日 (水)

八雲学園 生徒と共に進化する(2)

★八雲学園の近藤隆平先生(英語科主任、海外・英語特別委員長)によると、今回のBMYA(校内バラザ)のテーマは「AIとこれから」だったということです。

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(写真は、近藤隆平先生から アイスブレイクの様子)

★バラザ議論では、Round Squareの国際会議さながらを再現するので、オールイングリッシュです。そのため、英語のレベル別にグループを分け、中学1年生(男女)〜高校2年生の生徒たち約30名が議論したようです。

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★グループごとに、「AIは味方、それとも敵か?」、「AIに期待すること」、「AIを利用するうえで注意しなければならないこと」、など活発に議論したとのことです。

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★サウジアラビアで初の市民権を獲得した女性型ヒューマノイド・ロボット「Sophia(ソフィア)」の話を軸に、AIに権利を与えるべきか否か、与えるのであればどのくらいの権利を与えるのかという議論に至っては、大いに盛り上がったと近藤隆平先生。

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★「切っても切れない人間が創り出したこのテクノロジーとこの先どのように共存していくのか、未来を想像しながら一人ひとりが考える、充実した校内バラザとなりました」と近藤先生は語っていました。

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★最後は当然プレゼン。なぜ「当然」なのかというと、ふだんの授業や教育活動、中学入試の1つ未来入試でも、「自己表現能力」を身に着ける教育を土台にしているため、生徒は自然とそうなるのです。このように自然にマインドセットされるアクティビティをハーバード大学のアクティブラーニング研究コミュニティは、<DO NOW>と呼んでいます。自分は何をするのかをいちいち説明しなくてもすぐに構えができる状況を学びのプロセスに埋め込んでおくことは学びの質の密度を高めます。

★八雲学園の教育は総合的ですから、傍から見ていると多様で多角的で大忙しのように見えるのですが、このようなマインドセットができているので、同じ時間でもコンパクトにできるのです。これが姉妹校ケイトスクール(米国のエスタブリッシュスクールで、Round Squareの加盟校でもある)が取り入れたいという日本の伝統です。

★宇宙船に使われている技術に、コンパクトにたためるのですが、ひろげると大きくなるミウラオリというのがありますが、そのモトが庭園や茶室や畳や折り紙の文化です。モンテッソーリ教育にもこの文化は影響を与えているということです。小さな宇宙ですが、入り込むと無限の世界が広がるという 感覚。同校の理事長・校長近藤先生がいつも生徒に語っていることです。

★八雲学園のグローバル教育は、このように日本の文化をベースにした教育活動とカップリングされています。実に奥が深く、通り一遍の受験界の学校選択指標では、なかなか見えない部分ですね。

★高校部長菅原先生によると、Round Squareの特別名誉会員である榑松先生もかけつけたようです。日本にはRSの特別名誉会員は榑松先生只一人ですが、その榑松先生が、共学2年目だけれど、男子生徒の英語力やリーダーシップの成長には目を見張るものがあると語ったそうです。

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2020年1月28日 (火)

八雲学園 生徒と共に進化する(1)

★Round Square加盟校の八雲学園。代表生徒たちが、毎年行われる国際会議に参加して、世界の200校のエスタブリッシュスクールの生徒たちといっしょにボランティアをし、世界の根源的な問題についてバラザという方式で議論をしてきます。

★昨年はインドで開催されました。テーマは"The World We Wish to See."で、まずはテーマに沿ってキーノートスピカ―の講演が行われました。初日は、農業分野で子どもたちを児童労働から守るために活動をし、ノーベル平和賞を受賞したカイラシュ・サティヤルティ氏。2日目は世界で初めて市民権を与えられたロボット"The First Robot Citizen"とキランガンジーさんの講演が行われました。

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★講演の後、生徒たちは、バラザスタイルの議論をします。各チームは各国の生徒たちで構成され、まさに国際会議です。バラザ(Baraza)とはスワヒリ語で"集会・会議"を意味する言葉ですが、Round Squareでは、議論の名称としてこのバラザを採用しています。結論を出すことが目的ではなく、価値観も文化も違うメンバー同士が多角的・多面的に語り合うことがねらいのようです。

★もうこの国際会議に参加するのは何回目でしょうか。最初に参加した先輩は、英語が堪能なだけでは議論ができないことに打ちひしがれ、帰国後そのことを先生方や生徒に語り、多面的・多角的に語り合う機会を自分たちも作る必要があると訴えました。

★八雲学園は、生徒のニーズや提案を真摯に受け入れ、形にしていきます。まさに生徒共に八雲学園は進化していくのですが、このRound Squareの国際会議体験は、今後の八雲生のさらなる世界性を広げる大事な話なので、先生方はすぐに何か動き出したいと生徒に返しました。

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★それが形になったのが、BMYA(Baraza Meeting in Yakumo Academy)です。すでに昨年12月に、インドで行われた国際会議の1つめの講演内容について、バラザスタイルで、議論したようです。国際会議に参加した代表生徒たちは、生徒全体の前で報告会も開きますが、BMYAで、体験を再現して共有することもするわけですね。

★今回は、インドの国際会議の2つめのキーノートスピーチの内容についてバラザミーティングを行いました。国際会議に参加した高校2年生を中心に、中学1年生から高校2年生までの多くの生徒が参加したということです。もちろん、男子生徒も参加したようです。(つづく)

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武蔵野大中高を変えた校長「日野田直彦」先生。

★東洋経済ONLINE2020年1月28日号に、武蔵野大中高の校長日野田先生の記事が掲載。<経営危機の「女子校」を一変させた校長の手腕
武蔵野大学中学・高校を変えた「日野田直彦」>がそれです。

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★日野田校長が就任前は、中学入試の応募者総数は174名だったのが、2019年には531人。就任前対比は305%。2020年1月27日現在で、就任前対比404%。

★日野田校長の手腕がいかに凄いか、この増え方は、わかりやすい言い訳のない誰も文句の言いようがないエビデンスでしょう。

★その手腕については、同誌をお読みください。日野田校長が就任以来、いろいろなところで、京都弁で軽やかに、ワクワクするような学びを生徒といっしょにつくりなはれ、もうはっきりいっていいですか?日本は先進国だと思っていてはあかん・・・などと講演してきたことがきっちりまとまっています。

★軽やかに柔らかく、根性主義や抑圧主義、権威主義的な教育界を揺さぶるような波動を放ってきています。偏差値は幻想だと世界標準の学びやプログラムを生徒と教師につなぎ、まさにMIT流儀の学習する組織を生成しています。

★なんといっても外部団体と結びつくとき、その領域や分野で世界で活躍している団体を選択しています。したがって、当然学内の雰囲気は一気呵成にポジティブモードに切り替わります。もちろん、小さく始めて大きく育てると語ることから始めます。そして、その通りになるので、生徒も教師もその気になります。

★日野田校長は先生方に語ります。日本の教師は優秀です。勤勉です。最高の学びの環境を経験したら、それを教育に反映したくなるでしょう。楽しみなはれと。実にマインドセットが巧みなリーダーです。

★もちろん、組織というものは、抵抗勢力はいるものです。しかし、じわじわと仲間に巻き込んでいく手腕もすごいですね。

★その手腕は、本質的というわけではありません。そんなものにこだわっていてはあかん。世界が認めるものは素直に受け入れなはれ。その柔らかさが一番やと。つまり本質とはどこかにあるものではなく、世界の人々が認める関係性の中に生まれるという、さすがシリコンバレー流のプラグマティズムです。

★本物が生き残るのではなく、生き残るから本物なのです。

★上記の中学入試の設定も、小まめにわけています。こういうところは、三田国際や広尾学園の成功例をすばやく取り入れています。新タイプ入試も設定しています。新市場の動きにも敏感です。

★さて、そんな米国流儀の学校経営と日本の文化を作ってきた西本願寺派が手を組んだのです。日野田校長は、私立学校の半分は潰れると読んでいます。たしかに人口減少は加速度的です。だからこそ、潰れそうな学校をいまここで蘇らせる実績をつくったのです。

★他の日本の私立学校はどう対応するのでしょうか。広尾学園や三田国際のような世間をあっと言わせた方法をさかんに真似した学校もありました。結構成功しています。

★武蔵野大は、独自かつ世界標準の見識者をダイレクトに取り入れました。広尾や三田とは違うやり方です。今後、武蔵野大の真似をするところもでてくるでしょう。日野田先生はそれでうまくいくと信念をもったならば、それはそれで、思い切って行きなはれと言うでしょう。

★しかし、世の中に絶対ということはないのです。私立学校がサバイブするには、新しいアイデアが生まれ続けることです。午後入試もそうでした、2科4科選択もそうでした、新タイプ入試や英語入試もそうでした。みなその当時の創意工夫です。

★21世紀型教育のような<新しい学びの経験>を生みだしたのも創意工夫です。武蔵野大のようにシリコンバレーやMITとがっちり組むのも創意工夫です。

★さて、次なる創意工夫はどんなものが生まれるのでしょう。おそらくそれは聖学院で生まれる兆しがちらちら見えるのです。日野田先生の弟が教頭として聖学院にはいます。日野田兄弟が教育のイノベーションを起こす。物語とはそういうものです。楽しみですね。

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2020年中学入試 新タイプ入試の意味あるいは価値

★中学入試の市場が、思考力型入試、適性検査型入試、算数一科目型入試、特色型入試などの新タイプ入試の支持をし始めました。このことについては、すでに次のブログで書いていますので、ご参照ください。

 2020年中学入試の新タイプ入試の動向 東京エリア
2020年中学入試の新タイプ入試の動向 神奈川エリア
2020年中学入試の新タイプ入試の動向 埼玉エリア

★2011年ころに始まったばかりのころは、公立中高一貫校の受検生の80%は合格できないので、その生徒の受け入れ先として適性検査型入試が開始されましたが、今は生徒募集人数確保のためももちろんありますが、2科4科では鍛えられていない脳マップを広げている生徒を受け入れる入試としての意味が濃厚になっています。

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★2科4科信奉者は、中学入試段階では知識と論理をしっかり勉強してくれればよいと語ります。あとは中高でというわけですが、入試問題は学校の顔ですから、結局はカリキュラムも知識と論理で終わって、難しい問題にチャンレンジして、高偏差値の大学に合格する進学準備教育となります。

★それはそれでよいのです。学歴社会や塾歴社会を結果的に強化してしまうという社会的問題はありますが、それは別に教育だけのせいではないともいえるからです。まあ、それいいのかという気もしないではないですが。。。

★しかし、一方で、グローバル教育が拡大しクオリティも高くなってくると、海外の生徒との交流も深くなります。当初の頃は異文化理解や心の交流、英語研修というのが中心でしたが、最近では対話や議論や創造が中心になり、SDGsやSTEAMのプログラムが展開し、クリティカルシンキングやクリエイティブシンキングベースのシステム思考が必要となってきました。

★こうなってくると、知識と論理をベースにした進学準備教育では、国内向けにはいいですが、国際的には通用しなくなてきているという現状を実は生徒自身が認識するようになったのです。

★そして、思考力入試など、入学時は偏差値が高くないけれど、入学後成績もトップクラスになり、海外大学に合格していくという生徒も現れてきました。この事実は何を意味しているのでしょうか?そもそも思考力入試だけで合格する生徒は、中学入試勉強をしてこなかったので、偏差値がきちんとでるはずがないのです。最近の帰国生に増えてきた偏差値などは眼中にないという傾向もでてきました。

★もしかりに世界のエスタブリッシュスクールの生徒に2科4科の中学入試問題を解かせたら大して偏差値はでないでしょう。でも、彼らはハーバードやMITやオックスブリッジに進めるのです。

★誤解しないで欲しいのは、2科4科入試を否定していのではないのです。ただ、生徒の才能を測る道具として、絶対的な意味を持っているわけではないと相対化しているのです。

★そうはいっても、一方通行型の講義で十分であると考えている方の脳は固まっているので、相対化すること自体が難しいかもしれなません。日本社会は偏向主義、隠蔽主義、抑圧主義、根性主義が習慣化してきました。組織文化の闇の部分です。いまその闇の部分は一掃しようという流れがでてきたのは、多様化、公正化、共感化、システム思考をベースに人材育成をし、組織マネジメントを転換しようとしているからです。

★白い巨塔だった医療や看護の教育分野でも、今ではチーム医療とコミュニケーション能力を高める教育がなされています。まだまだ古い文化もあるでしょうが、確実に変化しているのは、国立医療センターで治療をうけている私自身が経験しています。ときどきお世話になっているお医者さんとそんな話もします。ブルームのタキソノミーの認知的側面、情意的側面、精神運動的側面をトータルに学び、チーム医療やコミュニケーション能力向上に役立つか検証しているところもあるという話は、ちょっと驚きです。

★もはや学校といえどもその例外ではないのです。

★新タイプ入試は、多様化、公正化、共感化、システム思考が育つカリキュラム環境を開発していることの象徴です。もちろん、全部がそうではないでしょうから、説明会などで自分の目で検証することは必要です。麻布のように4科目の中に新タイプ入試の要素をはじめから埋め込んでいる学校もあります。

★2科4科だけだから保守的で、新タイプ入試も行っているから革新的だと分類するのは早計です。ただ相対化してそういう傾向にあると仮説を立てて、説明会などでリサーチをすることは有益でしょう。

★図のように、偏差値が高い学校は4科目入試で、そうでない学校は2科4科選択入試ですが、そもそも、そんなレッテルを貼られるのは学校としても本意ではないでしょう。それゆえ、新タイプ入試が始まったという側面もあります。しかし、今や高偏差値の学校も行うようになってきたのです。

★選抜の道具としての入試の多様化は、工業化時代からポスト工業化時代、ポスト工業化時代から脱工業化時代へとシフトしている現状と照らし合わせれば、当然の流れでもあるのではないでしょうか。

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2020年1月27日 (月)

工学院のPBL 生徒自身の「探究」行為をマインドセット(とりあえず了)

★今回のプログラムでは、セルフコンディショニングの目標を「入試に立ち臨む自分」に設定していました。時期的にわかりやすい設定を選んだのでしょう。議論も盛り上がりました。柴谷先生と片瀬先生は、目標の部分は他のものに置き換えてもできるというまとめをして終わりました。ミニワークショップなので、ちょうどよい時間で終了したわけですが、実はこの研究会はそれ終わりではないのです。

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★プロトタイプをリファインしたり拡充したりするところまで行きます。ですから、おもしろいのは、最初のワークショップのファシリテーターは柴谷先生と片瀬先生が行い、2回目のワークショップのファシリテーターは田中歩先生が行ったのです。ファシリテーターを多くの先生が出来る学校ってそう多くはありません。

★今回のセルフコンディショニングのプロトタイプを、参加メンバーそれぞれ自分だったらどう活用するかという議論にシフトしたのです。これによって、いろいろな場面で適用・応用ができることがメンバーの中で実感できました。田中歩先生の共感的コミュニケーションがこういうところででてきます。

★もちろん、数学科の先生からは、項目の立て方が主観がベースだから、数学にはなじみにくいという面もあるという意見も出ました。この意見は極めて重要で、数学の歴史における永遠のテーマであると同時に、近代社会の盲点を突く根源的な話なのです。

★数学者で哲学者でもあったフッサールは主観というものを相互主観と設定し、主観―客観図式を解消しようとしていますが、この議論は決着がついていなく、日本の教育ではあまり取り扱われません。国際バカロレアは、PYPからはじまってDPのTOKにかけて、この主観を多面的に多角的にアプローチし、主観をどんどん広げていく学習理論を確立しているぐらいです。

★こういう鋭い数学科の意見は、しかし世の哲学者が長い歴史の中で解決していないのですから、いま結論を出す必要はないでしょう。思考の根本問題として大切に抱いておくということに田中歩先生はしたようです。

★そして、プロトタイプの適用・応用ができるということはいかなることなのか、今回の柴谷先生と片瀬先生のプログラムの価値が問われました。

★セルフエンパワーメント、自分の器を広げる、パワーアップ駅伝というフレーズがでてきたわけです。

★要するには、自分とは何者か、自分はいまここで何をしているのか、自分は何をしようとしているのか、それがどんな価値があるのかという国際バカロレアの教育でもコアコンセプトになっている学習観ですが、そこから生徒自身が対話を通して始めるプログラムが誕生したということでしょう。

★ここからはじまる教科学習や探究の活動こそまさに「探究の行為」であり、PBLというメカニズムでしょう。IBやケンブリッジイングリッシュやCEFRベースのCLILなどは、みなここを核としています。

★日本の教育では、進路指導で強調されるぐらいで、ふだんの教育活動ではここは核になっていません。知識が核になています。生徒1人ひとりの想いを核にしない教育が、どんな社会をつくってきたのか、どんな社会を支えてきてしまったのか、それは、たとえばジェンダーギャップが先進諸国で最もあるような社会だったというのは、今やだれもが否定しないでしょう。

★工学院が多様な<新しい学びの経験>を積み上げてきた結果、到達したステージは、日本の教育の在り方を救うところまで来たといえるのではないでしょうか。このワークショップは、今後もさらにアップデートしていくということです。

★今後立ち会える機会がまたれば、子供たちにとって極めて重要な学びですから、またご紹介したいと思います。

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2020年1月26日 (日)

工学院のPBL 生徒自身の「探究」行為をマインドセット③

★プログラムは、今年の新春恒例の箱根駅伝で区間新記録を出して注目を浴びた青山学院大学の吉田祐也選手の話からでした。吉田選手は実は今までがんばってエントリーメンバーではあったものの箱根駅伝で走る機会がなかったのですが、大学4年になってようやく出場でき、青山学院の優勝に貢献したわけです。

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★吉田選手は決して速くなかったし、強い選手ではなかったのに、いかにして変容したのか、一体何をどうやってここまきたのか推理するという作業からあ始まりました。まずはポストイットで個人ワークです。思いつく方法をどんどん書いていきます。そして、チームで持ち寄って、カテゴライズするわけです。

★このKJ法的手法は、基本セオリーで、どの教科でもPBL授業をやると取り扱うことが多いのですが、今回は吉田選手が区間新記録を出せるようになった理由を追究さるためのものではなかったのです。

★吉田選手の、ある意味、ビフォー・アフターのギャップを埋める方法をヒントに、実は自分がある目標を到達するためには、何を行うのか、その項目を探すことが目的だったのです。5項目決めて、その強み弱みをレーダーチャートにします。

★だったら、はじめから、5項目決めてレーダーチャートを作ってでよいわけですが、それでは、あまりに主観的すぎます。ですから、チームで対話しながら、自分の気づかなかった方法もシェアしていくというプログラムにしたのです。

★そして、自分でつくったレーダーチャートを再び互いに見せ合い、アドバイスをし合うという次の段取りに進みました。そして最終的にさらに改善して、目標達成のためのプランをたてるということになったのです。ここでもプロトタイプをつくり、それをリファインするという手法が埋め込まれていました。

★プロトタイプをつくるときに対話し、リファインするときにも対話をするという「対話」によって、セルフコンディショニングをマインドセットした行くのですが、このシンプルなセルフコンディションイグの制作とリフレクションの創り方は、PBLという<新しい学びの経験>を最終的に完成させる営みだったのです。つまり、ここから始まったのですが、それがPBL授業や探究の終わりでもあったのです。もちろん、終わるやまた新たなステージが拓けるのですが。

★PBLとは探究そのもので、その最初は、自分はいかなるもので、どこにいこうとしているのか自分でプランを立てるわけです。しかし、今までの授業は、客観的な目標を与えられ、どう進めていくかではなく、目標を達成したかどうか、端的に点数がどれだけとれたかだけを評価されてきたわけです。

★これでは、いつまでたっても、セルフコンディショニングはできません。セルフコンディショニングとは、保健体育と家庭科の協働によって創られた今回のワークショップの実施により、認知と情意と精神運動のトータルな自分創りの方法だったということがわかりました。

★自分の「認知と情意と精神運動」の3つの関係総体が最適化される状況を、いかに自分で創るのか?なんとこれはブルームのタキソノミーの応用であり、工学院の「思考コード」のバリエーションでもあったわけです。

★そして、自分で創るといっても、仲間との対話は欠かせないというのが今回のプログラムの重要なポイントだったわけです。

★PBLとは、自分とはいななるものかに思いを馳せ、それを実行していく方法を考えるところから始まる探究そのものだったのです。ということは、「習得」→「活用」→「探究」という流れになるアクティブラーニングとは実は全く違うものだったわけです。

★PBLは、探究そのものであり、自分とは何かに思いを馳せ、その輪郭を描き、内容を詳しく描いていく実にアートな過程なのですが、その過程は当然試行錯誤ですから、最初の先入観や独断が、多くの対話や議論、論文や文献リサーチによって、仲間やまだ見ぬ研究者あるいは見識者と内観的対話によって、どんどん変容していきます。

★今回のセルフコンディショニングは、あらゆる教科の授業及び単元のはじめで行う習慣ができるとよいわけだというのが柴谷先生や片瀬先生の発想です。その際、自分はこの授業やこの単元にどうかかわっていくかという感じになるので、個別具体的になるわけですが、そのような個別具体的な多様で多角的な経験が、キャリア全体をデザインする時の私とは何者かのリソースになるはずです。

★主体的・対話的で深い学びをしたいのならば、私は何者かから出発しなければならないでしょう。知識を憶えるところから始める前に、このマインドセットから始めることが実は大切なのです。そこからはじめれば、知識を憶えることは暗記ではなく、リサーチになります。知識の活用は、知識の再構成という編集行為に変容します。だからこそ対話や議論はますます大切になります。多角的にリサーチし、編もするには、異質な価値観や考え方を考慮することが大切だからです。

★しかしながら、異質の価値観や考え方を受け入れるには、実は認知の側面より、オープンマインドなど情意が豊かでなければなりません。頭で考えているだけではなく、まずやってみようという精神運動的な俊敏力も必要です。また、始めた以上やり抜く耐性があたり前になっている=身体自動化になっている必要があります。

★今回のセルフコンディショニングは、実は画期的で探究のエネルギーを生み出すという根源的生成のマインドセットだったのですが、この認識到るには、もう一つのワークショップが必要でした。つまり、ワークショップのワークショップがさらに展開していったのです。

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2020年中学入試の新タイプ入試の動向 埼玉エリア

★埼玉エリアでは、新タイプ入試が定着しているとはいえませんが、幾つかの学校がチャレンジしています。チャンレジをするということは、思考力や探究に力を注ぐ新しいタイプの教育活動を行っているということを示唆しています。

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★そんな中で、思考力型入試でも、適性検査型入試でも、算数一科目型入試でも、西武文理はダントツのポジショニングを得ています。それだけ、カリキュラムや教育活動で新しいタイプの学びのデザインを実施しているということでしょう。

★栄東や開智グループが、大学進学実績とアクティブラーニングや探究型授業などの新しい学びも行い、二兎を追っているとしても、それはまだまだ「習得」「活用」がメインであるでしょう。二兎を追うとはそういうことです。

★それに対し、西武文理は、新しい学びのデザインによって、結果的に大学合格実績を出すというビジョンにシフトしている可能性があります。

★つまり、大学に入ってから、そして社会に出てから役に立つリベラルアーツ型の新しい学びを追究している可能性が高いのです。

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2020年中学入試の新タイプ入試の動向 神奈川エリア

★神奈川エリアも新タイプ入試が定着しつつあります。清泉女学院、湘南白百合、湘南学園などが動き始めたことは影響力が大でしょう。

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★「思考力」に注目して骨太かつ多面的にアプローチする思考力型入試は、湘南学園と清泉女学院が実施します。湘南学園はSDGsの取り組みを学校全体で行っており、その活動はメディアでも放映されています。SDGsの活動は、広く深く世界の問題解決への重要な探究の道を拓きます。湘南学園の面目躍如ですね。

★清泉女学院のAP入試とは、アカデミックポテンシャル入試の略で、生徒1人ひとりのタラント(賜物)という潜在的な才能を引きだす深い思考力を活用する入試です。大量の知識をあらかじめ持っている必要はありません。グラフや図を多面的に読み込みながら、自分で問題を見出し、考えて行けるように問いの仕掛けがデザインされています。同校の教育には、論文編集という活動がありますから、そのエッセンスが反映しているともいえます。

★聖セシリアのグループワーク入試も思考力は大いに必要ですが、エンカウンター的なオープンマインドの大切さを共有できる人材を見出す入試でもあり、そういう意味では特色入試型の確固たるポジショニングを得ています。

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2020年1月25日 (土)

2020年中学入試の新タイプ入試の動向 東京エリア

★中学入試において新タイプ入試は一つのポジショニングを獲得したかもしれません。かつては2科・4科入試によって、知識→応用→発展→基礎学問という学習の才能にたけている生徒のみを、結果的に受け入れて生きた中学入試でしたが、新タイプ入試の登場によって、創造→発展→応用→基礎学問という流れで学問の基礎を築ける才能者も受け入れられるようになってきたということを示しています。ここでいう基礎学問はもちろん基礎学力とは違います。基礎学問は、リベラルアーツといってもよいかもしれません。

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★ともあれ、東京エリアの新タイプ入試の応募者数をみてみましょう。男子校は、圧倒的に算数一科目型が応募者を集めています。しかし、聖学院のように、東京エリアで唯一無二のシステム思考を駆使した思考力入試も総数にしてみると79名です。本番までにはまだまだ増えるでしょうから、男子校において聖学院は独自の確固たるポジショニングを得たといえましょう。

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★女子校では、共立女子、昭和女子大附属、桐朋女子は、聖学院のシステム思考とまではいきませんが、骨太の思考力型入試で、やはり確固たるポジショニングを得たといえましょう。

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★男子校と女子校では、適性検査型で確固たるポジショニングを得る学校はありませんでしたが、共学校は、宝仙理数インターと、聖徳学園、郁文館、開智日本橋がポジショニングを得たといえましょう。公立中高一貫受検生にとって、共学校の適性検査型を受けるというのは自然な行為ということでしょう。

★共学校の場合、思考力型入試では桜美林、かえつ有明がポジショニングを得えいるといえましょう。特色入試型では八雲学園が、そして算数一科目入試では三田国際が圧倒的な勢いを感じさせます。

★新タイプ入試は、各スタイルの入試で圧倒的な勢いのある学校がそれぞれ存在し、牽引することによって、新タイプ入試全体が、ある意味デファクトスタンダードのポジションニングを創出したということではないでしょうか。

★誕生当初は、変な入試、謎の入試と言われてきましたし、今でも2科目4科目入試のように評価ができないから邪道だとか言われもします。しかし、受験生の才能に思いを馳せれば、正解のある問題と同様の評価システムが使えないから排除するという論理そのものが見直されなければならない時期にきているのかももしれません。

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2020年1月24日 (金)

工学院のPBL 生徒自身の「探究」行為をマインドセット②

★工学院の保険体育の柴谷先生によると、保健体育や家庭科は、もちろん知識も必要とするけれど、大量の知識を先行的に必要としないので、そこから自由にプログラムを作ることができますということでした。

★たしかに、保健体育の場合、自分の心身という最も身近なところから出発して、他者との心身との関係を最適化するにはどうしたらよいのかを考えていくことができます。メンタルトレーニングやヘルスコンディションニングについて、自覚している側面と無自覚の側面の両方についてアプローチする視座を明らかにすることができます。

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★また、片瀬先生の家庭科の授業を見ていて感じるのは、その自他の心身を取り巻く環境との関係が最適かどうかをlearning by makingを通して考えていく授業になっています。メンタル面とヘルス面が、家庭環境、地域との環境、・・・・世界との環境とどのような関係になっているかやはり生徒自身の視座を明らかにすることができます。

★この保健体育と家庭科の2つの視座がクロスオーバーするようにデザインされたのが今回のセルフエンパワーメントです。初回ということもあって、端的にその視座そのものであるセルフコンディショニングを探るプログラムからはじまって、最終的にはそれがセルフエンパワーメントに拡大するパワーのあるプログラムだったということにメンバーと気づいていくそんなワークショップでした。

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2020年1月23日 (木)

八雲学園 柔らかくもストイックな教育「空手」

★八雲学園の教育は総合的といわれるとき、思い出すのは空手部で修業をする八雲生の姿。毎年イエール大学と国際音楽交流をしていますが、前日は、イエール大学の学生は、八雲の様々な活動に参加します。その中で、彼女たちが驚き目を丸くする八雲生の姿は「空手」の「形」の構えです。

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★吹奏楽部、軽音楽部、コーラス部などといっしょにのびのびと歌い、多様な文化交流ではしなやかで楽しく、満面に笑みを浮かべて対話しているのですが、空手部の八雲生の姿をみて、文化というのは実に深いものだと驚嘆するわけです。はじめて目の前で圧巻の空手の「形」を見たというのですから当然でしょう。

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★グローバル教育という英語や世界の文化に目が向きがちですが、八雲学園では日本文化の真髄を学んでもいるのです。様々な部活や教育活動は、その根っこの部分では、空手と同様「道」の精神がしっかりあるのです。

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★イエール大学の学生は、リベラルアーツを学んできていますから、本質を鋭く見通します。八雲学園が世界に通じる日本人のマインドを育てていることをすぐに感じます。

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★それゆえ、八雲生とそのマインドを響かせながら合唱ができるわけです。

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★そして、自分たちも世界と共振するイエールマインドを歌の翼にのせることができるのでしょう。イエール大学の学生にとっても八雲学園の生徒にとっても得難きすばらしい経験が毎年生まれているのです。

★さて、八雲学園空手部は、山梨県甲府市小瀬スポーツセンターにおいて行われた第28回関東高等学校空手道選抜大会に個人形、団体形の部で出場しました。個人形では泉優里花選手(高2)が第2位、団体形でも第2位となったそうです。

★3月末には、石川県で行われる全国選抜大会へ出場。イエール大学の学生が驚いた空手の形は、これほどクオリティが高かったのです。彼女たちが驚くには、驚くなりの理由がちゃんとあったわけですね。

★そうそう、今年の東京オリンピック・パラリンピックの競技に「空手」が入っています。世界標準の部活が八雲学園では昔から行われていたわけです。

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工学院のPBL 生徒自身の「探究」行為をマインドセット①

★今、多くの学校で行われているアクティブラーニングは、「習得」「活用」で終わっています。知識を丸暗記する授業に比べ、各段の変化です。しかしながら、さらに「探究」という活動も埋め込み、「習得」「活用」「探究」という流れでアクティブラーニングを行う学校も出てきました。溝上慎一理事長(前京都大学教授)を中心に桐蔭学園全体で取り組んでいるのは代表的ですね。

★しかし、工学院は、ある意味、この並びを変えています。「探究」「習得」「活用」という並びのPBL授業(アクティブラーニングと呼ばないのはどうやらここらへんにも理由はありそうです)です。この配列の差異がいったい何をもたらすのでしょう。それを少し考えてみましょう。

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★こんなことを考えてみたいという刺激を受けたのは、工学院の保健体育と家庭科の先生方が連携して作成したセルフエンパワメントプログラム(自分の器を広げるとかパワーアップ駅伝とか呼ばれてもいます)の開発のお披露目に立ち会ったからです。

★やがては、学内全体で共有されるのでしょうが、今はTGPチーム(別名「チーム田中」)で体験・検証・アップデートがなされています。

★このチームは、昨年各メンバーの授業リサーチをしたあとチーム全員でその授業の分析をスクライビング手法で行ってきました。メンバーはいろいろな教科担当者なので、そのスクライビングを通して議論や対話は、自ずと教科横断的になり、互いに思いもよらない気づきや発見をし、授業をアップデートしていきました。

★その繰り返しが、おそらくシンプルにプロトタイプとリファインのループとして授業デザインのマインドセットになっていったのだと思います。ここまで来ると、教務主任の田中歩先生は、教科担当のPBL授業の次のステージである授業の連携デザインができるタイミングが来たのではないかと感じたそうです。

★そこで、その旨をチームメンバーに伝えると、保険体育の先生方と家庭科の先生が手を挙げたということです。高2のグローバルプログラム(他校の修学旅行に相当するが、コンセプトが全く違う)、中学入試、高校入試、そして大学入試に重なるように突入しているこの時期に、時間の合間を縫って対話をしたのでしょう。

★田中歩先生にとっては、この「対話」の行為が日常化することが、実は大切です。「対話」といっても世の中には、「哲学対話」や「オープンダイアローグ」、IBの「TOK」という専門的なものがあります。田中先生にとっては、もちろん、これらの「対話」のメソッドと共通点はありますが、専門家ではなく、誰もができる共感的コミュニケーションが生成される柔らかい「対話」を示唆していると思われます。

★いずれにしても「対話」は「会話」とは違い、共通のテーマについて多角的に思考し、話し合って、そのテーマについて深さと広がりを拡散し収束していきます。そのテーマが哲学的領域に結びついていくようにファシリテートする専門家がいるのが「哲学的対話」だし、心の平安を生み出すようにカウンセラーがファシリテートしていくのが「オープンダイアローグ」だし、多様な学問的な領域からアプローチして問題の問題性を明らかにしていくサポートをするIB教師がいるのが「TOK」です。

★しかし、そういうタイトルがないとなかなかできない対話ではなく、ナチュラルに誰もが共有できる「対話」を目指しているのが田中歩先生です。

★工学院は日本初のケンブリッジ・イングリッシュ・スクールです。そのテキストや発想を田中歩先生も推進した一人ですから、その発想はイギリスのコモンセンスに近いものがあります。「対話」は市民の財産です。イギリスは、市民革命先進国で、ディスカッションは表現の自由として、市民全員が獲得した自由権なんですね。

★資格というタイトルにこだわる独仏や北欧、米国とはちょっと文化が違うようです。ナチュラルなコモンセンスを共感的なコミュニケーションで生成し続ける。それがたぶん工学院の対話なんです。

★工学院の系譜をたどると、実はそのルーツはイギリスであったりもします。しかも、ジャパノロジーの影響も受け入れたアールヌーボーや19世紀末の美術に影響を受けた若きイギリス人建築家ジョサイア・コンドルの薫陶を受けた日本第一号の建築士がかかわった学校です。

★このへんは、建築や芸術に造詣が深い平方校長が6年前に就任したときによく語っていたことです。私学の創設時の息吹というのはその学校の文化としてこんなに脈々と続いているのかと感動しました。

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2020年1月21日 (火)

ノートルダム学院小学校の教師の開放的精神とシステム思考のすばらしさ

ノートルダム学院小学校は、京大、京都御所、下鴨神社、上鴨神社、修学院を結ぶエリアの中心に位置し、閑静で奥ゆかしさのある場所にあります。

★先生方の生徒共に学ぶ熱い眼差し、温かい姿勢は、のびのびと好奇心溢れる生徒が育つ場をつくっています。先生方は、ICTや英語など世界標準のスキルも生徒と共有しています。自然科学者の目、社会科学者の目は輝き、芸術家の感性も豊かに育っています。

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★しかし、そのことが受験業界にきちんと伝わっていません。なぜでしょう。このようなクオリティを知ったら、小学校受験市場は放っておくことはないはずなのに。

★最近、いくつかのカトリック学校に呼ばれる機会が増えました。そんなわけで縁あって、カトリック学校では、神の計画というのですが、ノートルダムにもしばしば顔をだすようになりました。授業リサーチをして、先生方と授業の精神、価値、方法論、生徒の成長などについて対話をするのが主な私のミッションなのですが、授業は1人ひとりの先生方の個性と同時に共同体とのシナジー効果によって生成されるので自然にかつ必然的に教科横断的に先生方が集まり対話が広がっていくものです。

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★今回も、何人かの先生が集まって、ブレスト的対話をするというので、私も参加しました。いつもは、私がファシリテーターをやったり、ファシリテーターのメンターになりつつ参加するのですが、今回は、先生方がファシリテーターも自前でやる対話でした。私は先生方の言葉や行いが、世界標準だったり、考え方がすでに相当新しくなっていることを示す参照機能として参加していました。

★水準の高い対話を土台とするこのようなミーティングを行っている先生方の様子をみて、驚愕でした。やはり凄い先生方がたくさんいるではないか!と。

★そして気づいたのです。今回、授業という具体的な学びの経験から、ノートルダム学院小学校の全体像を映し出すビジョンを共有しようというブレスト的対話だったのですが、実はすでにミッションコミットメントやコンセプトや各教科の目標などはあるのです。にもかかわらず、対話をして新たな発見をしてシェアしているわけです。

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★ビジョンをアップデートしようというのだったら、学校全体で議論しなければなりません。ですから、そうではないのです。実は、今回のブレスト的対話こそ、メタビジョンだったわけです。

★すでにある理念やビジョンに息を吹き込むメタビジョンのシステムの1つだったのです。伝統は進取の気性によって常にチャレンジし続けるから時代の変化に対応できる復元力を有しているのです。

★小学受験業界には、この生き生きとしたメタビジョンというビジョン生成システムがうまく伝わっていなかったのでしょう。

★理念やビジョンの表現は変わらりませんから、それがいつも生き生きしていることを表現しないと魂が伝わらなかったのでしょう。

★だから、ノートルダム学院小学校は、この生き生きとした魂の部分を共感できる動きに徐々に転じているようです。先生方は開放的精神とシステム思考を受験市場で、共有しようと広報活動を開始したそうです。同校の最も大切にしている「新しい学びの経験」を受験生にも保護者にも共体験してもらえる創意工夫をしているという話です。

★もっとも、子供たちにとって最も大切な場を見抜けないというのは世の常です。幸せはいつも青い鳥なのです。しかし、今こそ、子供にとって最も大切な場を探す勇気ある冒険心を発揮する時代ではないでしょうか。

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2020年中学入試でも洗足学園人気!

★東京・神奈川エリアの中学入試も近づいてきたので、ホンマノオト21の1月のアクセス(2020年1月20日現在)ランキングを調べてみました。ランキング10は、次の通りです。

1:自由と市場と組織と国家(20)桐朋女子の中学入試問題 思考力の根本から出...
2:洗足学園 今年も人気 その理由の向こうに見える時代のウネリ。
3:2020年首都圏中学入試の学校選択(04)東洋大京北の場合
4:シンポジウム「探究的学びと高大接続」の感想
5:自由と市場と組織と国家(14)創造主義志向の意志が生まれる:工学院の田中...
6:自由と市場と組織と国家(08)2020年は、教育において「主体」の新発想...
7:自由と市場と組織と国家(12)対話が根付くかえつ有明
8:自由と市場と組織と国家(13)創造主義志向の意志が生まれる:工学院の田中...
9:自由と市場と組織と国家(22)聖学院と工学院の思考力入試の新市場創出の革...
10:八雲学園 俊敏力!中3のハワイ3ヵ月留学スタート。

★昨年12月以降に書いた記事がほとんどであるのは、ブログの性格上当然ですが、その中に2018年9月21日の洗足学園の記事が2位に入っています。これは、検索エンジンで拾われているからで、ホンマノオト21をダイレクトにアクセスしているわけではありません。

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★ということは、洗足学園への注目がネット内で湧いているということでしょう。おそらく今年も人気が続いているということですね。そう思ったので、首都圏模試センターの出願倍率速報にアクセスしてみました。すると、締め切りになっている帰国生入試は前年対比100%超えているし、現在出願中の入試でも1回目は2科4科合計で、すでに100%を超えています。

★はやくも勢いを感じる出足です。人気の理由は、上記のランキング2位の記事をご覧いただきたいのですが、要は理念にしたがって教育を実践していながらも、その理念への熱いこだわりを感じさせないカジュアルなというかスマートなというかおしゃれな雰囲気がするのが市場にウケるのだと思います。

★鴎友学園女子も洗足学園同様人気校ですが、この理念への熱いこだわりは洗足学園とは対照的です。安定的に人気ですが、カジュアルな感じはしない分、洗足のような勢いは感じません。そんな勢いは求めていないというのが鴎友学園女子の構えでしょうし、それはそれでよいと思います。

★武蔵野大学の人気も、この理念へのこだわりの構えがユーモアを交えて共感しやすい表現をしていますね。三田国際もこだわっているのはものすごく伝わってくるのですが、プレゼンがシリコンバレー流儀の魅力が演出されています。麻布の説明会もウィットに富んでいて笑いがでるほどです。

★時代の希望になる教育の実践とその表現のカジュアルさは大事ですが、この表現はなかなか難しいのです。わかりやすさに陥り、中学受験生を子ども扱いしている表現になっていたり、幼稚な感じを表してしまっていたり失敗しているケースもあります。

★その学校のコミュニケーション能力の品質が説明会では露になってしまうのですね。

★もちろん、洗足学園は、破格の留学システム、帰国生教育、ハーバードやイエールなどの海外大学をはじめ国内大学の実績も積み上げてきました。それにくわえて、コミュニケーション能力のクオリティが高いということなのでしょう。

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2020年1月19日 (日)

自由と市場と組織と国家(26)意味の強迫観念から解放される自由

★外延と内包の関係は、相互に入れ替わり、多様な内容があります。にもかかわらず、固定し、多様性を排し、一義的な方向に導く教育やビジネスや行政が行われる時、その一義性の獲得の優勝劣敗主義に陥ってしまいます。実際、そういう強迫観念が、教育を画一化し、ビジネスの低迷をもたらし、行政の実施に非公正をもたらしています。

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★森田真生さんの著書「数学の贈り物」の中に「意味」という章があります。そこで、数学というのは、意味がわからないから嫌いだとかわからないとかというケースがあることについて述べられています。「意味」がわからなければ、先に進めないと思うのは、まさに意味偏向主義、意味の強迫観念ですね。

★森田さんは、数学は、歴史の始まりにおいて、土木における測量や星の位置を測る実用的な意味があったと。しかし、計算などの操作という行為が意味を超えて、新たな意味が、数学的な操作という行為、幾何やグラフへの置き換え行為のあとで生まれることもあろうと。

★たとえば、-1×-1=1という操作行為が一体何を意味するのか?とりあえずないというのだ。でもそれは、上記のような分配法則の操作行為によって、証明されるのだと。

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★実は、人間が生きて行く基礎となる根っこの思想、つまり野生の思考というのは、記号という外延表現には、「意味」や「行為」や「言葉」や「情意」や「対象」など無限の要素が内包されています。

★そして、あるときは「言葉」と「記号」が入れ替わる時があります。そのとき「言葉」が外延的表現で「記号」は他の要素同様内包的な内容になります。

★しかし、いつのまにか、「言葉」の外延的表現が内包するものは「意味」だけになってしまうのです。ここから偏向主義や強迫観念が生まれます。科学主義によるレトリックの排除が工業化時代で起こったわけですね。

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★森田さんのように、「記号」という外延的表現が内包する内容が、はじめに「意味」ありきではなく、数学的置き換え操作(計算)行為から始まってもいいのです。

★これが多様性の本質だし、共感的コミュニケーションの本質です。同じ「意味」のみを共有することが共感的コミュニケーションなのではありません。それは全体主義に通じる偏向主義です。

★工業化時代の先鋭化した20世紀末社会は、「意味」の病に陥っている鬱屈する心が拡散しましたね。今もしています。自己肯定感が低いというのは、まさにこの状態です。

★数学的世界は、人間が生まれる以前から存在しているというところから出発し、主観と客観や自然と社会やモノとココロなど二元論的な意味の病いからいかに解放され得るのか、挑戦がなされています。

★昨日実施された最後のセンター入試の現代文の素材は、そのような新しい哲学的世界を提唱している河野哲也教授の「境界の現象学」から出題されていました。

★すでに10年くらい前に、河野さんの「意識は実在しない」というスリリングな著書から東大と早稲田大学が出題していました。20世紀末の大学入試で一世を風靡したポストモダンの現代思想の次の発想が出題されているということは、何か意味があるのかもしれませんが、その意味は、いわゆる後付けでしょう。初めにそういう意味があったわけではありません。

★もっとも、河野さんの子どものための哲学や哲学的対話のアクターネットワークであるプラットフォームはその10年くらい前から多様化し拡大しています。豊島岡女子でも河野さんは哲学的対話の授業を行ったり、私立学校の協会の各部会にも招かれたりしています。

★予測不能で不確実性の高いリスク社会において、生きて行くにはこんな基礎思考が必要です。STEAMのうちのA=アートやM=数学が示しているのはこういう20世紀社会=工業化時代の呪縛である意味の病いからの解放を意味していたのはないでしょうか。もっとも、このような意味付けもまた、STEAMという行為が学校現場から生まれてきたからできることなのですが。

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東洋大学京北 伝統と革新の二兎を追う教育に人気

★毎月、東洋大学京北はトピックスというニュースレターを発行しています。年賀版2020年1月1日号では、哲学ゼミと中学のカナダ修学旅行のニュースが掲載されていました。

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★哲学ゼミは、新学習指導要領の柱の一つである「思考力」を伸ばす学びの場です。ただし、同校の場合は東洋哲学がベースにありますから、従来の欧米の思考力育成プログラムとは少しニュアンスが違います。自然と科学の二元論的発想はなく、そこはつながっています。最近の欧米の新しい哲学でも、そこに注目し始めていますから、ある意味古くて新しいのかもしれませんね。

★今年のそして最後のセンター入試の現代国語の素材文では河野哲也教授の「境界の現象学」から出題されましたが、河野哲也教授も二元論を批判し、自然と環境と心の全体的な関係を重視する思考の重要性を説いています。

★中学の修学旅行がカナダというのも、英語学習だけではなく、多様性とグローバル市民性のある場所を選んでいるところに大切な意味があります。

★思考力とグローバル教育に力を入れながらも、大学進学準備にもつながるような革新的な教育を行っています。伝統と革新の二兎を追う東洋大学京北の人気が安定的になってきたのは、中学受験業界における主流派であるバランスを志向する多くの受験生・保護者のニーズに適っているからでしょう。

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2020年1月18日 (土)

自由と市場と組織と国家(25)スカパーCMの<外延と内包>の使い方

★昨年「第56回ギャラクシー賞」で、堺雅人、小池栄子、鈴木梨央が出演するテレビCM「スカパーJSAT 基本プランシリーズ『スカパー!堺議員シリーズ』」がCM部門の大賞を受賞しました。この一連のCMの中の「すごいシリーズ」もおもしろいです。

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★わずか30秒で、おもしろさを喚起する仕組みは、わりと単純です。①何をみて3人は楽しんでいるのだろうという仕掛けと②3人が同じ番組という対象をみているにもかかわらず、好みの視点が違うという仕掛けです。

★もちろん、出演者のキャラクターも大事です。

★①は省略というレトリックです。②は「すごい」という外延的表現に対し、「歌がうまい」「イケメン」「のどぼとけ」という内包がそれぞれ違うという<外延と内包>の差異のレトリック。

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★メディア市場の広報戦略として成功しているのでしょう。しかし、この成功が意味することは何でしょう。プロデューサ―と消費者の情報差があるということです。

★このレトリックの情報は、作成者側にとっては編集知として当たり前ですが、消費者はそこをあまり意識していないでしょう。

★広告のCMは、この編集知の情報の差異が購買力に影響するわけです。これは資本主義の市場システムの原型をつくったメディチ家の適正価格に内包する利益の正当化に相当するメカニズムです。

★もちろん、このスカパーのCMには何の問題もありません。編集知を持っている者と持たざる者がいるのは、テレビを持っていて見ている消費者という限定的な世界では、気づくか気づかないかは個々人の問題です。

★しかし、この外延と内包という関係は、ここで終わっているうちは確かに問題はあまりないのですが、大事なことは外延と内包が入れ替わるのが無限大だということなのです。ここを巧く使うと、機会均等という公平性の中で非対称性が知らぬ間にできあがっているのです。リベラルアーツの一教科である「修辞学」つまり「レトリック学」は、特に日本では、近代以降の科学主義によって排除されてきました。

★したがって、日本の大衆や消費者は、このリベラルアーツ格差が前提になってしまっているのです。クリティカルシンキングは、レトリック学が雄弁術としてキケロの時代に実学として継承されていたぐらいですから、レトリックのシステムを学ばなければ身につくのはなかなか難しいのです。

★欧米の高大接続段階では、レトリックはリベラルアーツや哲学という分野の中で学ぶチャンスがあります。日本の新学習指導要領はそこを明確にしているでしょうか?改訂学校教育法で、創造性を養うという条項が加えられましたが、現場でそれは進まないし、評価ができないとかいうことでスルーされがちです。

★しかし、それは現場の責任ではなく、学習指導要領がマイナーチェンジばかりで、リベラルアーツ的基盤をきちんと表明しないからですね。

★科学主義者はレトリックをエビデンスや検証ができないからというのですが、実は主義をとった真正の科学という学問は、レトリックを大いに活用しているという認識があるのです。分子や陽子のモデルや図を見たことがあると思いますが、あれはあくまでモデルです。モデルはメタファーです。

★新物質を生み出す化学反応そのものは、たしかにレトリックは関係ないのですが、その最初の発想はトポロジーという置換レトリックを活用するケースも少なくありません。日本の数学教育では、柔らかい幾何学であるトポロジーはそもそも排除されています。もっとも現代化カリキュラムでは取り扱われていたのですが。。。

★現代経済学は、数学的関数で置き換えますが、それを科学的だと称するわけですが、自然科学と違ってレトリック的な側面が強いので、最近批判されてもいます。というのも、この巧妙な置換レトリックが、実は<外延と内包>の置換によってなされたとき、その複雑系を見破れる人と見破れない人との間で非対称的な関係うを生み出すからです。

★その悲劇の典型的なケースが、リーマンショックに象徴される恐慌です。これは最近の話だけではなく、近代の進化の中でたびたび起こってきたし、今後も起こるわけです。おそらく起こるというより、わかっていて金融商品をプロデュースする一握りのエリートがいるのです。

★今も世界中で、リーマンショック再びが噂されています。クリティカルシンキングの残念なところは、それを見抜いただけでは、クリエイティブに解決できないという点です。

★創造的思考力を発動できないように学習指導要領がしているとしたら。。。しかし、文科省もそれはわかっています。だから「探究」という表現で「レトリック学」を現場が扱うことを期待しているのです。しかし、それを明言しないから、現場では結局取り扱わないのです。

★いわゆるダブルバインドですね。創造的思考をやりなさいと学校教育法では条文化している。しかし、やろうとすると武器がない。やりたくてもやれないというダブルバインドを解決するには、グレゴリー・ベイトソンではないですが、その枠組みをエーイとばかり捨てることです。

★バリ島の魔女ランダの物語は、インドネシアの(といってもこの国は多様なのでバリ島だけのことかもしれませんが)教育観のベースだとベイトソンは語ります。勉強しないでのびのびと遊びなさいと母親が言うから、遊ぶと、こんどは遊びすぎだから勉強しなさいと言う。勉強していると勉強しすぎよ、自然と戯れなさいと。じゃあ遊ぶと・・・というダブルバインド状態が続くのですが、子供ははやく自律して、そのダブルバインドの枠組みを乗り越えようとする成長物語が教育観です。

★日本は、このダブルマインドを自分で乗り越えるパワーを育てているでしょうか。就活スーツは着る必要はない。そうしたいが、結局スーツをみな着てしまう。そのダブルバインド状況の中で我慢して、そのはけ口を競争主義、優勝劣敗主義でガス抜きをする。負け組は自己肯定感の低下、鬱屈、病い、そして・・・。

★ここを脱するには、ブルームの3つのタキソノミー(認知・情意・精神運動)が役に立ちます。でも初等中等教育の学習指導要領では、ルーブリックという中立的表現でぼかします。現場では、タキソノミー?ハーあっということになります。ここにも<外延と内包>のレトリックで巧みに逃げられる道を用意するという戦略がとられています。

★医療教育や看護教育の領域では、この3つのタキソノミーが現場では意識され始めています。チーム医療とかコミュニケーションに力点が置かれているのはその証拠かもしれません。しかし、文科省は医療教育のコアカリキュラムのモデル(ある意味初等中等教育の学習指導要領に相当するものですが)の文書では、そのことをボカシています。チーム医療やコミュニケーションという外延表現は入っていますが、その内包分は大学や現場に任せると。そこは選択の自由、市場の原理ですよねということなのかもしれませんが、その選択判断が公正なものであるかどうかは誰がチェックするのでしょう。良識ということでしょうか?

★ここは、実は問題を生み出す盲点です。道徳教育の強化は、ここをシステム化するのではなく、心根で勝負しようというわけですね。なおさら3つのタキソノミーが必要です。でもそれは使う確率は低い。なんというダブルバインド!真の問題は、ほとんど人が気づかない盲点として微差異なところにちゃんとあります。クリティカルシンキングが発動するのはこの微差異であり、解決する創造的思考が必要なのはもはや言うまでもないでしょう。

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八雲学園 俊敏力!中3のハワイ3ヵ月留学スタート。

★12月15日のカンファレンスで、八雲学園の近藤隆平先生(英語科主任、海外・英語特別委員長)は、ROUND SQUAREの次にSTEAM留学を計画中だと発表していました。そのアイデアは、ハワイのミッド・パシフィックインスティチュートを訪問したときにインスパイア―したということでした。

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(写真は、ミッド・パシフィックのサイトから)

★同校は、日本では見たことのない先進的21世紀型教育を行っており、IBのDPも取り入れたりしてもいますが、なんといってもアートとイノベーションに力を入れているということです。そして、徹底的に生徒1人ひとりの才能を伸ばすPBL授業が展開しています。

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(写真提供は、近藤隆平先生)

★近藤隆平先生は、「この学校はこれから私たちも学ぶべきG-STEAMのロールモデルだが、どうやって学ぶかは、生徒の留学を通してです。帰国後、その生徒が何を母校に持ち帰るかなんです」と語っていたばかりです。八雲学園は、生徒の要望によって常に教育をアップデートしていくのです。

★いずれにしても、おそらくその時に、すでにミッド・パシフィックとの交流の話がまとまっていたのでしょう。はっきり決まるまで、予定ということにしていたのだと思います。

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(校舎が、イノベーションスペース。写真提供は近藤隆平先生)

★だから、1月に入って、中3生の3ヶ月留学が始まったというわけでしょう。八雲学園のグローバル教育の戦略は、ROUND SQUAREという世界の私立学校のコミュニティ(世界50カ国、200校)との多様な交換留学を中心に、それ以外の先鋭的な21世紀型教育を行っている海外の学校との提携を広げていくことです。

★八雲学園のグローバル教育は他の追随を許さない王道を着々と歩んでいます。

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2020年1月17日 (金)

2020年神奈川・千葉・茨城・埼玉の帰国生募集の状況

★東京エリアの帰国生募集は前回までにご紹介しました。ここでは、神奈川・千葉・茨城・埼玉の帰国生募集状況をお知らせします。

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★東京に比べ、帰国生募集を行っているところは少ないですが、聖光学院、洗足学園、法政第二、桐光、市川、渋谷教育幕張、東邦大東邦の勢いは圧巻です。

★森村、昭和学院、聖ヨゼフなどが帰国生が次に評価する学校かもしれません。

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聖学院も帰国生が評価する男子校

★聖学院の広報部長児浦先生から連絡がありました。聖学院の帰国生の応募は13名だったそうです。男子校で10名超えることの重要性については、このあと、神奈川や千葉、茨城、埼玉の様子を公表しますが、そのときわかります。何せ、中学受験生全体に対し帰国生は20分の1くらいのシェアです。貴重な人材資源です。

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★聖学院の他の入試の応募の出足は好調で、ものづくり思考力入試は、昨年を超える勢いだそうです。

★創造的思考力の持ち主や帰国生などの評価が高いのは、多様性と協働性と寛容性の心地よい雰囲気をベースに、高い知的推進力ある社会的実効性が育つ≪新しい学びの経験≫ができるからでしょう。

★ある意味、男子校の中で異色異彩の学校です。4月から飛躍する秘策があるそうです。いったいどんなものでしょう。楽しみにしています。

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2020年1月16日 (木)

2020年帰国生が評価する私立中高一貫校

★私立中高一貫校の帰国生入試といえば、東京エリアでは、久しい間、頌栄女子、攻玉社、渋谷教育学園渋谷が定番でしたが、そこにかえつ有明が参入し、海城が参入し、東京都市大が参入するようになりました。そしてここ2年くらいの間に、工学院、開智国際、大妻中野、東京学園ドルトン、武蔵野大学、富士見丘、八雲などが参入するようになっています。広尾や三田国際も公表されていないだけで、やはり帰国生には人気です。

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★今まだ一けた台でも、現段階で5人以上の生徒を集めている学校は、次に飛躍する学校グループでしょう。

★帰国生の選択は偏差値で選ぶグループと脱偏差値で選ぶグループがあって、まだまだ一般入試では偏差値で選択するグループが多いのに比較して、今後の新しい動向を如実に反映しているとみなすこともできます。

★実際、帰国生入試に人気がある最近出現してきた学校の大学実績は、上智やICU、立教にすでに多数輩出しているだけではなく、いきなり世界大学ランキング100位以内の海外大学にも合格者を出しています。

★当然、そのような学校は、それぞれ独自の方法で≪新しい学びの経験≫を創意工夫し、実行しています。国内だけではなく、優れた学びの情報を海外から自然としかもダイレクトに収集できる環境になっているというのも今までにない大きな変化でしょう。

★偏差値にかかわらず、学校は新しい流れを生み出しつつあるというのは希望がありますね。

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2020年1月14日 (火)

シンポジウム「探究的学びと高大接続」の感想

★昨日順天堂大学A棟講堂で、シンポジウム「探究的学びと高大接続」が開催されました。溝上慎一桐蔭理事長と日野田直彦武蔵野大校長が登壇するということ、文科省と森上教育研究所が後援し、NHKがEテレ「TVシンポジウム」で放送するということもあって、出かけてみました。

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★というのも、高校から始まる「総合的な探究の時間」を文科省や経産省はどのあたりを目標にしているのか雰囲気がわかると思ったからです。NHKも組んでいるし、良識派の森上教育研究所も後援していますから、突飛なアイデアというより、まだ「探究」の授業がイメージできない教師や保護者にモデルとして提示するというのが、このシンポジウムのねらいにあるでしょうから。

★しかしながら、テレビ番組にするのだから、レベルが低いものは困るという配慮もあったのでしょう。「探究」をこれから本格的に取り組みたいという教師にとっては、そのねらいは目的を達成したし、教育の変化に関心がある保護者にとってもイメージはわかりやすく伝わったと思いますが、学校経営者にとっては、どれも難しかったと思います。

★というのも、武蔵の例も、武蔵野大学の例も、桐蔭学園の例も、北原さん(子どもの理科離れをなくす会代表)がコーディネートしている明法の例も、学校経営者にとって、学校全体を考えたり、カリキュラムマネジメント全体を考えると、どれもハードルが高いものばかりだったのです。

★武蔵の例は、武蔵という学問的な授業やゼミの伝統がすでにベースになっているので、それをすぐに真似することはできないでしょう。武蔵野大学の魅力的な外部団体と現場の教師の協働活動も、コストと人材育成のことを考えれば、なかなかハードルが高いわけです。

★桐蔭学園の例は、すべての教科の授業に「習得・活用・探究」という学びのループを埋め込み実施するというものです。ですから北原さんのような高度な課題解決型の探究を目的にしていないわけですが、すべての教科の授業にという発想は、組織的な壁があり、すべての学校でいますぐ行うのは難しいですね。

★北原さんの高校から大学へ接続するのではなく、大学から高校へ接続する学術的な基礎研究を前提にするプログラムは、魅力的だし、AP的発想だから実におもしろいのですが、どこの学校でもすぐに真似ができるわけではありません。

★佼成学園の理科の探究授業と佼成学園女子のグローバルな探究の例もビデオで流されました。登壇者はすばらしいといいつつ結構ここは違うと言っていましたが、おそらくこの両校の取り組みが最も導入しやすいモデルだったでしょう。

★川添健教授(慶応SFCの総合政策部前学部長)は、今回の高大接続改革にあたって、今の高校の授業を変えなければならないという前提で立ち上がったのが探究で、そもそもその前提でよいのかねと半分いいかけて、NHKの番組になるということを意識してかすぐに穏やかに、どのモデルもすばらしいと切りかえしていました。その刹那がおもしろかったですね。番組ではどう編集されるのでしょう。

★川添教授のような改革の枠海の設定を問い返して、探究のプロトタイプを作成しているということをわざわざ表明する登壇者が1人もいなかったのは、彼らがそれを考えていないということではなくて、文科省、経産省、NHKのねらいという前提があるからやむを得なったということかもしれませんね。

★いずれにしても、探究とかPBLがオプションで行われるにしても、各教科の授業全てで行わるにしても、こんなに広がったのだという雰囲気は、2011年に21世紀型教育機構(当時21世紀型教育を創る会)を発足した当時の事を考えれば、隔世の感があります。明らかに現場も大きく変化しているのです。

★そして、同時に、同機構の加盟校のPBLや探究活動は、今回拝見した例に比べ、ずいぶんクオリティも高くハイレベルだなと改めて確認できました。もちろん、これは比較優位の事をいいたいのではないのです。なぜ高くなるかというと、今の日本の大学に合わせて高大接続を考えると、脱工業化時代に突入できないまま日本の国力が下がるのは目に見えています。

★そこをなんとかするためにはPBLや探究の活動は世界的水準をもとめなくてはならないし、スタンフォードやMITを崇め奉っていてもしかたがないでしょう。世界中の情報を収集し、フィールドワークをし、世界にインパクトを与えるソフトパワーがあふれでる新しい学びの経験に挑戦するしかないでしょう。

★もっとも、日野田校長は、こういう言い方に対し、もっとカジュアルにワクワクするようなやり方でいきなはれと言うでしょうね。まあ、それは生き方の違いだし、価値観の違いですからどちらでもいいでしょう。Hard Funで進みたいし、学術的なコトを大学に任せる時代も終わったでしょうから、GAFAの風も10年前とはだいぶ違うでしょう。

★いずれにしても、新しいステージが急務であることを改めて確認できる機会をいただくことができました。

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2020年1月13日 (月)

自由と市場と組織と国家(24)聖学院と工学院の思考力入試の新市場創出の革新性 麻布と東大帰国生入試の知のフラット化へ立ち臨む ③

★聖学院の思考力入試は3種類あります。その中で難関思考力入試は、①未知のものに遭遇した時、興味と関心を生み出す問い。②テーマやターゲットを多角的にアプローチするグラフや写真などの資料の提供。③「比較・対照」スキル、「相関関係」スキル、「置き換え」スキルを活用する問い。④①から③まで考える時、レゴに変換して自らの内側から生まれた感じたことや考えたことを可視化するようにする活動。➄創造的問題解決のための問いとその解答を200字で記述する問題。

★などが、すべて統合されています。他のものづくり思考力入試は、②と④が中心に問いがデザインされ、M型思考力入試は、①と②が中心に問いがデザインされていると思われます。すべての思考力入試の最終問題は気づきや問題解決方法などを記述する200字記述の問題が出題されます。

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(クックパッドの本社キッチンホールで、企業と静岡聖光学院と聖学院がコラボして料理について考えるワークショップを実施。思考力入試の問いのデザインは、このような外部との連携のプラグラムにも応用が可能であることが証明された。)

★それから大切なことは、問いの配列は思考過程をサポートするストーリーになっているということですが、直線的に考えていく必要はありません。写真やレゴが挿入されているので、そこはシナリオプランニングは、あくまで生徒自身ができるようになっています。

★前回ご紹介した東大の問題は、いきなり骨太な問いがバーンと出題されます。麻布も最終問題に到達するまでに幾つも問いがありますが、最終問題にいきつくまでの思考過程のサポート問題ではなく、最終問題に関連する知識問題が中心です。テーマに対して多様なネットワークを拡散して最後に一気に収束するというスタイルです。

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★東大の問題にしても麻布の問題にしても、その問いを考えるには、自分で多角的にアプローチし、まとめていかねばなりません。難しいのはいうまでもありません。ところが聖学院の場合は、その多角的アプローチは、最終問題に行き着くまでにステップバイステップで出題されるので、考える足場が組まれます。東大や麻布は、思考の足場から組み立てていきますが、聖学院は問いにしたがって考えていくと、足場ができてしまいます。

★この足場ができてしまえば、東大であろうと麻布であろうと聖学院であろうと工学院であろうと、生徒は考えたりアイデアを出したりできるのです。何を言っているんだ?足場を自分で作れるかどうかが重要なんだろうと。今まではそうだったかもしれません。だから0.01%の生徒しかできなかったのです。

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(内田先生は、他校の先生方と聖学院の≪Z世代≫世代生徒といっしょに新しい学びのプログラムづくりのワークショップを実施。外部ネットワークとZ世代を結びつけるプラットフォームの可能性を証明したのです)

★工業化時代や修正工業化時代の感覚では、そう感じるかもしれません。しかし、本格的な脱工業化時代は、足場をつくる技能部分は、脱技能と化するのです。実はこの技能は、環境差なんです。中高時代の前の家庭や小学校、就学前の学びの環境がどうだったかというのは、知る由もないはずですが、その環境差を選抜するのか、同環境という条件を整えて、思考力を選抜するのか、それは学校が選べばよいことです。

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★それなのに、その環境差を見る視点だけで入試問題を作成してきたことが格差社会をつくってきたことの原因でないわけではないのです。内田先生はシステム思考やSELを研究し、新しい評価システムを探究してきたわけです。

★AI社会は、その脱技能を促進し、思考力やアイデアを互いに出し合う次元にシフトします。聖学院の思考力入試は児浦先生と内田先生の外部ネットワークや本格的な学習理論や心理学の導入によって、東大や麻布という0.01%の世界を多くの生徒とシェアする学びの世界を生み出しているのです。

★これによって、市場の非対称性の解消、組織の強い階層構造の緩和に影響することでしょう。軍事力から経済力へ、経済力から知の力へと近代化の進化は展開しています。21世紀は知の力ですが、修正工業化社会の段階では、まだ知の格差が残ります。しかし、脱工業化時代には知のフラット化が起こり、世界中の子供たちがそれを共有化できます。

★そのうえで、個々の才能が多様に開花するわけで、この段階をもってして個別最適化の学びということになるわけです。

★まずは東京の私立学校が、このような思考力と共感的コミュニケーションを育成する場をコアコンセプトとしてプラットフォームを広げていく希望を、児浦先生と内田先生が創出しているのです。

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自由と市場と組織と国家(23)聖学院と工学院の思考力入試の新市場創出の革新性 麻布と東大帰国生入試の知のフラット化へ立ち臨む ②

★たぶんザッカーバッグも、私たち日本人も首都圏、特に東京に私立中高一貫校が200弱集積している事態を知らないでしょう。そしてこのことの未来への歴史的意味を考えることもあまりしないでしょう。実は毎年、東京の私立中高一貫校(高校からの入学はここでは除きます)最低でも250億円が注がれています。6年間だと1500億円が投資されています。各私立学校もそのことを意識はまだしていません。

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★なぜなら、大学合格実績ランキングという優勝劣敗主義の暗黒面に足元をすくわれているからです。本来は柔らかい理念共同体というのが私立中高一貫校の特徴で、それぞれの理念や校風の精神が私学のコアマインドで、その差異で生徒や保護者は学校を選んできました。もちろん、それは戦後新自由主義へ収束するリバタリアン社会では通用しないので、地と図をひっくり返して、大学合格実績を図として前面にだし、精神を地として背景に沈めました。

★そんなことをやっているういちに、すっかり暗黒面に支配されるようになりました。そんなとき、聖学院が光と共に現れたのです。

★また、本間は妄想を語るのか!と一蹴されるかもしれませんが、ちょっとだけお時間をください。上記の昨年の東京大学文Ⅱの問題をまずみてください。エッ!東京大学ってこんな問題を出題していたのと思うかもしれませんね。昔から出題していたのです。でも東大にたくさんいれる学校の先生方もスルーしてきたでしょう。

★なぜなら、これはいわゆる帰国生の入試問題だからです。帰国生はこのような思考力問題にむけて学ぶ環境があるわけです。しかし、一般生は、今までなかったのです。

★この問題は、IB(国際バカロレア)のDPプログラムを経て東大にチャンレジしてくる生徒を意識して東大は作成しています。このような問題に向けて学ぶ経験をする生徒は、日本の同世代(全国の高3生)の0.01%です。これは麻布の入試問題を学ぶ環境を中学受験時代に体験している生徒もやはり同世代の0.01%です。この0.01%の中からさらに選抜されるのです。

★今、公立中高一貫校などでもIBコースを創ています。その他IBコースを持っている学校も含めると140校弱ですが、IBのDPコースで学んでいる生徒はやはり同世代の0.02%くらいでしょう。

★そんなところをだれが関心を持つでしょう。余程のエスタブリッシュな家庭でなければ見向きもしないでしょう。実は私立学校同士でも、麻布の入試問題をみてみようなどという教師は存在してこなかったことでしょう。だって、0.01%でなくても、2%の生徒が選択する学校ですから。危機感ないですね。大学合格実績ランキング競争をしていればよかったのです。

★ところが、やはり20世紀末から黒船はやってきたのです。日本人のタンス預金をねらって、海外大学が進出しようとしてきました。なかなかうまくいかなかったのですが、諦めません。

★1989年以降、グローバル社会の浸透力が広がるのにしたがって、日本にやってくる留学生も、紆余曲折ありましたが、増えています。同時に海外で活躍するグローバル企業が増え、帰国生も増えています。

★日本の各大手塾が、焦って、海外で塾を開設し、帰国生を中学入試に接続しはじめたのも、21世紀になって激しくなりました。2010年ころまでは、帰国生であるにもかかかわらず、日本の学歴社会になじもうと、海外で日本の受験システムの延長上で学んでいました。というか、それは塾予備校の囲い込み戦略です。

★ところが、9.11やリーマンショックや3.11が起こるにつれて、日本のシステムでいいのかというクリティカルシンキングを発動する帰国生やグローバルな家庭層が増えてきました。

★そうはいっても、海外でずっと暮らすわけではない帰国生家族が大半ですから、上記の東大の問題を考える論理的・批判的・創造的思考力を学べる新しい環境がある私立中高一貫校がないか探しはじめました。21世紀型教育を創る会(現「21世紀型教育機構」)が発足したのも2011年でした。

★また、海城が高校生募集を廃止し、その30人分を中学の帰国生入試に切り替えたのもこの年でした。

★ここから、帰国生の中には、偏差値をあまりきにしない生徒・保護者が増え始めました。偏差値を気にしても、現地校で学んだ思考力をベースにした学びの環境のある海城学園のような学校を探しはじめました。

★そしてあれから10年経とうとしていますが、海外大学へ進学する傾向はいろいろな私立学校で増えてきたのです。湘南白百合や海城からもハーバード大学進学者が出るようになりました。しかし、聖学院や工学院からも世界大学ランキング100位内の海外大学に進学する生徒が輩出され始めたのです。

★このことが意味していることは何か?なのです。実は昨年の春の聖学院の思考力入試問題と麻布の社会の入試問題は、上記の東大の帰国生入試問題と同じテーマを扱い、同質の問題が出題されているのです。

★この意味は、0.01%の生徒にしか関係なかった思考力の学びの環境をフラット化させるダイナミズムを聖学院が生んだということを意味します。もちろん、工学院もそうですが、特にここにきて、聖学院の思考力入試はそのことを鮮明に表現し始めたのです。

★もし、このことをザッカーバーグが知ったら、なんだ思考力プラットフォームを私立中高一貫校で創って、1500億円を有効活用したほうがいいんじゃないというでしょうね。そんな知の集積場と資金集積場が一致している場所は、世界でも類例を見ないのだから、もったいないでしょうと。

★いわれるまでもなく、聖学院の児浦先生と内田先生は活動を開始しています。工学院の田中歩先生とも協働しながら。新タイプ入試の中でも「思考力入試」のミッションは、私立中高一貫校のコアマインドを理念だけでなく、大学合格実績だけでなく、「高次思考と共感的コミュニケーション」マインドでプラットフォームを創る次の次元に移行することであり、「思考力入試」にこだわってはいませんが、広く新タイプ入試をコアシステムとして首都圏中学入試の市場の新しい価値を見出そうとしてしている首都圏模試センターとシナジー効果を生みだしているのです。

★実は聖学院も工学院も首都圏模試センターもそれぞれ独自の「思考コード」を作成し、形成的評価ができる準備もしていますから、なおさらです。

★そんな馬鹿な?0.01%の話だろう?と言いますかね。もう捨てませんかそんな視野狭窄的なものの見方。世界のエスタブリッシュな学校やカナダのBC州の公立学校、フランスのリセなどでは、上記の東大の帰国生入試のような思考力入試問題、つまり麻布の入試問題、聖学院の思考力入試問題むけて学ぶのは、あたり前の学びです。

★それでも、まだまだエスタブリッシュな話ではないか?と言いますかね。もうよしませんかそんなルサンチマン。フィンランドの教育がいいとか、シリコンバレーのHTHがいいとか、言っているくせに、なぜ日本の教育を直視しないのです。フィンランドの総人口は600万人もいないのですよ。

★日本は少子高齢化と言えども、まだ一学年100万人はいるでしょう。この100万人全体が0.01%の知を共有できるシステムを創る動きをしたほうがよいのではないでしょうか。日本は昔から物理的資源がないから人材育成だと言われてきました。その人材育成を高次思考力と共感的コミュニケーション育成にアップデートしましょうよ。

★どうやって、児浦先生と内田先生、田中歩先生などとプラットフォームを創出すればそれはできます。権威者や偉い人を集めるプラットフォームは旧態依然としているからスルーしたほうがよいですね。文科省や経産省も、無駄な税金の使い道を細工するのではなく、どーんとこのプラットフォームに投資したほうがよいですよ。具体的にどんな案がるのか?まずは視察するところからははじめるのをおススメいたします。

★もっとも、クックパッドなど民間がすでに動いていますが。

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2020年1月12日 (日)

自由と市場と組織と国家(22)聖学院と工学院の思考力入試の新市場創出の革新性 麻布と東大帰国生入試の知のフラット化へ立ち臨む ①

★昨日11日、聖学院と工学院は中学校説明会を開催。同時開催で、それぞれ思考力セミナーと思考力入試対策講座を実施しました。聖学院は今回は本橋先生が、工学院は有山先生がファシリテーターの役を果たしていました。本橋先生と有山先生がそれぞれ思考力入試に今もかかわっているというかますます進化しているのは、私個人としては感無量です。

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(聖学院の思考力セミナーの様子。写真は同校サイトから)

★というのも、聖学院は2013年度から思考力入試問題を開始し、工学院は2014年度から思考力入試を開始しましたが、それぞれその当時の制作やセミナー運営をリードしていたのが本橋先生と有山先生でした。つまり、「思考力入試」と名付け開始したファーストペンギン的存在は本橋先生と有山先生という女性の教師だったのです。ここに「思考力入試」の21世紀を拓く女性の叡智の歴史的意味があるのです。

★また、両校とも21世紀型教育機構(当時「21世紀型教育を創る会」:今でも略称は「21会」)の加盟校でしたから、2013年から数年間の21会のセミナーやシンポジウムで行う21会思考力セミナーは、お二人の先生方が協働して制作・運営していました。

★その活動の種まきが、今や多様な新タイプ入試として首都圏中学入試の一大新市場として花開いているのは、歴史の生き証人みたいな感じで、私には感涙ものです。

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(有山先生はファシリテーターをしながら思考力入試の本番さながらの対策講座を開催)

★しかしながら、実は女性が思考力入試を開始したという外延的な意味だけを言っているわけではないのです。本橋先生は、数学の教師で、数学的思考ベースの問いの構造を組み立てていますが、表面的には言語ベースなので、国語の入試問題に見えます。だから、ある大手進学塾やある大手通信添削会社のお偉いさんに呼ばれて説明したとき、国語の問題とどこが違うのだと一笑に付されたのを思い出します。論理的思考も創造的思考の違いも判らず、日本語と記述問題だと認識するや浅薄な判断をした彼らのドヤ顔を思いだすたびに少々怒りが込みあがてこないこともないのですが、しばらくしてあのときに組んでおけばよかったという噂を耳にしたとき、思考力入試は広がるなと確信したことも同時に思い出し、今ではすてきな思い出の一コマです。

★その後、児浦先生や内田先生が現れ、本橋先生と伊藤豊先生とスクラム組んで、思考力入試は大進化しました。思考力入試については今でもある大手進学塾のように冷ややかにみたり好きでないと揶揄する人もいます。しかし彼らは、脱工業化時代の新しい学びの経験を生み出す世界標準の文脈を見ようとしない視野狭窄的なかつ学歴主義擁護というナションリズム的エゴイズムである言動をはいていると地球市民的見地からみなされていることに気づいていません。

★しかし、今や首都圏模試センターの懐の深い中学入試のパラダイム転換のミッションとシンクロし、新タイプの1つである思考力入試の支持者もかなり増えました。

★そうそう、本橋先生と有山先生という女性の先生がファーストペンギンだったことの意味を考えている途中でした。話を戻しましょう。実は本橋先生は数学の教師ですが、高校から大学まで米国で暮らした留学生です。英語力は抜群で、英語教師もできてしまうでしょう。なおかつ東南アジアの諸国をフィールドワークする多言語主義的文化人類学的素養ももっています。さらに、トポロジーと黄金比と白銀比の発想を古都を巡りながら神社仏閣を訪れ、広め深める「道」の人でもあります。今でいう多重知能の「探究」の人だったのです。

★有山先生も、多重知能の「探究」の人です。国語の教師ですが、図書館司書教諭で、大学院で学び続け、したがって英語もできますが、大学でも講義をしています。図書館という人類の知と感性の集積をどのように多くの人と共有していくのか研究しているのでしょう。その研究のメソッドの1つである「デザイン思考」は、工学院の講座として有山先生は開講もしているぐらいです。工学院の図書館をアナログとデジタルの交差する知のスクランブル集積スペースに大転換させていもいます。

★おわかりでしょう。思考力入試を揶揄したり嫌いだという人は、このような多重知能の「探究」の人ではないから嫉妬しているのです。しかも、この嫉妬は個人的なものでありながら、放置しておくとルサンチマンとして時代のネガティブな気分をつくり、Z世代の生徒の未来の希望を打ち砕く暗黒面を造り出します。

★児浦先生や内田先生は、ジェダイマスターとして、この暗黒面と勇猛果敢に闘っているわけです。ある意味首都圏模試センターもそうでしょう。暗黒面の暗闇を払拭する歴史的意味がまずは、思考力入試のミッションだったのです。

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2020年1月11日 (土)

自由と市場と組織と国家(21)和洋九段女子のPBL 新しい女性の世界を生みだす拠点

★和洋九段女子のように、女子校で、ここまで徹底してどの教科の授業でもPBLを貫徹しているところはありません。PBLは、互いに考え方や見方が違う生徒同士が議論し、気づきを得ます。そしてその気づきを論文やプレゼンに必ずまとめるので、視野の広い感性や知性、そして高次思考力を育成します。

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★1人1台タブレットを有していますから、高度な編集スキルも自由自在です。

★そして、まだ21世紀型教育改革を行って3年しかたっていないので、大学進学実績には直接は結びついていませんが、海外のAPプログラムのコミュニティに加盟し海外大学への学びも射程に入れています。海外大学への学びは、PBL環境が最適だからです。

★また、SDGsの活動も盛んです。SDGsに取り組んでいる企業や国連などの団体と連携してSDGsを学び、どう社会に活かしていくかその活動領域を広げています。

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★そして、その広がりは、当然海外にもつながるので、同校のもともと行ってきたグローバル教育とのシナジー効果も生まれています。

★各教科のPBL授業の中で海外大学に進学する骨太の学びの構えができ、国際貢献に自ら乗り出す新しい女性が生まれる機会に満ちている雰囲気も和洋九段女子にはあるのです。

★世界経済フォーラム(WEF)が毎年報告している男女格差ランキングによると、日本は153カ国中121位で、昨年110位から下降し、過去最低となったと昨年末報道が流れました。

★日本がますますひどくなったというより、海外の動きがジェンダーギャップを解消する動きに出ているのに、日本社会は動いていないということなのでしょうが、このまま放置しておくわけにはいきません。そんなとき和洋九段女子の生徒が国内で創造的活動をするだけで、実は国際貢献をしてしまうという状況が日本固有の特徴としてあるのです。

★女子生徒は、このまま日本社会の男女格差を甘んじて生きて行くのか、世界を巻き込んで問題を創造的に解決して生きて行くのか。女子生徒にとって、中学入試は、大きな選択意志決定の機会です。

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自由と市場と組織と国家(20)桐朋女子の中学入試問題 思考力の根本から出発

★いかなる悪条件下にあろうと、悪循環の事態が起こっていようとも、そこで鬱屈することなく、屈することなく、諦念することなく、希望を、生きる意味を見出せる創造的な才能が、新しいシステムを創り出す才能が、周りを巻き込み、新しい世界に導くリーダーシップがあれば、Z世代の未来が拓く希望はあるでしょう。

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★何をそんなに大げさなと言われるかもしれませんが、世界はリスク社会の大膨張時代にはいっています。ことは日本の事だけではありません。むしろ、日本にだけ目をむけていると、このリスク社会大膨張時代の事態に気づかないかもしれません。

★しかし、そんな窮屈なリバタリアン社会だからこそ、逆手にとって、自由な空間を創ることはできます。私立学校だったり、塾だったり、学びの場を創り出すことはできます。リバタリアンは、自由は大好きです。でもそれが非対称的な格差を生み出すことには無関心です。そこは極めて問題だし、その中で、優勝劣敗主義で生きて行くと、悪循環のシステムにからめとられていきます。

★自然破壊は相変わらず放置され、学歴社会のような格差社会は強化され、人間精神は崩壊していきます。そして世界に目を向ければ、そんな日本は国際社会から評価されず、非難され続ける存在になるでしょう。

★ここを抜け出るには、しかし、強い監視社会や権力行使社会ではないので、自ら自由な空間を創ることはできるのです。その空間を創っているのがいくつかの私立学校ですが、桐朋女子もまた、この悪循環社会を脱する社会をデザインできる知を生み出す自由な創造的な空間を創っています。

★それは、桐朋女子の中学入試問題を解いて考えてみればわかります。知識がなければ解けない問題を出題するのではなく、ない場合でもどうやって考えていくのか思考の根本に立ち戻るところから出発する問いが投げかけられているのです。

★私は、この≪自由な創造的空間≫を創っている私立学校の先生方や塾の先生方とこの思考の根本から出発できる能力を子供と生徒と共有できる≪新しい学びの経験≫を生み出していますが、そんなときのテキストとして、桐朋女子や麻布の中学入試問題だったり、聖学院や工学院の思考力入試のメソッドも参考にします。

★最近、いくつかの私立小学校の先生方や私立中高の先生方とは、これらのメソッドをベースに、ハーバード大学の知見や文化人類学の知見などをICTを介して生み出す活動をしています。

★また、GLICCで鈴木氏、福原氏、神崎氏と協働してクリエイティブコースを開設しています。そこで、桐朋女子の中学入試問題を活用する時もあるのですが、たとえば「一定」という概念を、身体感覚をまず通して直観に変換する思考の根本から出発していることに気づかされます。これを麻布の入試問題と掛け合わせると、「限界」という概念を直観化できます。そのとき数学的思考の「=」ということについて考えることにもなるのですが、小学校4年生といえども、複眼思考を嬉々として発揮するのです。

★おそらく、この身体感覚で全体感を感じ取り、それを身体化し直観に転換するスピードはAIもまだまだ追いつかない思考の根本かもしれません。

★レヴィ・ストロースに言わせれば「野生の思考」ということでしょう。≪自由な創造的空間≫の≪自由≫とは、工業化時代における非対称性を生み出す層の「自由」とはわけが違います。悪循環社会を好循環社会に変える≪自由≫です。権力者のための自由ではなく、希望の自由です。

★桐朋女子の自由をベースにした教育は、この希望の自由を教師と生徒が大事にしていく教育でしょう。その一つのエビデンスが同校の中学入試問題です。やはり入試問題は学校の顔なのです。

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2020年1月10日 (金)

第15回 模擬授業と授業評価

■2020年1月10日(金)3時限目

テーマ)模擬授業を通して形成的評価をするために思考コードを活用する。

サブテーマ)
・10の学習者像は授業評価に含まれるか?
・問いを生み出す「学習ツール」の意味は?
・生徒の複眼思考と情意的豊かさを活用できる授業か?
・思考スキルと問いと授業評価との関係は?

思考スキル)

比較
根拠
カテゴライズ
具体化
抽象化
置換
変換・転換
矛盾・逆説
統合
文法・計算
インプロ(Improvisationは英語のみならず創造的思考において重要な能力)

授業用思考コード)

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自由と市場と組織と国家(19)八雲学園G-STEAMに突入。e-sports部設立の動き。

★八雲の変容が激しい。もちろん、伝統は日々変化にチャレンジすることによって守れるのだという信念があるのは、このシリーズで紹介しているのですが、そう書いているうちに、またまた進むというのが八雲の特徴ですね。

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(写真提供は菅原先生から)

★何が起こったかというと、高等部長菅原先生によると、「共学1期生(中2)の男子が、以前近藤校長にe-sports部発足の直訴プレゼンをしたという話をこの間したと思いますが、ついに本日我々教員全体の前でプレゼンするという機会が訪れました」というのです。

★八雲学園は、グローバル教育を突き詰めて、ラウンドスクエアなどのネットワークで、頻繁に交換留学などしているわけですが、そこで生徒が刺激を受けて、いろいろな要望をうったえてきます。そのとき先生方はどう対応するか議論していくのです。こうして、いくつかの要望が実現していくのですが、今回もまさにSTEAM領域の要望でした。

★近藤隆平先生は、八雲学園でSTEAM教育すべてをできないので、STEAM留学をしかけていくと昨年12月に話していたばかりです。そのときは、グローバルの次にSTEAMを整えていくのにすこし時間がかかると語っていたのです。

★それが共学1期生の中2の男子がいよいよ動き始めたわけですね。速い!プレゼンテーションは普段の授業で八雲学園が力を入れているので、このような活動を行うのは、本人としては当然なのでしょうが、菅原先生によると、「本人は、肩に2tくらい何か乗っかってます…と言って緊張もしていたようですが、なかなかどうして初めての大勢の大人の前でのプレゼンにしては立派にこなしていたように思います」ということでした。こう語るときの菅原先生の温かい笑顔が思い浮かびます。

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★また、「彼は3月にはRound Square地域会議で韓国に派遣される予定になっています。こうした経験がいい積み重ねになってくれればな…と思います」ということでした。G-STEAMの体現者が共学一期生の男子から誕生したわけですね。

★それにしても、e-sports部のメリットや目標は、ネット上で海外の仲間と英語でコミュニエーションする効用や思考力・判断力・瞬発力を鍛える点などをきちんと説明していたようです。また、男女の体格差に関係なく同じルールでスポーツができるというジェンダーギャップの壁をぶち破るビジョンも有していたということです。共学化の大きな成果でしょう。

★イエール大学との国際交流が、ミュージカル部である「グリー部」誕生の契機になりました。部活が軌道に乗るまで2,3年かかりましたから、e-sports部も、まだまだ説得活動やロビー活動、仲間を巻き込むなど起業家精神を鍛えながら成立していくのでしょうが、貴重な経験であることは間違いありません。八雲学園の≪Z世代≫生徒の今後の活躍に大いに期待しましょう。

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2020年1月 9日 (木)

自由と市場と組織と国家(18)創造主義志向の意志そして実現力が生まれるエネルギーが充満し始めた聖学院

★予測不能な事態だろうが不確実性の状況だろうが、どんな悪循環の矛盾した社会だろうが、いやだからこそそこに勇猛果敢に立ち臨む勇気を揮い世界を変える人材が育つ学校があります。聖学院がそれです。

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★この勇猛果敢な勇気ある高邁な精神こそ内面からほとばしる賜物であり、それは超自然の力の働きかけに日々触れることによって生まれ出るのです。世にいう「主体的対話的で深い学び」とはまだまだエゴの範囲からでるものではありません。

★主体は内面から生まれる自分軸などではないのが聖学院。主体とは内面に働きかける人知を超えた語り得ないものとの出会いからほとばしるのです。対話は、自分を超えるとてつもない大きなエネルギーと語ることによって、自らのミッションが内面の光となるのです。深い学びとは、果てしない本質の森を無限に歩み、悩み、友と出会い、賢者に導かれ、再び孤独になり、疲れ果てて地に伏してしまうでしょう。しかし、ふと顔をかなたに向けたとき、一筋の「道」が開けるのです。その道は、そして、果てしない旅を導く光と化します。

★リバタリアンな新自由主義的市場やそこを欲しいままに私物化する一握りの組織が牛耳る世界。そこを全く別次元の世界に導くジェダイマスターとジェダイジュニアが集結する前代未聞の聖なる学校。また本間は妄想を語っているのだと思う方も多いでしょう。あなたは、しかし本物の存在を見ようとしない。ただ自分事という言葉遊びをしているだけです。たんにエゴという話でしょう。そう言ったら怒りますか?もし怒りを感じれば、それはやはり自分事ではなかったということです。

★自分事とは自分を超える人々と共にあり、その奇跡を感じることができる存在に出遭うことだからです。

★2020年、聖学院に集まる清く強く隣人愛にあふれるフォースを感じることになるでしょう。光あれ!あなたの目が開きますように。

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自由と市場と組織と国家(17)創造主義志向の意志が生まれる:工学院の田中歩先生チーム・麻布・八雲・首都圏模試➄

★工学院は、明治以来20世紀社会、特に工業化時代の側面を構築するのに貢献する人材を輩出してきました。それゆえ、脱工業化時代にシフトするのは組織上はなかなか難しいのは誰もが理解しやすい状態でしょう。しかしながら、シフトしないわけにはいかないのは、理事会当局もわかっているでしょう。しかし、今すぐ20世紀社会が21世紀社会に完全シフトするわけではありませんから、意識の高い50代以上のスタッフは別として、伝統を守りながら革新も少し動くという戦略になりがちです。

★そこに6年前に外部から平方校長が就任し、強力なリーダーシップを揮ったものですから、伝統と革新の葛藤は凄まじかったですね。そこを共感的にコミュニケーションによって、葛藤を変容のエネルギーに転換していったのが田中歩先生です。もちろん、歩先生一人ではなく、多くの仲間がいましたが、強権を一切発動しないで、全体のアップデートを静かにしかし急激に行ったのは歩先生のリーダーシップは大きな役割を果たしました。というより、現在進行形ですが。もう少し時代が進まないと世の中は認識しないでしょうが、田中歩先生は脱工業化時代のニュータイプリーダーです。

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★さて、そんな中で八雲学園もいよいよ頭角を現してきました。八雲学園は工学院と違って、伝統という出発点がはじめから戦後アメリカプラグマティズムの流れを汲んでいるので、工業化時代を批判して、脱工業化時代を発想する流れをとりこんでいました。ですから、学校全体が、米国プラグマティックなグローバル教育がベースです。

★だから、受験業界がグローバルクラスを別にしたほうがよいとか、なぜ帰国生クラスをつくらないのかとアドバイスしても、そこはプラグマティックですからしっかり耳を傾け、往なし続けてきました。なぜかといと、米国プラグマティズムベースの世界標準のソフトパワーしかとりいれないという信念があったからです。

★そして、教育の総合力で勝負していましたから、進学指導など、そこはプラグマティックに、生徒の要望にこたえる形で調整してきました。しかし、はじめから米国プラグマティズムがベースですから、東大ピラミッドの学歴社会で勝ち組になろうという発想はまったくもちえていなかったのです。というか眼中になかったというのが本音でしょう。

★ですから、とにかく全クラスグローバル教育を推し進めました。米国のエスタブリッシュスクールの姉妹校ケイトスクールの伝統を受け入れていったのです。あらゆるものをといれたし、八雲学園の「道」の教育はケイトスクールにも影響を与えました。

★したがって、思考コードのように進化途上でまだ世界標準になっていないものは取り入れません。しかし、それは必要だったのです。ただ、こればかりは、生徒が必要性を教師に訴えることはないので、対応できません。八雲学園はプラグマティックですから、世界標準の本物という理想と生徒の要望という現実の調整は俊敏にしていきます。しかし、思考コードはまだ世の中に広まっていなかったのです。

★ところが自体は変わってきました。エール大学と国際交流することによって、そのレベルを生徒が要望しはじめたのです。先生方は瞬時に動きはじめましたが、そのとき気づいたのです。CEFRでB2レベルを目指していては、生徒のこの要望に応えられないと。

★そんな折、近藤隆平先生という米国大学留学経験のある英語教師が現れたのです。近藤理事長・校長の長男で、このタイミングを読んでいたかのような、壮大な八雲進化計画だったのかもしれません。

★近藤隆平先生はすぐに世界を飛び回り、ラウンドスクエアという日本人はほとんど知る由もない世界のエスタブリッスな私立学校のコミュニティに加盟する準備を行いました。ケイトスクールももちろん加盟校です。このコミュニティにはいるには、CEFRレベルでC1は当たり前なのです。別に英検1級合格者をたくさん出すことが目的ではなくて、C1レベルのグローバル教育の環境デザインがポイントです。そもそもCEFRテストは存在していません。英検1級などという指標は便宜上の指標です。

★実は田中歩先生がC1レベルの視点からハイブリッドインタークラスのカリキュラムをデザインして、そうでないクラスには、思考コードでC軸思考を育成するカリキュラムをデザインするチームをつないでいったという話を思い出していただければおわかりいただけるのですが、八雲学園の場合は全クラスが実質グローバルクラスですから、C1レベルの英語教育を注いだ時に、すべてのクラスが思考コードでいうC軸思考も学べる環境に一気呵成になってしまったのです。

★もともとCEFRのルーブリックはブルームのタキソノミーを参考にしています。したがって、B2を目指しているとC軸思考が視野に入らないのです。ところがラウンドスクエアの加盟校はクリティカルシンキングとクリエイティブシンキングは当たり前なのです。そして、欧米は、どちらかというと言語=思考一元論で、英語はコミュニケーションのツールで、思考は別の内面的な現象だとセパレートして考えません。

★日本の英語は、B2どころかA2くらいを目標にして英語教育を行ってきましたから、言語と思考は別物だったのです。

★麻布も思考コードは使いませんが、明治時代以来の≪官学の系譜≫と対峙してきた創設者江原素六は、アメリカプラグマティズムとフランス人権思想の発想と論語の見識を融合させた精神の持ち主でしたから、もともとC軸思考をふくむ知の巨人でした。今でも麻布に入学した300名は、沼津の江原翁の墓参をします。その際に、麻布文庫の江原素六の伝記を読んでから行きます。当然創設者の大きな知の精神を受け継ぐものとして自負があるわけです。

★明治期の富国強兵・殖産興業が生んだ工業化時代に警鐘を鳴らし、ローティのような視点で自由をかたりつないできた麻布です。そもそも脱工業化時代の準備の拠点だったのです。

★かくして工学院は日々新しいものにチャレンジしながら新しい伝統を創っています。八雲学園は伝統を守るには、日々新たなチャンレンジをしています。麻布は伝統そのものを持続することが即革新だったのです。

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自由と市場と組織と国家(16)創造主義志向の意志が生まれる:工学院の田中歩先生チーム・麻布・八雲・首都圏模試④

★開成と麻布の偏差値合格分布をみると、開成に比べ麻布はバラツキがあるということは何を意味しているのか?それをタキソノミーという切り口で考えていくことで、「思考コード」を創っていったというのが工学院のチーム田中(6年前の当時TOKと呼ばれていた)でした。ブルームのタキソノミーはその後多くの研究者でアレンジされていったので、工学院でも同校の校訓に合わせてアレンジしていました。

★ここでは、首都圏模試センターがアレンジした思考コードのタキソノミーを使います。工学院の思考コードは中学入試問題を分析するものではないのですが、作成経緯の段階で使っていたのは、首都圏模試センターのものに近かったので再現しやすいからです。

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★模擬試験を受けたとき、「A軸思考:知識・理解」の問題の正答率のグラフ、「B軸思考:応用・論理」の問題の正答率のグラフ」、「C軸思考:批判・創造」の問題の正答率のグラフを並べて、そのタイプを表現したのが上記の図です。首都圏模試の思考コードの縦軸はここでは使っていません。

★今では、これは模擬試験のデータで首都圏模試センターは証明できていますが、当時は仮説として立てていました。A・B・C軸思考すべての正答率が高い生徒はやはりいるものです。万能タイプですね。どの学校でも合格するのは当然です。

★しかし、それは首都圏中学受験生の0.3%くらいの話ですから、基本は、開成はABタイプが多く、麻布もABタイプが多いのですが、中にはBCタイプが混じるということです。

★このABタイプこそ20世紀社会の工業化時代で、勝ち組といわれる知の在り方です。正解主義―成果主義の知の象徴です。しかしながら、開成の生徒はピアノを弾く生徒も多いし、弦を奏でる生徒も多いですね。それは家庭層の価値志向の影響です。

★ですから、C軸思考も養われているように見えますが、それはあまり学校教育の影響ではないでしょう。

★ところが、麻布は、開成のようにABタイプも多いのですが(現在麻布が若干困っているのは、ABタイプの中の偏差値の高いのが開成、開成に受からないのが麻布を選択するという偏差値輪切りの指導がなされる傾向。従来は理念や校風で選んでいたのにと)、BCタイプも結構いるのです。

★BCタイプは模擬試験ではA軸で得点がとりにくいし、どうしても模擬試験はA軸問題が多いので、偏差値はそれほど高く出ません。ところが、麻布の過去問を自ら戦略的に学ぶと、合格点をとることができるのです。なぜなら、開成に比べ、A軸問題で難問というのは出題されないし、B軸問題が中心です。これはBCタイプにとっては戦略が立てやすいわけです。

★工業化時代はまずA軸思考を鍛えてからB軸思考を鍛えるという順番でいき、C軸は個人の才能に任せるといことで、そこは開発しないまま終わっていたわけです。ところが、C軸から必要に応じてA軸思考をゲットしていくという順番もあるのです。C軸には批判的思考という論理的思考を前提にしますから、C軸を開発していくと、B軸思考も成長するのです。

★しかし、模擬試験や開成の入試問題では、A軸思考の充実や高確率のB軸思考でなければ、合格できないのです。はいってから、その不足部分を豊かにしていくという機会が選抜試験の段階で奪われてきたのです。それが麻布では、その機会をある程度つくっている思考力型の入試問題を、4科目の中に埋め込んでつくっていたのです。麻布の自由な校風の中で、ABタイプはC軸思考を豊かにし、BCタイプは不足していたA軸思考を豊かにしていけるのです。

★ところが、中学受験業界は2011年ころまで、一般にABタイプかAタイプしか合格できないシステムだったのです。そこに公立中高一貫校の適性検査が中学受験市場に参入してきて、潜在的万能タイプを掘り起こしていったのです。

★このあたりから適性検査型の新タイプ入試というのが誕生し、2013年以降に麻布型の思考力入試を聖学院、工学院が制作しはじめ、今では新タイプ入試が首都圏中学入試では市場拡大をしています。この背景には脱工業化社会への準備というのがもちろんあるわけです。首都圏模試センターの戦略的新市場創出と言ったのも影響したでしょう。

★そうはいっても、工学院が麻布型入試をいきなり作成するわけにはいきません。2科4科のABタイプとAタイプの生徒が入って来てから、C軸思考を育成する新しい学びの環境をつくることにしたわけです。そして、BCタイプの受験生はまだそれほど多く工学院にチャレンジしませんから、Cタイプの受験生に入学の機会を設けました。それが「思考力入試」です。入って来てからは、ICTによってA軸思考を補填するデフォルトモード授業を創っていったのです。

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★このBCタイプとCタイプを比較すると、実は上記のグラフのように、偏差値では麻布合格可能性が低いタイプ、偏差値では工学院合格可能性が低いタイプという違いがはっきりします。これは聖学院の思考力テストでも同じことが言えます。2015年ころから開始したときは、学内外で基礎学力はどうなのだと喧々諤々でしたが、今では、特に聖学院は、Cタイプの生徒が学内の成績トップ層を占めるほどになっています。

★工学院の場合は、ハイブリッドインタークラスといって、もともと偏差値という尺度が眼中にない集団が合流して、大活躍しています。

★それゆえ、チーム田中はCEFR(ハイブリッドインタークラスが最初は中心だった)と思考コードの融合を果たし、C軸思考を開発したり、Cタイプの生徒のICTによるA軸思考をデフォルトモード戦略で豊かにしたり、戦略的カリキュラムデザインを確立していくことになります。

★この脱工業化時代への準備は、大学合格実績を第一義の目的にはしていませんが、結果的に出てしまうのです。それは2021年に21世紀型教育改革1期生が卒業する時に明らかになりますが、すでにプレ改革段階で、つまり2020年の春にその兆しが現れるでしょう。すでに、GLICC主宰鈴木氏がブログ「【速報】工学院の海外大学合格者数躍進!」で記述しています。(つづく)

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2020年1月 8日 (水)

自由と市場と組織と国家(15)創造主義志向の意志が生まれる:工学院の田中歩先生チーム・麻布・八雲・首都圏模試③

★福原将之氏が「Society5.0は脱工業化社会」という論考を連載中です。脱工業化社会に進む前に、20世紀社会を産業の側面からみた工業化社会について、わかりやすく論考しています。それによると、工業化社会の特徴の1つは、規格化であり、それは学校における学習指導要領による規格化につながるあるいは重なると記述されています。

★それでは脱工業化社会ではどうなるのか?詳しくは今後論じられるでしょうが、規格化から解放されるということになるのは予想するに難くないでしょう。ということは学習指導要領も変わるわけです。そんな社会変容の背景が「主体的・対話的で深い学び」にはあるということですね。

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(チーム田中の1つTGプロジェクトで対話する田中歩先生。このときはジェネレーターの役割も果たしている。)

★規格化から脱規格化、画一化かから脱画一化=個人化という流れが、ICTが学校教育にはいってくることによっていっそう拍車がかかるわけだし、すでに先行しているところがありますが、その代表格が工学院大学附属中学校・高等学校です。同校は、日本で最初にできた私立の工学系大学です。ですから、学校自体が工業化社会から脱工業化社会への転換を体現しています。それゆえ、20世紀社会から21世紀社会にシフトしたときにどう変容していくのかリサーチすることは歴史的にも社会学的に文化人類学的にも大切なのです。

★当然、伝統ある日本の工業インフラ、建築インフラ、生活インフラのすべてにかかわる人材を輩出してきたわけですから、同校も例外なく伝統と革新の葛藤が半端じゃないのです。三田国際のように全く新しい環境から出発できれば、伝統と革新の葛藤はありません。革新しかないわけですから。もちろん、革新の捉え方で学内は常に議論が盛り上がり、それが葛藤を生むこともあるでしょうが。

★さて、中高において学びが規格化から脱規格化するということは、学びのスタイルが一方通行型授業から双方向型というか工学院ではPBL授業と呼んでいますが、そこにシフトするのは当然です。

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(田中歩先生はプロジェクトではリーダーでありファシリテーターでもある。見守る眼差しが温かい)

★しかし、スタイルが変わることが大切なのではなく、PBLに変わることによって、知識力観や思考力観が変わるのです。知識が重要なのか、思考力が重要なのか?これは伝統的教育か革新的教育か?生徒は将来規格化された世界で生きて行くのか脱規格化された世界で生きて行くのか?みな同じ問いです。

★ところが、日本の学校というのは不思議なところで、自分たちが議論していることが、社会の変化や産業社会の変化や市場の変化や組織の変化と無関係のまま議論されて行きます。なぜなら、中高の教育は大学入試に直結する閉じられた世界で行われてきたからです。隣り合わせの社会や市場や組織のシステム変化、ましてそのすべてのシステムにグローバルなダイナミズムが直結していることなど、想いを馳せる習慣を持っていないのです。

★そこで6年前から脱工業化時代に向けて21世紀型教育への転換を準備した時に、徹底的に先生方は世界にでて世界標準の景色を見る活動を実は生徒と一緒に開始したのです。そのとき一英語教師だった田中歩先生がチーム作りや共感的コミュニケーションのGrowth Mindsetがすでになされていたという偶然が、最初は小さくはじめましたが、CEFRとブルームのタキソノミーをアレンジした「思考コード」を制作するプロジェクトをスータートさせたのです。

★そのときに中学受験業界で公開されているデータのうち、開成と麻布の合格者の偏差値分布などをリサーチし、合格者の偏差値のばらつきが麻布はあるということに気づいたのでした。合格するのに偏差値のバラツキがあるということはいかなる意味があるのか?CEFRもタキソノミーも偏差値とはまったく違う世界の話ですが、その考え方は麻布の入試問題に適合するのです。

★開成は偏差値通りほぼ結果がでるわけです。麻布は必ずしもそうでないわけです。つまり、麻布は偏差値で測れない問いが出題されているのではないか?この発想がCEFRとタキソノミーを結合した「思考コード」に結実します。時を同じくして、この考え方に影響しシンクロした首都圏模試センターは、授業に対するコードではなく、模擬試験を「思考コード」という新しい評価(形成的評価はすでにあるのですが、受験業界では新しい尺度)を開発することになります。

★グローバル教育と思考力(特に創造的思考)という大きな波が脱工業化の知になるわけですが、田中歩先生が英語の教師であり、心理学を学んできたという偶然がまた功を奏しました。

★もし田中歩先生がグローバル教育を推進するリーダーとしてCEFRを取り入れるだけでは、英語科だけが突出し、他教科に脱工業化社会の変容を伝えることはできなかったでしょう。認知心理学的な素養をもっているからこそタキソノミーを融合させる越境知を歩先生は有していたわけです。

★実は、共感的コミュニケーションが成立するには越境知が必要です。この越境知とは実は独立している外延的な各教科のそれぞれの内包的な世界を見つめる目がでなければできないのです。心理学の世界は見えるものの背景にある見えないもの、つまり内包的な世界に気づく視点を探究する学問です。小さくスタートした田中歩先生は、英語科主任となって学習指導要領を超えるケンブリッジイングリッシュスクールへの道を開きますが、すぐに教務主任になって、英語科のみならずすべての教科がつながるシステムをつくるプロジェクトを多角的に生み出していきました。

★もちろん、すべてチーム単位で進んだので、田中歩先生が陣頭指揮をとるというピラミッド型コントロールではありません。共感的コミュニケーションベースの手法で、先生方の内側から、生徒の内側から意欲や意志がわいてくる環境を整えていったのでしょう。当然、いきなり工学院が伝統と革新の融合を完成できたわけではなく、一英語教師、英語科主任、教務主任という田中歩先生の変容は、葛藤の変容の軌跡でもあります。

★それからグローバル教育を行っていても、CEFRのB1レベル当たりを目標としていると、思考コードに飛べないというのが本当のところです。CEFRのCレベル、思考コードのC領域を意識したカリキュラムデザインができないと脱工業化社会に適合できる学びを創ることができません。

★したがって、日本の中等教育が、脱工業化社会に対応できるかというと、そこが自覚的でないとできないのです。経済的にも危うい日本社会ですが、教育力も危うい本当の事情はここにあるのです。といっても大衆は気づきません。市民なら気づくでしょう。日本の国民の意識の質が問われます。この堂々巡りの閉鎖された日本の教育。焦ります。

★しかし、チーム田中、麻布、八雲、首都圏模試センターに<希望>はあるのです。そして、今ここに続く<希望の学校>が増えていることも事実です。(つづく)

 

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2020年1月 7日 (火)

自由と市場と組織と国家(14)創造主義志向の意志が生まれる:工学院の田中歩先生チーム・麻布・八雲・首都圏模試②

★昨年、麻布の平校長に、首都圏模試センターの北氏(同センター取締役・教育研究所所長)と山下氏(同センター取締役社長)がインタビューをしました。途中から別の打ち合わせがあって、抜けなければならないのに、失礼も顧みず同行させていただきました。平校長、北氏、山下氏の寛容さに甘えさせていただいたのです。

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★そのインタビューの様子を拝見して、北氏の引き出し方の真摯さと自然さと巧みさに衝撃を受け、ふとこの仕事をするのは自分では無理だなと感じました。平校長の表情が、北氏の問いかけに、実に豊かな変容を見せてくれたのです。静かに目を閉じながら言葉を選び慎重に語っているかと思えば、生徒についての問いになると、満面の笑みをうかべるのです。

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★そして、麻布の雄大な歴史と生徒の未来への問いについて語る時は、虚空を眺める詩人のように目を輝かせるのです。

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★麻布については、結構知っているつもりでしたが、あまりの奥行が内包されていて、それを引き出す北氏と山下氏の構えに驚嘆しつつ、自分にはできないと素直に感じました。

★そして、9月に首都圏模試センターの「私学の魂」で、北氏が圧巻の麻布論を書き上げたのを読んで、私立学校の情報発信の仕事は自分では失礼だと改めて思い、ここから私自身、この道から引退せねばならないと確信しました。情報発信は、ホンマノオトに限ろうと。ブロガーはブロガーで全うしようと思いました。

★ただ、救いだったのは、私学の魂の中で、麻布のOBが自分が受けたときの中学入試問題を生涯にわたって思い出の一コマとして語り続けるというセクションがあったことです。首都圏模試センターが本気で麻布の学校情報と生徒と教師の頭脳をリサーチしはじめたというのを実感したのです。

★私は、中学入試という分野では、やはり思考コードで入試問題に内包されている問いの構造をリサーチするというのを全うしようと決めました。もちろん、問いの構造を授業の中で展開するPBLのプログラムは学校教育という中で先生方と創っていくという仕事も続けますが、入試問題―思考コードー問いの構造―PBL授業というのは一貫性があるので、バラバラではなく、この一本の仕事をやりぬこうと。

★そうすると、麻布の問いの構造と工学院のチーム田中(歩先生)、八雲学園、首都圏模試センターの共通性が見えてきたのです。もちろん違いもあります。しかし、その違いこそ、実は麻布でも問題の視野に入れていない青年即未来の新しい領域だったのです。

★どういうことか?それは麻布における青年即未来の「青年」は言うまでもなく麻布生に限定されていて、それ以外の受験生は視野に入っていないのです。彼らの未来はどうなるのか?麻布に行かなかったから才能を開発できないのか?個性を発揮できないのか?そんなことはないと平校長もおっしゃるでしょうが、社会システムがそうはさせてくれないのが現状です。

★ところが、この常識を覆す挑戦をしているのが、チーム田中であり、八雲学園であり、なんと首都圏模試センターなのです。そんなことできるわけがないと思われるかもしれません。ところが、そうではないのです。(つづく)

 

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自由と市場と組織と国家(13)創造主義志向の意志が生まれる:工学院の田中歩先生チーム・麻布・八雲・首都圏模試①

★リスク社会という新しい概念を創ったウルリッヒ・ベックは2015年に他界。言語哲学者佐藤信夫は1993年に他界。ネオプラグマティズムのリチャード・ローティは2007年に他界。日本の新しい世界を生み出す思想的梃子として重要な人物でした。しかし、生前、学問的な世界から日本の市民にまでその影響は浸透していませんでした。それゆえ、死によって、日本ではテクノロジーのリスクを超えて新しい社会を生み出すスコープ、外延と内包の相乗効果による新しい表現、デューイを巡る新しい哲学的転回を思考する展開は停滞しています。

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★それゆえ、日本の「自由と市場と組織と国家」のアップデート環境は現状大学にはあまり期待ができません。その象徴的動きが、現状の大学入試改革の停滞ですね。

★しかし、世界に目を向ければ、テクノロジーのリスクを超えて新しい社会のスコープを生み出す大学はたくさん生まれているし、アートの世界では新しい表現をどんどん生み出しているし、カント的な近代以降の主体と客体の関係を無化する新しい思弁的自在論てきな発想が広がっています。それは、文化人類学が建築学・芸術・考古学・哲学を結合する新しい学問が生まれ広まっているし、若手の哲学者がイギリス、アメリカ、フランス、ドイツで新しい哲学のグローバルコミュニティをつくっているところから了解できます。

★テクノロジーやエンジニアリングも、高度思考力と結びついていて、思考なき技術や技術なき思考の段階の日本の大学とは全く違います。何を言っているのか?とお思いでしょうが、USニュースなどのコンピューターサイエンスの大学世界ランキングで、中国、シンガポール、韓国、イギリス、アメリカの大学が100位内にたくさんひしめいているのに、総合的なランキングで100位内に入っている東大も京大も100以下で、100位内に入っている日本の大学は一つもないのです。

★だから高度思考や高度技術そしてアートが当然融合しているのはあたり前という景色が日本にはないのです。そしてこれが英語教育のレベルの低さに起因していること、アートマーケットが小さいこと、啓蒙思想的な19世紀末以来20世紀社会と対峙してきた哲学や社会学、文化人類学のアップデートが捨て去られているところに気づいていないのですね。世界の新しい景色を見ても、それを見ることができるメガネをもっていないのですから当然です。

★では、日本には希望がないのでしょうか?いやあるのです。それはどこにあるのか?中学入試のマーケット30%にあります。その30%のコアになるのが、工学院の田中歩先生チームであり、麻布の入試問題であり、八雲学園のRSグローバル教育であり、首都圏模試の思考コードと思考スキルで形成的評価をシステム思考の切り口で生み出しているところにあるのです。

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★なぜ麻布と工学院、八雲、首都圏模試なのか?偏差値層が違うではないか?と一蹴する方は受験業界の中には少なくないでしょうね。ところが、首都圏の私立中学に入学する人口は、日本全体の同年齢の人口(要するに小学校6年生)に対して、3%です。このエリアをいつもズームアップして微差異を針小棒大に表現してきたのが、学歴社会の罠だったわけです。

★ここに挑戦して新しい社会に挑戦する創造主義志向の意志が育つという意味では、田中歩先生チーム(以降チーム田中と呼びます)、麻布、八雲、首都圏模試、新しい文化人類学、新しい哲学は共通しているのです。この共通する視点は、中学入試内の偏差値の高低では測れません。思考コードというメガネで覗いてみる必要があります。そして思考コードを理解するには、外延と内包のダイナミックな置換ループを思考することができることも必要ですね。外延と内包のダイナミックな置換ループとは、福原将之氏の言葉でいえば、要素還元主義とシステム思考の融合・統合ですね。さて、ここら辺を、次回もう少し詳しく考えていきましょう。

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2020年1月 5日 (日)

自由と市場と組織と国家(12)対話が根付くかえつ有明

★年末年始、世界情勢は緊張がはしっています。トランプ政権と中東の関係は危うさを感じないわけにはいきません。新自由主義の最後の砦メルケルドイツも極右と緊張関係を増大しています。新自由主義というリバタリアン世界Lが崩れることは歓迎ですが、それが保護主義や右傾化するのは困ります。

★そんな中、かえつ有明は、8年前から共感的コミュニケーションを根付かせていますが、その象徴的なイベントが中2生といろいろ経験してきた大人が<対話>するワークショップを開催しています。<学校内開催♩中2生160人と、中高大学生と、色々あった大人との対話の会 in かえつ有明中学校 (東京第8回)>というイベントです。

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(写真は、かえつ有明公式facebookから)

★同校は8年前から、共感的コミュニケーションを教育に根づかせることによって、政治経済社会のリバタリアン世界に取り囲まれている≪Z世代≫の生徒の居場所をつくる意志の力の矢を教師と生徒が一丸となって生成してきました。

★共感的コミュニケーションとは、優勝劣敗主義、功利主義、目的合理主義、比較優位主義の軋轢を鵜呑みにしない居場所主義志向です。

★同校のfacebookによると、中2生と<対話>するいろいろ経験してきた大人の例を次のように列挙しています。

・大阪や九州からもわざわざ来る人
・地獄でクモの糸をつかんだ大人
・一回全部失った大人
・勇気を出して踏み出したら意外と大丈夫だった大人
・みんなと同じことをやらなくてよかった大人
・親の言うことを聞かなくてもなんとかなった大人
などなど 

★地獄でクモの糸をつかんだなんていうのは、今だからユーモアある表現ですが、当時はどんなに苦しかったのか想像を絶しますね。新自由主義的リバタリアン世界に取り囲まれている日本社会の中で、そこから脱してきた大人たちと中2生は<対話>するわけですね。

★8年前と違い、今やかえつ有明に入学してくる生徒は、偏差値や大学合格を第一義の目的にする生徒はいません。もちろん、それらは通過するリアルな話ですが、それはそういう環境があるだけです。その環境に足をひっぱられるのではなく、内省的な自己対話と今回のような共感的なコミュニケーションの場に価値を見出した生徒が入学しています。

★ですから8年前は、居場所をつくる設定を佐野先生、金井先生をはじめ、先生方が奔走していたでしょうが、今では中2生がプロジェクトを自ら生み出して、先生方はサポートに徹することができるようになっています。

★そして、時代がさらに変わり、リバタリアン世界Lが崩れる時、今まで場を張っていた居場所は急激に広がっていくでしょう。そのとき、人権主義志向の意志の力を生み出すのか、保守主義志向の意志を生み出すのか、創造主義志向の意志を生み出すのか見守りたいと思います。

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★もっとも、佐野先生と仲間たちは、ダライ・ラマ的な世界を共有していますから、個人的には創造主義志向の意志の矢が形成されるのではないかと期待しています。

★ダライ・ラマはそういえばメルケルにも会いに行きましたね。批判などしなかったでしょうが、ある光をメルケルに印象付けたことは確かでしょう。メルケルは新自由主義である一方でマキャベリズムでもあると揶揄されてきたわけですが、それがゆえに自己内部での葛藤はものすごかったでしょう。ダライ・ラマの微笑みは、そこをいっしょに見つめ共感したに違いないでしょう。ここにドイツの新しい道のヒントがあるのでしょう。メルケルは新自由主義の象徴ですから、ことはメルケル1人のことではありません。

★すくなくとも極右勢力の方向にはもっていかない構えは引退しても残していくでしょう。それがダライ・ラマとの出会いを意味するのではないでしょうか。ダライ・ラマに直接会う機会に遭遇した私は、ダライ・ラマの自然なかつだからこそ超自然的な存在に衝撃を受けました。想像を絶する葛藤の真っ只中にいるメルケルにとってはなおさらそうだったでしょう。

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自由と市場と組織と国家(11)「主体的に学ぶ」行為の背景にある「生産と消費」が「創造と活用」にシフト。

★「主体的対話的で深い学び」の背景に横たわる配分と交換は、偏向的な配分から公正な配分に、偏向的な交換から公正な交換へと徐々にシフトしていますが、富裕層とそうでない層との格差が縮まるイメージがなかなかないために、実感が伴わないのは確かです。しかし、それはこの背景に横たわっている配分と交換の関係システムが変わりつつある分析をしている経済学と社会学の両理論が、強欲資本主義の分析、再帰的近代化の分析で止まっているからというのもあります。

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★おそらく、アダム・スミス、カント、ケインズ、フリードマン、ハイエック、ウェーバー、ジンメルなどの見識にしたがって、戦後20世紀社会システムまでの分析は丁寧に行てきたと思います。しかし、1980年代以降の現代思想が掘り起こした強欲資本主義やボードリヤールなどのポストモダン経済をどう分析し見通すかについては、その理論をアップデートする必要があったわけです。そこでもハーバーマスやローティが挑戦したし、決定的なのはアンソニー・ギデンズでした。

★20世紀末から21世紀初めにかけてブレア・クリントン時代が「第三の道」を模索しました。そのときのブレーンがギデンズです。ギデンズは戦後20世紀社会を脱封建社会を企てた産業革命以来続いた工業中心の近代の先鋭化したものとみなしつつも、1980年代以降の社会が今度はその近代を脱近代化する新しい近代社会が到来したと分析しました。そしてそれを「再帰的近代化」と呼んびました。

★ドイツでも、ウルリッヒ・ベックがリスク社会を提唱し、ギデンズ同様グローバリゼーションと個人化の新しい要素の出現を再帰的近代化という枠組みで提示し、新自由主義のメルケル首相と対峙してきました。「リスク社会」という再帰的近代化の捉え方が、世界中に浸透し、もしかしたら、再帰的近代化の理論もいっぱいあるでしょうが、ベックの考え方がより広まったかもしれません。

★しかしながら、ベックはドイツのメルケルのブレーンにはならなかったし、2015年に残念ながら他界しましたから、再帰的近代化の理論のアップデートはなされなかったのです。

★戦後20世紀社会である近代化は、大量消費・大量生産・大量移動を果たしましたが、それがローマクラブの「成長の限界」によって、限界が明らかになったわけです。そこで消費者やクライアントという抽象的な見方から、個人レベルにまで接近する再帰的近代化が生まれてくるわけです。ここには、グローバリゼーションとICTによって金融工学が新たに加わり、ますます個人化が広がっていきました。

★しかしながら、ベックが亡くなって以降の急激なSNSを中心とするWeb環境が、はやくも再帰的近代化という概念では収まり切れない社会を生み出していることに、社会学はもしかしたら追いついていないのかもしれません。

★ギデンズにしても、ブレア・クリントン時代の第三の道がとん挫してしまったわけですから、その後の分析がアップデートされているわけではありません。彼らの分析対象であったEUも今や混迷しています。

★しかし、これは近代化、ポスト近代、強欲資本主義、再帰的近代化などと一見すると近代社会の進化を表してきたかのようでしたが、実は、ICTの誕生によって、全く次元の違う近代化が起こっていることをしっかり見定めることができないのかもしれません。

★たしかに再帰的近代化や強欲資本主義、新自由主義には陰りが見えてきました。反動的な保護主義が各国に立ち上がっているのもその兆しでしょう。しかし、それがどのような方向に向かているのか捉えることがなかなかできません。

★そこで、このような事態は、リバタリアンの世界Lにとっては、混迷でも、新しい社会にとっては希望であるということなのだと見方をかえてみます。見方を変える眼鏡は、「生産と消費」を「創造と活用」という次元へのシフトととらえてみます。

★グローバリゼーションによって明らかになったグローバルイシューはSDGsによって無尽蔵に消費するのではなく循環する活用にシフトする動きを生み出しています。

★また、個人化は、顔の見えない消費者に大量生産による画一的な商品を押し付けるのではなく、個人に適合する商品をその都度創造する世界にシフトしていることも事実です。それが可能なのはICTやWebの進化が契機であることは間違いがありません。

★そしてこのICT、これからはAIと言った方がよいでしょうが、これがもたらす近代化から再帰的近代化までのパラダイムを大転換させることになるでしょう。

★不思議なことに、いや当然なのですが、上記の図のように「創造―生産」と「活用―消費」という軸を掛け合わせると、「公正な配分―偏向的なな配分」と「公正な市場と偏向的な市場」に重なります。

★創造も公正な配分も組織がそうするからできるのです。活用も公正な市場も組織がそれによって公正な利益を得られるからそうなるのですから、重なるのは当然です。

★歴史は突然変異はなかなかありません。前の歴史の中に希望があります。第三の道、つまり再帰的近代化の中で大切にされていた要素は「教育、教育、そして教育」だったのです。

★グローバリゼーションによって、ここを早くから注視した東南アジアの国々は、日本を追い落とす勢いになてきました。そして、ギデンズ、ベックがとらえられなかったIT産業の幾何級数的な大進化は、彼らの個人化の理念を現実のものにするでしょう。

★生産手段や消費のコントロールは一握りの巨大組織に牛耳られてきた近代化は、次の段階でいよいよ個人の力で創造と活用の新たな社会に転換されるでしょう。

★その起点は新しい学びの経験を創造し続ける教育です。そのとき今の学校制度であるかどうかはわかりませんが、制度は、現実が変わることでむしろ変わると考えた方が歴史の原理に即しています。

★配分と交換を教育によって公正にシフトすることはなかなか難しいですね。それはやはり政治や経済と社会学の領域かもしれません。しかし、教育が「創造と活用」という現場での新しい学びの経験を生み出すことは実は得意とするところでしょう。再帰的近代化はグローバル教育の準備をしました。そして彼らが畏れたリスク社会をマネジメントしているGAFAは、STEAMによって国家をも動かす個人化を完成するのでしょう。

★「創造と活用」という場を「主体的対話的で深い学び」で創ることは可能です。ユートピアンの世界Uは、脳内のバーチャルな出来事から実はリアルな場にも降りてくるのです。もちろん、最初は圧力はあるでしょう。しかし、そのときはバーチャルな世界で場を広げて、タイミングを見て、再びリアルな場に降りてくるでしょう。しばらく、その繰り返しが続くと思います。

★そして、このような新しい世界を分析しようという「哲学・文化人類学・建築学・考古学・芸術」の越境的な新しい学問が一方で生まれてもいるのです。日本では、まだ、一部の学者が紹介しているだけで、バーチャルの世界にもリアルの世界にも日本の社会には定着していません。欧米でも多くの研究者が生まれていますが、まだまだ定着はしていないでしょう。

★2020年始まったばかりだと考えてよいでしょう。この領域はまだ民間では手がつけられません。商品という物質化ができていないからです。霞を食って生きて行くことができるのは、仙人だけですが、その仙人がコミュニティをつくり世に降りてきたとき、新しい社会はできます。

★霞を食って生きて行くことができるというのは、もちろんメタファーです。それを可能にするのはAIとの共生に拠ります。この世界は労働から解放されて創造行為の中で生きて行くことができます。まさか?と思うでしょうね。それには循環社会を創造物の活用によって可能にする必要もあります。こんなことは私が考えるまでもなく、19世紀末から提唱する作家はたくさんいます。それを作品として読むだけではなく、新しい社会の企画案やアイデアの宝庫だと読み替えていくことはできるでしょう(笑み)。

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2020年1月 4日 (土)

自由と市場と組織と国家(10)「主体的に学ぶ」行為はデストピアでもユートピアでもどちらでもできる危うさ。

★「主体的対話的で深い学び」は、実はデストピアでもユートピアでもどちらにおいてもできる行為です。ユートピアを志向する意志の力がなければデストピアで「主体的対話的で深い学び」ができてしまいます。ウダウダここまで述べてきたのも、このことについて語る準備だったのですが、ようやく語れるところまできたかなと。

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★私たちの生活世界は、「財の配分と交換」と「財の創造と活用」によって成り立っているというのは、前回少し述べました。なんだ「組織と市場」と「生産と消費」という言葉を置き換えただけではないかと言われるかもしれません。もともと「組織と市場」という現実から出発していたので、そう言われるのは当然です。しかし、その現状をつくっているそのような言葉のイメージでは、組織と市場は分断しているし、生産と消費も分断しています。

★本当はつながっているのに、分断しているように語られる。それは非対称性を生み出していることに多くの人々が気づかいないようにするための戦略でした。意識しているかどうかはわかりませんが、大衆はその流れに乗ってきました。しかし、グローバル市民という概念が生まれている1989年以降の世界では、市民的クリティカルシンキングも表舞台に現れてきています。

★そんなわけで、組織と市場という外延的表現に対し、配分と交換という歴史的には古いけれど、内包的表現を取り出して、外延と内包の関係をひっくり返してみたのです。外延同士の置換では、列挙しているだけで、つながりが見えてきません。つながりが見えるには内包的意味を表現する必要があったのです。共感的コミュニケーションという事態が徐々に広まっている昨今は、実は外延的表現ではなく、内包的意味を表現できるようになっているコミュニケーションが生まれているのです。外延と内包は、隠喩・換喩・提喩というレトリックの話題の中の特殊な話としてでてくるのですが、フランス構造主義が、それを反転させ外延と内包の関係を前面にだしました。

★一時ブームになりましたが、それは言語の話の中で終わり、他の分野まで越境しませんでしたが、その後文化人類学や考古学、建築学、芸術などが越境し合いましたから、構造主義の一部を包含する文化人類学が、この外延と内包を再び活用し始めています。

★外延と内包とは、そのほんの一部の機能を活用すると、形式と内容になりますが、これでは、形式と内容が分断されやすく、大衆にはわかりやすいのですが、地球市民にとっては大事なものを削ぎ落す概念です。外延と内包の関係を取り戻すことの方が有益でしょう。

★さて、寄り道しすぎました。本題に向かいましょう。財について語る時、「自由か規制か」という話がでてきます。しかし、これはあたかも自由は善で規制は悪だというイメージがつきまといますが、実際には悪の自由と善の自由、悪の規制と善の規制というのがあります。善悪は、あくまで方向性の違いの差異を示す意味で使っているのですが。

★どういうことかというと、配分と交換は、上記の図のように、公正な配分と偏向的な配分、公正な交換と偏向的な交換があるので、それを掛け合わせてできる4つの世界において、自由と規制のそれぞれの条件が変わるということを言いたいのです。

★ユートピアの世界Uは、現実にはない場所という意味です。理想なんて語っていてもないものはないという実証主義的な方も多く、日本は明治以降この世界Uを否定して教育や法の世界は進みました。それは今も変わりありません。しかし、世界Uは、上記のような図で行けば、現実にはなくてもビジョンとして脳内のには意志としてあります。この意志に照らし合わせるからこそクリティカルシンキングができるのです。

★それを排除した日本の教育や法律の世界、この組織は市場にも影響を与えますから、日本社会において国民が大衆ではなくグローバル市民として成長しない限り、世界Uを持ち出すことはほとんどできません。

★日本社会は、功利主義、優勝劣敗主義、比較優位主義というリバタリアンの世界Lというのが現実です。この世界の中で、自由を担保しようとすることもするでしょうし、自由が成立する財の配分もしようとするでしょう。しかし、環境破壊、格差、心の病は広まっているわけですから、偏った配分と偏った交換、つまり公正でない配分、非対称的な偏向的な市場形成がされているわけです。

★その中で、しかし、配分の適性な規制や自由市場を保守する規制がなければ、完全に全体主義になってしまいますが、世界Uからみれば、すでにデストピアと言っていいでしょう。この言い方は私は2年前から言っているのですが、2020年のニュース番組や特集で、デストピアとユートピアという表現が使われ始めているのに、世界Lが動かざるを得ない何かが起きているのかとやや期待が高まっています。

★メルカリの新規採用時には30%がインド人だとか、日本に帰化されたインド人が、市議会議員として活躍し始めている報道をみて、国民は大衆からグローバル市民に変容する割合が高まるのではないかと。2002年ころ、ロサンゼルスから帰国するときに、隣の席にいたインド人が流ちょうな日本語で語り掛けてきました。超大手のIT企業のビジネスマンでした。

★彼は、自分の子どもの日本における教育をどうするか質問してきました。インターナショナルスクールでなく、日本の私学でそれに代わる教育をしているところがあるかと。その時点では、そういうい学校を私自身も探しているし、応援し始めている学校もあるが、まだまだ準備は整っていないと。今なら胸をはって紹介できるのですが。。。

★すると、彼はありがとう。やはりそうか。このままでは私たちインド人がソフトパワーを担当し、日本人はハードパワーを担当することになるよ、大丈夫?と。それは困る互いに両方でできる人材をというと、私たちは世界に散らばるから、ハードパーワーは持ち運ばないと言われました。

★そのころ、私はPBLを行っている世界の学校をリサーチし、日本の学校にも広めようとHondaと協働していましたが、まずはHondaと共感するところから始めなければなりませんでした。Hondaの中に共感してくれる仲間の輪を広めることと、私が所属していた社の中に仲間を増やしていく必要がありました。

★Hondaは大企業ですから、仲間が出来るや否や、それが独断と偏見でないか調査するために、さらに外部の研究者の評価委員会をつくり、私たちのワークショップのリサーチに、フィールドワークやアンケートリサーチを途中から始めました。複数の大学の学者に依頼して、その学者に師事している大学院生がまずはやってきました。

★彼らの質問や批判に私は解答する場を設けられ、それをHondaのスタッフがリサーチするというものでした。当時の学生のよって立つ視点は、米国の教育心理学が基本でしたから、私の方は認知心理学とフランス文化人類学や構造主義的立場で応戦しました。PBLの研究をしたときに、はじめに影響を受けたのがMITメディアラボのシーモアパパート教授とハーバードのガードナー教授とスタンフォードの幾人かの教授でしたから、その根っこである、フランスの見識で応戦するのは当然だったわけです。

★大学院生相手に大人げなかったですが、その質問の意味はどこからくるのか、聞き返していき、教育心理学の研究における実証データが、そのまま私たちのワークショップにどのように当てはまるのか逆に問いかけました。それはそう簡単に答えられませんから、彼らのワークショップを評価する視点や根拠が脆弱であるという証明パフォーマンスをそこで行ったわけです。

★Hondaのスタッフは現場主義で、依頼しておきながら研究者よりではなかったので、現場主義の仲間がひるまない構えをみて安心したようです。しかし、それでは、終わりませんでした。今度は国立大学の教授を連れてきてその博士後期の研究生にリサーチを依頼していました。

★膨大なレポートがでて、そのプレゼンによると、結論は、本間は改革ビジネスをやっていて、とても教育的な立場でやっているとは認められない。組むなら大学研究機関と組むようにというものでした。まっ、当時所属していた私の教育研究所部門はグループ会社の一部でしたが、そのグループ会社というのが塾でしたから、2002年あたりはそういう意識があってもしかたがなかったのでしょう。

★しかし、いずれにしてもHondaは、ビジネスでやることを否定する側に逆に疑問をいだき、自分たちは新しいことをやっているという価値を見出したようです。投資する価値をかなり認めはじめ2000年から始まった連携事業は2009年くらいまで続いたでしょうか?私は、途中で次のステージにいかねばならいのという意志が強く、2007年で辞めましたが、リーマンショックの後、Hondaは教育投資をやめることになったようです。

★私としては、Hondaとセミナーをやるときに、松岡正剛さんと交渉してでてもらったりしました。PBLに編集知は欠かせなかったので、松岡正剛さんを引っ張り出したかったのです。その後、松岡正剛さんはICTのソフトパワーによって歴史の編集知をつくりだす作業を学校と取り組みたいということで、いくつか私立学校を結び付けました。そんなとき慶応普通部や灘のプロトタイプ授業で、金子郁容氏や鈴木寛氏と出会いました。リスペクトしながらも、やはりどこか世界が違うということもあり、交流は深まることはありませんでした。

★というのも、シンガポールの学校が日本に修学旅行でやってくるとき、Hondaと何かできないかという提案があったので、私たちの協働ワークショップにジョイントして欲しいとHondaのスタッフから依頼されました。

★当時の教育研究所のスタッフやアルバイトの大学院生は、今考えれば英語が堪能なメンバーが相当多く、Hondaのスタッフとシンガポールに飛んで、当時の協働ワークショップについて説明しにいきました。

★そして、現地からすぐに電話が何度も入りました。PBLを前面にだして説明したところ、すてきだけれど、それは私たちにとっては当たり前で、PBLを体験しにわざわざ日本に行くわけではないと、明日のプレゼンでは、PBLやチームビルディングで何をやるのか提案を欲しいといわれたと。

★Hondaのツインリンクもてぎでは、車の歴史とアシモのパフォーマンスが見られるのと里山が活用できたので、そこを活用するプログラムと工場見学のプログラムを加えて、練り直しました。エッグプログラムは、今ではどこでも行いますが、ある高さから卵を落としても卵が割れないようにするにはどうしたらよいのかそのプログラムも作りました。というのも、今では当然ですが、鉄腕アトムのようなロボットづくりと飛行機を飛ばすことがHondaの夢でもありましたから、現場で生み出す技術の体験とか重力について考えることはなにか関係するのではないかと勘で創って行きました。

★シンガポールの生徒は楽しんで帰国したようですが、今でいうSTEAMプログラムをきちんと創れなかったトラウマは私に突き刺さりました。そして、飛行機の中でであったインド人にソフトパワーは私たちに任せて日本人はハードパワー頑張ってくださいと言われたときの衝撃は今も忘れません。というか、それが次のステージを目指す契機でした。

★PBLを2泊3日の宿泊学習プログラムというオプションで満足するのではなく、日常の教科授業の中で行うことができないか?ソフトパワーは日本人も創造できなければ危ういと感じたわけです。

★2007年に盟友と一緒に退社した後、ぶらぶらしていましたが、すぐにB社からアプローチがあり、新しい学びを開発するアドバイスが欲しいということで、2011年3月11日までジョイントしていました。その日、ようやく新しい学びを多くの学校と生徒さんとお披露目する前日のリハーサルをSFCで行っていた時の事でした、あの凄惨な地震と津波が起きたのです。

★それによってB社も打撃をうけましたから、新しい学びへの投資はいったんとまりました。インド人との出会い、シンガポールの高校生の反応、リーマンショック、3・11は、私にオプションではなく、学校そのものにPBLをコンパクトに導入できるようにせよ、そうしなければ予測不能で不確実性の世の中で、ソフトパワーのないハードパワーだけではサバイブできないということを強く気づかせてくれました。

★そこで、そのことを議論した先生方と、21世紀型教育機構の前身の21世紀型教育を創る会を結成することになったのです。2020年、同機構は大きな成果を予定通りだします。そして次なるブレイクスルーが起きるでしょう。

★そんなとき、私は同機構をいったん離れることにしました。というのも、今のままでは、上記の図のように、世界Lの中の権力主義志向に対峙して≪Z世代≫のための居場所作りを志向する場を張ることはできますが、対峙して守るのに精いっぱいで、ユートピアンの世界Uにシフトする強烈な意志の矢を創ることは、物理的にも経済的にも政治的にもできないからです。

★同機構はすでに組織化したので、仲間たちが対峙し、その場を広げることはします。現状でできる最適化はそれでよいし、それしかできません。そのくらい20世紀デストピア社会は頑強なのです。

★私の役目は、「主体的対話的で深い学び」それ自体はよいのですが、それがどのような配分と交換が生み出す4つの世界のどこに位置づけられるのか行為者が意識できるようにすることです。その際5つの志向の意志が生まれますが、仮にユートピアンの世界Uは3D世界に存在しないからないとみなされると、創造主義志向の意志の矢は形成されないので、別次元にあるユートピアンの世界Uは存在することを語っていかねばなりません。

★そのことの共感を得るにはいかにしたら可能か?そこが私の最後のミッションだと思っています。このミッションを背負ったのが明治期に誕生した私学です。≪私学の系譜≫はユートピアンの世界の存在を語っていました。彼らといっしょに語っていた加藤弘之は東大初綜理になったときに、そのミッションを捨てるどころか、そんな世界Uは蒙昧だとして、弾圧し、教育も法律もあっという間にユートピアなき実証主義に転向していったのです。富国強兵・殖産興業、つまり優勝劣敗思想を構築したのでした。それは今も変わらないのです。このことについては、戦後史から教育基本法改訂までの歴史をひもとけば了解できます。いずれまた語りたいと思います。

★21世紀型教育機構は私立学校のコミュニティですから、≪私学の系譜≫を継承しています。では公立はどうか?制度上無理なのですが、この中で孤軍奮闘している≪Z世代≫の居場所をつくるために奔走している心ある教師もたくさんいます。しかし、その教師が互いにそれを自覚してコミュニティを創るところまではいっていません。そこはこれからでしょう。

★私の方は、そういう動きが、さらに創造主義志向の意志の矢にシフトすることを期待して、ユートピアン世界Uの存在共感が生まれる契機を見出したいと思います。

★もしも、創造主義志向の意志を前提とした「主体的対話的で深い学び」が、教科や科目、探究で行われたら、組織は変容し、市場も変わるでしょう。より世界Uに近づく変容が。そこからはアップデートでいけばいいのです。

★強欲資本主義では欲望は無限だそうです。創造資本主義では創造主義志向の意志が無限です。欲望?実はこれは権力主義志向の意志と置き換えることができます。

★5つの志向の意志のうちどの意志を選択するのか?これまた不確実です。しかしながら、意志とは少なくとも5種類あるし、その背景にある社会システムの違いに多くの地球市民が気づくことがまずはクリアすべき壁でしょう。もちろん国民が大衆である場合は、クリアできませんが、これはグローバル教育をと入れる学校が圧倒的に増えるので、大衆から地球市民にシフトするのは時間の問題です。そのとき、社会システムのどれを選択するのか、5つの意志のどれを選択するのか「主体的対話的で深い学び」ができる準備が整っていることが大切でしょう。

★いずれにしても、ここを直接触れるのが「総合的な探究の時間」です。またなんとか「探究」の目を教科や科目に埋め込められたら、意志の力の役割に気づく量と質が加速することでしょう。

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2020年1月 3日 (金)

自由と市場と組織と国家(09)「主体的に学ぶ」行為者の前提、そしてそのまた前提。

★「主体的に学ぶ」行為とは、「自分の興味と関心のあることを自ら調べ、自ら課題を発見し、それについて対話し、議論し、編集し、協働し意思決定などをしながら深く学び、創造的に自ら問題を解決をしていく行為」というイメージでしょうか?とすると、「学びの自由」が前提になっていっることは明らかですね。自由が保障されていなければ、対話もできないし、創造的に自分の意志で問題を解決することなどできないでしょう。

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★しかしながら、その「学びの自由」は、結局は、財を自らの判断で活用したり、創ったりできる条件です。ここでいう財とは、商品やサービス、著作、研究成果物など物質化されたものや物質化される前の精神的なもの、空気など自然環境、財を共有するシステムなどすべて含んでいます。したがって、「主体的に学ぶ」行為とは、財の質を調べたり、財のアップデートをしたり、財そのものを創造したり、財の使い方などを解き明かしたり、その財をどのように共有していくのかそのシステムの最適化を解き明かすことです。

★ということは、私たちは財をめぐるポイントは、財の共有の仕方と財の生み出し方の2点だということになります。財の共有において、財の生み出し方において「自由」が保証されているから、「主体的な学び」の行為ができるわけです。

★さて財の共有における自由とはいかなることでしょう。財の生み出し方において自由とはどういうことでしょうか。

★話が抽象的でわかりにくければ、ご自身の生活を見回してください。多様な財を生活環境としているはずです。その財は自分で生み出すものもあるでしょうが、たいていは市場にでかけていって購入してくるものでしょう。または、自治体や政府、コミュニティからもらったものでしょう。つまり分かち合ってもらったものでしょう。自分の日々の仕事は、身体にいれる食品だったり、様々なアイデアだったり、ファッションだったり、インフラン関係だったり、サービスだったりするでしょう。これらは、みな財です。

★この財の共有は、したがって、自分が欲しいものを他者が欲しいものと交換することによって共有したり、一定の財をそのコミュニティで配分したりして共有していくのです。つまり、共有は配分と交換によって決まります。

★配分と言えば、たとえば、行政当局による補助金だっり、公共事業のようなものだったり、すなわり税金の配分が分かりやすい例ですね。交換と言えば、自分の欲しいものと他者が欲しいものの交換の究極のカタチは、商品と貨幣の交換です。つまり市場の行為者同士が貨幣を媒介としてやりとりすることというのが分かりやすい例ですね。

★「主体的に学ぶ」行為は、結局は、この配分と交換の在り方によって規定されています。規定されているとはどういうことでしょうか?それは、公正な配分がされているか誰かの勝手なコントロールによって行われる偏向的な配分なのか、公正な交換なのか非対称的な偏向的な交換なのかによって、「主体的に学ぶ」行為は規定されてしまうのです。

★その規定の世界は、上記の図のように4つです。ユートピアンの世界Uかリアリストの世界Rかリバタリアンの世界Lかフェイカーの世界Fか、どこかに位置しています。

★「主体的に学ぶ」行為者は、この4つの世界のいずれかに影響をうけます。主体的に学ぶ行為者の前提の自由もこの4つの世界に影響をうけます。

★「主体的に学ぶ」行為をするといっても、その前提の「自由」といても、行為者が位置する世界という前提によって影響を受けるのです。

★行為を条件づける「自由」も「世界」も抽象的な「自由」や「世界」ではなく、4つの規定の仕方に影響を受けます。たとえば、現在の日本は、否が応でも、優勝劣敗的価値観、功利主義的価値観、比較優位的価値観に支配されているリバタリアンの世界です。つまり強欲資本主義の世界に属しています。

★「主体的に学ぶ」行為者は、この前提及びその前提を意識しない時、たいていの場合は、競争して勝ち組になることが主体的に行為する目的になります。中には、それは違うのではないかと抵抗してモモ的世界をそこで創り、自らの精神や自然環境や柔らかい人間関係を保つ場づくりをします。しかし、リバタリアンの世界Lのパラダイムを覆さない限りは、守り続けるしかないのですが、自然環境破壊を防ぐことはできません。世界Lの社会の組織を変えることはできません。

★その居場所で、賛同者が心地よく生きて行くのですが、閉鎖的空間では生きて行けないので、どうしても世界Lと葛藤を続けなくてはならないでしょう。これでは、90%の人間は、世界Lで生きて行くスキルが大事で、そこで抵抗するスキルを身に着ける必要性を感じる人間は圧倒的に少ないわけです。

★日本で生きて行く限りはある程度の時期まではそれでよいのですが、国力が半減した時には、そもそもこの世界Lではグローバル社会では通用しなくなります。居場所をつくってきたコミュニティ自身も、共倒れです。この配分と交換が生み出す4つの世界については、次の回でもう少し考えてみたいと思います。

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2020年1月 1日 (水)

自由と市場と組織と国家(08)2020年は、教育において「主体」の新発想が明らかになる。

★多角的な教育改革が進んだり、部分的に座礁したりしていますが、2020年は「主体的対話的で深い学び」の発想、とりわけ「主体」の発想を巡る実践が着々と進むエポックです。

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★前回ご紹介した溝上慎一教授の主体=エージェント論は、その一つの予兆です。もちろん、この画期的な出来事は、突然起こるわけではなく、多角的な領域で意識的・無意識的に20世紀末から論じられ、すでに政治経済の政策や外交、ビジネスで進行していたのです。教育の世界では、無意識のうちに進んできました。それを意識化しようあるいは可視化しようと溝上慎一教授が論じ、自身が理事長である桐蔭グループで実践しているわけです。

★エージェント論の重要な文脈はトランジションというキャリアデザインの流れがあるということです。進路指導・受験指導・進学指導は依然として中高で行われていますが、ますます機会が増えているAO入試や大学及び企業で展開しているプロジェクト的な動き、中高でも注目されている起業家精神養成プログラムの勢いは否定できません。

★もちろん、この伝統的な受験指導と新しいキャリアデザインは、まだまだ葛藤を起こしています。その真っ只中で壮絶に奮闘しているのが神崎史彦先生です。

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★神崎先生は、2011年ころから本格的にキャリアデザインの本を何冊も出版してきましたが、ここ数年上記写真の3部作を出版し、その中ですでに「主体的に学ぶ」はエージェント論的な発想も盛り込んでいます。ただし、社会学的なフィクションとしての主体としてのエージェント論ではないので、おそらくカントやヘーゲル、ウェーバーやジンメルなど伝統的社会から近代社会に移行する時に誕生した「個人」としての主体ではなく、近代社会が複雑化し、リスク社会が当たり前になったとき、20世紀末から本格的に現れてきた再帰的近代における新しい「個人」発想としての「主体」とは何か見定めている最中です。

★というのも、第4次産業革命が想定している社会は再帰的近代社会とは違う社会が出現するはずで、そこでは、またさらに新たな「個人」としての「主体」が現れてくるので、現段階の社会学の成果のエージェンシーの概念とは神崎先生は必ずしもシンクロしていません。それについては、OECDのPISAの背景にあるエージェンシー論を巡って、先生と議論したことがあるので、そう感じました。

★「対話的な学び」に関しては、すでにU理論的なソーシャルインテリジェンスと共感的コミュニケーション論を上記の書籍の中で論じています。「深い学び」に関しては、思考コードあるいはメタルーブリックで、システム思考(ピーター・センゲの言う)の大切さをやはり書籍の中で論じています。

★ここに関しては、現場でも、PBLやアクティブラーニングが展開し、まだゆっくりですが進んでいますから、カンザキメソッドは受け入れられていくでしょう。問題は、「主体」を巡る発想です。伝統的な受験指導は、基本再帰的近代以前に確立されたもので、生徒という個人を近代社会誕生期の発想で捉えています。

★神崎先生の新しい個人としての「主体」発想と違うので、ここは結構新しい時代を切りひらくときの壁になります。基本、近代社会のとき誕生した「個人」は功利主義的で価値相対主義、比較優位論ですから、スコア主義なのです。

★カンザキメソッドのように、自分の生き方をデザインしていくプロセスの重要性についてあまり考えないでしょう。

★しかし、AO入試などの機会が増え、ポートフォリオ論が大学入試のみならず就活の時にも浸透していくにつれ、自分の生き方史は極めて重要になります。しかもプロジェクトベースの仕事が増えていくにつれ、学習する組織が重視され、各人のメンタルモデルの相互尊重がチームビルディングで要になります。スコア主義ではここは空虚です。やはり自分の生き方史が大切になります。

★そして、自分の生き方史は、常に自ら未来を投影(プロジェクト)することによってできていきますから、単純に過去の羅列ではありません。自らをデザイン事務所や建築事務所とせざるを得ないのです。エッ!デザイなーや設計者ではなく、事務所?

★エージェンシーとして主体をとらえたら、それでよいのですが、自分の生活史は、仲間と共に創りあげていくものですから、たんなる1個人の話ではないのです。仲間も含めて「主体」なのです。それでオフィス主体論を想定してみたわけです。神崎先生が直接そうはいっていませんが、「仲間」という言葉は、氏のキーワードの一つでもあります。

★ただ、オフィスとして協働ということばを前面にださなかったのは、キャリアデザインは、自己実現のために理念だけではうまくいきません。経済的発想も必要です。神崎先生のキャリアデザインは、ある組織に属した講師の発想ではなく、自分自身がオフィスを開設して起業して行っているので、そこの発想がきちんとあります。そういう意味も込めてみたわけです。

★神崎先生自身、「探究」プログラムをまた新しい発想で研究していくそうです。この発想は建築学の発想をメタファーとして活用している方法を活用するらしいのです。まさしく新しい主体は建築事務所的デザインによって生成されるのでしょう。

★個人と社会の関係については、近代社会が誕生した時から議論されている古くて新しいテーマですが、近代社会のアップデートやパラダイムシフトと共にその関係は変わってきています。2020年はそこが顕在化されるエポックになるでしょう。そのとき、神崎史彦先生の思想が脚光を浴びるでしょう。

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