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2020年1月 1日 (水)

自由と市場と組織と国家(08)2020年は、教育において「主体」の新発想が明らかになる。

★多角的な教育改革が進んだり、部分的に座礁したりしていますが、2020年は「主体的対話的で深い学び」の発想、とりわけ「主体」の発想を巡る実践が着々と進むエポックです。

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★前回ご紹介した溝上慎一教授の主体=エージェント論は、その一つの予兆です。もちろん、この画期的な出来事は、突然起こるわけではなく、多角的な領域で意識的・無意識的に20世紀末から論じられ、すでに政治経済の政策や外交、ビジネスで進行していたのです。教育の世界では、無意識のうちに進んできました。それを意識化しようあるいは可視化しようと溝上慎一教授が論じ、自身が理事長である桐蔭グループで実践しているわけです。

★エージェント論の重要な文脈はトランジションというキャリアデザインの流れがあるということです。進路指導・受験指導・進学指導は依然として中高で行われていますが、ますます機会が増えているAO入試や大学及び企業で展開しているプロジェクト的な動き、中高でも注目されている起業家精神養成プログラムの勢いは否定できません。

★もちろん、この伝統的な受験指導と新しいキャリアデザインは、まだまだ葛藤を起こしています。その真っ只中で壮絶に奮闘しているのが神崎史彦先生です。

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★神崎先生は、2011年ころから本格的にキャリアデザインの本を何冊も出版してきましたが、ここ数年上記写真の3部作を出版し、その中ですでに「主体的に学ぶ」はエージェント論的な発想も盛り込んでいます。ただし、社会学的なフィクションとしての主体としてのエージェント論ではないので、おそらくカントやヘーゲル、ウェーバーやジンメルなど伝統的社会から近代社会に移行する時に誕生した「個人」としての主体ではなく、近代社会が複雑化し、リスク社会が当たり前になったとき、20世紀末から本格的に現れてきた再帰的近代における新しい「個人」発想としての「主体」とは何か見定めている最中です。

★というのも、第4次産業革命が想定している社会は再帰的近代社会とは違う社会が出現するはずで、そこでは、またさらに新たな「個人」としての「主体」が現れてくるので、現段階の社会学の成果のエージェンシーの概念とは神崎先生は必ずしもシンクロしていません。それについては、OECDのPISAの背景にあるエージェンシー論を巡って、先生と議論したことがあるので、そう感じました。

★「対話的な学び」に関しては、すでにU理論的なソーシャルインテリジェンスと共感的コミュニケーション論を上記の書籍の中で論じています。「深い学び」に関しては、思考コードあるいはメタルーブリックで、システム思考(ピーター・センゲの言う)の大切さをやはり書籍の中で論じています。

★ここに関しては、現場でも、PBLやアクティブラーニングが展開し、まだゆっくりですが進んでいますから、カンザキメソッドは受け入れられていくでしょう。問題は、「主体」を巡る発想です。伝統的な受験指導は、基本再帰的近代以前に確立されたもので、生徒という個人を近代社会誕生期の発想で捉えています。

★神崎先生の新しい個人としての「主体」発想と違うので、ここは結構新しい時代を切りひらくときの壁になります。基本、近代社会のとき誕生した「個人」は功利主義的で価値相対主義、比較優位論ですから、スコア主義なのです。

★カンザキメソッドのように、自分の生き方をデザインしていくプロセスの重要性についてあまり考えないでしょう。

★しかし、AO入試などの機会が増え、ポートフォリオ論が大学入試のみならず就活の時にも浸透していくにつれ、自分の生き方史は極めて重要になります。しかもプロジェクトベースの仕事が増えていくにつれ、学習する組織が重視され、各人のメンタルモデルの相互尊重がチームビルディングで要になります。スコア主義ではここは空虚です。やはり自分の生き方史が大切になります。

★そして、自分の生き方史は、常に自ら未来を投影(プロジェクト)することによってできていきますから、単純に過去の羅列ではありません。自らをデザイン事務所や建築事務所とせざるを得ないのです。エッ!デザイなーや設計者ではなく、事務所?

★エージェンシーとして主体をとらえたら、それでよいのですが、自分の生活史は、仲間と共に創りあげていくものですから、たんなる1個人の話ではないのです。仲間も含めて「主体」なのです。それでオフィス主体論を想定してみたわけです。神崎先生が直接そうはいっていませんが、「仲間」という言葉は、氏のキーワードの一つでもあります。

★ただ、オフィスとして協働ということばを前面にださなかったのは、キャリアデザインは、自己実現のために理念だけではうまくいきません。経済的発想も必要です。神崎先生のキャリアデザインは、ある組織に属した講師の発想ではなく、自分自身がオフィスを開設して起業して行っているので、そこの発想がきちんとあります。そういう意味も込めてみたわけです。

★神崎先生自身、「探究」プログラムをまた新しい発想で研究していくそうです。この発想は建築学の発想をメタファーとして活用している方法を活用するらしいのです。まさしく新しい主体は建築事務所的デザインによって生成されるのでしょう。

★個人と社会の関係については、近代社会が誕生した時から議論されている古くて新しいテーマですが、近代社会のアップデートやパラダイムシフトと共にその関係は変わってきています。2020年はそこが顕在化されるエポックになるでしょう。そのとき、神崎史彦先生の思想が脚光を浴びるでしょう。

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