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2019年8月29日 (木)

PBLの世界(19)PBLの基本的考え方②

★さて、PBLのPは、Projectなのか、Problemなのか、Passionなのか、Playfulなのか。。。これは、経験をしてみると、いずれも必要であることが了解できるはずである。囲碁やチェスなどあるいはテニスや羽球、サッカーなどのゲームなら誰しも経験したことがあるだろう。すると、これらの側面はゲームの中にすべてあることは了解できる。ゲームはよく遊びであると同時に学びでもあると言われれる。

★ホイジンガ―にはじまり、その影響を受けたカイヨワが引用されるわけであるが、遊びの条件はいろいろあるけれど、やはりベースには≪対話≫がある。≪対話≫のルールを、スポーツやボードゲームのような局面に適用していくと、独特の条件が揃うわけだけれど。

★そして≪対話≫を思考という領域で展開すると、そこにはPhilosophyが生まれるのである。だから、Philosophyというのは、プラトンとかデカルトとか、カントとか、ヘーゲルとか、ハイデガーとかフッサールとか西田幾多郎とか、専門家がいるわけだけど、日常言語哲学の場で展開すると、誰でもが≪対話≫というアクティビティを活用できる。そこからものの見方や感じ方がうまれてきたり、発想が湧いたり、構想力が生まれたり、コラボレーションの輪が広まったり、絆が深まったりする。

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★そして、私がよく≪対話≫というのはレトリックの切り口でみるとわかりやすいという話をするのが、それはミメーシスという置換スキルが基本的な言語の考え方だということを言いたいわけである。置換がでてくるには、共通点と差異が明快になるところからたいていは生まれるから、比較というスキルを活用するわけだが、この比較とか置換というスキルを経験を通して自覚できるようになると≪対話≫は広がり深まる。

★一方、よく端的に一言でいうととかざっくり言うととショートカットしてプレゼンをするのは、抽象的に置換するスキルを発動しているわけだ。パラグラフライティングとか要約だとかみな置換スキルが発動している。置換操作で成り立っている象徴的な領域は、数学である。

★こうなってくると、STEAMの根本的なところは、このミメーシスというレトリック、つまり修辞学の復権ともいえるのだ。リベラルアーツをジョブスが大切にしていたのは、リベラルアーツには、この修辞学が基盤となっているからだ。

★近代化の過程で、科学主義は、レトリックは論理的でない、曖昧な表現だとかいって、斬り捨てることになる。しかし、ノーベル化学賞を受賞する科学者の発想の中には、サッカーボールを物質のカタチにに見立てて、炭素の同素体から新しい形の新物質を生みだしてしまうというのもある。ここでも、置換というレトリックが活用されている。

★幼児期の子どもが、ただただ親の真似をして笑っている姿をみたことがあると思うけれど、これは経験を通じて置換操作を行っている。経験は多様な置換のデータを取り込むことだ。それがデフォルトモードネットワークとして身体脳神経系全体に格納される。それを応用して、新しい出来事に置き換えて当てはまるかどうか、その無限の試行錯誤が展開する。そして、デフォルトモードネットワークが拡大し続ける。

★この言語習得や知識獲得、身体脳神経系と社会や自然や他者との循環ができるかどうかの、すなわち、生きるシステムの置換操作は生まれるや始まるのである。それがレズニックのライフロングキンダーガーデンの発想である。こうして考えていくと、この置換操作の循環ができないところに、葛藤が生まれると考えることができる。試行錯誤とはこういうことだ。

★ところが、このような話は、そんな簡単なことなのとか、あるいはそんな安易でよいのかみたいな誤解も生んでしまう。しかし、あらゆる事象や現象はシンプルな原理から生まれている。その原理を見つけて、実感できるのは唯一経験なのである。

★そんなシンプルな原理を、一つ一つ実感する経験ができないために、知識として原理から切り離してしまって、というか切り離そうとしているつもりは全くないのだけれど、経験の伴わない知識習得は自ずと原理を忘却するのだ。これを長年やってきたのが、一方通行型の20世紀型授業である。主体的になるには、この基本原理を経験を通して一つ一つ確認できる思考様式を身に着ける必要がある。

★「主体的・対話的で深い学び」という表現は、なんとも言い得て妙であるが、そんなことを全部包摂して創られたのかもしれない。

★いずれにしても、PBLのPは、一つではなく、上記図のように多様なPの関係で成立している。そしてルビンの壺よろしく、どれを前面に出すかによって、Projectにもなるし、Problemにもなるし、・・・いろいろなのだ。いやどれか一つの要素を取り出して、他と区別しないと気が済まないと循環を断ち切る要素還元主義的な考え方をする方もいる。

★これは、人類誕生するや生まれた≪対話≫が始まって以来解決のつかないアポリアとして今も続いている。中世時代には普遍論争なんて呼ばれていたこともある。

★それゆえ、その解決を私に求められても、解けるはずがない。それは1人ひとりが自分で解決するしかないのである。もちろん、そこまでいったとき、はじめて、だって自分でも解決ができないと互いに吐露することになる。そして、エッみんなそんなに考えがまとまらないの?じゃあ協働するしかないじゃんとなったとき、その集団はようやく学習する組織を形成できる。

★そこをスルーして、要素還元主義的ではなくて関係総体主義で行こうといったところで、自分で解決する経験を通さないから、音声が右から左へ通り過ぎて、思考が生まれない。要素還元主義とか関係総体主義という文字や読み方が記憶されるだけなのだ。

★≪対話≫とは、言葉の生態系を経験する言語ゲームでもある。学びにおいて、これをシステム化したのがPBLだと私は思っている。そのシステムは上記の図のように5つのPの関数関係でできあがるとここでも置換するわけである。レゴやアプリを活用すると、PlayfulやPassionが前面にでるから、楽しいしワクワクするし没頭するというイメージを想起しやすい。新タイプ入試の体験講座が満席になるのは、そういうわけだ。

★かくして、このような経験を通して置換できるサンプルをどんどん集積して、一方で、置き換えることで新しい発想を生み出す学びがPBLであり、それは学校の授業だけの話ではない。人生そのものである。そのときProjectという要素が前面にでてくる。そしてこの意味でのPBLはもはや、≪ライフロングPBL≫と言うしかないだろう。

そんなことを四六時中≪対話≫してPBLの実践を重ねているのが21世紀型教育機構の仲間であるが、その一つの結実が9月1日公開される。

★「未来の教室」に参加して考えを巡らしている先生、お子さんの未来をいつも考えている保護者の皆様にとても、シンポジウムに参加する経験は非日常でもあるがゆえに、新たな視点を発見できるでしょう。

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