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2019年8月12日 (月)

学校選択保護者であるサバイブ世代の子供たちはZ世代。

★1980年代を初等中等教育という青春時代として生きた新人類世代と1980年代から1990年代にかけてその青春時代を生き抜いたサバイブ世代。今これら2つの世代から中学入試に立ち臨む子供たちが誕生しているが、実は新人類世代のうち1965年生まれの家庭からZ世代が誕生している。1965生まれの新人類は、今や54歳だから、中学入試の家庭層としては年齢は高め。やはり中学入試を考える保護者はサバイブ世代に移行していると考えることができる。ともあれ、中学入試に挑む子供たちは、デジタルネイティブとしてのZ世代なのである。

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★ところが、このサバイブ世代、世の中では一般に、氷河期世代とかロスジェネとか失われた世代とか呼ばれている。僕は世代論をサブカル的なアプローチのみでみようとはしていない。ただ、戦後日本は、大学進学率も右肩あがりで、疑似的であるかもしれないが、偏差値スコア信頼システムが成立してきたから、どの世代も青春時代にこのシステムに遭遇し、それぞれがそれぞれの葛藤を起こしている。

★そして、その葛藤の時代要因は変わらないものもあるだあろうが、変わる要素もあまりに多い。だから葛藤の中身が世代によって違いがでてくるのは否めない。また、その葛藤を乗り越えるも、距離を置くも、逃走するも、解決しようとさらなる葛藤に立ち臨むも、そこに政治経済サブカルの相互影響は避けられない。

★1980年代以降は、この相互影響にグローバルな動きが入り込んできたのは、すでに紹介したとおりだ。僕が、氷河期世代を、中学入試においてサバイブ世代と言い換えているのは、戦後の中で、社会に出るやそれまでの高度経済成長やバブル社会は目の前で崩壊し、いきなり就職氷河期が訪れ、それまでにない社会変動の動きを身をもって体験した世代であり、その中で必死の思いでサバイブしなければならない世代という部分を前面に出してみた。

★「勝ち組み負け組み」という言葉は、1990年代のテレビ番組で登場していたが、それは明治維新のときの「富国強兵」「殖産興業」の正当化理論であった「優勝劣敗論」とはまた違う。この「優勝劣敗論」は今でも学歴社会の中では続いているというパラドキシカルな現象もあるが、失われた経済時代の「勝ち組み負け組み」は、何が「勝ちなのか」ゆらいでいた時代である。ただし、テレビ番組の意義づけは、サブカル的なそのゆらぎを前面に出すことはなく、むしろ「優勝劣敗論」をわかりやすく表面的に取り扱った。

★実は、21世紀になって、この負の影響が、サバイブ世代の中からあふれはじめた。一見遠いが、9・11から始まるテロもその影響の可能性がある。テレビ番組の構成は、意外と世界共通というか、互いにアレンジしまくっているから、そこから発信される情報はグローバルに似通ってしまうのかもしれない。

★1995年の地下鉄サリン事件からはじまり、不条理な凄惨な事件は、最近も止まることをしらない。そこで、内閣府はソサイエティ5.0の一環として、彼らの言う「就職氷河期世代の支援策」を実施するというのだ。

★1990年代の失われた経済の時期にうちだせばよかったものを、そのときは大企業や都市銀行の倒産も救わず、終身雇用の終焉をうたい、大リストラを定着させた。その抑圧的なバブルが、ここにきて弾けているとみることもできる。

★しかし、山本直人氏の「世代論のワナ」ではないが、一つの世代を一面的にみてそこをデフォルメしてわかりやすく表現することは危うい。だから氷河期世代というネガティブな面を強調する言い方より、戦後はじめて直面する大きな生活危機の状況の中で、サバイブした世代と言った方がよいかなと思ったのである。

★そして、電博やリクルートの奥の院にいる人材の武器は、ポストモダンを牽引する現代思想だった。1980年代を席巻したこの現代思想は、大学入試の国語や社会の素材でも活用された。学歴社会システムに、誰が巧んだのかわからないが、現代思想というトロイの木馬をインストールして、そこから大手広告代理店やリクルートなどの大手人材活用ビジネスやベネッセなど大教育産業に人材を送り込んだ。

★そしてこれら産業は当然IT産業とコラボした。サバイブ世代の中で生き残り組は、「勝つ」という概念をモダニズムではなく、ポストモダニズムの現代思想的にもっと主観や欲求に求め始めた。これがまたヤヌスなのだが、それはともかく、こういう新しい教養に大学入試という学びから影響を受けたスタッフは、当然組織論は今ではティールだとかいわれているが、1990年代の用語では「リゾーム型組織」とかライフスタイルは「ノマド」(このことばも現代思想用語)が流行る。

★コンピテンシー論も、今はやっているが、1990年代に現れた人材開発論の1つだ。

★こうしたライフスタイルの象徴が、いまGAFAと言われているシリコンバレーである。もっとも、今のように巨大化しているシリコンバレーというより、草創期のヒッピー起業家精神の集積場としてのシリコンバレーだっただろうが。

★もちろん、サバイブ世代は、次の世代のデジタルパイオニア世代とは違い、全員がICTに長けているとは言えない。ヘビーユーザー側ではあるが、クリエイターではないだろう。しかし、サバイブ世代で成功している人たちは、マネジメントというこれまた1990年代に生み出された新しいマーケティング理論を活用して、そのような才能者とコラボして新市場を創り出すのは得意だ。

★実際、僕の周りのサバイブ世代は、実に巧みだ。もちろん失敗から学んでいてまさにサバイバーで、しらけ世代の高齢者の僕だが、脱帽せざるを得ない。そんな彼らが、デジタルパイオニア世代とコラボし、Z世代の子どもを眼に入れてもいたくないほど愛しているのだ。

★したがって、モダニズム的指標で私立中高一貫校を選ぶはずはないのである。最近は校長もデジタルパイオニア世代の学校もあるし、教頭、教務部長クラスにデジタルパイオニア世代がいる学校が増えてきた。シリコンバレー系だったり、21世紀型教育系だったり、共感的コミュニケーションというポストモダン的な発想を組み込む学校が出現してきた。

★2022年は、1980年代から始まった社会変動の地殻変動が大地震となる可能性がある。そのときにどうするかサバイブ世代は、自分の生活と子どもの未来をどうするか決断するわけだ。

★ところで、その先はどうなるのか?AIシフトとは何を意味するのか。AIシフトは、産業革命以来続いた政治経済社会を大転換すること示唆している。つまりモダニズムの大転換。それはポストモダンで大転換したのでは?いや、ポストモダンは、モダンの延長上で、根底は変わっていない。ソサイエティ5.0は、内閣府や経産省は表には出していないが、日本の野望がおそらく隠されている。

★表に顔を出さない、官僚の奥の院に内側から変えるという高橋是清のDNAを持った部隊がいる。表に顔を出すのは、勝海舟のDNA部隊だ。なんで、そんなことがわかるのか?見たこともないのに。

★もちろん、独断と偏見である。ただ、≪官学の系譜≫と≪私学の系譜≫は、実は明治維新の時、政治に経済に官僚の中にヤヌスとして埋め込まれたのである。明治の偉人の中には、大河ドラマで頻繁に扱われる人物だけではなく、小栗忠順のような未来を予測しながら実践力を発揮した人物がいる。すでにグローバルな精神を持った恐るべき賢人である。新政府は、勝海舟は政府側に取り込んだが、小栗忠順は、生かされなかった。それほど怖ったのであろう。

★のちに、小栗忠順のDNAは≪私学の系譜≫に受け継がれることになるが、それは歴史家や歴史小説家によろしくお願いしたい。

★話は拡散してしまったが、要するにサバイブ世代の中の進取の気性に富んだ保護者は、Z世代の自分の子供たちの未来を見据えて学校選択をするということが言いたかったのである。そして、このZ世代こそ産業革命以来続いた強欲奪取型近代社会を循環型近代社会に転換する才能とICT秘術と平和を生みだす寛容性をグローバルネットワークを張り巡らしながらいかんなく発揮することになる。

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