自由と市場と組織と国家(04)SDGsで解決すべき問題は、近代化が内包する矛盾 そのシステムを探究は解明できる
★今、≪Z世代≫の中高生は、SDGsのグローバルゴールズを達成すべく起業し始めています。そのベースには都市があるし、この都市はスマートシティなんて言われている意味での都市のことですが、実はスマートシティであれなんであれ、近代の非対称的市場を残したままのというか近代誕生した非対称的市場をさらに先鋭化させたのか20世紀社会だから、そのシステムを探究的視点で解明しておかないと、実はグローバルゴールズは達成できないどころか、近代が内包している矛盾をより深層に隠し、強化してしまうというパラドクスがまたまた生まれます。
★世界史でメディチ家を学ぶと思います。あるいは日本史で織田信長を学ぶと思います。この歴史の授業に探究的視点を織り込めば、都市というのは貨幣経済が条件であることはすぐにわかるでしょう。
★問題は、古代―中世ー近世ールネサンスー近代―20世紀社会を経てシステムをアップデートしてきた貨幣経済が、フラットでもフリーでもフェアでもない非対称的市場を強化する媒介項であったことが背景に隠れてきたことを理解するかどうかです。
★メディチ家がなぜローマ法王の帝国と手を組み、ブルボン朝と手を組んでいたか、そこに非対称的市場を保守するシステムがあったわけです。
★いったいその非対称性とは何かというと、商品の交換における利潤・利益という概念を定着させたということです。エッ!と思うかもしれません。しかし、これは中世から近代にかけてカトリック神学が開いてしまった経済理論です。
★都市経済は、自給自足ができませんから、多様な商品を都市以外の場所から持ち込みます。その商品をゲットするには貨幣が必要ですから、当然価格が付くわけです。その価格が需要と供給の関係で決まると正当化理論が創られたのは、イギリスやドイツを中心とする近代国家形成期に生まれた学問「経済学」が理論化しました。
★近代経済学は、なかなか複雑ですが、要は、需要と供給で決まるはずの価格が、どうもうまく決まらない。そこで価格の公正性をめぐって理論形成しているのが経済学の隠されたシステムです。
★近代経済学の理論がない時代である中世―近世―ルネサンスにおいて、公正価格を導いた理論は、「死」あるいは「命」への信仰でした。
★カトリック神学では、イスラム教と同じく、利息は認めていなかったのです。それをある条件のもとで認めたのが中世のカトリック帝国を支える神学であったし、その拠点が今の大学のルーツでもある当時の大学です。
★いうなれば、近代化の矛盾は、学問によって正当化されてきたというわけですね。それゆえ、このところ話題になっている大学改革が必須になってきたわけですが、そこを認めるわけにはなかなかいかないのです。その矛盾の上で勝ち組と負け組という格差があるわけですから、世帯年収700万以上ある20世紀型教師や教授は、ある意味勝ち組みなのです。改革に乗る勇気のある人はいないのが、近代経済学が生み出した功利主義的価値観で当然なのです。
★しかし、SDGsを本気でやるなら、そこに切り込み非対称的市場を対称的市場にシフトすることにならざるを得ないのです。それによって、教師の仕事がなくなるわけではなく、世代年収700万以上は保てるでしょう。むしろ、改革したほうが所得は倍増できるのですが、そこはリスクがあるのではと無意識で思うのでしょう。
★いずれにしても歴史の授業に探究的視点、この場合は文化人類学と歴史学を横断できる考古学的視点を活用する必要があります。そうすることで、メディチ家とシンクロしていた中世の遠隔地商人と都市経済の関係をちょっと探究すれば、命をかけて死も覚悟して遠隔地から商品を都市に持ってきたのだから、原価に適正な利益を乗せるのは正当だというのを、信仰の名のもとに認めて、それを公正価格だとしたのが当時のカトリック神学で、シュンペーターがそこに資本主義の萌芽を見たわけですね。
★命をかけて死を覚悟してというのは、雇用兵を雇うわけですから、当然その分は原価にのせてよいというのは、カトリック神学は認めざるを得なかったのです。なぜなら、ローマ法王は、当時生まれ始めていた近代国家の先駆けである帝国と聖戦をたびたびおこなったわけですが、そのときに軍事力を要するにお金が必要だったのです。
★その資金調達をするには、メディチ家などの有力商人の支援を必要としたわけです。公正価格に公正利益を認めざるを得なかったのです。利益は空間の差異を利用することで、正当なものとして認められるのです。いったん利益が認められれば、<メタファー>として銀行が利息を生みだす正当化理論は簡単です。
★空間は移動を伴います。移動は時間がかかります。つまり利益は空間/時間によって正当化されたわけです。しかも、軍事力も付いています。空間移動中のセキュリティは軍事力によって担保されます。
★すると、銀行は空間/時間を時間/空間という前面に出すものを逆転させますが、構造は同じです。時間を保つ空間のセキュリティは、中世から近代にかけてはやはり警察力という名の軍事力です。遠隔地商人の利益構造と銀行の利息構造はメタファーとしてスライドできたわけですね。
★しかし、利益や利息の最適化という基準は何か?近代経済以前は、権力者の意志決定に拠ったわけです。それで納得できるかというと、市民は納得しない。「自由・平等・博愛」の波に飲み込まれていきます。フランス革命のような市民革命が次々と起こったのです。しかしながら、利益や利息はみとめるなあ!と革命がおこったわけではなかったのです。
★需要と供給によって、市民の生活にあった適正な利益や利息が決まるように革命を起こしたのです。しかし、それで適正かどうかは本当は今もだれもわけらないのです。
★そうこうしているうちに、20世紀社会は、物理的空間と移動の時間を、未来にシフトし、クラウドにシフトしたのです。それゆえ、何かテクノロジーやイノベーションが新たな価格を生みだし、しかもそれはコンピュータを媒介するから、適性であるような幻想を生みだし、非対称的市場を合法的にひろげているわけですね。
★そんなこといっても、セキュリティは、警備とサイバーでおこなっていて、軍事力ではないから、メディチ家のようなやりかたではないと。さて、そこを理解するには、カントやヘーゲルなど近代国家形成期に、結果的かもしれないけれど、国家の正当化理論をつくった近代哲学をいったん相対化しなくてはなりません。
★現代国語や倫理、政治経済などベースにはカントやヘーゲルがあるので、その思想の理解で終わるのではなく、クリティカルシンキングという探究的視点をこれらの教科の授業に入れる必要がこれからはあるでしょう。カントやヘーゲル信者の教育哲学者が胡散臭いのは最先端の金融経済がメディチ家の銀行システムのメタファーと同期していることを正当化してしまうからですね。
★本間はまた愚かなことをはいていると言われるかもしれません。しかし、このようなリフレクションは欧米ではちゃんと起きています。日本ではその紹介は、現代の日本の大学の哲学者が閉鎖的に行っていて、しかもどちらかというと、そういう考えもあるよねでおわっていて、むしろ実際的社会に応用するのはどうだろうと、危険物取扱としてのレッテルを貼っていますね。
★彼らも勝ち組みですから、批判はするけれど、格差をなくす武器として実装思想を広めているわけではないのです。
★しかしながら、勝ち組であることを括弧にいれて、なぜ括弧にいれるかというと、とりあえず生きて行かねばならないからですが、ともかく、そこに立ち向かう私立学校の教師が現れています。それは2020年4月になったら、明快になります。20世紀社会を全く違う次元にシフトするジェネレーターコミュニティが出現します。もちろん、そのコミュニティには、教師以外の起業家も参加しています。
★最も、そのコミュニティは、来るもの拒まずで、普通の教師勉強会みたいになった場合、また分派するでしょうが。つまり、アクレディテーションの機能は必要です。
★いずれにしても20世紀社会は、SDGsとガチでぶつかり合う時代がいよいよやってきます。しかし、それは心意気だけでは20世紀社会を変えることはできません。強烈な経験と理論武装は必要です。
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