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2019年8月16日 (金)

PBLの世界(16)高校生の「学習離れ」を解決するには?

8月12日の日本経済新聞の記事≪2020年度の大学入試改革 高校生「学習離れ」防げず≫によると、「浜中淳子早稲田大学教授は、大学入試を変えることで高校教育を変えようという手法には限界があると指摘する」とある。6月に浜中教授が執筆(共著)した「大学入試改革は高校生の学習行動を変えるか:首都圏10校パネル調査による実証分析 (MINERVA社会学叢書)」を読まなければ、その根拠が詳しくはわからないが、重要な指摘だ。

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★中堅高校の生徒までもが、学習から降りてしまっていることが、調査の結果わかったというのが前提で、浜中教授は次のような論点を明快にしている。

≪確かに、グローバル化への対応や表現力や思考力、主体性の育成というのは重要な観点なのかもしれない。しかしそれ以前に目を向けなければならないのは、学習から降りてしまった高校生たちの存在である。高校生の基礎学力の習得と学習意欲の喚起を目的に「高校生のための学びの基礎診断」というテストも導入されはしたが、大学受験や就職試験に必須でないこともあり、期待できる効果には限界がある。

私たち大人は、疑いもなく「大学入試を変えれば、高校生の学びは変わる」と語ってきた。しかしそれは「真」なのだろうか。実は、大学進学者層のほんの一部に影響を与えるにすぎないのではないか。そもそも四年制大学に進学しない、あるいは進学できない高校生たちも相当数に上るのである。

高校生の学びを豊かにするために効果的な施策は何か。日々の学校生活をどう構築するか。入試改革に飛びつく前に、エビデンスと現場の声に真摯に耳を傾けながら、吟味することのほうがよほど大事な課題であるように思われる。≫

★僕がかかわっている私立中高一貫校では、別に中堅校以上とは限らないが、ここまで学習から降りてしまっているという現状はない。しかし、「モチベーション」や「自己肯定感」を高めるために、涙ぐましい努力が、中堅かどうかいかんに関わらず、どこでも、学校全体で取り組まれている。

★したがって、「モチベーション」や「自己肯定感」が狭義の受験勉強ばかりでなく、広義の学びにおいて、高まらない社会的な構造を明快にする方が、浜中教授らの成果はより効果的になるだろう。生徒個々人の心理的反応を引き起こす社会的構造の影響は大きいはずだからだ。

★学問的エビデンスは重要だし、この出来上がってしまい閉塞した社会構造を変えるには、それはますます大切だが、僕は1地球人として、社会構造上、一握りの層にひと・もの・かね・情報とそれを回す化石燃料が集中していることが問題であることは、先人たちの成果からすでに明らかなので、どうやって、その社会構造内の一部の層に集中している力を解き放つかを論点にしている。

★そのために、いつの時代にもある革命という手段をとるのか、身近な制度のマイナーチェンジを積み重ねるのか、トロイの木馬を構造内にインストールするのか、やり方はいろいろある。浜中教授のように、学問的エビデンスを現代の社会構造のルールにのっとって提示し、検証し、だから変えなければならないというやり方ももちろんあるし、それは正統派だ。

★しかし、ルールは、不思議なもので、集中している力に有利に働く場合がある。いや往々にしてそうだ。大学入試改革も、本来は社会構造の閉塞部分を解消する予定だったが、違う力が働いて逆説的にも閉まってしまったということもあろう。

★現状の法制度は、悪法も法である。法制度を超えた力で悪法を是正することは民主主義ではない。悪法を変えなければならない。時間がかかる。そして、法制度を超えた力を使えば、革命になる。もちろん、法制度内に抵抗権を埋め込んでおけば別だが、日本社会の法制度にはそれはなさそうだ。明治期に政府官僚にルソーが排除されたのは、そういうことを意味しているだろう。

★そんなわけで、法制度にのっとって、法制度そのものを変える方法をとらざるを得ない。それがデビッド・ボームやピーター・センゲやガードナー、レズニック、古くはデューイなど、多くの見識者が語ってきたことだ。何せ、法体系にルソーはいないが、表現や言論の自由いルソーはちゃんと生きているのだから。法制度というのは摩訶不思議である。

★しかし、世の中は、彼らのノウハウを摘み取り、そのような魂を置き去りにするのが常である。PBLは、彼らの魂を高校生に限らず、そこに参加する人々と共感する場=トポスである。その本来性に気づく動きがようやくシリコンバレーやボストンあたりで生まれてきたという時代なのだろう。

★もちろん、常に自家撞着で、魂はそれらのエリアでも忘却されるものだ。それゆえ、最近では、その魂は、今度はベルリンに飛翔している可能性があるといわれている。あるいは、大企業のコンサルティング部隊が提示しているものとはまた違い、北欧で新たな本来的なサイキュラーエコノミーとして活動が始まっているのかもしれない。

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