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2019年9月 5日 (木)

対話の世界(1)聖パウロの養護教諭嶋津先生の<対話>

★高尾の裾野にといっても山の中だが、そこに聖パウロ学園がある。そのキャンパスは別名「パウロの森」。馬を育てる場所があり、そこには乗馬のフィールドもある。乗馬クラブがあるだけではなく、体育の時間にも乗馬の学びがある。

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★森と馬と学校と。なんとも特別な学びの空間だ。このキャンパスは各学園80名定員で少人数教育だが、実に人気がある。高橋博理事長が、偏差値というスコアで思春期を抑圧する日本の近代産業支援の教育に猛省を迫り、生徒の自己肯定感が内側から高まる教育を推進してきた。

★その教育とは、カトリック精神にもとづく<対話>ベースの教育だ。まるで、今回の大学入試改革や学習指導要領の方向転換は、まるで聖パウロの本物教育をモデルにしたようである。「主体的・対話的で深い学び」というキーワードで表現されている、その主体性や対話とはいったいいかなるものだろう?また深い学びとは、どのような授業で行うというのだろう?

★実はその仕掛けあるいはシステムについて、生徒の内発的な学びにまで迫る具体的なものは提示されていない。それは、現場で創意工夫してほしいということのようだ。それがゆえに、今まで、一方通行的あるいは、一部の生徒を相手に問答型授業を行ってきた現場ではどうしてよいかわからないという不安が噴出しているわけである。そもそもその一方通行型とか一部の生徒を対象にした問答型の授業における対話は<対話>ではなく、一方通行型コミュニケーションであったたために、それを生徒どうしの<対話>も含めて授業を展開するのはイメージがつかない。

★ところが、聖パウロは少人数だったということもあり、理事長のビジョンがPBL型授業で思考型学びを推進し、森と馬と学校とという自然と人間精神の循環を隣人愛で結びつけることをベースにしたキャンパスづくりをしてきたおかげで、伝統的に本来的な<対話>が根付いているのである。いわば、伝統的だが革新的というアクロバティックな学習経験を生徒はできるのだ。

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★そんな贅沢なパウロの森は、<対話>の森でもあるが、だからといって、生徒は悩みがないということではない。むしろ自分の内面をみつめる<対話>は悩みも多くなる。思春期というのはそういうものである。そこを通過して大きく成長し飛翔する。

★ともあれ、その悩みは担任の先生が解決のために<対話>するし、教科の先生が<対話>して解消していく。そして、もう一つ、聖パウロの<心の対話のサロン>には、保健室がある。他校の保健室とはだいぶ雰囲気が違い。クラスと同じフロアーにあって、多くの生徒が休み時間に気軽にやってくる。

★もちろん、守秘義務のある相談や体調がよくないというどの学校にもある保健室の共通の仕事を嶋津先生は丁寧に行っている。それ以外に、相談しにやって来る生徒と<対話>するということがある。

★その内容そのものはここでは話せないが、70%は、勉強の悩みと人間関係の悩みから<対話>はスタートする。しかし、実際にはルビンの壺で、本当の悩みは、その背景にある。自分自身の問題であることが多いという。そこに気づけば、生徒は前に進めるという。嶋津先生は、そんな生徒の話をよく聞いている。しかし、何をしたらよいのかアドバイスをすることはめったにない。かといっていなしているわけでもない。ほとんどが、自分自身に気づくことによって解消されるから、生徒の何気ない言葉を聞きのがさず、そこは聞こえなかったからごめんもう一度聞かせてなどと生徒が自分をリフレクションする<間>をつくったりしている。

★生徒との数あるやりとりをお聞きしながら、一つ一つ、井庭崇氏と 長井雅史氏共著の「対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得」をパターンランゲージ化したカードと嶋津先生の<対話>を先生と一緒に照らし合わせていった。

★このカードは30枚ある。オープンダイアローグの心得が記載されているが、嶋津先生の生徒と接する時の心得は、たとえばカードでは「ひとりの人として」生徒と対話するとか「じっくり聴く」とか「言葉にする時間」を待つとかパターンランゲージ化されているが、すべてあてはまるのだ。

★生徒の日常の体験にいつもいっしょに浸っている嶋津先生。生徒1人ひとりの多様な声に耳を傾ける嶋津先生。その先生と<対話>する生徒は、自らの日常の体験を話し、悩みを話し、解決策はないか尋ねながら、自分がどう変わればよいのか新たな理解にいくつく。生徒1人ひとりが心の奥底で本当に関心を持っているものをみえなくしている霧や壁やマスクが嶋津先生と<対話>することで、自己解消されていく。

★もちろん、その<対話>の時間は学園生活中続くのである。自分自身への気づきや自己理解は全貌がすぐに見えるわけではない。見えたと思ったらまた向こうに未知の自分がいるのだから、その探究は続く。聖パウロ学園の<対話>は、未来の自分を自分の内面に自分で新しく描く3年間という長い<対話>である。

★そんな長大な<対話>を私たちは、今できるだろうか?そもそもしてきただろうか?聖パウロ学園は、近代の歴史の中で人間が忘却してきた大切なものを再起動できる学び舎なのかもしれない。嶋津先生にそう問うと、本間さんがそう思うのでしたら、そうなのでしょうとほほ笑んだ。そんな大げさなとか、そうですよねとかいう反応ではないのだ。こんな主観性を大切にする<対話>は、やはり科学主義の時代に経験することはなかなかできない。改めてそう感じた。

 

 

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