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2019年8月11日 (日)

社会変動を生き抜く進取の気性に富んだ保護者

★ここのところウダウダ書いているのは、1980年代は、いよいよ明治以来積み上げれてきた堅固で改革を寄せ付けない日本社会のしくみを変える社会変動が起きたという小熊英二氏の発想がきっかけだということはすでに述べてきた。中学入試が、1980年代から、特に1986年高田馬場に中学入試情報センターが開設されたときから一気呵成に広まったのは、その地殻変動を象徴的な動きとして情報センターが描き切ってきたからであろう。

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(写真はアマゾンから借用)

★考えてみれば、1980年に12歳で中学入試に挑んだ世代は、新人類世代後半の子どもたちである。そして今や彼らは、51歳になっている。ということは、彼らの子供の誕生が30歳の時だったとすると、その子供が中学入試に挑んだのは、2010年だったのである。

★新人類世代は、大学時代や社会に出た瞬間は、バブル時代ピークのとき。そこから失われた時代の局面にさらされるわけであるが、12歳から18歳の時期にであったサブカルチャーは、スターウォーズだったし、ガンダムだったし、風の谷のナウシカだった。

★そして、中学入試の世界は、さすがにサブカルチャーをその当時は持ちこめなかったが、児童文学全盛時代である。児童文学評論家や作家は、当時席巻していた物語構造論や記号論を、成長物語の構造にどのように応用したり、崩したりするのかというのを盛んに論じていた。

★麻布の国語の先生方の中にも、宮沢賢治を物語構造論的アプローチで読む本を出す先生もいたぐらいで、麻布の国語で出題される物語(麻布は過去40年間に、詩と物語の二問構成を一度、コラムと物語二問構成を一度出題したが、あとはすべて物語一問である)と問いの構造を、その先生の本をなぞって分析するなどして、楽しんでいた。

★1980年代というのは、そういう雰囲気を現代思想側から振りまいていた時代だ。ロラン・バルトの記号論やジャン・ボードリヤールの記号論的消費経済論は、広告代理店のファッション本だっただろう。当時のカリタス女子の森本校長が、前田愛の「都市空間の中の文学」という大著を生徒共に読み込み、今でいう「探究」的な授業を展開していた。インタビューして感動していたのを記憶している。

★1990年代に入って、物語的アプローチではなく、言語論的なアプローチで記号論を扱っていた池上嘉彦先生の著作から7000字も出した開成の入試問題も大きな引き金になって、中学入試の国語の世界に記号論、物語論、そして静かにではあるが、大塚英二氏のサブカル的記号論の議論が大いに湧き上がっていた。

★21世紀になって、児童文学は衰退し、大塚英二氏のサブカル的記号論や物語論が導線となって、ライトノベル的な成長物語が中学入試に入れ替わり入ってきたのは、なかなかおもしろい出来事であったが、そのときには、もはや中学入試の現場から離れていたので、にわかに論じることができない。

★いずれにしても、今や、この新人類世代後半の世代の子どもとその後の世代であるサバイブ世代(一般には氷河期世代と呼ばれる)の子どもが中学入試に挑み始めている。それは2010年ころから始まり2019年の今もこれからも続くわけであるが、その保護者は、1968年~1977年に生まれている。

★そしてこの新人類世代後半から団塊ジュニアを含むサバイブ世代は、1980年代に中学入試に挑んでいるのである。もちろん、年代は前後するが、ざっくりこのような傾向だろうということなのだが、この仮説を前提にすれば、すくなくとも、1980年代以降に中学入試に挑んだ世代は、団塊世代でも断層世代(しらけ世代)でもない。

★全員がということではないが、少なくとも社会の葛藤を読み取れる世代である。その葛藤をあきらめるのか、その葛藤の中で勝ち抜くのか、その葛藤から抜け出るのか、葛藤を解決しようとするのか、社会における役割選択を迫られている世代でもある。

★しかも変動為替相場制が本格化した1980年代であり、留学生10万人計画が発行した1980年代である、社会変動を外から迫られる時代に中学入試に挑むことになる世代である。ジャパン・アズ・ナンバーワンは夢のあとというのを長く生きることになる世代である。

★新人類・サバイブ世代の親が1980年代中学入試で、学校選択をしたときには、それは団塊・断層世代の発想だった。その世代の進取の気性に富んだ発想は、偏差値というデータを信じ、大学合格実績という結果を信じ、選択することだったに違いない。

★しかし、そのような選択視点で、麻布や開成や桜蔭に入ったとして、半分は家庭のその考え方に従っただろうが、半分は何か違うのではないかとクリティカルシンカーになっているはずだ。

★このことは、中学入試全般に言える可能性が高い。それゆえ、2010年から、偏差値が低くても、グローバル教育を取り入れている学校を探そうとする動きが出てきたのかもしれない。

★しかし、その動きは2012年になるまで、緩慢だった。というのも、2011年までは、保護者を占めていたのは新人類世代が圧倒していたから、リーマンショックもなんとか切り抜けた学歴社会に対する信頼はまだ捨てきれていなかった。ところが、1970年生まれのサバイブ世代は、2011年の3月11日を体験し、社会変動が促進しないとどうしようもない思いを巡らせた。

★1995年の経験が通用しない事態がさらに拡大していることを思い知ったわけだ。世界中が注目し、その交渉をスムーズに段どれない政府官僚企業の姿を毎日テレビで見てしまった。科学の力もまったく歯が立たない状況は今も続いている。そうならないようにするための倫理的哲学的素養の必要性を感じないではいられなかった。

★グローバル教育の本来性としてのリベラルアーツ(哲学含む)、SNSという社会ネットワークとテクノロジーの再評価、未知の経験を乗り切るプロジェクト型の学びの緊急性などを、サバイブ世代は実感した。それは、所属する企業などの団体の中でも大いに議論されたし、ボランティア活動、デジタルの重要性、環境の重要性、それらの循環が立ち切れたときどういうことになるか、深く考えざるを得ない時代になったことを自然の猛威が知らせ、科学神話のベールをはがされた。

★サバイブ世代は、その状況を海外からみて、どうしようもできない自分にいら立つ経験もするなど、社会変動を促進することの実感は、実はグローバルな領域にまで広がっていた。

★そして、2012年に中学入試に挑む生徒は、完全なデジタルネイティブ世代である。デジタルネイティブ世代は1995年から始まるが、ブロードバンドインターネット接続ができるようになったのは、日本は2000年からである。それまでは、ダイヤル回線でつなげていた。

★ここからSNSの先駆けであるブログなど個人が世界に発信する動きがでてきた。完全なデジタルネイティブとは、世界につながるストレスがない世代のことを示唆している。

★このような完全なデジタルネイティブの自分の子が閉じらてた世界で椅子取りゲームをやっている姿を想像することは、サバイブ世代の保護者の中には不可能であるという進取の気性に富んだ層が増え始めていることは否めない。

★2012年から、学歴社会を牽引する大手塾やそれに賛同する教育シンクタンクの代表が「謎の入試」と呼ぶ偏差値で測れない入試を始める中学校が選択され始めるのは、この時期から大きくウネリ始める。

★そして、2019年もっとも若い中学入試に挑む子供を有しているサバイブ世代は1977年生まれである。最後のサバイブ世代(1980年生まれ)の子どもが中学入試に挑む年は2022年である。

★このとき、日本の経済社会システムはオーバーヒートを起こしているかもしれない。1980年代社会変動が起こったときに生まれた世代の子どもが、社会変動の大きな岐路に立つ2022年に中学入試に立ち臨むというのは、なんと運命的なのだろう。1980年生まれの進取の気性に富んだ保護者はどういう選択判断をするのだろうか。

★いずれにしても、中学入試は社会変動の行方を読み解く象徴の1つであることは確かなようだ。

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