PBLの世界(14)中学入試は、留学生受け入れ政策とコンピュータ進化と国際経済の変動の三つ巴の象徴②
★かくして中学受験専門塾に入社したのは、1985年9月からなのだが、入社早々驚いたのは、社内は当時の中曽根政権の臨教審批判が舞い上がっていて、それが取締役の人達によって論じられていた。もちろん、現代化カリキュラムという落ちこぼれがたくさん生まれてしまった学習指導要領の改訂は公立学校には重要だが、私立学校は、現代化カリキュラムの継続をという論だったと思う。中学受験受験専門塾としては当然の理屈だった。
★その正当化理論の1つを支える本がJ.S.ブルーナーの「教育の過程」で、科学の最前線も、子供たちがわかるレベルで教えるも、そのエッセンスである理論の構造は維持せよというのが肝で、その塾の新カリキュラムも、その「構造」というものを発見して、それをベースに創るのだと取締役陣がほえまくっていた。
★その構造の仮説を実証するためにも、学力調査レポートを毎年だしていた。11月3日の無料テストを、子供たちの知の構造をつくるデータ収集として位置付けていた。ふだんのカリキュラムテストや模擬試験にも、その構造の構成要素を教科コードとして体系化し、検証する研究もした。
★そうはいっても、現場は生徒があふれ、実際に合格率をあげるためにのみ動いていたから、本部で行っていることは顧みられることはなく、新カリキュラムができたころには、合格実績も右肩上がりということもあり、データ至上主義から研修体験主義に向かっていった。
★教務情報は、それ以降ルーチン化し、開発費もかけなくなっただろうが、入試情報センターは、その後も大活躍し、中学入試の黄金期をつくるのに大いに貢献した。
★1980年代は、ホストコンピュータ時代、教育改革のゆとり化、しかし同時に国鉄の民営化など、マーケット経済の動きが闊達になり、教育もその例外ではなかった。なによりも、1985年は、レーガノミクスでプラザ合意がなされ、為替の変動相場制の爆発が起こるグローバリゼーションの時代の到来の鐘を鳴らした。
★そんなとき、中曽根政権は臨教審だけではなく、留学生10万人計画をたて、国際理解教育に門戸を開放するのである。留学生を受け入れるというのは、教育制度だけではなく、外交関連法規の整備も必要であるし、何より国内外の雇用の問題をどうするか議論がはじまったのもこのころだろう。1ドル360円時代は去ったわけだから、海外に続々進出しはじめる動きも大きくなった。バブルが到来するのも必然だったのである。
★そこでうまれた新興富裕層が、1979年に発刊された「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の国で学歴トップを勝ち取るために、教育投資先として私立中学を選択することは当然だった。
★このような世界的な社会変動が、1980年代後半に、ペレストロイカやベルリンの壁崩壊に至ったのは必然的だったのだろう。中学入試は、この動きで活躍する新興富裕層・新興富裕層の投資先になり、さらに彼らを支える消費経済を生み出す国内富裕層・準富裕層の子弟の投資先にもなった。ジャパン・アズ・ナンバーワンを支える日本企業村の学歴構造はさらに強化されていった。
★臨教審は、当然世界の大学の大衆化の流れにも乗っているから、留学生10万人計画とともに、大学も改革が余儀なくされ、大学進学率も上昇し、教育の自由化、公平化とは真逆の学歴社会が堅固になっていくのである。社会の変動と教育改革の遅れというパラドクスは、1980年代にこうして生まれたのであろう。
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