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2019年9月 2日 (月)

衝撃!次のビジョンを実現する力みなぎる教育との遭遇 21世紀型教育機構「第3回静岡国際シンポジウム」(2)

★新たな<経験>は、新たな知識や才能、技術、ケアをプロダクトする。ところが、新たな<経験>は、想定されたゴールが一応あるから、その<経験>を充実させ膨らませそのゴールを生み出すことに意識が集中する。

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★だから、<経験>とは無意識のうちにその新たな知識や才能、技術、ケアの精神を生みだしているのだ。昨日のようなシンポジウムは、登壇者が新たな<経験>の実践報告を熱く語るから、新鮮で感動的で驚愕する内容ばかり。だから、たいていは、登壇者も聴衆も共感し共鳴し共振する。

★それゆえ、登壇者が語ること以上に新たな知識や才能、技能、ケアの精神が生まれていることに気づかないことが多い。実に有益だが同時にもったいない隙間ができる。そこで、登壇者達は懇親会などやってリフレクションする。そこで互いにシンポジウムで耳を傾けた結果、ものものの見方や考え方の違いをすり合わせ、新たな発見をして、次に再び飛びたとうとする。

★そういう意味では、シンポジウムのような<経験>は登壇者にとって価値増幅の環境システムである。21世紀型教育機構のシンポジウムやフォーラム、カウンシルは参加者と共有しつつ、登壇者はさらに未来を描く可能性があるのだ。

★今回私は、次世代に21世紀型教育機構をエンパワーするために、少しずつ現場から抜けている。そうして、2021年に21世紀型教育機構のグローバル教育3.0が完成するや始まる次のステージを探す側に回っている。その無意識のうちに生まれ出ずる未来を見たいというわけだ。

★それにしても、総合司会の本橋先生(聖学院教諭)と神崎氏(カンザキメソッド株式会社代表)の名司会には感動した。今回のシンポジウムのシナリオの輪郭を明快に描くと同時に、21世紀型教育機構の存在意義を伝えた。

★どちらも思考力入試や探究という新しい<学習経験>の実践者だから、2021年までの21世紀型教育機構の歴史的役割を前のめりで表現していた。しかしまた、それが2021年以降に超えなければならない限界であることも明らかにした。

★この両義性という<遊び>はなかなかスリリング。わかる人にはわかるが、わからない人にはわからないという公然の隠れた表現遊びなのである。エッシャーやヴィトゲンシュタインのトリックアート的なおもしろさでもある。

★ストレートに語り得るものとして表現はしているが、その表現を反転するとストレートに語り得ぬものが見えてくる。まさに眩暈。

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