新しい女子校(01)富士見丘 私学の女子校の復権の時代を牽引
★笹塚の希望の丘にある私立女子中高一貫校の富士見丘は、女子校低迷と言われつづけたバブル崩壊後の長引く経済空白時代の中から不死鳥のごとく、新しい女子校として、2040年に活躍するグローバルネイティブでデジタルネイティブのZ世代の女子に認識されるようになった。いわば希望の女子校なのである。
(模擬国連部 全国高校教育模擬国連大会で。写真は同校サイトから)
★女子校のイメージというか先入観というのは、戦前にあっては、合法的に男女の格差が認められていて、お国のために働く男性を支える縁の下の力持ちとしての家政学を修めるための学校というものだった。封建的な家制度や男尊女卑的慣習がまだまだ当たり前だった時代である。
★戦後にあっては、新憲法のもとで、男女は平等になったが、20世紀に渡って、学歴社会を土台に、職種や賃金などにおいて依然として格差が残り、私立女子校は、その学歴社会の中で、男子と対等に渡り合える学力を身に着け、医者や官僚や弁護士になって、女性の社会進出を拡大しようという意志をもった女子校というイメージが新たに生まれた。
★しかしながら、この偏差値重視の学歴社会は、冷ややかにも一部の女子校を除いて、男子校にトップ層を独占され、多くの女子校の学力以上の教養を身に着ける教育に目を向けさせなくなるという逆説的事態が起こった。中学受験が盛り上がっている1980年代は、男子校投資説、女子校消費説という理論があり、女子校の豊かな教育が脚光を浴びたが、バブルがはじけるや、目先の実績・成果が重視され、学校や企業にかぎらず、政府においても経済の空白を新自由主義的カンフル剤で乗り越えようとする政策が打たれ、時代の風潮として蔓延した。
★その中で、女子校低迷時代が到来してしまった。女子校は、ますます男子と大学実績を競えるところだけがサバイブする結果になり、がまんができないところは、共学校に次々となっていった。時代の変化に対応する名目のもとに。経営上しかたがなかった。
★しかしながら、一方で、日本の女性の社会進出の低さは、先進国で目も当てられない状況で、何とかしようという動きがあったが、国内の中で、いくら働きかけても、なかなか大きな動きとならなかった。
(夏期合宿では、明海大学准教授で理事長補佐・校長補佐の吉田成利先生もかけつける。もちろんオールイングリッシュで)
★しかしながら、世界の問題から考えたとき、子供の権利や女性の権利の重要性は世界共通の問題であることがだんだん明るみに出てきた。バブルが崩壊する一方で、グローバルな時代が世界では開け、リーマンショックあたりまで、IT革命の旋風が盛り上がり、バイオテクノロジーや脳科学という新分野がAI研究と共に大進化した。同時に自然環境を守る動きも加速した。
★その動きの中で、世界では、女性の首相や大統領になる国々も出てきて、女性の社会進出は拡大した。この影響は当然日本も無視することはできない。学歴社会をフラット化する動きとして、経産省が仕掛け、文科省が2020年大学入試改革や学習指導要領改訂へと導いた。もちろん、依然としてその時代の流れに逆行する頑迷固陋な教師集団も存在するが、グローバルネイティブでデジタルネイティブでもある中高生は、高まるSDGsの流れで、イノベーターになり、チェンジメーカーになるウネリがでてきた。経産省のねらいもそこにある。
★また、世界同時的な分断的世界を目の前にして、いつも女性や子どもが犠牲になることを実感している女子生徒は、自らが平和を生み出すジェネレーターになれる居場所を探し始めたのである。
(模擬国連部の最終日の投票の様子)
★そんな時代の変容の中で、折しも、SGH認定校である富士見丘には、英語を武器に、ICTを武器に、世界の人びとと連携し新しい都市づくり、新しい国づくり、新しい平和づくりを探求し、考え、発信するプロジェクト活動する女子生徒の姿で満ちていた。
★経産省が「未来の教室」で目指す21世紀型教育が、すでに富士見丘にはあったのである。経産省がお手本にしたイノベーターと起業家をつくる21世紀型教育を提唱したハーバード大学のトニー・ワグナー教授の「未来のイノベーターはどう育つのか」に描かれた未来の教室は、米国ではシリコンバレーのHTH(ハイテックハイスクール)として結実しているが、同書が原文出版準備がなされたのは2011年である。邦訳は2014年であるから、それまでほとんどの私立学校は21世紀型教育を知らなかった。
★ところが、トニー・ワグナー教授が準備をしているときと同時に、富士見丘を中心とする同士校は、すでに世界から教育を俯瞰していたので、21世紀型教育を創る会(現在は21世紀型教育機構)を設立して動き始めた。HTHを意識することなど全くなかったが、時代の精神を読み解く私立学校の特性として、そのときから同期していたのだろう。
★その動きとSGHのプログラムの進行があって、今や経産省が提唱する「未来の教室」を先んじるどころか、それ以上のグローバル教育を創り上げてしまったのが富士見丘なのである。明治時代、つまりウイーン世紀末がきっかけになって、欧米中にジャパノロジーとして浮世絵や茶器や生け花、大名庭園が、価値ある芸術作品として高く評価されたが、それは日本の中では、当たり前のものだったり、古いものとみなされていた。しかし、世界が日本の文化を発見してくれたおかげで、今では、ようやく日本人が日本の文化として誇りに思えるようになった。
★それと同じことが今や女子教育においても起こっている。それが「世界が富士見丘を発見した」ということなのだ。
★しかしながら、実は富士見丘の女子教育のルーツは、明治初期の新しい女子教育黎明期にあった。実践女子の創設者下田歌子も、女子学院の創設者矢島楫子も、津田塾の津田梅子も、EUの父クーデンホーフ・カレルルギーを育てたクーデンホーフ伯爵夫人光子なども、封建社会で苦しめられてきた女性の地位向上と目をふさぎたくなるような男性の女性のひどい扱いを救済すべく、世界のネットワークをフル活用して、男性政治家や官僚と渡り合った。
★その凄まじいパワーに麻布の創設者江原素六は脱帽し、「武士道」という世界のベストセラーを書いた新渡戸稲造、「茶の本」というこれまた世界のベストセラーを書いた岡倉天心、そしてあの内村鑑三も応援した。彼女らは男性からみたら、良妻賢母ではなく、歯が立たない才女だったのである。
★今、富士見丘に続々集まっているグローバルな精神の持ち主であるZ世代淑女たちは、本当に男性を世界の人びとをあっといわせたあの才女らに匹敵する。寛容な同校の先生方でも、もっと謙虚にと驚いてしまうほどの未来の下田歌子や津田梅子や矢島楫子がずらりといる。
★SGH甲子園で立派なプレゼンで優勝し、シンガポールで世界の人びとの前でプレゼンする経験をしたり、今年模擬国連部は、第3回全国高校教育模擬国連会議(AJEMUN)に参加し、スーダン大使を務めた高校1年生ペアが実行委員特別賞を受賞したりもしている。
★模擬国連部の部長は、広島県主催の「第4回ひろしまジュニア国際フォーラム」に参加し、活躍もしている。このフォーラムは、事前の書類審査、英語力審査、オンラインディスカッション審査を通過した世界32か国88名の高校生・大学生が参加し、核廃絶と世界平和の構築に向けた「広島宣言」の採択を目指すプログラム。参加者は4日間寝食を共にしながら、当然ながらすべての活動を英語でおこなう。
★そのとき部長は、湯﨑広島県知事とも対話したわけだが、それはまるで津田梅子さながらである。津田梅子は6歳で渡米し、18歳で帰国して、日本の女子教育のために政財官の人びとと米国の人脈を結び付けながら活動を開始している。富士見丘の生徒と同年代というわけである。
★とはいえ、津田梅子渡米の環境を設定したのも、開明的な政財官の人びとだった。この構図もまた富士見丘にはぴたりとあてはまる。理事長校長である吉田晋先生も、理事長補佐・校長補佐の吉田成利先生も留学経験者で、英語力堪能なのは言うまでもないが、世界から女子教育を俯瞰する見識を有しているのである。とくに成利先生は、ロンドン大学キングズカレッジの大学院やシカゴ大学大学院で研究をし、法学のPh.D.を取得している。
★世界の先進的な憲法学者なのである。その視野の広さと学問的な見識の深さは、これからの新しい女子教育を支えるのには十分すぎるだろう。多くの人が忘れている、明治時代の才女が新しい国造り、新しい教育創りに乗り出したという≪私学の系譜≫を継承し、現代化しているのが富士見丘なのではあるまいか。学力エリートではなく、グローバルな才女としての淑女が育つ新しい女子教育の希望がここにはある。
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