« 2019年7月 | トップページ | 2019年9月 »

2019年8月

2019年8月31日 (土)

【2020年首都圏中学入試動向05】八雲学園 本格的「説明会」スタート。

★八雲学園は、前期は学校見学とミニ説明会を中心に広報活動を行ってきた。いずれも申し込みは満席で、共学化して3年目を迎えるが、人気が定着してきた。そしていよいよ、9月16日(日)から、本格的な説明会を開始する。

Yakumo_20190831114301

★Round Squareという破格なグローバル教育の成果が、イングリッシュパフォーマンスや英語体験教室ににじみ出ているはずだから、4年生、5年生の頃から八雲学園を見守っている受験生・保護者は、大いに期待をしているし、八雲学園がアップデートして、注目を浴びている情報を得て、はじめて訪れる受験生・保護者もドキドキして参加することだろう。

★学校説明会の他に、体育祭、文化祭、イングリッシュファンフェアー、球技大会、英語祭、百人一首、スピーチコンテストも見学できる。教育特別活動は、それぞれ実行委員会がプロジェクトベースで動くし、各教室はリサーチした結果がポスターセッション型の展示がデザインされている。

★学校説明会で、八雲学院の方針と何をどう行っているのかに耳を傾け、その教育の質の高さを様々な行事で実際に堪能できるわけである。情報は、やはり自分の目と耳で集めるのが基本。ぜひ足を向けてはいかがだろうか。

|

PBLの世界(22)経験とアクティビティのコンビネーション ②たとえば、Speed Dating。

★PBLのスタート時点で、私がよく使う≪アクティビティ≫は、<Speed Dating>。スピードデートのアクティビティは、生徒間の一連の短い一対一の対話。一方が30秒話した後、次は、話し手と聴き手が変わり、また30秒間話す。そのワンセットが終わると、パートナーを変えて、同じことを繰り返していく。もちろん、時間は1分でも2分でもよい。設定しだいである。

Sd

★シンプルな<アクティビティ>だが、なかなか奥の深い伝統的なアクティビティ。探究の<経験>をするとき、未知の事象や現象に出遭う。自分たちが知っている知識や情報を出し合って、フェルミ推定さながら、仮説を立て、リサーチをしながら検証していく。時間的には何時間も、何日も、何年もかかるものまである。

★たいへん重要な<経験>であるが、これを普段の授業に持ち込むことはできない。しかし、そのプロセスをシンプルに短時間に行うことは<Speed Dating>だと可能だ。そして普段の授業で行っているから、このような未知への対応力のベースができ、再び<経験>にも役立つという循環が生まれる。

Dsc00281

(聖学院授業デザイン研究研修のワークショップは<Speed Dating>から始まることが多いし、ここに発見の種が生まれる場合が多々ある)

★当初は、米国では、クラスがすでに多様性であるから、すべての生徒が互いに交流し、コミュニティの感覚が生まれてくることを期待して行ったとされている。また、基本的な知識を構築したり、より自由な質問でより深く調べたりできるようにすることもできるので、知識を暗記する以上に知識の獲得のプロセスを疑似体験でき、非認知的能力と認知能力の化学反応が起きやすい<アクティビティ>。

★さらに、いきなり<ディスカッション>というアクティビティでは、静かでシャイな生徒にとっては、ストレスが高いが、一対一ということで、パートナーの設定機会になる可能性も大きい。チームビルディングあるいはコミュティデザインとしてのクラス運営の準備段階としても有効である。

★そして、わずか5分くらいで、深く考える楽しさをゲットできるのが興味深い。それには、しかし、ジグソー法を融合する必要があったり、トピクや問いの設定の工夫が必要となり、ただ一対一の対話をすればよいかというと、そうではない。なかなか奥の深い<アクティビティ>である。

★システム思考的側面から言えば、<Speed Dating>の≪対話≫では、具体と抽象の置換スキルをよく使うことになる。また思考スキルのマッピングとしては、コンセプトマップを活用したのと同じ効用がある。

★思考コードで、A2、B2のキーは必ず使うことになるが、C2やC3のキーを使うかどうかは、問いの設定次第。いずれにしても、知識を生み出す気づきが生まれるという点では<経験>と同期する。<アクティビティ>はメタ経験ととらえ返すこともできるから同期するのは当然ではある。

|

静岡聖光学院 <国際未来共創サミット>始まる。

★静岡聖光学院のキャンパスが高校生グローバルシチズンで一杯になっている。8月28日~9月5日まで、世界7カ国、日本からも含めて多くの高校生と教師が集結。第1回<国際未来共創サミット>が開催されているのである。主催は静岡聖光学院で、自治体や企業の協力もある。

8

(<国際未来共創サミット>開催中の9月1日は、同校ロバート・ピエール・ホールで、<第3回静岡国際シンポジウム>も同時開催。)

★世界各国の高校生が集まり、各国が協力して解決しなければならないSDGsを中心とする問題について、共に考え、議論し、未来を創造するワークショップ満載。サミットのフィナーレは、ワークショップで学んだ成果についてプレゼンテーションを行い、一堂に会した高校生グローバルシチズンが想いを一つする。

9

★もちろん、想いを一つにするまでのさまざまな議論や制作活動を通して、ものの見方・考え方・感じ方の違いを感じる。しかし、それをシェアすることによって、世界の大きな問題の解決のヒントは、実はまさにいまここにあるということを身に染みて実感し、SGDsのグローバルゴールズ解決のためにすぐにアクションを起こせるというのが、このような<国際サミット>が世界で行われる大きな目的である。

10

★にもかかわらず、目先の大学進学準備が優先され、我が国はこのような中高生による国際サミットを開催する労力も金もかけてこなかった。外交交渉だけで国際関係を形成しようとしても、webで国境を超えて各個人がつながってしまっている時代には、難しい局面にぶつかっているという事態になっているにもかかわらずである。

★そんなとき、静岡聖光学院はアクションを起こしたのだ。画期的なことである。

11

★どうして、このようなアクションが自生したのかと言うと、昨年から地球まるごと僕らの教室にしようと11もの国に生徒が飛んで、自分たちは目先の問題だけではなく、世界共通の大きな問題を解決するミッションが課されていることに気づいたからだ。世界では、中高生が国境を超えて、対話し、議論し、協力してコトを成そうとアクションを起こしているではないかと身体中に電気が走ったからだとうい。

★同校の伝統的なジェントルマン教育が、一気呵成にグローバルジェントルマン教育として現代化し、革新的に花開いたのである。

★このような貴重な<経験>にはワークショップという<アクティビティ>が埋め込まれている。実は世界の学校同士が行う意義は、<経験>と<アクティビティ>のコンビネーションをデザインできるPBLが核として共有できているからなのである。

★学校の教育の必要性は、普段の授業の中で、目の前の問題以上に世界の大きな問題を引き受けるプロジェクトが埋め込まれているPBLが展開できるからである。

★20世紀型教育から21世紀型教育に転換しないという選択肢はもはやない。まったなしだ。静岡聖光学院の今回のアクションはそれを示してくれている。

 

|

2019年8月30日 (金)

PBLの世界(21)経験とアクティビティのコンビネーション ①

★デューイやピアジェの本を紐解くまでもなく、パパートやレズニックの学びに身を沈めるまでもなく、イギリスやドイツの近代哲学を学ぶまでもなく、アメリカのプラグマティズムを研究するまでもなく、≪経験≫が人間の母なる大地であることは誰もが受け入れることだろう。

★にもかかわらず、授業から≪経験≫を排除してきた近代教育。その反省として、上記にあげた哲学者とか心理学者が≪経験≫の復権を唱えてきたわけである。とはいえ、各教科の授業の中に≪経験≫をいれることはなかなか難しい。そこで、特別教育活動や総合的な学習(これからは「探究」の時間という枠を創意工夫して≪経験≫をとり入れる教育をしてきたわけだ。

Photo_20190830102301

★しかし、2020年から急に授業の中で「主体的・対話的で深い学び」つまり、アクティブラーニングをやって≪経験≫を取り戻すように変わるという。デジタルネイティブでグローバルネイティブである今の小中高生にとっては歓迎だけれど、現場の教師には知識の量と配列が変わらないのにできるのかという疑問や不安が広がったわけである。

★たしかに、≪経験≫は重要だ。ある一定の時空の中でおこる生徒にとっては未知なる事象や現象の中で、五感を研ぎ澄まし、筋肉と神経系を総動員して知ろうとする。既存の似たような事象や現象を想像して、照合しなんとかわかろうとする。ワクワク、ドキドキ、仲間の激励にやる気を起こして、感情を高め、思考していくという≪行動≫を通して、気づきが生まれ新たな知識や技術を獲得する。

★そして、その同じ経験を反復することによって、気づきはいつしか暗黙知と化する。すなわち、知識を、身心脳神経全体を総動員してプロセスを生みだしてきて結実してきたのに、そのプロセスはコンパクトに圧縮されたり自動化して暗黙知となる。結果、知識はプロセスの前提なしに、手軽に使えるようになる。この気づきから暗黙知になるまでの一連の関係全体を≪経験≫というわけだ。

★しかし、最初の時空の事象や現象との出会いのマインドセットによっては、知識が普遍的ではなく、偏狭なままの場合もあるので、暗黙知を分析し、見える化し、訂正していくというリフレクションが必要なのであるが、いったんできあがってしまった≪経験≫は崩し難い。

★それゆえ、こうして憶えてきた知識体系を憶えていく授業経験を変えていくのは難しいし、そんな変容のための≪経験≫は、海外に浸ってみるなど非日常的な≪経験≫のマインドセットが必要になる。このインパクトによって、目からウロコとなって、自己変容が生まれるというシナリオ。

★ところが、そんな非日常体験を誰でもできるわけでもないし、四六時中できるわけでもない。

Photo_20190830103501

★それゆえ、その≪経験≫を≪アクティビティ≫化して、ふだんの教科授業の中にコンパクトに埋め込み、知識が生まれてくる過程を引き出せる≪思考スキル≫を見える化して、学び方を学ぶ授業にしようというのが、2020年以降のアクティブラーニングなのであるが、このことを明確に意識して授業をデザインできるのはやはりPBLというシステム思考なのである。そのことについては、今後少しずつ考察していきたい。

★ともあれ、海外研修やその他の特別教育活動、探究、キャリア教育では、≪経験≫を、授業では系統的な知識の記憶と分離あるいは役割分担するのではなく、授業でも≪アクティビティ≫を埋め込み、≪経験≫の効用と≪アクティビティ≫によって≪経験≫の相対化=クリティカルシンキングできるコンビネーションを創っていくことが、今後必要とされる≪未知への対応力≫=サバイブスキル=≪野生の思考≫が身に着くというものだ。もちろん、系統的な知識も身に着けることができる。

★これを、≪アクティブラーニング≫ではなく、≪経験≫を授業にいれることがアクティブラーニングだとすると、当然、知識の量は限られることになる。≪アクティブラーニング≫はコンパクトだが、≪経験≫は果てしない。だから月分けは大切なのである。思考と知識の循環を生み出すには、≪経験≫と≪アクティビティ≫の連携が有効だ。

9月1日の静岡国際シンポジウムでは、この破格なグローバルな≪経験≫とそれを本質にまで深める思考力を生み出す≪アクティビティ≫が埋め込まれたPBLのコラボレーションを垣間見ることができるだろう。

|

2019年8月29日 (木)

PBLの世界(20)PBLの基本的考え方③

★今やテレビの情報番組でも多くの識者が、孫正義さんまでも講演などで、もはや誰でも少子高齢化で生産年齢人口が減少して経済や景気は激しく減速するということをタンタンと語るようになってきた。世界中が分断の嵐で、日本と隣国との関係も似たようなことが起きて、どうも国家のやっている今のままでの政治や経済政策では、ままならない。

★一方で、シリコンバレーモデルが各国で国の人口を超える会員がぶらさがり、政治も経済も誰がコントロールするわけでもなく、多様な化学反応が生まれている。ケイオスの様相を示している。しかし、それは、古いメガネで見ていたら混沌としているが、新しいメガネでみると、ブレイクスルーが生まれる前兆とか、クリエイティビティのエネルギが充満してきたとかとらえてることができる。

★当然、孫正義さんをはじめとするイノベーターや起業家を推進する人のメガネは新しい。とすると、結論は簡単だ。みな新しいメガネをかけて、みんな天才になればよい。自分のスーパー才能を見出す、つまりギフデットとしての自分を見出す新しいメガネをかけることだ。

Photo_20190829094701

★さて、この新しいメガネはどうやって作るのだろう。それは孫正義さんのようなサバイバル人生術を見ればすぐに了解できる。孫正義さんの人生そのものがプロジェクト型の生き方だ。自分でマーケティング直観を見出し、キーパーソンを見つけ、その人をおっかけ、直接交渉できる機会を見つけ、相手がアッというような技術を磨くために、バークレーに留学し、英語はあたり前でという学習経験をしたからできたのだ。そして、投資という技術も身に着ける。ネットワークは極めて重視するが、なんでもかんでもではなく選択する。もちろん、もっと複雑で、こんな簡単な説明では孫さんに叱られるだろうが。。。

★ともかく、この学習経験を学校でできるようにならないのか?というのが、トニー・ワグナーや経産省の「未来の教室」の発想だし、21世紀型教育機構もそれは同じだ。その新しい学習経験こそ≪PBL≫に他ならない。

★昨年のノーベル経済学賞受賞者の1人ポール・ローマ教授の「内生的成長論」は、まさにこの新しい学習経験を皆することなのだということだ。人口成長を前提に読み書き算盤(3R)の古い学習経験を、人口が減った分、1人ひとりが探究・議論・表現という3X型のPBLという学習経験をすることで、何倍も価値を高めることができるという理論。ざっくりいうと、今の日本の物価で、1人年収2000万くらい稼げるようになればよいのだと。一握りのミドルアッパー層の話ではない。全員がだ。

★9月1日(日)、静岡聖光学院で行うシンポジウムは、その内生的成長を生み出す新しい学習経験の公開とその作り方、そしてその新しい学習経験を実際にいまここで体験している各国の生徒たち=Z世代も参加する。今やみんなが新しい学習経験をすることが必要であり、そうすることでみんなが創造的才能者になれる。みんな天才、ギフデットになれば、はじめて実質的平等も生まれる。機会だけ与えられる形式的平等が実質的平等にシフトすれば、社会は良好な循環=平和が訪れる。いっしょに新しい人材の新しい学習経験による新しい社会のための未来に思いを馳せたい。

|

児浦先生 世界をあっと言わせる学習経験を生徒と共創する

★つい一週間ほど前に、「聖学院 中高生にとって大事な学びを創る ≪Z世代≫の学びへの挑戦!」で、聖学院の児浦先生の活躍を紹介したばかりなのに、この間に、児浦先生は、静岡聖光学院と聖学院の合同英語キャンプに飛んだり、金沢に生徒たちと飛び、金沢工業大学STEAMキャンプを体験してきている。

Dsc02128

★いずれも合宿探究学習だろう。8月前半はずっと東南アジアでチェンジメーカープログラムの体験をやはり中高生としてきているわけだから、もはや超人と言うしかないが、少し健康状態は大丈夫なのか心配になってしまう。

★そうはいいながらも、9月1日(日)に静岡国際シンポジウムで登壇していただくわけで、無理しないでねといいつつ無理をしていただくこの自己言及のパラドクスに少し申し訳なさを感じる。が申し訳なさを感じつつそこを突破してしまう無限の自己言及パラドクスに私も眩暈がするが、こういうとこきは、エーイ、児浦先生は、世界をあっと言わせるスーパー教師だから、甘えてしまえと覚悟?(居直りだろう)を決めることにしている。

★それにしても、聖学院の生徒たちは、夏休み終盤においても、グローバルイマージョン体験とSTEAM体験ができる贅沢なプログラム環境にある。そして、その仕掛け人が児浦先生。

★グローバルイマージョンは、ネイティブスピーカーの先生との対話だけではなく、他校の生徒との交流もマインドセットされている。プロフェッショナルと多様性との遭遇だ。

★STEAM体験も、金沢工業大学をはじめとする研究者や専門家と最先端の科学、テクノロジー、エンジニアリング、数学のプログラムに参加。やはり、プロフェッショナルと全国から集まった参加者という多様性との遭遇。そして根源的なアートの構えを体験している。

★この根源的なアートの構えとは、実は金沢という都市、つまり、土台に前田家が構築した京都と江戸の融合文化が根付いているからこその発想で、とても興味深い。

★STEAMのAは、どうも日本のアートが強く関係している。ジョブスの発想は、自身が語っているいるようにまさにそうなのだ。室町、安土桃山と続く中で醸成されてきたある固有のアート文化の現代化を、金沢工業大学のキャンプで体験している。

★これはすごい。どうして私がそんなことまで知っているかというと、児浦先生のfacenookを読んでいるからだ。つまり、ウケウリ。

★児浦先生は、いまここで、目の前の生徒にとって最適なグローバルイマージョンプログラムやSTEAM×SDGsプログラムの環境をマインドセットとしているが、一方で、すべてのプログラムをその日本の固有かつ根源的ということは普遍的アートの構えで統合することを考えている。何のために?それは来年まで明かすことができないという。

しかし、そこに行き着くまでの過程を、9月1日は、シンポジウムで語ってくださるということだ。世界をあっと言わせる学習経験のカリキュラムやプログラムが生まれる過程に立ち会えるということだろう。必見!であることは間違いない。

 

|

PBLの世界(19)PBLの基本的考え方②

★さて、PBLのPは、Projectなのか、Problemなのか、Passionなのか、Playfulなのか。。。これは、経験をしてみると、いずれも必要であることが了解できるはずである。囲碁やチェスなどあるいはテニスや羽球、サッカーなどのゲームなら誰しも経験したことがあるだろう。すると、これらの側面はゲームの中にすべてあることは了解できる。ゲームはよく遊びであると同時に学びでもあると言われれる。

★ホイジンガ―にはじまり、その影響を受けたカイヨワが引用されるわけであるが、遊びの条件はいろいろあるけれど、やはりベースには≪対話≫がある。≪対話≫のルールを、スポーツやボードゲームのような局面に適用していくと、独特の条件が揃うわけだけれど。

★そして≪対話≫を思考という領域で展開すると、そこにはPhilosophyが生まれるのである。だから、Philosophyというのは、プラトンとかデカルトとか、カントとか、ヘーゲルとか、ハイデガーとかフッサールとか西田幾多郎とか、専門家がいるわけだけど、日常言語哲学の場で展開すると、誰でもが≪対話≫というアクティビティを活用できる。そこからものの見方や感じ方がうまれてきたり、発想が湧いたり、構想力が生まれたり、コラボレーションの輪が広まったり、絆が深まったりする。

Pbl_20190829051901

★そして、私がよく≪対話≫というのはレトリックの切り口でみるとわかりやすいという話をするのが、それはミメーシスという置換スキルが基本的な言語の考え方だということを言いたいわけである。置換がでてくるには、共通点と差異が明快になるところからたいていは生まれるから、比較というスキルを活用するわけだが、この比較とか置換というスキルを経験を通して自覚できるようになると≪対話≫は広がり深まる。

★一方、よく端的に一言でいうととかざっくり言うととショートカットしてプレゼンをするのは、抽象的に置換するスキルを発動しているわけだ。パラグラフライティングとか要約だとかみな置換スキルが発動している。置換操作で成り立っている象徴的な領域は、数学である。

★こうなってくると、STEAMの根本的なところは、このミメーシスというレトリック、つまり修辞学の復権ともいえるのだ。リベラルアーツをジョブスが大切にしていたのは、リベラルアーツには、この修辞学が基盤となっているからだ。

★近代化の過程で、科学主義は、レトリックは論理的でない、曖昧な表現だとかいって、斬り捨てることになる。しかし、ノーベル化学賞を受賞する科学者の発想の中には、サッカーボールを物質のカタチにに見立てて、炭素の同素体から新しい形の新物質を生みだしてしまうというのもある。ここでも、置換というレトリックが活用されている。

★幼児期の子どもが、ただただ親の真似をして笑っている姿をみたことがあると思うけれど、これは経験を通じて置換操作を行っている。経験は多様な置換のデータを取り込むことだ。それがデフォルトモードネットワークとして身体脳神経系全体に格納される。それを応用して、新しい出来事に置き換えて当てはまるかどうか、その無限の試行錯誤が展開する。そして、デフォルトモードネットワークが拡大し続ける。

★この言語習得や知識獲得、身体脳神経系と社会や自然や他者との循環ができるかどうかの、すなわち、生きるシステムの置換操作は生まれるや始まるのである。それがレズニックのライフロングキンダーガーデンの発想である。こうして考えていくと、この置換操作の循環ができないところに、葛藤が生まれると考えることができる。試行錯誤とはこういうことだ。

★ところが、このような話は、そんな簡単なことなのとか、あるいはそんな安易でよいのかみたいな誤解も生んでしまう。しかし、あらゆる事象や現象はシンプルな原理から生まれている。その原理を見つけて、実感できるのは唯一経験なのである。

★そんなシンプルな原理を、一つ一つ実感する経験ができないために、知識として原理から切り離してしまって、というか切り離そうとしているつもりは全くないのだけれど、経験の伴わない知識習得は自ずと原理を忘却するのだ。これを長年やってきたのが、一方通行型の20世紀型授業である。主体的になるには、この基本原理を経験を通して一つ一つ確認できる思考様式を身に着ける必要がある。

★「主体的・対話的で深い学び」という表現は、なんとも言い得て妙であるが、そんなことを全部包摂して創られたのかもしれない。

★いずれにしても、PBLのPは、一つではなく、上記図のように多様なPの関係で成立している。そしてルビンの壺よろしく、どれを前面に出すかによって、Projectにもなるし、Problemにもなるし、・・・いろいろなのだ。いやどれか一つの要素を取り出して、他と区別しないと気が済まないと循環を断ち切る要素還元主義的な考え方をする方もいる。

★これは、人類誕生するや生まれた≪対話≫が始まって以来解決のつかないアポリアとして今も続いている。中世時代には普遍論争なんて呼ばれていたこともある。

★それゆえ、その解決を私に求められても、解けるはずがない。それは1人ひとりが自分で解決するしかないのである。もちろん、そこまでいったとき、はじめて、だって自分でも解決ができないと互いに吐露することになる。そして、エッみんなそんなに考えがまとまらないの?じゃあ協働するしかないじゃんとなったとき、その集団はようやく学習する組織を形成できる。

★そこをスルーして、要素還元主義的ではなくて関係総体主義で行こうといったところで、自分で解決する経験を通さないから、音声が右から左へ通り過ぎて、思考が生まれない。要素還元主義とか関係総体主義という文字や読み方が記憶されるだけなのだ。

★≪対話≫とは、言葉の生態系を経験する言語ゲームでもある。学びにおいて、これをシステム化したのがPBLだと私は思っている。そのシステムは上記の図のように5つのPの関数関係でできあがるとここでも置換するわけである。レゴやアプリを活用すると、PlayfulやPassionが前面にでるから、楽しいしワクワクするし没頭するというイメージを想起しやすい。新タイプ入試の体験講座が満席になるのは、そういうわけだ。

★かくして、このような経験を通して置換できるサンプルをどんどん集積して、一方で、置き換えることで新しい発想を生み出す学びがPBLであり、それは学校の授業だけの話ではない。人生そのものである。そのときProjectという要素が前面にでてくる。そしてこの意味でのPBLはもはや、≪ライフロングPBL≫と言うしかないだろう。

そんなことを四六時中≪対話≫してPBLの実践を重ねているのが21世紀型教育機構の仲間であるが、その一つの結実が9月1日公開される。

★「未来の教室」に参加して考えを巡らしている先生、お子さんの未来をいつも考えている保護者の皆様にとても、シンポジウムに参加する経験は非日常でもあるがゆえに、新たな視点を発見できるでしょう。

|

2019年8月28日 (水)

PBLの世界(18)PBLの基本的考え方①

★HTH(ハイテックハイ)でも実行されているPBL、トニー・ワグナーが想定しているPBL、21世紀型教育機構の加盟校が行っているPBL型授業は、基本的にはすべてProject Based Learning。研修をいろいろなところでやっていると、プロジェクト型のPBLとProblem Based LearningのPBLは同じなのかそれとも違うのか、アクティブラーニングと同じなのかそれとも違うのかという質問が飛び交う。

★私は、そこが直接ワークショップで問題になることはあまりないので、コカ・コーラとペプシの違いぐらいですねと応えることが多い。とはいえ、共通点と相違点は、それぞれあるので、その2つについてどう考えていくか簡単にここで補説しておく。

★まず、これは実は、PBLやアクティブラーニングにかかわらず、あらゆる現象や事象における定義の創り方は同じであるということなのだ。

Mm  

★マインドマップとかコンセプトマップとか、よく使われると思うが、このマッピングがモノ化してしまうと実は便利な道具で終わってしまう。したがって、真ん中に定義やテーマを書いて、そこから派生するあるいは連想する具体的な現象や事象、あるいは構成要素などを書いていくという使い方が固定してしまっている場合をよく見かける。

★中心から周縁にと指向したら、周縁から中心へという指向運動もしてみることが大切だ。でもなぜ?マップはあくまで、言語を図式化することで気づきを生みやすくするアクティビティである。

★言語化を図式化に置きかえることを、わかりやすい道具を使うと考えがちだ。たとえば、言語は意思疎通のための道具として使うとよく言うのと同じ。このツールだとか道具だとかいう言葉は、便利なんだけれど、この思考様式になれてしまうと、要素還元主義から抜けきれない。関係主義的な、つまり構成主義的なPBLは本質的にデザインすることができない。

★あくまで、アクティビティなのだ。なぜ?これはワークショップでも重要なので、また紹介することにする。

★とにかく、PBLそのものやアクティブラーニングそのものは、自然法則や数学の公理のような定義が存在しない。文科省のアクティブラーニングの定義は、全天候型で、定義とは呼べない。

★だから、仮説から出発して、いろいろな経験を通して、検証していく。そして最初は仮説というより、実は先入観や臆見、憶測だから、それは経験を通して崩れていき、新たな定義が生まれる。したがって、定義から出発するというより、ワークショップでいろいろな経験をしながら、中心の定義が見えてくるという感じなのだ。

★だから、一回のワークショップで見当をつけながら、何回かのワークショップ経験や自身の授業体験を通して、その見当が明快になってくるのを待つということが重要である。

★この<待つ>ということあるいは発想のエネルギーを<ためる>ということが、PBLとは何かを考えるときには重要なのである。

★答えのない世界にぶつかっていくときに、PBLとは何かすぐに解答をしりたいというのは、気持ちはわからないでもないが、特にプロジェクトという言葉を使ったとき、それはかかわっている自分とは何かと同じことだから、そうは簡単にはわからない。

★そして、自分とは何かという文脈がでてくると、PBLとは何かの解答は外にあるのではなく、まず自分の中にあると折り返した方がよい。それぞれのワークショップのメンバーが、自分の内側に折り返していって、再び互いに折り返して見えてきたコトを≪対話≫することを繰り返す。このときスピード・デートというアクティビティはとても有効。

★PBLとは何か考えるには、中心から拡散するだけではなく、周縁から中心に向かって収束するアクティビティが大切である。もちろん、これは演繹的と帰納的という関係と置き換えることができるし、シンプルに抽象から具体へ、具体から抽象へという抽象と具体の関係と置き換えることもできる。

★PBLとは何か?つまり未知のものを知るには、一つのアクティビティを行ったときに、それを別のアクティビティに置き換えることが大切である。というのは、知るということは、リニアーな強引な納得ではなく、複眼思考で、差異を見出していくところに本当の問題が横たわっていることに気づけるからだ。

★一方通行型の講義というアクティビティだけでは、単眼思考になり、差異が見いだせない。それゆえ、暗記という思考様式になるということだけなのである。

★こう書いていみると、何を言っているのかわかりにくい。しかし、アクティビティを実際にやってみると、意外とすんなり意味の世界に入り込むことができるのが、また不思議である。

|

PBLの世界(17)夏の思い出~♪

★この夏は、5時間の研修や3時間の研修、90分の研修を4つ実施する機会をいただいた。その他に養護教諭の先生と保健室から見た学校の≪対話≫について対話したり、数学問題の多面的なアプローチについて、実際に高2のみなさんが語り合っている(教え合っているのではない。ここが実におもしろかった)PBL授業をリサーチさせていただいた。

★合間を縫って、仲間と<PBL>の世界について≪対話≫もできた。経産省と文科省の違いと共通点も識者にヒアリングすることもできた。トニー・ワグナーの著書を読み返して経産省の「未来の教室」第2次提言と照合しなおしてももみた。年に一度くらいしか会えない友人とその日は半日≪対話≫をした。社会学的、経済学的、文化人類学的、サブカル的視点で、特にテーマはない、ウダウダした≪対話≫だが、硬くなった脳みそを少し柔らくしてもらった。お盆休み明けからは、9月1日のシンポジウム開催に向けて仲間とほぼ毎日やりとりした。

Photo_20190828192701

★スリリングだったのは、「世界をあっと言わせるような」次なる構想について≪対話≫し続けたこと。もちろん、これからが盛り上がるのだが。知恵の女神ミネルバは、空が灰色になってから飛び立つ。だから、21世紀型教育が国内に広まり、シリコンバレーでHTHの教育が順調に展開するようになってから、経産省は「未来の教室」を提言。

★しかし、空が灰色になる前に、眩しい光の向こうに、見えはしないが、確かにある次なる構想にむかっていちはやく弓を射る八幡大菩薩の弓が欲しいというわけだ。

★シンポジウムに向けて、そんな武器創りを、運営者と登壇者とコンセプトをすり合わせながら構想を練った。いや練っている真っ最中である。後期の大学の講義で盛り込む未来からのPBL情報も練っておきたいという個人的な関心もある。

★心残りは、ネルソン・グッドマンの「芸術の言語」とJaff Frankの新刊“Teaching in the Now”が積読のままだということ。次なる構想のヒントになる本なので、斜め読みができない。年内に読めたらと思う。

 

|

9月1日(日)グローバル教育の<本質>を語る 石川先生×田代先生×伊藤先生×鈴木先生 必見!

9月1日(日)、21世紀型教育機構主催の「第3回静岡国際シンポジウム」を開催する。場所は、当日ちょうど中高生による国際サミットが開催されている静岡聖光学院。

★昨年50周年を迎えた記念事業の一環として、キャンパスの大掛かりなリフォームと教育内容のアップデートを果たした。破格のグローバル教育が展開している。毎月のように、世界から各国のエスタブリッシュ校が訪れ、国内外で国際交流が行われている。イングリッシュイマージョンというよりグローバルイマージョンというスケールで行われているのである。

Itis

(左上から伊藤先生、田代先生。左したから石川先生、鈴木先生)

★そのような画期的な場所ゆえに、今回のシンポジウムで登壇者は大いに場の力を得て情熱的に語ると期待される。

★来年2020年度からは、いよいよ大学入試改革と学習指導要領の改訂が実施される。東京オリンピック・パラリンピックも開催される。同時に、背景には人口減少に伴う従来型経済理論・政策では日本のみならずグローバルな範囲で急激に経済は縮小するという大問題が控えている。それゆえ、今回のイベントはグローバルな範囲で新たな経済理論・政策が求められ、様々な領域で見直しがかけられている。

★今回の大学入試改革や学習指導要領の変更も、日本だけの動きではなく、イギリス、アメリカ、ヨーロッパ、シンガポール、マレーシアなども同期しているし、なんといっても今日本で広がりつつあるIB(国際バカロレア)のカリキュラムも一新される。

★そして、今回の新しい経済理論・政策は、これらの動きと共鳴している。というのは、今経産省が旗を振っている「未来の教室」は、イノベーターと起業家というチェンジメーカーの育成である。今までは、90%は読み書きそろばんのスキルをしっかり獲得し、10%の一握りのアッパー層の指示のもとに組織経営し、ビジネスを展開していくという学びの役割分業を行っていれば、労働人口(生産年齢人口)がどんどん増えてきたのであるから、経済は右肩上がりだった。

★ところが、先進諸国は少子高齢化を迎え、労働人口は減少している。ということは、読み書きそろばんのスキル獲得で満足されてきた経済理論は、役に立たない可能性が大である。そこで、その労働者がみんな新しい学習経験を通して、イノベーターや起業家などのチェンジメーカーにどんどん成長していくという理論に転換する必要がでてきたのだ。昨年のノーベル経済学賞を受賞したポール・ローマー氏が提唱したのはまさにその理論だった。

★この読み書きそろばんという3Rを探究・議論・発表という3Xに転換させようとまっさきに動き始めたのが、MITメディアラボのシーモア・パパート教授だった。現在新しい学びでレゴがつかわれるようになったが、その生みの親はパパート教授である。そして、その新しい学びをより現場の実践にブレイクダウンさせたのがハーバード大学のトニー・ワグナー教授で、それはシリコンバレーのHTHに結実している。教授の理論が、経産省のお手本の中心である。また、スタンフォードは、グロウスマインドセットやデザイン思考など、これまた3X型の学習を発展させていった。

★このMITメディアラボやハーバード大学、スタンフォード大学と≪私学の系譜≫のリソースを統合した理論を2011年から展開するようになったのが、現在の21世紀型教育機構である。経産省が、お手本にした、2014年に邦訳されたトニー・ワグナー教授の「未来のイノベーターはどう育つのか」は、英語版である原典が出版されたのは2012年である。21世紀型教育機構が立ち上がったのが2011年だから、やはり世界は新しい学習経験創出へと呼吸を一つにしていたのである。要するに同期していた。

★かくして、イノベーターと起業家のような、ワグナー教授が引用するジョブスの言葉「世界をあっと言わせる」創造性を有した未来の人材を育成するプロジェクトが、21世紀型教育機構として日本でも誕生したのである。

★そのプロジェクトは各校独自に行われてきたし、相互に刺激してきたということもある。特に同機構において静岡聖光学院と聖学院は、キリストをべースとする学校でかつ男子校である。教員研修や英語キャンプ、海外研修のプログラム作りの情報交換など共に歩いてきた。

★その中心的役割を果たしてきた教師として、静岡聖光学院からは副教頭の田代先生が登壇する。田代先生の世界を駆け巡る大活躍は、昨年の今頃では思いもよろないほどで、おそらく田代先生の内面ではビッグバンが起こっているだろう。

★聖学院からは、教頭伊藤先生が登壇。伊藤先生は教育統括部長として、ご自身が長年研究し深めてきたPBL(Project based Learning)を、教科授業、文化祭、部活などの教育活動、キャリア教育、そしてタイ研修をはじめとする海外研修のベースにして展開している。そして、SGDsの先駆けともいえるタイ研修を毎年、生徒共に協働し深めている。

20203

★そして、今回石川一郎先生は、2020年3部作の3冊目の執筆を終え登壇。2020年からの歴史的イベントの意味を、大学入試改革力、教師力、学力の3つの側面から研究してきた。その研究は文化人類的手法で、実際に校長あるいは学院長として学校でリーダーシップを発揮したり、現在のように教育コンサルタントとして、多くの学校でグローバル教育とPBLのアドバイスをしたり、毎週のように各地から講演に招かれて語り尽くしている。2011年に21世紀型教育機構発起人として理事を務めているが、いわば21世紀型教育のインフルエンサーである。

Thinking

★21世紀型教育機構発起人としてもう一人の理事の鈴木先生は、帰国生入試と海外大学進学準備教育のリサーチャーとして第一人者である。帰国生が集まるリアルスペースGLICCを運営しているが、当然そのスペースはオールイングリッシュで満ちているし、学びの経験はPBLによる。帰国生が東大、一橋、筑波大、早稲田、慶応、上智に進むばかりではなく、ケンブリッジやUCLにも進学している。

★中学入試における帰国生入試問題のデータベースも蓄積・分析していて、三田国際、工学院をはじめとする先進的な学校の帰国生入試合格者も多数輩出している。

★何より、あの帰国生入試の最大集客の実績を、かえつ有明の校長時代の石川先生と生み出した実績をもっているグローバル教育コンサルタントである。かえつ有明や工学院の英語の哲学授業は、帰国生に超人気であるが、その授業を担当しているアレックス先生とジェームズ先生の哲学授業の問いのエッセンスとその展開を≪Thinking Experiments≫という本にまとめる編集プロダクションもサポートした。

★ご自身はデューイの学習経験の理論に造詣が深く、トニー・ワグナー教授の著書を読み込んで、さらに経産省の「未来の教室」の先を行く構想を、今回の3人のパネリストと語っていくのだと燃えている。

★多くの教育関係者が「未来の教室」を!とがんばっている。そんな中、常にその先を行く構想を描くイノベーターであるチェンジメーカーの存在は、社会の善き変容には欠かせない。静岡エリアでグローバルイマージョンを唯一実践している静岡聖光学院に、そのチェンジメーカーが集結する。必見なのは言うまでもない。

|

新しい女子校(01)富士見丘 私学の女子校の復権の時代を牽引

★笹塚の希望の丘にある私立女子中高一貫校の富士見丘は、女子校低迷と言われつづけたバブル崩壊後の長引く経済空白時代の中から不死鳥のごとく、新しい女子校として、2040年に活躍するグローバルネイティブでデジタルネイティブのZ世代の女子に認識されるようになった。いわば希望の女子校なのである。

Photo_20190828021001
(模擬国連部 全国高校教育模擬国連大会で。写真は同校サイトから)

★女子校のイメージというか先入観というのは、戦前にあっては、合法的に男女の格差が認められていて、お国のために働く男性を支える縁の下の力持ちとしての家政学を修めるための学校というものだった。封建的な家制度や男尊女卑的慣習がまだまだ当たり前だった時代である。

★戦後にあっては、新憲法のもとで、男女は平等になったが、20世紀に渡って、学歴社会を土台に、職種や賃金などにおいて依然として格差が残り、私立女子校は、その学歴社会の中で、男子と対等に渡り合える学力を身に着け、医者や官僚や弁護士になって、女性の社会進出を拡大しようという意志をもった女子校というイメージが新たに生まれた。

2_20190828031101

(湯﨑広島県知事と)

★しかしながら、この偏差値重視の学歴社会は、冷ややかにも一部の女子校を除いて、男子校にトップ層を独占され、多くの女子校の学力以上の教養を身に着ける教育に目を向けさせなくなるという逆説的事態が起こった。中学受験が盛り上がっている1980年代は、男子校投資説、女子校消費説という理論があり、女子校の豊かな教育が脚光を浴びたが、バブルがはじけるや、目先の実績・成果が重視され、学校や企業にかぎらず、政府においても経済の空白を新自由主義的カンフル剤で乗り越えようとする政策が打たれ、時代の風潮として蔓延した。

3_20190828032001

(模擬国連の夏期合宿の様子)

★その中で、女子校低迷時代が到来してしまった。女子校は、ますます男子と大学実績を競えるところだけがサバイブする結果になり、がまんができないところは、共学校に次々となっていった。時代の変化に対応する名目のもとに。経営上しかたがなかった。

★しかしながら、一方で、日本の女性の社会進出の低さは、先進国で目も当てられない状況で、何とかしようという動きがあったが、国内の中で、いくら働きかけても、なかなか大きな動きとならなかった。

4_20190828032001

(夏期合宿では、明海大学准教授で理事長補佐・校長補佐の吉田成利先生もかけつける。もちろんオールイングリッシュで)

★しかしながら、世界の問題から考えたとき、子供の権利や女性の権利の重要性は世界共通の問題であることがだんだん明るみに出てきた。バブルが崩壊する一方で、グローバルな時代が世界では開け、リーマンショックあたりまで、IT革命の旋風が盛り上がり、バイオテクノロジーや脳科学という新分野がAI研究と共に大進化した。同時に自然環境を守る動きも加速した。

★その動きの中で、世界では、女性の首相や大統領になる国々も出てきて、女性の社会進出は拡大した。この影響は当然日本も無視することはできない。学歴社会をフラット化する動きとして、経産省が仕掛け、文科省が2020年大学入試改革や学習指導要領改訂へと導いた。もちろん、依然としてその時代の流れに逆行する頑迷固陋な教師集団も存在するが、グローバルネイティブでデジタルネイティブでもある中高生は、高まるSDGsの流れで、イノベーターになり、チェンジメーカーになるウネリがでてきた。経産省のねらいもそこにある。

★また、世界同時的な分断的世界を目の前にして、いつも女性や子どもが犠牲になることを実感している女子生徒は、自らが平和を生み出すジェネレーターになれる居場所を探し始めたのである。

Photo_20190828032201

(模擬国連部の最終日の投票の様子)

★そんな時代の変容の中で、折しも、SGH認定校である富士見丘には、英語を武器に、ICTを武器に、世界の人びとと連携し新しい都市づくり、新しい国づくり、新しい平和づくりを探求し、考え、発信するプロジェクト活動する女子生徒の姿で満ちていた。

★経産省が「未来の教室」で目指す21世紀型教育が、すでに富士見丘にはあったのである。経産省がお手本にしたイノベーターと起業家をつくる21世紀型教育を提唱したハーバード大学のトニー・ワグナー教授の「未来のイノベーターはどう育つのか」に描かれた未来の教室は、米国ではシリコンバレーのHTH(ハイテックハイスクール)として結実しているが、同書が原文出版準備がなされたのは2011年である。邦訳は2014年であるから、それまでほとんどの私立学校は21世紀型教育を知らなかった。

41pjwlvgqgl_sx343_bo1204203200_

★ところが、トニー・ワグナー教授が準備をしているときと同時に、富士見丘を中心とする同士校は、すでに世界から教育を俯瞰していたので、21世紀型教育を創る会(現在は21世紀型教育機構)を設立して動き始めた。HTHを意識することなど全くなかったが、時代の精神を読み解く私立学校の特性として、そのときから同期していたのだろう。

★その動きとSGHのプログラムの進行があって、今や経産省が提唱する「未来の教室」を先んじるどころか、それ以上のグローバル教育を創り上げてしまったのが富士見丘なのである。明治時代、つまりウイーン世紀末がきっかけになって、欧米中にジャパノロジーとして浮世絵や茶器や生け花、大名庭園が、価値ある芸術作品として高く評価されたが、それは日本の中では、当たり前のものだったり、古いものとみなされていた。しかし、世界が日本の文化を発見してくれたおかげで、今では、ようやく日本人が日本の文化として誇りに思えるようになった。

★それと同じことが今や女子教育においても起こっている。それが「世界が富士見丘を発見した」ということなのだ。

★しかしながら、実は富士見丘の女子教育のルーツは、明治初期の新しい女子教育黎明期にあった。実践女子の創設者下田歌子も、女子学院の創設者矢島楫子も、津田塾の津田梅子も、EUの父クーデンホーフ・カレルルギーを育てたクーデンホーフ伯爵夫人光子なども、封建社会で苦しめられてきた女性の地位向上と目をふさぎたくなるような男性の女性のひどい扱いを救済すべく、世界のネットワークをフル活用して、男性政治家や官僚と渡り合った。

★その凄まじいパワーに麻布の創設者江原素六は脱帽し、「武士道」という世界のベストセラーを書いた新渡戸稲造、「茶の本」というこれまた世界のベストセラーを書いた岡倉天心、そしてあの内村鑑三も応援した。彼女らは男性からみたら、良妻賢母ではなく、歯が立たない才女だったのである。

★今、富士見丘に続々集まっているグローバルな精神の持ち主であるZ世代淑女たちは、本当に男性を世界の人びとをあっといわせたあの才女らに匹敵する。寛容な同校の先生方でも、もっと謙虚にと驚いてしまうほどの未来の下田歌子や津田梅子や矢島楫子がずらりといる。

★SGH甲子園で立派なプレゼンで優勝し、シンガポールで世界の人びとの前でプレゼンする経験をしたり、今年模擬国連部は、第3回全国高校教育模擬国連会議(AJEMUN)に参加し、スーダン大使を務めた高校1年生ペアが実行委員特別賞を受賞したりもしている。

★模擬国連部の部長は、広島県主催の「第4回ひろしまジュニア国際フォーラム」に参加し、活躍もしている。このフォーラムは、事前の書類審査、英語力審査、オンラインディスカッション審査を通過した世界32か国88名の高校生・大学生が参加し、核廃絶と世界平和の構築に向けた「広島宣言」の採択を目指すプログラム。参加者は4日間寝食を共にしながら、当然ながらすべての活動を英語でおこなう。

★そのとき部長は、湯﨑広島県知事とも対話したわけだが、それはまるで津田梅子さながらである。津田梅子は6歳で渡米し、18歳で帰国して、日本の女子教育のために政財官の人びとと米国の人脈を結び付けながら活動を開始している。富士見丘の生徒と同年代というわけである。

★とはいえ、津田梅子渡米の環境を設定したのも、開明的な政財官の人びとだった。この構図もまた富士見丘にはぴたりとあてはまる。理事長校長である吉田晋先生も、理事長補佐・校長補佐の吉田成利先生も留学経験者で、英語力堪能なのは言うまでもないが、世界から女子教育を俯瞰する見識を有しているのである。とくに成利先生は、ロンドン大学キングズカレッジの大学院やシカゴ大学大学院で研究をし、法学のPh.D.を取得している。

★世界の先進的な憲法学者なのである。その視野の広さと学問的な見識の深さは、これからの新しい女子教育を支えるのには十分すぎるだろう。多くの人が忘れている、明治時代の才女が新しい国造り、新しい教育創りに乗り出したという≪私学の系譜≫を継承し、現代化しているのが富士見丘なのではあるまいか。学力エリートではなく、グローバルな才女としての淑女が育つ新しい女子教育の希望がここにはある。

|

2019年8月25日 (日)

三田国際教頭田中潤先生 満を持して「新たな教育理論」を披露!9月1日静岡国際シンポジウムで!

9月1日(日)、静岡国際シンポジウムで、三田国際教頭田中潤先生が、ついに最新の教育理論を独自に構築して、そのエッセンスを披露する。

★今盛り上がっている経産省と学校とIT企業やIT起業家が連携している「未来の教室」への挑戦。しかし、そのシナリオは、すでに三田国際にすべてある。では、三田国際を事例ケースとすればよいはず。それが実はなかなかできない。その理由は三田国際の学びのレベルが高すぎて、真似できないからだ。

★インターナショナルクラス、STEAMクラス、メディカルサイエンステクノロジークラスあるいはそれぞれのコースができあがっているが、極めて重要な学びの構造は、そのクラスやコースすべてでPBL型授業が行われているということだ。PBLといえば「未来の教室」のキーワードであるが、三田国際では当たり前なのだ。そして、それは、すでに世界標準で、海外のエスタブリッシュスクールとそん色のないレベルである。

Photo_20190825155201

★本当は、多くの人がうすうす気づいていると思うが、よってたかって未来の教室をつくることはすばらしいことであるが、そのモデルケースをつくるということは、公立学校に合わせるということである。どんなに公立中高一貫校ががんばっても、日本でトップのポジショニングになれるだろうが、世界のエスタブリッシュスクールに追いつくシナリオは描かれていないということだ。できるとしたら、今のところ唯一の公設民営の水都国際だけだろう。

★それでは、2021年以降の経済停滞あるいは減速が激しく始まる日本社会を救う人材をたくさん育成することは無理である。そのために、21世紀型教育機構は、経産省のシナリオプランニングを超える教育イノベーションのシナリオをデザインし、実践している。その中で先行しているのが三田国際だ。

★そして、経産省が考えるぐらいの教育イノベーションについては、すでに三田国際は5年間積み上げてきた。2020年で完成する。ということは、2021年からは、さらにバージョンアップするということだ。つまり、「未来の教室」もまだ見えていない教育を創るということなのだ。

9月1日は、田中潤教頭先生が、「まだ見ぬ教育」と題して登壇するのである。教育関係者にとっては、貴重な機会である。すでに、関東地区と関西地区で革新的な教育を実践して人気で大学合格実績も出している私立学校が参加を申し込んでいる。

★今回のシンポジウムのすごいところは、田中潤教頭先生以外にも、登壇する静岡聖光学院の先生方、聖学院の先生方は、同じ思いで新しい教育を創り上げて実践している。その実践は、「未来の教室」を超えている。

★石川一郎先生も、3冊目の新著を書き終えてシンポジウムに立ち臨む。もちろん、経産省をも導く導師である。

★鈴木先生も、ケンブリッジやカルテック、東大などに進学できる学びの実績を披露する。経産省がのどから手が出るほど欲しいPBLプラクシスである。

★首都圏模試センターの取締役・教育情報部長北一成先生は、このような最も新しい教育の情報と未来のベクトルを講演される。

★そして、今回は、日本初の中高生国際サミットを、静岡聖光学院の生徒は実施している最中である。世界のエスタブリッシュスクールからの生徒も次々と登壇する。

そんな中で、日本のまだ見ぬ教育をどう洞察し実現するか、その新たなメガネの大きなヒントを田中潤先生は語るだろう。

★EUの在り方の失敗がOECD/PISAの方法論のデメリットに通じていることがクリティカルシンキングできない今の日本の教育の見識者。金融工学の失敗後のシリコンバレーの流儀に乗っかる「未来の教室」が本当にそれでよいのかクリティカルシンキングができない今の日本の教育の見識者。

★私立中高一貫校が、大学入試改革に先んじて「思考力入試」や「探究型入試」を実践していることのことの重要性を見ようとしない今の日本の教育の見識者。

★この国はどうなるのだろうか?手をこまねいてみている時間はもうない。だから、全国の心ある私立学校が、経産省や文科省を導くほどの「まだ見ぬ教育」の構想を描いて実行していくことは喫緊の課題であり、そのような気概ある私立学校を発見できるように、進取の気性に富んだ多くの保護者は新しい選択眼鏡をゲットすることがとても大切である。

|

令和元年度福島県私学教育研修会(了)21世紀型授業PBL

★福島県私学教育研修会は2日目は、部会ごと研修会が開催された。部会は、5つ。「21世紀型教育部会」「高大接続部会」「ICT活用部会」「生徒理解教育部会」「法人・事務室運営部会」となっている。

★「高大接続部会」では、リクルートのキャリアガイダンス編集部編集長の山下真司氏が講演されていた。テーマは「主体的な学びを育てる授業づくり、学校づくり」ということだった。私は、「21世紀型教育部会」で、「21世紀型授業PBL」の作り方体験を担当した。山下氏の講演を聞いてからワークショップを行えば、さらにワークショップを洗練できるのにと思ったが、同時間並行して行っていたので、それはできなかった。残念。

Dsc00324

★山下氏とは、先月も東北全体の私学教育研修会でお会いしたが、やはりパラレルに部会の研修が行われたので、講演を聴くことはできなかった。しかし、山下氏の編集コンセプトや問題意識を懇親会や朝食時に少しお聞きすることができ、勉強になった。今回も昼休みや帰途に就いたときいわき駅などで立ち話をすることができた。学校の組織開発とそのソフトパワーである授業や教師力を、全国を取材しにまわり、つなぐことによって化学反応を生みだしていくジェネレーターの役割を果たされていることに頭がさがった。

Dsc00338

★ともあれ、私の方は、21世紀型授業としてのPBLを、先生方とワークショップ型講演を通して共有していった。9時から15時までだったが、あっという間でしたと帰りがけに何人かの先生に声をかけていただいた。少しほっとした。東北の部会にかかわって、5年目になる。最初はやはりわかりにくいという感想も多かったが、なぜか毎年お声がかかるので、できるだけわかりやすくそれでいて伝統と最新の考え方も交えて共有できるように創意工夫をしてきたつもり。自身のワークショップやPBLに対する考え方もアップデートしてきたわけだが、それはこのような機会を継続的に頂いているからである。とても感謝している。

★ホンマノオト21も読んでくださる先生方もいて、共通言語ができてきたということもあり、毎年≪Hard Fun≫感覚でできる。あるいは、学びと遊びの統合した感覚で展開できる。

★もちろん、毎年新たにお会いする先生方だから、やはり、ワークショップ中に、共通言語を創り出しながらすすめることが大切である。このことは、共通言語を話し合いながら、互いに共通する部分と相違する部分を確認しながら相互信頼をつくっていくことにもつながる。そのために、アクティビティとして、スピードデートを、今回はかなり多用した。

★さて、今回は3側面でPBLをいっしょにつくっていった。

①問い:問いづくり

②アクティビティ:問いに対応するアクティビティの選択(ハーバードのプロジェクトのものを活用)

③思考コード:問いやアクティビティが生徒のどの思考の構えを想定するのか思考コードでの予想

★問い作りは、今まであまり、紹介してこなかったが、古典的な手法としてPIL(Peer Insutruction Lecture)というハーバード大学のマズール教授の手法にヒントを得た知識と思考の折り返しのアクティビティを行った。

Dsc00357

★知識を知識として転写するのではなく、知識が足りなくても、周辺の知識を動員しながら、フェルミ推定をしながら知識を導くアクティビティ。これをやると、推定の中で、いろいろな問いが生まれる。その問いをさらに発展的に問い返すと、一見A1の思考の構えの問題も、C3の思考の構えにジャンプするという体験をすることができる。

Photo_20190825124001

思考コードは、21世紀型教育機構の標準コード<昨年出版した上記写真の本で公開>をつかった。機構の各校は、このコードと共通するところもあるし、学校の独自の文化を加味してアレンジしている。21世紀型教育機構のアクレディテーションのメンバーである神崎先生も、カンザキメソッドの中で、AO入試や小論文対策、志望理由書を書く授業の中で、活用できるようにアレンジしていただいている。首都圏模試センターも「思考コード」を創っているが、これは授業用の思考コードではなく、テスト用のコードである。思考コードは各学校や団体の生徒の活動に応じて多様な種類があるし、思考の目的に応じて次元が違う。中1から高1までは、21世紀型教育機構バージョンの思考コードが活躍するし、AO入試をメインとする生徒は、この思考コードが機能する。しかし、高2・高3で一般入試をメインにする場合は、戦略的なPBLが大切になり、そこでは、首都圏模試のような学力重視の「思考コード」が有効。よくPBLでは大学入試に役立たないと言われるが、そのような懸念はAO入試型のコンピテンシをベースにしたエンリッチメントPBLと一般入試型の認知能力をベースにした促進型PBLの違いを理解していないからである)

Dsc00358_20190825124901

★今回は、「ぐるぐる(眩暈)」というアクティビティや根源抽出アクティビティもできた。問いの問いを、議論しながら追究していくことができた。問いの問いの問いの問いの・・・と追究していくと、シンプルに「比較」と「置換」という思考スキルに収束していく。

★エッ!そんな簡単なことと思われるかもしれないが、すべての現象や事象は、極めてシンプルな原理から生まれ出でる。「比較」とか「置換」があるから、融合とか統合とか化学反応ということが起こる。湯川秀樹ではないが、ノーベル賞受賞者は、このシンプルな原理の追究者である。

Dsc00366

★最近の教育キーワード「探究」がおもしろいと思われるのは、複雑な現象や事象がどんどんシンプルに一貫しているところに行き着くからだ。複雑なイリュージョンを振りまいている授業は、生徒が、誘蛾灯に誘われる生物のように踊らされているだけである。

★人口が増えている20世紀後半は、一部の人間だけでがこのことを独占し、多くの人間は読み書き算盤の技術を養われ、楽しいイベントに惑わされ、コントロールされてきたが、今後の人口減少時代は、すべての人間が、シンプルな原理にたどりつき、それを実用化できる創造者でなければどうしようもないが、この学習経験を通して1人ひとりのバリューを高める経済理論が、昨年ノベール経済学賞受賞者の1人ポール・ローマーの「内生的理論」である。

Dsc00368

★この内生的な人材イノベーションを生み出す場が、PBLであるが、そんな思いを共有しながら、大学入試問題を素材に、実用的にPBLを組み立てることができるようにと、ワークショップ型講演をデザインしたつもりである。知識重視のはずの大学入試の問題の問いを解放すると、世界を救う問題解決にジャンプする問いかけに変容するのである。

★しかし、予想は所詮予想に過ぎない。先生方との対話や議論は、それ以上の発見をもたらしてくれる。今回も、PBLとは何か?アクティビティとは何か?ということについて、霧が晴れるようなイメージ像が脳裏に結びついた。先生方、ありがとうございます。この2点については、今後またご紹介したいと思います。

|

2019年8月24日 (土)

令和元年度福島県私学教育研修会(3)長塚篤夫先生の根源的視点 大学入試改革の本当の理由

★今回の福島県私学研修会の基調講演の登壇者は、日本私立中学高等学校連合会常任理事・東京私立中学高等学校協会副会長の長塚篤夫先生(順天校長)だった。「変わりゆく社会・入試・教育~資質・能力を育む諸改革の動向」というテーマで、広い視野深い洞察による講演だった。

Dsc00216

★1983年に原文が出版され、1988年に邦訳本が出版されたトーマス・ローレンス教授の「日本の高校」という衝撃的な本から始まった。教授はスタンフォード大学の教授で、文化人類学者。日本に滞在し、フィールドワークを通して論文を書いているが、それらの成果の一冊が本書である。

★1980年代は、すでにホストコンピュータの時代であり、今でいうICTのイノベーションが世界的に起こり、日本ではバブルへの道を歩んでいた。モダニズムの影を払拭するかのようなイルミネーションさながらのポストモダンの誘蛾灯が輝いていた。

★トーマス・ローレンスは、こう語っていると長塚先生は紹介された。「中学から高校にかけて、次第に学習の楽しみや方法が軽視され、教科の内容そのものに関心が限定されるようになっていく。そして、高校の卒業が近づくにつれて、創造的な思考や表現の機会がますます減少し、生徒1人ひとりの異常性が目立つようになる」と。

Dsc00245

★これは、ローレンスによると、技術革新にともなう大量消費・大量生産・大量移動という国際競争が教育にも影響を及ぼし、人間の心や魂を豊かにする伝統が失われて行っているのではないかといのである。

★ローレンスは、文化人類学者としての視角で、中高の教育のシステムや習慣に、その国の時代精神や文化の特色が凝縮されていると切り取る。たしかに、中等教育以降の大学や社会にある組織の特色、人材の資質は、中等教育にそのひな形が出来ている可能性があるし、大学や社会が求める人間像や組織の在り方を、思春期に鋳型として投じていると考えることもできる。

★自らひな形をつくるのは、もしかしたら私立学校が挑戦し、鋳型を受け入れるのは公立学校といえるかもしれない。もちろん、私立学校だって鋳型を受け入れざるを得ないところもあろう。そことの葛藤はあるだろうし、その葛藤があるからこそ、社会が変わる契機がある。

★長塚先生は、都市社会学者リチャード・フロリダの「クリエイティブ・クラス論」も紹介した。フロリダは今トロント大学の教授であるが、1990年代に、すでに産業構造の大きな変化、つまり第4次産業としてクリエイティブクラスが誕生していることを論じていた。

★2007年に、邦訳「クリエイティブ・クラスの世紀」が出版されたが、まだSNSはメジャーになっていない時代である。にもかかわらず、現在経産省や文科省が提唱しているSociety5.0のビジョンを生みだしていた。

Dsc00300

★一方、1980年代に、ローレンスは、中等教育や高等教育の改革の根源的必要性をすでに見抜いていた。

★だから、長塚先生は、もう何をすべきかに進む時代であり、だから大学入試改革や中等教育の改革は必然なんだという歴史的ウネリあるいは時代の精神のシナリオを講演のベースに描いたわけである。

★そして、何をすべきかは、学力観の変容である。ローレンスが、人間の豊かさを奪う危険性の警鐘をならしていた。そこに対応するのが非認知的能力や資質能力である。中高生の「異常性」という言葉で表現していたのは、当時、初等中等教育は、校内暴力そして学校崩壊がおこる異常な事態が生まれていたことを示しているのであろう。

★中学入試が、1980年代以降今のように、教育の表舞台にでてきたのは、この事態を懸念した保護者が、私立学校に流れ込んだということがあろう。

★いずれにしても、資質・能力、つまりコンピテンシーの育成を、教科の学習以上に行っていく方向に、世界が時代が舵を切ったということを90分の講演の中で一貫性をもって語られた。

★アクティブラーニング、ルーブリック、eポートフォリオ、大学入試改革、カリキュラムの改革などは、そのコンピテンシー育成の新教育システムで、すべてが有機的につながっていなくてはならない。2020年度から始まる改革は、当然それがすぐには結びつかない。しばらく時間がかかるが、1980年代に明快になった危機とそれを乗り越える技術及び人材イノベーションの革新の誕生に立ち還ると、あのときの危機の状況に後戻りすることはできないのである。長塚先生の明快な未来ビジョンと何をすべきかという実現力へのアイデアは、福島県の先生方にしっかり共有された。

|

2019年8月23日 (金)

令和元年度福島県私学教育研修会(2)いわきで文化学園大学杉並と大妻中野に出会う。

★今回の福島県私学教育研修会は、いわき市で行われたわけでが、驚いたことに、全体会の学校視察方向の部で、文化学園大学杉並と大妻中野の報告が行われたことだ。良く知っている学校について、こんなに的確に詳しい報告を聴くとは、改めて、すてきな学校であると感服したのであるが、福島私立中学高等学校協会の先進的な教育を学ぶ意欲はもともと知っていただけに、そのリサーチ対象校に両校がはいっていたとは!わがことのように嬉しかった。

Dsc00203

★文化学園大学杉並は、日本大学東北高等学校の教頭渡邊弘幸先生から報告された。BC州の教育省と連携しているDD(ダブルディプロマ)コースの克明な説明がなされた。アクティブラーニング型授業の中でSTEAM教育が浸透している点、オールイングリッシュのすさまじさ、1期生13人の大学進学実績の破格さなど、参加者も目を丸くする内容だった。

★それと、DDコース以外のコースについても言及があり、このコースがDDコースのエッセンスをとり入れながら進化していくことにも触れ、むしろこのコースの変化の行方が、福島でも参考になるのではないかという鋭い見識を示された。

★どんなに優れた海外の教育も、そのまま日本の教育に結びつけるには、様々な要因と条件がそろわなくてはならなない。文化学園杉並のようにすぐにはいかない。どのように換骨奪胎できるのか。そういう意味で、革新的な風を大いに巻き起こしていた。

Dsc00208

★大妻中野については、いわき秀英中学・高等学校の教頭高木千明先生が報告された。大妻中野の短期間に教育改革を実行した機動力の話が明快に伝わった。また、ラテラルシンキングやクリティカルシンキングを養うアクティブラーニングのリーダーの数学科の高村先生の授業の様子についても説明されていた。

★高村先生に限らず、電子黒板、1人1台のタブレット型パソコンを使ったアクティブラーニングの様子についてきっちり報告書はまとめられていた。そして、全校生徒に対する帰国生の割合が、11%で、国内生との相乗効果が生まれていることも指摘されていた。

★大妻グループの中での存在感は、かなり戦略的なプランとその実行力にあることは何度も強調されていた。

★折しも、その夜大妻中野の教頭諸橋先生からメールが入った。私が福島にいることを知らずにだから、全くの偶然であるが、諸橋先生は改革機動力の次は徹底的に質の向上を果たすことで、カリキュラムマンジメントのプロジェクトが立ち上がっていて、順調に質の向上に向けて実践が進んでいるということだ。

★組織というのは、改革草創期は大きな決断の俊敏力と勢いがものをいうが、質の向上という持続可能性を高めるには、本質的な内容の密度を上げ続けなければならない。これは理想を実現するグリットである。要するに根性。

★舞台での派手な改革のあと、この舞台のバックヤードのモチベーションをいかに持続するのか。それが最も難しい。これがないと、改革草創期は勢いがあるが、3年後失速するという学校も少なくない。

★大妻中野はその落とし穴に陥らないように、大胆な改革と細心の注意を払った実行力の両輪を走らせているのである。

 

|

令和元年度福島県私学教育研修会(1)想い

★2011年3月11日のあの東日本大震災と「フクシマ」という想像を絶する自然災害と科学神話の崩壊。未だ解決されず、復興へ向けて福島県、もちろん日本全体が尽力している。2020東京パラリンピック・オリンピックは、震災復興も含んで行われる。

★福島県の私立学校も、当事者であり、教育において新しい東北を創っていく人材を育てる教育をという想いは共通している。その想いを共有して、福島県私学教育協会研修会も、5年前にその質を大きく転換したと同協会会長の森涼先生は語る。

★昨日22日(木)、「第45回福島県私学教育研修会」が、そんな想いを参加者1人ひとりが改めて感じながら始まった。

Dsc00180

★開会式の後、すぐに、森会長からこの1年間の教育関連最新情報が報告された。世界の動き、日本の動き、福島の動きと丁寧にいまここで自分たちが日々挑戦していることが、いかに県全体、日本全体、世界全体とつながっているのか、膨大な資料を提示しながら、簡にして要を得た名プレゼンテーションをされた。

Dsc00187

★そして、参加された先生方は、私立学校の教師として、私学の助成の現状も共有すべく、精緻なデータを読み込む方法も語られた。教育の倫理と経営の論理の複眼思考の共有を森会長は目標としている。教育が社会にインパクトを与えるには、経営という感覚も必要だからだ。

Dsc00193

★私学の経営視点は、時代の精神を読み解き、入試市場の動向を見極め、政府や自治体との助成金の交渉する論点を開発することが重要なのだということが明快に論じられたプレゼンテーションだった。

★新しい東北は、あまりにも大きな根源的な問題から出発するがゆえに、実は新しい日本、もしかしたら新しい世界のお手本を意味しているのかもしれない。

|

2019年8月22日 (木)

静岡国際シンポジウムで、「中高生は、みんな未来を発明する才能者」という学びの環境を知る意義

9月1日(日)、静岡聖光学院で、「第3回静岡国際シンポジウム」が開催されます。今の中高生にとって、とても大切な学びの環境が披露されます。静岡聖光学院の生徒は、毎月のように海外に飛び、驚くべき思考や発想、アクションを発揮している世界の中高生とコミュニケーションをとり、世界を彼らといっしょに創っていくにはどうしたらよいのか視野を広めています。今もイートンカレッジに学びに行っている生徒がいます。

Photo_20190822054501

★そして、来週28日からは、静岡聖光学院の生徒による国際サミットも開催されます。7カ国から中高生が参加します。このサミットは9月5日まで開催されていますから、9月1日静岡国際シンポジウムは、その真っ只中で開催されます。

★ですから、世界からやってきた中高生も登壇してスーパープレゼンテーションをします。通訳は、静岡聖光学院の生徒が行うそうです。

★日本の中高生と世界各国の中高生が互いに語り、考え方ものの見方を交換するとどんな化学反応が起こるのでしょう。このリアルな化学反応こそ、日本の中で世界をみている私たちが思いもよらない発見・発明の世界、新しい社会のありかたを生み出すはずです。

★今回、東京から、聖学院、三田国際の先生方も駆けつけ、静岡聖光学院とともに、今の中高生に必要な学びの環境づくりの実践を語り合います。

★首都圏模試センターの取締役教育情報部長北一成氏も登壇し、こうした新しい学びを時代が要請している教育の今そして未来について熱く語ります。

★さらに、石川一郎先生が、今夏第三部作目の執筆を終えたところで、見てきた新しいビジョンについて、本邦初スピーチします。

「中高生は、みんな未来を発明する才能者・世界に挑戦する才能者。」というのは、スローガンではありません。本当にそうなって、今までにない幸せな社会の在り方を歴史が欲しているのです。9月1日、静岡聖光学院でその歴史の局面をいっしょに立ち会いましょう。

 

|

2019年8月21日 (水)

聖学院 中高生にとって大事な学びを創る ≪Z世代≫の学びへの挑戦!

★今教育学部の教授たちのリサーチで、学習から降りてしまった中高生が増えていることに警鐘が鳴らされている。果たして今の中高生は学習から離脱してしまっているのだろうか。その是非は専門家に任せるとしても、リサーチの道具立てが、基礎学力だとか中堅校だとか、つまり偏差値だとかで、かなり昔から使われている道具立てでリサーチされていることは否めない。

★英語教育もまだまだ重要でなかった1980年代前から行われていた道具立てだ。ICTなどは、まったく学校には登場してこなかった道具立てだ。よいわるいはともかく、いささかそれでは、2002年以降に生まれた今の中高生には窮屈過ぎないだろうか。グローバルネイティブでデジタルネイティブな≪Z世代≫とよばれている今の中高生にとって、さすがに新しい環境が必要なのは、そんなリサーチをするまでもないだろう。

Dsc03645

★≪Z世代≫にとって、はっきりいって、過去の道具立てでの診断的リサーチはあまり役に立たない。今でも診断的リサーチは必要だが、激動の時代である。世界的なコンサルティングファームは、さらに予測的リサーチ、何をすべきかというprescriptive researchをも重視している。

★この時代のベクトルを鋭く見抜き、俊敏にアクションを起こしたのが聖学院の児浦良裕先生だ。中3の在校生Yujinさんとの出会いも功を奏した。児浦先生は、あるときは広報部長、あるときは国際部長、あるときは21教育企画部長というマルチコーディネーターである。

★中3のYujinさんがグローバルに中高生クリエーターとアクションを起こす団体「SustainableGame」を主宰して、どんどんZ世代のコミュニケーションの場、アクションの場を広げていくのを受け入れ、その肝を学内にも大いに浸透しようと決断した。

★まず、ふだんの授業を学びの離脱がおこるどころか、学びの場を生徒が自ら生み出せる場にしようと、教師一丸となってPBLを実践する授業デザイン研究会を実施した。

Dsc00388_20190821100901

★そして、国際部長としては、Very50という革新的な団体と連携して、MoGを実施。MOGとは、「Mission on the Ground (地上の使命)」の頭文字をとっている。アジア新興国のチェンジメーカー(社会起業家)のもとで、「SDGs(持続可能な開発目標)」のテーマをチームを組んで解決に挑むことで、「問題解決能力」の養成に重点を置いている。≪Z世代≫のリーダーYoujinさんも、SDGsの活動をしているが、このプログラムに参加。世界のZ世代とチェンジメーカーになる輪を広めている。

★また、児浦先生は広報部長として、メディアに注目を浴びている3つの思考力入試の体験講座を各塾に招かれて実施している。3つの思考力入試のうちレゴを活用するプログラムを実施。言語化だけが思考力だと思われていた従来の学びに、物語化、図式化、物作り化など多角的なアクティビティをコンビネーションして行うPBL型体験講座を実施。≪Z世代≫の学びのお手本を広めるインフルエンサーである。

★これだけでも、凄いのだが、同じく21世紀型教育機構の同士校である静岡聖光学院と合同キャンプまでやってのけ、グローバル教育をついに学校同士で連携してしまった。これは21教育企画部長として面目躍如といったところだろう。もちろん、これが成就したのは、静岡聖光学院も≪Z世代≫の学びに日々挑戦しているからだ。

今回、これらの教育企画運営を通して手ごたえを感じた「生徒が限界を超えて成長する教育」とは何かについてスピーチする。9月1日、静岡聖光学院で行われる「第3回静岡国際シンポジウム」で児浦先生は熱く語る。Z世代の中高生が古い学びの殻を破り、新しい学びを開く。もはや教師だけが学びを設定する時代ではない。生徒ともに学びは生み出されのである。児浦先生の新しい視座をシェアしようではないか。

|

2019年8月20日 (火)

神崎史彦先生との≪対話≫

★鈴木先生が、GLICCの英語の授業で、席をしばらく外している間、神崎先生と先生の新刊書の中に埋め込まれている幾つかの言葉を、ディコンストラクションする≪対話≫をした。

Kanzaki1

★≪対話≫の端緒は、「教科教育」と「特別教育活動」と「探究」と「キャリア教育」などが有機的につながる≪Xなるもの≫なるものは何かという話だった。

★いったい何の関数なのか?そのヒントは、すでに神崎先生は自著の中に埋め込んでいる「置換」という思考スキルのメタ的な機能を引き出すことだった。思考のスキルは多様なのだが、結局は「置換」スキルに回収できてしまう。

★この実感を、現場で行うPBLの中にデザインして配置しているアクティビティの中に見出すソクラテス的≪対話≫、つまり産馬術を活用して行っていった。マインドマップとKJ法の共通点と差異を具体的に≪対話≫する迂回をしながら。

★これによって、≪アクティビティ≫が、学びの活動の手法以上に、経験のシミュレーション化という意味があることが共有できた。世界と世界性。つまり意味以上の意味というのが、常に言葉にははりついている。

★東南アジアの研修のように、学びの対象がリアルな場の経験であることは、日常の生活ではそうあるわけではない。また経験がいかに大事でも、極限まで行けるが、実際に死の体験をするわけにはいかない。化学反応や分子のつながり、ブラックホールなど、実際には肉眼では見ることができない。過去の歴史も物語としてみることはできるが、実際に見ることはできない。僕たちはシミュレーション経験をしているのだ。そのシミュレーション経験としての意味がアクティビティにはあるのではないかと。

★≪置換≫は、レトリックに多様な種類があるのと同じように、多様なバリエーションがある。だからそれに応じてアクティビティも多様である。

★たぶん、神崎先生と僕とのこのような≪対話≫は、共通ベースがあると共訳可能性が大であるが、共通ベースがないとわかりにくい。共通ベースとは、「思考コード」「思考スキル」「置換のメタ機能」「U理論的自己変容」「システム思考」「ピアジェ―パパート―レズニック」「デューイ」「脱カント」・・・という言葉を巡る意味のデフォルトネットワーク。

★どうやって、手に入れるのか?それは神崎先生と≪対話≫をするときに、神崎先生の著書を読みながら行うと実感できる。

|

神崎史彦先生と鈴木裕之先生との≪対話≫

★昨夕、GLICCで、超多忙な神崎史彦先生と鈴木裕之先生と≪対話≫ができた。21世紀型教育機構の各校の学びの質の進化を持続可能にするサポートをいっしょにしているので、≪対話≫のテーマはおのずと≪学びの魂≫の部分に集中した。

Kanzaki

★21世紀型教育機構のビジョンは、時代の精神を汲み取ったり、時代の要請に耳を傾けたりしながら、アップデートしていくから、忙中閑ありのタイミングを見つけては≪対話≫をしていく。

★僕たちは、みなそれぞれにPBLの現場を持っている。議論、対話、論文、プレゼン、学習する組織、クリティカル&クリエイティブシンキング、スピードデーティング、learning by makingなどのそれぞれのアクティビティデザインの経験から汲み取った独自のメソッドで展開している。

★僕たちが大事にしていることは、経験値を尊重しながら、そこからメソッドとして形式知化しては、アクティビティの中でその形式知を暗黙知に転換して経験値をさらにあげていくことだ。それと、自分たちのアクションが、形式知化されメソッドというメタ化されるわけだから、それが世界標準の水準に耐えられるかを確認し合う。そうしなければ、21世紀型教育機構の教育の質の進化のサポートはできない。

★それと、そもそも世界標準とは何かについて≪対話≫する。そうすると、経産省の未来の教室や文科省の大学入試改革の実態や学習指導要領改訂の目標が、世界標準に達していないことがわかるわけで、現状の日本の教育の枠組みの中で、葛藤を調整するだけでは、子供たちの未来をいまここで共有できない危機感を感じることもできる。

★僕たちは、日本の教育の内側にリアルに位置しつつも、外側にもメタ的にだけではなくリアルに反転できる可能性も考案しなくてはならないと。

★僕たちの≪対話≫は、神崎先生は白い帽子をかぶり、中立的に語り、鈴木先生は赤い帽子をかぶり、熱く語る。僕は年の功でダースベーダー役。つまりブラックハットをかぶる。しかしながら、最終的には、そしてみんなでイエローハットをかぶり、希望の光を見出す。あっ、それからみな経営的視点ははずせないから、みんなでグリーンハットをかぶり、クリエイティブなアイデアをいかに実現するかにシフトする。

★でも、多くの場合、時間がない。昨日のように5時間半も、ただただ≪対話≫をするのは珍しい。だから、イエローハットとグリーンハッとをかぶれないまま終わる時が多い。そのときは、モヤモヤ、ドキドキ、ムラムラが残る場合もあって、精神衛生上よくないという。ブラックハットは、責任がある。ごめんなさい。ちゃんと、イエロー&グリーンハットをかぶるところまで気遣うことも大切だと昨日は身に染みた。

★それにしても、このような≪対話≫ができるのは、神崎先生は、3部作を執筆しているし、鈴木先生は思考実験という著書をアレックス先生とジェームズ先生が執筆出版するときに編プロを行った。そして、お二人は、それぞれのセオリーを、自身の授業で展開している。

★神崎先生は、レゴを使いながら、レズニック→パパート→ピアジェと思想的にたどっているし、鈴木先生は、最近はデューイを、もちろん原書で、読み深めている。

★だから、お二人のセオリーの共通点と差異をファシリすることはおもしろい。その共通点と差異こそ学びの魂の可視化。ここから、新しいプログラムを創ることもできる。

★このプログラムは、日本の教育のリアルな内部にいながら、外部というポジショニングにワープすることもできる可能性が大である。外部とは世界なのであるが、リアルな世界のことだけを言っているわけでは、もちろんない。

★リアルな世界の背景にある世界性を含んでいる。ちょっとハイデガーやガダマーの存在論的解釈っぽくて、わかりにくいけど。

★そこは、また≪対話≫で現代化していけばよい。≪対話≫は続くというわけである。

|

2019年8月19日 (月)

9月1日  ≪Z世代≫が開くグローバルな世界をシェアしよう!

9月1日(日)、静岡聖光学院で「第3回静岡国際シンポジウム」を開催します。テーマは、“Everyone can be talented.“です。今、中学1年生から高校3年生、つまり12歳から18歳までの生徒は、≪Z世代≫に属していると言われています。1995年から2012年までに生まれたこの≪Z世代≫は、なんといってもデジタルネイティブ。イノベーションによって生まれたPCやAIは、自動化から自律化していて、今までの世代とは全く違う知の感覚を有しています。

★にもかかわらず、今までと同じ学習観で、≪Z世代≫は「学習離れ」が進んでいると警鐘を鳴らす教育学者も現れています。知識はわからなければ、≪Z世代≫はスマホで調べればよいし、ゲームもeスポーツという流れでもあり、その≪遊び≫の概念はこれまでの世代とはどうやら価値観が違うようです。

Seiko2

(自然科学部のメンバーがドローンで撮影。自分たちでつくっているビオトープを上空から俯瞰。災害時の救済のためにも役立てるように今からドローンを活用した技術開発をしているという)

★このような新しい世代のすべての行動が善であるかどうかではなく、新しい世代の学習観やものの見方感じ方を認めることが大切です。しかし、多くの学校ではそこに気づいていません。難関大学に向けて壁をクリアする挑戦をする学習が善で、入りやすい大学や入ってからあまりストレスのかからない大学を選択する行為は、もはや「学習」から降りていると表現されています。

Photo_20190819140901

(左のフライヤーは、≪Z世代≫で設立しているSustainableGameに依頼した。同団体の代表は、聖学院の在校生でもあるYOUJINさん)

★価値観が多様な中で、自分にとって関心のある事柄を深く追求していくことが最重要な≪Z世代≫にあって、「学習」から降りているどころか、新しい領域を開拓して、新しい技術を発見したり発明して、世界の平和や民主主義に貢献しようというアクションを起こすことが、必ずしも難関大学に挑戦することと一致しない場合もあるし、古い学習観の日本の大学より、イノベーションと個々人のタレントを重視する海外の大学を選択しようという≪Z世代≫のアクションをもっと評価することが大切です。

★そういう新しい≪Z世代≫の息吹をさらにもっとトルネードにして、日本だけではなく、世界を巻き込む≪Z世代≫のソフトパワーを大いにサポートしているのが、静岡聖光学院です。

★静岡聖光学院の生徒は国内外の知的なイベントや国際交流で活躍するだけではなく、自分たちの手で、国際サミットを企画運営するアクションを起こしています。もちろん。静岡聖光学院の先生方もサポートしていますが、英語科教諭や情報の教諭でない場合、英語とICTに関しては、生徒と共に学びながら行っています。

★何せ、国際的な≪Z世代≫のネットワークです。しかもイギリスや東南アジアで交流している≪Z世代≫は、みな自分たちの国の未来を担うリーダーとして育っているわけです。静岡聖光学院の生徒は、そのようなネットワークを今からつなぎ信頼の絆を深めていっているのです。

★英語やICT、そして実はスポーツマンシップやアートをテクノロジーと融合するSTEAM技術も共通言語として活用されているのです。授業だけはなく、すべてのアクションはプロジェクト型で動いているのです。

★従来の授業感や学習観では、教師は≪Z世代≫をサポートできないことを、静岡聖光学院の教師は共に世界を飛び回りながら身に染みてわかっているのです。

★スモールサイズの学校だから、一握りの生徒や一握りの教師が行っているアクションではありません。全生徒全教師が一丸となって未来の世界を未来のリーダーたちといまここで創り上げようとしているのです。

★どうしたこんなことができるのでしょうか?どうしてこんな凄いことを行うのでしょうか?誰も見たことない教育が静岡聖光学院では生まれています。そして、東京でも、同じように≪Z世代≫がパワフルに活動するのを応援する学校があります。聖学院がそうです。今回の静岡国際シンポジウムに、聖学院の教師も駆けつけ、≪Z世代≫といっしょに創っていく≪学習≫や≪キャリアのロードマップ≫は何か、大いに語り合います。

|

2019年8月18日 (日)

2019東京都私立学校展(5)PBLやアクティブラーニングで生徒の学びを変える学校が熱い!

★八王子で、ある意味行列ができる高校と言えば、聖パウロ学園。授業はPBLを中心とした≪対話≫がベースの授業が展開している。教師と生徒の信頼関係が、生徒の学びのモチベーションを高め、学び方を創り上げようという学習行動に進化していく学校だ。

Dsc00146

★先生方の笑顔が安心安全な学びの環境を生み出している。広報部長の望月先生(社会科教諭で、神話や民話、童話の背景にある歴史物語を生徒と発掘しながら授業を展開する)によると、都心の私立学校展がゆえに、ブースに立ち寄る受験生は少ないと思ったが、昨年の倍以上の方と対話ができたということだ。

Dsc00160_20190818110701

★同じように八王子に位置する工学院にも受験生と保護者が昨年以上に訪れた。PBL授業をベースにヨーロッパ、オセアニア、東南アジア、米国と多様な海外研修を繰り広げ、一方でSTEAMによるモノづくりの生徒の実績がメディアを騒がせている。News Picksに6ページもの記事が掲載される程のNew Power Shool。工学院大学の新宿キャンパスでも週1度ペースで高校インタークラスの英語による哲学授業や中国の授業が行われている。

Dsc00133

★アクティブラーニングの見学ができる学校と言えば、日本全国から注目を浴びているのは、かえつ有明。思考力入試の中でも、アクティブラーニング入試は、中学入試市場に大きなインパクトを与えた。帰国生からも大人気の世界が求める最も生徒がハートフルになれる学校。

Dsc00129_20190818111601

★そして、女子校でPBLといえば、和洋九段女子である。PBL入試の体験授業はいつも満席。PBL授業で、多角的な視点をもち、PBL型授業ベースのグローバル教育で世界的視野を身に着けて欲しいという進取の気性に富んだ保護者が今大注目している。

★2学期からは英語でPBL授業体験ができる英語入試対策授業も企画しているが、すでに申し込みは殺到している。PBL授業で、生徒が笑顔で真剣に思考に没頭し、高パフォーマンスでプレゼンする姿に、教師は感動しないではいられないという想いを持った教師がいつのまにか揃ったと中込校長先生は先生方に絶大なる信頼を寄せる。

★中込校長先生は、理科の教師で、多くの教科書も手掛けている。今理数探究の教科書をつくるプロジェクトのメンバーでもあるということだ。和洋九段女子のSTEAM教育のエッセンスづくりにもなるということだ。もちろん、授業は当然PBLでなければならないという。PBLの和洋九段女子。そういえば、経産省の「未来の教室」のキーコンセプトはPBLだ。

★時代が和洋九段女子に追いついてきたということだろう。

|

2019東京都私立学校展(4)今回の私立学校展のパラダイム転換 海城がお手本の役割果たす。

★今回は、すでに述べたように、国際フォーラムが2020年東京パラリンピック・オリンピックのための工事のため使えない。そこでスペースが狭い科学技術館を活用せざるを得なった。しかし、そのデメリットをメリットに転換する創意工夫を考案したという。それは、私立中高協会の副会長長塚篤夫先生(順天学校長)によると、各校のブースは時によってはポスターセッションで説明できるようにブース内の掲示物を工夫しようということだったという。

Dsc00067

★まず今までとは違い、座って個人相談や学校の説明をすることができない。ブース内は3人というルールだが、実際には2人が限界。もし、たくさんの受験生と保護者の行列ができたときには、対応ができない。

Dsc00136

★そこで、多くの方々にポスターセッションで、教育の内容や結果のみならず、その学校で生徒がどのように学ぶのかまで説明しよということになったという。もちろん、受験生・保護者を3人の先生で対応できるのであれば、個別に対話をするのもありで、そこは臨機応変でよい。

★しかしながら、私立学校の教育は、やはり生徒の学びのプロセスがそれぞれの学校の独自のプログラムに沿って躍動するから、そこをプレゼンするには、生徒も慣れてるポスターセッションを教師も応用しようということだったようだ。

★ある意味、私立学校の広報の真髄を貫いた私立学校展になったのではないか。

★そして、ポスターセッションとしてお手本を披露したのは、海城の特別校長補佐中田先生だった。高偏差値の学校で、グローバル教育や授業でICTを活用しているNew Power Schoolの海城であるが、その仕掛け人が中田先生であることは広く知られていることである。

★やはり、こういうときに大活躍するのは、中田先生である。中田先生は、海外で実際に多くのビッグビジネスマンと会い、帰国生子女の説明をしてきた経験が豊富だし、海外でプレゼンする意味の重要性を身に染みて知っている実践家であると同時に教育の理論家である。

★時間があれば、多くの学校の若手先生方はそっと見学されたし。

|

2019東京都私立学校展(3)渋谷―自由が丘―二子玉川―渋谷の東急プレミアムエリアが熱い!

★渋谷―自由が丘―二子玉川―渋谷は東急線と田園都市線で囲まれる東急プレミアムエリア(と東急電鉄が呼んでいるらしい)。三田国際が誕生した時と同じくして、楽天が二子玉川に本社移転してから、英語とICTは当たり前という雰囲気が流れているエリアである。実際にインターナショナルスクールもあったり、東南アジアの高度専門人材が、日本語を学んだりしているエリア。都立大にはケニア共和国大使館もあり、グローバルシチズンが多く居住するエリアでもある。

Dsc00152

★したがって、このプレミアムエリアでは、破格のグローバル教育や、グローバル教育の根底にあるダイアローグという意味での≪対話≫ベースの教育を行っている私立中高一貫校が多い。八雲学園は、2年前に共学化したが、そのときにRS(Round Square)という世界の私立学校のエスタブリッシュスクールのみが加盟しているコミュニティに加盟した。

★それらの私立学校は、当然グローバルシチズンシップを発揮した世界の民主主義と平和を目指す教育をし、なんといっても極限の社会貢献としての奉仕活動を行うプログラムを有している。何せ第二次世界大戦のファシズムに屈せず、極限のサバイブ経験をもつクルト・ハーンが呼び掛けたコミュニティで、日本からみていると想像もできないコミュニティの深い教育観が横たわっている。

★ケニアのRSに加盟している私立学校が研修旅行で東京に立ち寄ると、RS加盟校同士は、国際交流をするのに、電話一本、メール一本でつながってしまうから、八雲学園にも大使館を訪問した後に、立ち寄るという自然体の国際交流が行われる。毎月のように、世界のRS加盟校から交換留学生が訪れている。もちろん、受け入れたら、八雲学園から相手の加盟校に留学することができる。航空運賃や生活費はかかるが、基本あとはお金はかからない。互いにホームステイをする。

★よくあるエージェントが仲買する留学は、ホームステイはちゃんと費用をとるのが当たり前だが、RSの中での交換留学はそれはないのだ。八雲生が世界から自分の未来を見て、行き来しているというのが、自然な感じなのだ。そこは、今までのグローバル教育では味わえない大きな特色だろう。

Dsc00124

★そして、なんといっても、三田国際のブースに受験生・保護者が殺到していたのは、もはや年中行事化していて、このプレミアムエリアには、本当に進取の気性に富んだ保護者が多いのに驚かされる。

★このエリアには、SGH認定校の昭和女子大もあり、美術系のベースがあり、海城学園よりも先に取りいれたPAなどの対話をもとに自分の世界を深められるトキワ松もある。

Dsc00164

★岩崎家と松方家は親戚関係だが、その両家にゆかりのあるシスターが、私財をなげうって、戦後路頭に迷う子供たちを救うべく立ち上がってできたのが聖ドミニコ学園。一学年80人のスモールサイズがゆえに、質の高い教育が蓄積されてきた。そして今年から、インターコースをつくり、PBLやICTを埋め込んだ授業も展開し、13世紀にカトリック教会を救った聖ドミニコの≪対話≫を現代化した。再びドミコの精神を必要とする時代の激変がやってきたという使命感から教育のアップデートを行ったということだ。ドミニコ会の長い歴史の中で、たおえば、ルネサンス時代ユートピア都市構想を打ち出したのもドミニコ会士だったし、大航海時代の南米諸国をスペイン艦隊から救うべく殉教したのもドミニコ会士だ。

★なんといっても、カントもヘーゲルも、ハイデッガーも、あのマルクスでさえも乗り越えようとした西洋の哲学の基盤を創ったのもドミニコ会士だ。フランス革命をサポートした修道士の中にドミニコ会士もいた。もちろん、宗教改革の時にプロテスタント運動の波に撤退せざるを得ない地域もでたという歴史もあり、救済の歴史ばかりではない。何せ資本主義の萌芽はドミニコ修道会からという説があるくらいだから、光と影の歴史はあるものだ。ディベートの基礎もドミニコ会士がつくった。そこから中世以来の大学システムができていった。

★今回の改革で、ドミニコの精神を現代化することになれば、女子校として新たな光を放つことになろう。そもそも女子修道会の立ち上げをサポートしたのもドミニコ会だと言われているぐらいなのだ。

★東京都市大等々力は、五島慶太翁の精神を現代化し、その勢いは三田国際と競る勢いである。もともと英語教員を目指していた五島慶太。英語でサムエル・スマイルズの資本主義のベストセラー「自助論」を読んでしまったがために、大東急を形成するまでに自分のキャリアを変えてしまった。

★しかし、その晩年は宗教的精神と教育に回帰していく。アートと宗教的精神は、等々力から近い五島美術館に行けば味わえる。教育は東京都市大等々力にまさにある。

★このプレミアムエリアのすぐ延長上に洗足学園や森村学園がある。今回は東京都私立学校展だったから、参加していなかったが、当然、両校のグローバル教育が破格なのも言うまでもない。

★渋谷には渋谷教育学園渋谷もあり、等々力を支えている五島育英会の本体もある。エリアに光をあてるのは、そこに進取の気性に富んだ保護者がどれぐらい居住しているかという教育の新市場へのニーズがあるかどうかを判断するときに重要であろう。

|

2019年8月17日 (土)

2019東京都私立学校展(2)北区と文京区が熱い!

★私立学校展の各校のブースはどこも熱いのだが、気になったのが、順天、聖学院、桜丘、成立学園、東洋大京北、駒込だ。最初の4校は、北区に位置し、あと2校は文京区に位置している。隣接エリアだから、このエリアで何かが起こっている。なぜ気になったのかというと、いずれも黒山の人だかりで、これらの学校に共通するところがあるが、そこがおもしろいからだ。

Dsc00105

(順天のブース、立席ということもあって、ポスターセッション型の相談会になっている)

★順天の学校長の長塚篤夫先生は、東京私立中高協会副校長で、吉田先生。平方先生とともに、文科省の高大接続改革以来の多様な分科会のワーキングメンバー。ワーキングメンバー全体のムードは、世界標準というより、公立学校の現場主義の雰囲気。今回の改革は、世界的な教育改革で、日本だけの問題ではないが、どうしても日本の官僚主導というかお上主導の教育行政の伝統が、世界から教育をみようろしない。

★そこで、理想と現実のギャップが生まれ、現実路線に合わせて大学入試改革は動きがちになるが、それをなんとか世界標準に近づけようと議論をしかけているのである。今の子供たちの未来である2040年を世界標準にしておくことは、今教育を担っている教師のミッションなのだという。

Dsc00112  

(聖学院のものづくり思考力入試、M型思考力入試、難関思考力入試は、各メディアに注目されている。レゴを使うモノづくり入試や難関思考力入試は、新しい学びと評価され、塾からもワークショップの依頼が多い。)

★改革の中でも、長塚先生は、多面的評価について担当をししている。ルーブリックとeポートフォリオの流れの理想と現実の狭間で右顧左眄することなく踏ん張っているわけだが、出来るという信念がある。それはご自身の経営する学園である順天がそれを着々と実現しているからだ。

Dsc00092

(桜丘は高橋知仁校長自らが、リーダーシップ研修でファシリテーターを行ってしまうほどアクティブ。そのスマイルが、学内のチームワークをつくる秘訣である)

★私立学校と公立学校の行政上の違い、経営上の違いはあっても、多面的評価やポートフォリオの重要性は同じであると。

★この流れを、不思議なことに、先に挙げた北区と文京区の学校は、以心伝心よろしく実践している。多面的評価をしているかどうかは、入試要項を見ればわかる。2科4科の入試以外に、思考力入試やプログラミング入試、自己アピール入試など、適性検査型入試以外に深い学びができる入試を設定しているのだ。

Dsc00157

(駒込のプログラミング入試は、時代の先端をいく。今月の体験会もすでに満席だと聞き及ぶ)

★これは、4科主義の大手塾やそこをサポートする教育シンクタンクが「謎の入試」と呼んでいて、偏差値で評価できない入試をやっているのはいかがなものかと指摘しているのだが、惑わされずに思い切って実施しているのである。

★そして、その「謎の入試」を体験した生徒の中から、類まれな才能を発揮するのみならず、教科の学力も伸ばすことになるという事態が発生している。

Dsc00113

(東洋大京北の人気が絶大なのは了解済みであるが、私学展でも同様であった。哲学入試が人気ということは、やはり時代の希望は自分で深く考える構えが必要だと実感されているということを示唆している可能性大)

★長塚先生は、偏差値も多面的な評価の1つとして認め、それ以外にも多様な基準があってよいと。そのためにはルーブリックやポートフォリオが必要なのは、世界の教育のある意味常識だと、海外の教育のフィールドワークやリサーチを通して、確信している。首都圏模試センターや各学校で独自の展開をしている「思考コード」という考え方も高く評価し、ルーブリックが具体化拡散に展開してしまうのを、メタルーブリック的に俯瞰する思考コード。とくに、そこにコンピテンシー軸が入っていることに、興味と関心が高い。

★この新しい教育に対するものの見方・考え方が、北区・文京区に広がっている。この雰囲気が先の6校に共通しているところがおもしろい。進取の気性に富んだ保護者が、北区・文京区にたくさんいるということでもあろう。

 

|

2019東京都私立学校展(1)本日と明日開催

★本日17日(土)と18日(日)、2019東京都私立学校展が、科学技術館1階で開催。主催は、一般財団法人東京私立中学高等学校協会。私が訪れた本日は、10時から開催予定だったが、すでに気温は30度を超えていたので、長蛇の列をそのままにしておくのは危険ということもあったのだろう。予定の30分前に開場となった。

Dsc00062

★9時前から、各学校の先生方は準備をしていた。そして、9時には、東京私立中学高等学校協会会長の近藤彰郎先生(八雲学園理事長・校長)は、開会宣言をして、時代の変化や政府の思惑に翻弄されることなく、子どもの世界を守る私立学校の心意気を受験生・保護者と心行くまで分かち合おうと気概を共有した。

Dsc00053

★昨年までは、国際フォーラムで行っていたが、今年は、この時期、フォーラムは来年のオリンピックのための工事とあって、スペースはその4分の1くらいの科学技術館のイベントホールを使ったようだ。来年は時期をずらして、再び国際フォーラムで行うようだ。

★そんなわけで、今回は、各校のブースも狭く、みな立席での相談会となったが、それはそれで新鮮な感じがした。その理由は、しばらく見学しているうちにわかった。

Dsc00059

★それにしても、この東京をあげて私立学校の合同相談会は、理事長及び校長が、前面に出て受験生や保護者をお迎えする。ウェルカムの精神をトップリーダーが体現するわけである。日本の社会構造上、この構えは、あまりない。偉い人は後ろに控えてでてこないものだからである。

★明治以来、官学とは違って、近代化路線の自由を大切にしてきた私立学校の精神がこういうところに生き生きしているのである。

Dsc00055

★そして、私立学校のトップリーダーは、ちょとした合間でも、政治と経済と教育の関係について、政府の政策と適切な距離を置きながら協力しつつ、どのようにしたら言いなりにならないようにできるのか、そのためには、新たに私立学校はどんなアクションをするのかなど議論をしている。日本私立中高連合会の会長吉田晋先生(富士見丘理事長・校長)と同会の教育研究所理事で東京私立中高協会の副会長の平方邦行先生は、私がお会いした時、ちょうど経産省と文科省の21世紀型教育に対する考え方の違いと共通点についてどう読み解くか議論していた。

★知事選の行方や政府の文科行政は、私立学校の教育にも大きく影響するがゆえに、ある意味ロビー活動のようなアクションは必要で、私立学校1校では、立ち臨めない。各都道県の私立中高協会と日本私立中高連合会の存在意義は、ここにある。

★教育の精神の自由を守るには、コラボレーションは重要である。まさか文科省が私立学校に圧力をかけることはないだろうと思う方もいるだろうが、20年数前は、3年間くらい、私立学校の中学入試問題が学習指導要領を逸脱しているのではないかと私学バッシングをしかけてきたときもあったし、世界史の未履修問題で圧力をかけてきたことは記憶に新しい。

★そして、それらが、戦後教育基本法改正の伏線で、改正案で、私立学校をどう扱うか、水面下で、私立中高協会と政府は凄まじい議論を展開していたこともあった。

★そして、2013年から中教審メンバーになった吉田晋先生が、時の下村文科大臣に圧力をかけられたことも記憶に新しい。吉田晋先生は、教育関連法規を、特区という形で、特例を出して、どんどんなし崩しにしていく下村大臣ときちんと議論をしようとしたところ、大臣が、私に反論するのかと言う始末だった。

★しかし、私立中高協会は、一丸となって、数々の抑圧をはねのけ、適切な距離をあけながら、政府や官僚の要請に、協力ができるところは大盤振る舞いもしてきた。

★新しいグローバル教育やPBLの実態、ICTの授業での活用など、視察も受け入れてきたし、研究校としても協力をした。教育改革のプロトタイプを提供することをしてきたのである。

★国際フォーラムが使えないのなら、今年私立学校展をやらないという選択肢もあったはずだが、近藤会長は、私立学校の存在、つまりプレゼンスのアテンションをあげ続けることは、教育の真理を守る私立学校の使命であるという気持ちでいるのであろう。

 

|

2019年8月16日 (金)

PBLの世界(16)高校生の「学習離れ」を解決するには?

8月12日の日本経済新聞の記事≪2020年度の大学入試改革 高校生「学習離れ」防げず≫によると、「浜中淳子早稲田大学教授は、大学入試を変えることで高校教育を変えようという手法には限界があると指摘する」とある。6月に浜中教授が執筆(共著)した「大学入試改革は高校生の学習行動を変えるか:首都圏10校パネル調査による実証分析 (MINERVA社会学叢書)」を読まなければ、その根拠が詳しくはわからないが、重要な指摘だ。

41tijxkblbl_sx342_bo1204203200_

★中堅高校の生徒までもが、学習から降りてしまっていることが、調査の結果わかったというのが前提で、浜中教授は次のような論点を明快にしている。

≪確かに、グローバル化への対応や表現力や思考力、主体性の育成というのは重要な観点なのかもしれない。しかしそれ以前に目を向けなければならないのは、学習から降りてしまった高校生たちの存在である。高校生の基礎学力の習得と学習意欲の喚起を目的に「高校生のための学びの基礎診断」というテストも導入されはしたが、大学受験や就職試験に必須でないこともあり、期待できる効果には限界がある。

私たち大人は、疑いもなく「大学入試を変えれば、高校生の学びは変わる」と語ってきた。しかしそれは「真」なのだろうか。実は、大学進学者層のほんの一部に影響を与えるにすぎないのではないか。そもそも四年制大学に進学しない、あるいは進学できない高校生たちも相当数に上るのである。

高校生の学びを豊かにするために効果的な施策は何か。日々の学校生活をどう構築するか。入試改革に飛びつく前に、エビデンスと現場の声に真摯に耳を傾けながら、吟味することのほうがよほど大事な課題であるように思われる。≫

★僕がかかわっている私立中高一貫校では、別に中堅校以上とは限らないが、ここまで学習から降りてしまっているという現状はない。しかし、「モチベーション」や「自己肯定感」を高めるために、涙ぐましい努力が、中堅かどうかいかんに関わらず、どこでも、学校全体で取り組まれている。

★したがって、「モチベーション」や「自己肯定感」が狭義の受験勉強ばかりでなく、広義の学びにおいて、高まらない社会的な構造を明快にする方が、浜中教授らの成果はより効果的になるだろう。生徒個々人の心理的反応を引き起こす社会的構造の影響は大きいはずだからだ。

★学問的エビデンスは重要だし、この出来上がってしまい閉塞した社会構造を変えるには、それはますます大切だが、僕は1地球人として、社会構造上、一握りの層にひと・もの・かね・情報とそれを回す化石燃料が集中していることが問題であることは、先人たちの成果からすでに明らかなので、どうやって、その社会構造内の一部の層に集中している力を解き放つかを論点にしている。

★そのために、いつの時代にもある革命という手段をとるのか、身近な制度のマイナーチェンジを積み重ねるのか、トロイの木馬を構造内にインストールするのか、やり方はいろいろある。浜中教授のように、学問的エビデンスを現代の社会構造のルールにのっとって提示し、検証し、だから変えなければならないというやり方ももちろんあるし、それは正統派だ。

★しかし、ルールは、不思議なもので、集中している力に有利に働く場合がある。いや往々にしてそうだ。大学入試改革も、本来は社会構造の閉塞部分を解消する予定だったが、違う力が働いて逆説的にも閉まってしまったということもあろう。

★現状の法制度は、悪法も法である。法制度を超えた力で悪法を是正することは民主主義ではない。悪法を変えなければならない。時間がかかる。そして、法制度を超えた力を使えば、革命になる。もちろん、法制度内に抵抗権を埋め込んでおけば別だが、日本社会の法制度にはそれはなさそうだ。明治期に政府官僚にルソーが排除されたのは、そういうことを意味しているだろう。

★そんなわけで、法制度にのっとって、法制度そのものを変える方法をとらざるを得ない。それがデビッド・ボームやピーター・センゲやガードナー、レズニック、古くはデューイなど、多くの見識者が語ってきたことだ。何せ、法体系にルソーはいないが、表現や言論の自由いルソーはちゃんと生きているのだから。法制度というのは摩訶不思議である。

★しかし、世の中は、彼らのノウハウを摘み取り、そのような魂を置き去りにするのが常である。PBLは、彼らの魂を高校生に限らず、そこに参加する人々と共感する場=トポスである。その本来性に気づく動きがようやくシリコンバレーやボストンあたりで生まれてきたという時代なのだろう。

★もちろん、常に自家撞着で、魂はそれらのエリアでも忘却されるものだ。それゆえ、最近では、その魂は、今度はベルリンに飛翔している可能性があるといわれている。あるいは、大企業のコンサルティング部隊が提示しているものとはまた違い、北欧で新たな本来的なサイキュラーエコノミーとして活動が始まっているのかもしれない。

|

2019年8月14日 (水)

石川一郎先生との対話 思考の軸の差異に気づく A3B3の罠に陥らないために

★昨日、21世紀型教育の旗手石川一郎先生と電話で対話をした。経産省の「未来の教室」などに招聘されたり、東北の学校に招かれたり、相変わらず多忙な8月のようであるが、その合間で、第3の思索プロジェクトに取り組んでいて、お盆休み返上ということだった。

Dsc07290_20190814092001

★21世紀型教育機構(当時は「21世紀型教育を創る会」)を発足したころは、PBLとかアクティブラーニングというのは、わからない、意味があるのか、大学入試に対応できるのか、評価はどうするのか、そんな質問ばかりだったが、今はそれはなくなり、むしろ受け入れている現場が多くなったと。

★ただ、問題は、思考の軸の差異を意識しないから、A軸、B軸でおわって満足してしまうのが、もったいない。

Photo_20190814084201

★クリエイティビティも重要だということは、現場でも広がっていると。しかし、問題は、A3とB3の領域に到達すれば、創造性を養っていると錯覚しているところは、問題だという。

★たしかに、知識の背景の関連事項を広げて行ったのを、コンパクトにまとめる変容というのは創造的に思える。複雑で冗長な論理をメタファやアナロジーに置き換えて変換するB3というのは、創造的なように感じる。しかし、それはいわゆる地頭がよいというA軸B軸のパワフルな脳の働き。

★新しい知識やアイデアを生み出しているわけではない。メタファーやアナロジーは、ロジカルな思考スキルであって、それは誰でもが学べる。

★だから、そこを学ぶプログラムが肥大化して、それが探究だということになる。しかし、2020年から始まる難局と、それを乗り越えることによって新しい世界が広がる時代の転換期にあって、新しい知識の創造、アイデアの創造は喫緊の課題。

★それはしかし、ある意味教育文化で、今後Z世代が、そこをベースにしていくというウネリを生むような学びの環境を創るしかないわけですよね。

190901  

★ま、しかし、本間さんだって、僕だって、Z世代ではなく、そこに気づけるわけだから、若い世代に任せるだけではなく、自分たちも気づくことができたら、それにこしたことはないでしょうと。さすがは、ミッショナリー。

★だから、講演や執筆、コンサルの活動に石川先生は奔走しているのですよね。そうなんだけれど、そんなふうにB3的なまとめ方をされると、それはそれで違うかなと。

Shinpo

★贅沢な悩みですね。そうかもしれない。9月1日、と10月のお披露目まで、もう少し深めておくことにするよ。という感じの知の限界をどうクリアするのかという地的刺激を共有できる対話だった。時代を変える人、世界を開く人は、高次レベルの差異に気づける人だ。たしかに皆気づくことが大事だが、だれもが石川先生のようにはいかない。それがまた、石川先生の魅力なのである。

|

2019年8月13日 (火)

Z世代の次の世代の子どもを誕生させる小泉進次郎議員

★今月7日、自民党の小泉進次郎議員とフリーアナウンサーの滝川クリステルの結婚報道が盛り上がっていた。滝川クリステルさんのファーストレディ説がすぐに飛ぶほど、進次郎氏の総理への期待があるということだろうか。

★政治家の情報は複雑で、自分で調べることもできないし、そんな能力もない。したがって、そのような情報は学者や評論家や私立中高協会の重鎮の方々を頼りにすることにしている。

51k4lweqtl_sy346_

★しかし、報道の中で気になる話が進次郎氏の口からでていた。それは子供が誕生するよということと政治家純一郎のマネはしないが、純一郎のような父親にはなりたいというクダリ。

★デジタルパイオニア世代の進次郎氏の子どもは今のZ世代の次の世代。その子供の行方を考えながら、政治家として行動していくわけだから、これは非常に重要。すでに、厚生労働部会長として、レールからの解放を謳った、キャリアデザインを考案中だし、なぜか阪急の創始者小林一三の働き方に関する語りを引用したりしている。

★もちろん、小林一三は渋沢栄一を引き継ぎというか食ってしまった五島慶太の東急王国がつくりあげる「庭園都市構想」に影響を与えた重要人物で、土建国家観から脱するために考案された田園都市構想やガーデンアイランド構想にその発想は直接間接つながっている。

★この構想に一役買った現在の静岡県の川勝平太知事は、留学生100万人計画を提唱していて、この庭園国家構想には、すでにグローバルな世界も射程に入っている。

★そしてソサイエティ5.0で予定されている様々な領域は、すべてコンパクトにスマートシティによって実現されるということになっているが、その土台は「庭園都市もしくは庭園国家構想」である。五島慶太は大学を誘致しながら電鉄を広げていった。田園都市線沿線がその象徴であるが、今や私立中高一貫校の集積地にもなっている。

★厚生労働部会長として、進次郎氏がすでに医療にITテクノロジーを推進することは報道されているし、結婚報告を前自民党幹事長谷垣氏にしたときも、谷垣氏の今置かれた健康状態がゆえなのだろうが、その話題にもなっていた。

★どうも進次郎氏の話は、プライベートな話として聞き流すよりも、氏の政治に対するものの見方のホノメカシとして読み解きたくなるのは下世話かもしれないが、そういう独断と偏見を思い巡らしてしまうのは、僕だけではないないだろう。

★それから、もう一つの純一郎氏に対する言及だが、メディアが盛り上がるほど、小泉家は複雑なドラマ人間模様で、その父親のようになりたいは無理があるだろうとは、誰しも思うだろう。しかも、そこを突っ込めないメディア。これは、別に圧力がかかっているのではなく、今後の小泉進次郎議員への期待とそうなったときの自分たちの対応を準備するために、今は余計なことは言わないということだろう。

★政治家純一郎のマネはしないといっても、厚生大臣や郵政大臣を歴任したうえで総理大臣になった純一郎氏と同じような環境を歩いているのが、今の進次郎議員だ。しかも国会改革をやるとまで提唱している。自民党をぶっ壊すという激しい言い方はしないかもしれないが、帝王学はちゃんと学んでいるのではないだろうか。

★では、純一郎氏のような父親になりたいということはどういうことかというと、おそらく復興大臣政務官に就任していた時に強く感じたのだろうけれど、議員を辞めてからの純一郎氏のようになりたいということなのではないか。

★そのカギを握っているのは、進次郎氏がコロンビア大学院時代に師事したジェラルド・L・カーティス氏の文化人類学的な政治学の切り口で日本の政治を見据えているものの見方だ。米国の知日派といえば、ライシャワーだが、ジェラルド・L・カーティス氏は知日派第三世代と言われている。

★政治学者なのか政治コーディネーターなのかあるいはエージェントなのか変幻自在の動きをする人物で、少なくとも日米同盟を強化する両国の政治家や企業人の太いパイプづくりを「下田会議」で形成してきたことは確かなようだ。

★しかし、そのような中で、今の中曽根―小泉ラインを、未来の日本国家づくりの基礎としてどうもみなしている節が、令和になるや発刊された「ジャパン・ストーリー」には語られている。両人は、深く反省して、今や反原発を主張している。同著書には、トモダチ作戦で活躍した空母ドナルド・レーガンからやってきた多くの兵士がどうやら被曝して苦しんでいることを知った小泉純一郎氏が、治療費や訴訟費を工面するようにメディアに訴えたが、一蹴された。そこで奮起して、講演会を開き全国行脚をする。それに感動したニトリの社長らが動いて、一年もたたないうちに3億円を集めて、寄付したという話が載っている。

★進次郎議員が、この動きを知らないはずがない。2020年を新たな国づくりのエポックと考えている進次郎議員が、医療や教育、国会の改革に構想を描いていることも、現状のアクションから伝わってくる。

★ジェラルド・L・カーティスは、強いリーダーシップを発揮しなければ「フクシマ」に象徴される出来事を解決できないと何度も語るが、それが誰であるかは具体的には語らない。同書では、小泉純一郎という名前は頻繁に出てくるが、小泉進次郎議員については触れられていない。自分の弟子であることも触れられていない。

★今回の結婚報道のときに、メディアがあえてきかなかったのと同じように語っていないということだろうか。

★ジェラルド・L・カーティスの書いていることは、政治評論家の語りとは違って、学問的信ぴょう性はあるだろうが、なぜ今このタイミングで本を出版したのかは、学者というよりは別の役割を果たそうとしているのかもしれない。

★いずれにしても、コロンビア大学は、米国でも有数の大学で、サイエンスの分野ではノーベル賞受賞者も多数。湯川秀樹も同大学で教鞭をとっていた時に受賞した。バラク・オバマ、セオドア・ルーズベルト、フランクリン・ルーズベルトという大統領も輩出している。

★同大学の国際政治分野では、とくに各国を対象にした戦略的研究プロジェクトがたくさんあって、ジェラルド・L・カーティスも、日本担当ということなのであろう。戦後の日本が極東アジアでどんな役割を果たすのか戦略的に研究する学問の拠点がコロンビア大学にあるということだろう。

★だから、なんだだし、それがどうしただし、日米同盟を強化支援してきた研究所が、もしその転換があって解消するようなことがあれば、助成金や寄付を集められなくなるからではないかという斜めから見ることも可能だが、その拠点と、小泉進次郎議員がネットワークを持っているということは確かなようだ。

★小泉進次郎議員の青春時代は、小学校から中高までは、関東学院六浦で、大学も関東学院大学。≪私学の系譜≫としては保守本流であるが、何せ戦後学内はいろいろあったから、現在は安定しているのだが、中学入試関連メディアはそんなに注目してこなかった。しかし、新タイプ入試や英語教育、新しい学びの開発など、着々と歩を進めている。今では、注目するシンクタンクも現れている。

★なんといっても、北部バプテスト神学校拠点だったわけである。日本ばかりか米国も変わらなければならない。その道を開いたのはビル・クリントン。まあ、いろいろある人物だが。多くの米国大統領が米国聖公会出身であるのに対し、クリントンはバプテスト出身である。もっともバプテストは南部と北部では、少し違うようで、なかなか複雑なようだが、米国聖公会が夢見てきたコンサバ米国ではなく、新しい動きが米国の中でも動きはじめている。

★それに応じた日米同盟の新しい在り方を、日本も変わりながら構想していくことになるというのが、ジェラルド・L・カーティスの野望だろう。果たして、進次郎議員はそれに乗るだろうか?

★レールからの解放は、もしかしたら戦後日本の国づくりそのものからの解放を暗示しているのかもしれない。デジタルパイオニア世代は、ポケモンやデジモンのようなヒーローイメージを有している可能性が大で、鉄腕アトムや宇宙戦艦ヤマトで描かれているようなヒーローとは違う。戦略的パートナーシップではない、新しい関係を創り出していくヒーローが求められているのかもしれない。

★8月は、ヒロシマ、ナガサキ、アスタカヤマに祈りをおくる月であるし、友人たちが三陸でボランティアをしたり、僕も福島で研修に訪れ、フクシマに思いを巡らす月である。

★Z世代、そして次の世代がどのよな希望の火をともすのだろう。僕たちはその邪魔をしてはならない。

|

2019年8月12日 (月)

学校選択保護者であるサバイブ世代の子供たちはZ世代。

★1980年代を初等中等教育という青春時代として生きた新人類世代と1980年代から1990年代にかけてその青春時代を生き抜いたサバイブ世代。今これら2つの世代から中学入試に立ち臨む子供たちが誕生しているが、実は新人類世代のうち1965年生まれの家庭からZ世代が誕生している。1965生まれの新人類は、今や54歳だから、中学入試の家庭層としては年齢は高め。やはり中学入試を考える保護者はサバイブ世代に移行していると考えることができる。ともあれ、中学入試に挑む子供たちは、デジタルネイティブとしてのZ世代なのである。

Photo_20190812084901

★ところが、このサバイブ世代、世の中では一般に、氷河期世代とかロスジェネとか失われた世代とか呼ばれている。僕は世代論をサブカル的なアプローチのみでみようとはしていない。ただ、戦後日本は、大学進学率も右肩あがりで、疑似的であるかもしれないが、偏差値スコア信頼システムが成立してきたから、どの世代も青春時代にこのシステムに遭遇し、それぞれがそれぞれの葛藤を起こしている。

★そして、その葛藤の時代要因は変わらないものもあるだあろうが、変わる要素もあまりに多い。だから葛藤の中身が世代によって違いがでてくるのは否めない。また、その葛藤を乗り越えるも、距離を置くも、逃走するも、解決しようとさらなる葛藤に立ち臨むも、そこに政治経済サブカルの相互影響は避けられない。

★1980年代以降は、この相互影響にグローバルな動きが入り込んできたのは、すでに紹介したとおりだ。僕が、氷河期世代を、中学入試においてサバイブ世代と言い換えているのは、戦後の中で、社会に出るやそれまでの高度経済成長やバブル社会は目の前で崩壊し、いきなり就職氷河期が訪れ、それまでにない社会変動の動きを身をもって体験した世代であり、その中で必死の思いでサバイブしなければならない世代という部分を前面に出してみた。

★「勝ち組み負け組み」という言葉は、1990年代のテレビ番組で登場していたが、それは明治維新のときの「富国強兵」「殖産興業」の正当化理論であった「優勝劣敗論」とはまた違う。この「優勝劣敗論」は今でも学歴社会の中では続いているというパラドキシカルな現象もあるが、失われた経済時代の「勝ち組み負け組み」は、何が「勝ちなのか」ゆらいでいた時代である。ただし、テレビ番組の意義づけは、サブカル的なそのゆらぎを前面に出すことはなく、むしろ「優勝劣敗論」をわかりやすく表面的に取り扱った。

★実は、21世紀になって、この負の影響が、サバイブ世代の中からあふれはじめた。一見遠いが、9・11から始まるテロもその影響の可能性がある。テレビ番組の構成は、意外と世界共通というか、互いにアレンジしまくっているから、そこから発信される情報はグローバルに似通ってしまうのかもしれない。

★1995年の地下鉄サリン事件からはじまり、不条理な凄惨な事件は、最近も止まることをしらない。そこで、内閣府はソサイエティ5.0の一環として、彼らの言う「就職氷河期世代の支援策」を実施するというのだ。

★1990年代の失われた経済の時期にうちだせばよかったものを、そのときは大企業や都市銀行の倒産も救わず、終身雇用の終焉をうたい、大リストラを定着させた。その抑圧的なバブルが、ここにきて弾けているとみることもできる。

★しかし、山本直人氏の「世代論のワナ」ではないが、一つの世代を一面的にみてそこをデフォルメしてわかりやすく表現することは危うい。だから氷河期世代というネガティブな面を強調する言い方より、戦後はじめて直面する大きな生活危機の状況の中で、サバイブした世代と言った方がよいかなと思ったのである。

★そして、電博やリクルートの奥の院にいる人材の武器は、ポストモダンを牽引する現代思想だった。1980年代を席巻したこの現代思想は、大学入試の国語や社会の素材でも活用された。学歴社会システムに、誰が巧んだのかわからないが、現代思想というトロイの木馬をインストールして、そこから大手広告代理店やリクルートなどの大手人材活用ビジネスやベネッセなど大教育産業に人材を送り込んだ。

★そしてこれら産業は当然IT産業とコラボした。サバイブ世代の中で生き残り組は、「勝つ」という概念をモダニズムではなく、ポストモダニズムの現代思想的にもっと主観や欲求に求め始めた。これがまたヤヌスなのだが、それはともかく、こういう新しい教養に大学入試という学びから影響を受けたスタッフは、当然組織論は今ではティールだとかいわれているが、1990年代の用語では「リゾーム型組織」とかライフスタイルは「ノマド」(このことばも現代思想用語)が流行る。

★コンピテンシー論も、今はやっているが、1990年代に現れた人材開発論の1つだ。

★こうしたライフスタイルの象徴が、いまGAFAと言われているシリコンバレーである。もっとも、今のように巨大化しているシリコンバレーというより、草創期のヒッピー起業家精神の集積場としてのシリコンバレーだっただろうが。

★もちろん、サバイブ世代は、次の世代のデジタルパイオニア世代とは違い、全員がICTに長けているとは言えない。ヘビーユーザー側ではあるが、クリエイターではないだろう。しかし、サバイブ世代で成功している人たちは、マネジメントというこれまた1990年代に生み出された新しいマーケティング理論を活用して、そのような才能者とコラボして新市場を創り出すのは得意だ。

★実際、僕の周りのサバイブ世代は、実に巧みだ。もちろん失敗から学んでいてまさにサバイバーで、しらけ世代の高齢者の僕だが、脱帽せざるを得ない。そんな彼らが、デジタルパイオニア世代とコラボし、Z世代の子どもを眼に入れてもいたくないほど愛しているのだ。

★したがって、モダニズム的指標で私立中高一貫校を選ぶはずはないのである。最近は校長もデジタルパイオニア世代の学校もあるし、教頭、教務部長クラスにデジタルパイオニア世代がいる学校が増えてきた。シリコンバレー系だったり、21世紀型教育系だったり、共感的コミュニケーションというポストモダン的な発想を組み込む学校が出現してきた。

★2022年は、1980年代から始まった社会変動の地殻変動が大地震となる可能性がある。そのときにどうするかサバイブ世代は、自分の生活と子どもの未来をどうするか決断するわけだ。

★ところで、その先はどうなるのか?AIシフトとは何を意味するのか。AIシフトは、産業革命以来続いた政治経済社会を大転換すること示唆している。つまりモダニズムの大転換。それはポストモダンで大転換したのでは?いや、ポストモダンは、モダンの延長上で、根底は変わっていない。ソサイエティ5.0は、内閣府や経産省は表には出していないが、日本の野望がおそらく隠されている。

★表に顔を出さない、官僚の奥の院に内側から変えるという高橋是清のDNAを持った部隊がいる。表に顔を出すのは、勝海舟のDNA部隊だ。なんで、そんなことがわかるのか?見たこともないのに。

★もちろん、独断と偏見である。ただ、≪官学の系譜≫と≪私学の系譜≫は、実は明治維新の時、政治に経済に官僚の中にヤヌスとして埋め込まれたのである。明治の偉人の中には、大河ドラマで頻繁に扱われる人物だけではなく、小栗忠順のような未来を予測しながら実践力を発揮した人物がいる。すでにグローバルな精神を持った恐るべき賢人である。新政府は、勝海舟は政府側に取り込んだが、小栗忠順は、生かされなかった。それほど怖ったのであろう。

★のちに、小栗忠順のDNAは≪私学の系譜≫に受け継がれることになるが、それは歴史家や歴史小説家によろしくお願いしたい。

★話は拡散してしまったが、要するにサバイブ世代の中の進取の気性に富んだ保護者は、Z世代の自分の子供たちの未来を見据えて学校選択をするということが言いたかったのである。そして、このZ世代こそ産業革命以来続いた強欲奪取型近代社会を循環型近代社会に転換する才能とICT秘術と平和を生みだす寛容性をグローバルネットワークを張り巡らしながらいかんなく発揮することになる。

|

2019年8月11日 (日)

社会変動を生き抜く進取の気性に富んだ保護者

★ここのところウダウダ書いているのは、1980年代は、いよいよ明治以来積み上げれてきた堅固で改革を寄せ付けない日本社会のしくみを変える社会変動が起きたという小熊英二氏の発想がきっかけだということはすでに述べてきた。中学入試が、1980年代から、特に1986年高田馬場に中学入試情報センターが開設されたときから一気呵成に広まったのは、その地殻変動を象徴的な動きとして情報センターが描き切ってきたからであろう。

Photo_20190811073901

(写真はアマゾンから借用)

★考えてみれば、1980年に12歳で中学入試に挑んだ世代は、新人類世代後半の子どもたちである。そして今や彼らは、51歳になっている。ということは、彼らの子供の誕生が30歳の時だったとすると、その子供が中学入試に挑んだのは、2010年だったのである。

★新人類世代は、大学時代や社会に出た瞬間は、バブル時代ピークのとき。そこから失われた時代の局面にさらされるわけであるが、12歳から18歳の時期にであったサブカルチャーは、スターウォーズだったし、ガンダムだったし、風の谷のナウシカだった。

★そして、中学入試の世界は、さすがにサブカルチャーをその当時は持ちこめなかったが、児童文学全盛時代である。児童文学評論家や作家は、当時席巻していた物語構造論や記号論を、成長物語の構造にどのように応用したり、崩したりするのかというのを盛んに論じていた。

★麻布の国語の先生方の中にも、宮沢賢治を物語構造論的アプローチで読む本を出す先生もいたぐらいで、麻布の国語で出題される物語(麻布は過去40年間に、詩と物語の二問構成を一度、コラムと物語二問構成を一度出題したが、あとはすべて物語一問である)と問いの構造を、その先生の本をなぞって分析するなどして、楽しんでいた。

★1980年代というのは、そういう雰囲気を現代思想側から振りまいていた時代だ。ロラン・バルトの記号論やジャン・ボードリヤールの記号論的消費経済論は、広告代理店のファッション本だっただろう。当時のカリタス女子の森本校長が、前田愛の「都市空間の中の文学」という大著を生徒共に読み込み、今でいう「探究」的な授業を展開していた。インタビューして感動していたのを記憶している。

★1990年代に入って、物語的アプローチではなく、言語論的なアプローチで記号論を扱っていた池上嘉彦先生の著作から7000字も出した開成の入試問題も大きな引き金になって、中学入試の国語の世界に記号論、物語論、そして静かにではあるが、大塚英二氏のサブカル的記号論の議論が大いに湧き上がっていた。

★21世紀になって、児童文学は衰退し、大塚英二氏のサブカル的記号論や物語論が導線となって、ライトノベル的な成長物語が中学入試に入れ替わり入ってきたのは、なかなかおもしろい出来事であったが、そのときには、もはや中学入試の現場から離れていたので、にわかに論じることができない。

★いずれにしても、今や、この新人類世代後半の世代の子どもとその後の世代であるサバイブ世代(一般には氷河期世代と呼ばれる)の子どもが中学入試に挑み始めている。それは2010年ころから始まり2019年の今もこれからも続くわけであるが、その保護者は、1968年~1977年に生まれている。

★そしてこの新人類世代後半から団塊ジュニアを含むサバイブ世代は、1980年代に中学入試に挑んでいるのである。もちろん、年代は前後するが、ざっくりこのような傾向だろうということなのだが、この仮説を前提にすれば、すくなくとも、1980年代以降に中学入試に挑んだ世代は、団塊世代でも断層世代(しらけ世代)でもない。

★全員がということではないが、少なくとも社会の葛藤を読み取れる世代である。その葛藤をあきらめるのか、その葛藤の中で勝ち抜くのか、その葛藤から抜け出るのか、葛藤を解決しようとするのか、社会における役割選択を迫られている世代でもある。

★しかも変動為替相場制が本格化した1980年代であり、留学生10万人計画が発行した1980年代である、社会変動を外から迫られる時代に中学入試に挑むことになる世代である。ジャパン・アズ・ナンバーワンは夢のあとというのを長く生きることになる世代である。

★新人類・サバイブ世代の親が1980年代中学入試で、学校選択をしたときには、それは団塊・断層世代の発想だった。その世代の進取の気性に富んだ発想は、偏差値というデータを信じ、大学合格実績という結果を信じ、選択することだったに違いない。

★しかし、そのような選択視点で、麻布や開成や桜蔭に入ったとして、半分は家庭のその考え方に従っただろうが、半分は何か違うのではないかとクリティカルシンカーになっているはずだ。

★このことは、中学入試全般に言える可能性が高い。それゆえ、2010年から、偏差値が低くても、グローバル教育を取り入れている学校を探そうとする動きが出てきたのかもしれない。

★しかし、その動きは2012年になるまで、緩慢だった。というのも、2011年までは、保護者を占めていたのは新人類世代が圧倒していたから、リーマンショックもなんとか切り抜けた学歴社会に対する信頼はまだ捨てきれていなかった。ところが、1970年生まれのサバイブ世代は、2011年の3月11日を体験し、社会変動が促進しないとどうしようもない思いを巡らせた。

★1995年の経験が通用しない事態がさらに拡大していることを思い知ったわけだ。世界中が注目し、その交渉をスムーズに段どれない政府官僚企業の姿を毎日テレビで見てしまった。科学の力もまったく歯が立たない状況は今も続いている。そうならないようにするための倫理的哲学的素養の必要性を感じないではいられなかった。

★グローバル教育の本来性としてのリベラルアーツ(哲学含む)、SNSという社会ネットワークとテクノロジーの再評価、未知の経験を乗り切るプロジェクト型の学びの緊急性などを、サバイブ世代は実感した。それは、所属する企業などの団体の中でも大いに議論されたし、ボランティア活動、デジタルの重要性、環境の重要性、それらの循環が立ち切れたときどういうことになるか、深く考えざるを得ない時代になったことを自然の猛威が知らせ、科学神話のベールをはがされた。

★サバイブ世代は、その状況を海外からみて、どうしようもできない自分にいら立つ経験もするなど、社会変動を促進することの実感は、実はグローバルな領域にまで広がっていた。

★そして、2012年に中学入試に挑む生徒は、完全なデジタルネイティブ世代である。デジタルネイティブ世代は1995年から始まるが、ブロードバンドインターネット接続ができるようになったのは、日本は2000年からである。それまでは、ダイヤル回線でつなげていた。

★ここからSNSの先駆けであるブログなど個人が世界に発信する動きがでてきた。完全なデジタルネイティブとは、世界につながるストレスがない世代のことを示唆している。

★このような完全なデジタルネイティブの自分の子が閉じらてた世界で椅子取りゲームをやっている姿を想像することは、サバイブ世代の保護者の中には不可能であるという進取の気性に富んだ層が増え始めていることは否めない。

★2012年から、学歴社会を牽引する大手塾やそれに賛同する教育シンクタンクの代表が「謎の入試」と呼ぶ偏差値で測れない入試を始める中学校が選択され始めるのは、この時期から大きくウネリ始める。

★そして、2019年もっとも若い中学入試に挑む子供を有しているサバイブ世代は1977年生まれである。最後のサバイブ世代(1980年生まれ)の子どもが中学入試に挑む年は2022年である。

★このとき、日本の経済社会システムはオーバーヒートを起こしているかもしれない。1980年代社会変動が起こったときに生まれた世代の子どもが、社会変動の大きな岐路に立つ2022年に中学入試に立ち臨むというのは、なんと運命的なのだろう。1980年生まれの進取の気性に富んだ保護者はどういう選択判断をするのだろうか。

★いずれにしても、中学入試は社会変動の行方を読み解く象徴の1つであることは確かなようだ。

|

2019年8月10日 (土)

PBLの世界(15)中学入試は、留学生受け入れ政策とコンピュータ進化と国際経済の変動の三つ巴の象徴[了]

★3回にわたって、1980年代に始まった社会変動を象徴する中学入試の変容を描いてみたつもりであるが、それを表にまとめてみた。

Photo_20190810193901

★そして、社会変動の完成には少なくとも半世紀は必要だろうから、2021年から2030年までを勝手気ままに予測してみた。とはいえ、いろいろな見識者がすでに未来予想をしているので、独自の予想ではないが。

★一つだけ独自のものらしいものとは、新しい経済システムが生まれてくるという予想である。

★これはあまり多くの人は予想しない。どうしても今の延長で考えがちであるから、しかたがないが、それは化石燃料ベースで考えるからである。

★エネルギーのベースが、化石燃料から人工光合成にシフトしたらどうなるかを考えるとワクワクしないだろうか?まさか人工光合成などできないだろうというところから考えるのではなく、もし人工光合成ができたならというところから考えてみるといかがだろうか。

★もちろん、これとても私が考えたことではない。すでにこのプロジェクトは始まっているようだ。未来はやはりデストピアよりユートピアをつくりたいじゃないか。

|

PBLの世界(15)中学入試は、留学生受け入れ政策とコンピュータ進化と国際経済の変動の三つ巴の象徴③

★留学生10万人計画は順調に伸び、2003年に達成してしまった。これは、バブルを迎えていた日本に魅力もあったからだろうし、はじけてもIT革命の影響を日本もうけていて活況を帯びていたことはたしかである。

Photo_20190810115401

★しかしながら、2003年までに、順調に同じ構造で伸びたわけではない。1997年・1998年に若干減速している。これは日本の経済構造の大きな転換期を示している。倒産するはずがない大企業や大手銀行が国の支援を得られず、見捨てられた事件が起きた時期である。

★この時期に、僕は教務から入試情報センターに異動になり、学校と社会で何が起きているのかリサーチすることになる。本社の方も、ホストコンピュータ時代からダウンサイジング時代に移行する波を避けられず、開発費がそちらに投資されることから、教務の開発事業は以前ほどではなくなったということもある。

★IBM・富士通・NECの時代も停滞し始めた。マイクロソフトの個人化戦略の幕開けである。それとともに、インターネット時代が訪れる。しばらくネットスケープを使いながら仕事をしていたが、それもまもなく過ぎ去り、マイクロソフトの時代になった。

★日本の経済の空白を乗り切るために、低賃金の労働市場を目指して、グローバリゼーションは広がらざるを得なかった。それに乗じてBRICsの台頭もあった。留学生はうなぎ上りに増えていった。当然増えると質の問題があちろこちらで頻発した。

★21世紀に入って9・11をはじめ軍事力はテロ対策時代に移行した。金融工学や脳科学、医療関連などあらゆるところでICTは欠かせなくなっていった。そこにSNSがはいってきて、スマホ時代が訪れる。世界中が1人1台PCに実質なった。

★中学入試に投資していた新興富裕層・準富裕層は、もはやジャパン・アズ・ナンバーワンでなくなった日本社会を支える学歴社会にこだわることはなくなり始めた。しかし、彼らは、2000年生まれの自分たちの子どもが2012年になるまでは、なかなか動けなった。僕の方は社内ベンチャー的に教育研究所を1999年に主宰させてもらい、PBL開発の準備にはいった。こういう新しい学びに興味と関心をもち、コラボする大企業が現れたということもある。しかし、なかなか広まるわけではない。本社の方の反ゆとり路線と教育研究所の総合学習をPBL化しようという動きは、当時はうまく両立できなかった。

★ところが、新興富裕層・準富裕層の中で、2013年ころから、英語とPBLとICTを活用したデジタルネイティブである自分たちの子どもにあった学校が誕生するや学校選びに変化が起きた。また、新興富裕層・準富裕層の消費経済を支えてきた旧富裕層・準富裕層も、そもそも自分の仕事自体、おしりに火がついてきた。中学入試において、帰国生入試のみならず、英語入試や新タイプ入試という思考力重視の試験も現れたのはこの時期である。

★もはや新興か旧かは問題ではない。マーケットを海外に広げ、インバウンドをどう誘致していくかが重要課題になった。これは世界的な動きで、2008年に政府官僚は、留学生30万人計画を開始した。2020年までに達成するのだと。しかし、あっさり2018年に達成してしまった。

★当時大学教授で、今は静岡県知事の川勝平太氏は、その当時から留学生100万人計画という大胆な提言をしていたが、それには日本の大学が準備ができないという理由があったのだが、どうやらまったなしということだろう。

★それに、SNS時代からクラウド時代になり、いよいよAIシフトの時代に突入する時代だ。大学が変わらないわけにはいかない。いずれにしても留学生だけではなく、入管法も改正され高度人材の受け入れ態勢も整えようとしている。もちろん、整備がうまくいかないこともたくさんあるだろう。

★留学生10万人計画の時のように、日本語習得マストの時代は突破され、英語でOKという時代もやってこよう。日本の企業もZ世代にまかせようという動きが活発になってきた、若くても年収1000万から4000万は可能だという制度設計もし始めている。でなければ、外国人の高度人材は寄り付かない。対価に応じたコンピテンシーとそれに基づいたテクノロジーがあればよい。

★仕事は1人ではもはや成り立たない。よってコミュニケーション、リーダーシップ、人間関係創造力、アイデアを生み出すチームワーク力などのコンピテンシーとそのアイデアを実現できるテクノロジーが重要になったのである。

★英語とPBLとICTと哲学が必要だという時代なのだ。つまり人間とAIの共生なのだが、いずれにしてもコーディングというデータ化は避けて通れない。信用はスコア化されるから、その使い方が間違えられると、人間はAIを通して一握りの人間に支配されるデストピアに突入する。すでにそういういことが問題なりニュースでも取り上げられている時代だ。もちろん、使い方によっては、すでに19世紀末にウィリアム・モリスが描いたが「ユートピア」が到来する。

★ちなみに、僕は2007年に会社を辞めて独立した。伝統と革新のバランスが伝統に傾き始めたとき、辞めざるを得なかった。伝統と革新のバランスが、革新よりを欲求する場が現れたからだ。そこで僕はどう役に立てるのか。そのことが、子供たちが世界を変えたり、世界を創ったりすることにどうかかわれるのか。僕自身は、それをPBLのトポスという世界を通じてみてみたいと。

★2020年は、1980年代に始まった社会変動の到達点であるが、それは旧体制の限りなく没落を導く。半分以上がその体制を引きずりながらここまできたわけだから、革新勢力だけで、今の経済システムを維持することはできないだろう。

★サバイブするには、新しい道を準備するしかない。つまり、強欲近代社会(その修正主義として再帰的近代社会)から循環型近代社会へのシフト。僕のやっているささやかなことが、その新しい道を準備することになっていれば幸いである。

|

PBLの世界(14)中学入試は、留学生受け入れ政策とコンピュータ進化と国際経済の変動の三つ巴の象徴②

★かくして中学受験専門塾に入社したのは、1985年9月からなのだが、入社早々驚いたのは、社内は当時の中曽根政権の臨教審批判が舞い上がっていて、それが取締役の人達によって論じられていた。もちろん、現代化カリキュラムという落ちこぼれがたくさん生まれてしまった学習指導要領の改訂は公立学校には重要だが、私立学校は、現代化カリキュラムの継続をという論だったと思う。中学受験受験専門塾としては当然の理屈だった。

Photo_20190810110601

★その正当化理論の1つを支える本がJ.S.ブルーナーの「教育の過程」で、科学の最前線も、子供たちがわかるレベルで教えるも、そのエッセンスである理論の構造は維持せよというのが肝で、その塾の新カリキュラムも、その「構造」というものを発見して、それをベースに創るのだと取締役陣がほえまくっていた。

★その構造の仮説を実証するためにも、学力調査レポートを毎年だしていた。11月3日の無料テストを、子供たちの知の構造をつくるデータ収集として位置付けていた。ふだんのカリキュラムテストや模擬試験にも、その構造の構成要素を教科コードとして体系化し、検証する研究もした。

★そうはいっても、現場は生徒があふれ、実際に合格率をあげるためにのみ動いていたから、本部で行っていることは顧みられることはなく、新カリキュラムができたころには、合格実績も右肩上がりということもあり、データ至上主義から研修体験主義に向かっていった。

★教務情報は、それ以降ルーチン化し、開発費もかけなくなっただろうが、入試情報センターは、その後も大活躍し、中学入試の黄金期をつくるのに大いに貢献した。

★1980年代は、ホストコンピュータ時代、教育改革のゆとり化、しかし同時に国鉄の民営化など、マーケット経済の動きが闊達になり、教育もその例外ではなかった。なによりも、1985年は、レーガノミクスでプラザ合意がなされ、為替の変動相場制の爆発が起こるグローバリゼーションの時代の到来の鐘を鳴らした。

★そんなとき、中曽根政権は臨教審だけではなく、留学生10万人計画をたて、国際理解教育に門戸を開放するのである。留学生を受け入れるというのは、教育制度だけではなく、外交関連法規の整備も必要であるし、何より国内外の雇用の問題をどうするか議論がはじまったのもこのころだろう。1ドル360円時代は去ったわけだから、海外に続々進出しはじめる動きも大きくなった。バブルが到来するのも必然だったのである。

★そこでうまれた新興富裕層が、1979年に発刊された「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の国で学歴トップを勝ち取るために、教育投資先として私立中学を選択することは当然だった。

★このような世界的な社会変動が、1980年代後半に、ペレストロイカやベルリンの壁崩壊に至ったのは必然的だったのだろう。中学入試は、この動きで活躍する新興富裕層・新興富裕層の投資先になり、さらに彼らを支える消費経済を生み出す国内富裕層・準富裕層の子弟の投資先にもなった。ジャパン・アズ・ナンバーワンを支える日本企業村の学歴構造はさらに強化されていった。

★臨教審は、当然世界の大学の大衆化の流れにも乗っているから、留学生10万人計画とともに、大学も改革が余儀なくされ、大学進学率も上昇し、教育の自由化、公平化とは真逆の学歴社会が堅固になっていくのである。社会の変動と教育改革の遅れというパラドクスは、1980年代にこうして生まれたのであろう。

|

PBLの世界(13)中学入試は、留学生受け入れ政策とコンピュータ進化と国際経済の変動の三つ巴の象徴①

★2020年の大学入試改革とそれに伴う学習指導要領改訂、そして2020東京パラリンピック・オリンピックは、1980年代から大きく変わる社会変動の流れの第1到達点である可能性がある。そして、その1980年代から急激に拡大する中学入試は、社会変動の象徴である可能性もある。

3_20190810082301

★1980年代≪から≫ということを、もう一度思い巡らしてみようと思ったのは、昨日紹介した小熊英二氏の著者を斜め読みしたことがきっかけ。明治以来積み上げられてきた堅固で改革をよせつけない日本の社会のしくみが、1980年代から変わり始めたという指摘を眼にしたからだ。妙なところで、私の感覚と一致を見たので、ちょうど世の中お盆休みになり、しばらくデスクワークが続くから、その合間に整理してみようかと。整理といってもざっくりだし、1980年代から僕自身の人生も変わったので、学問的整理ではなく、経験的整理にすぎない。

★僕自身は、1980年前までは、この学歴社会が象徴する官僚や企業ピラミッド型社会の中で、椅子取りゲームを楽しんで生きてきた。というより、楽しまないとサバイブできなかった。高度経済成長期に小学生時代を送ったから、北海道、東京、兵庫県、再び北海道と企業戦士のおやじの転勤ごとに転校した。小学生ながら、内地と外地の格差意識を押し付けられ、今思えばいじめに何度もあったと思うが、野球というクラスを超えたチームに入っていたから、クラス内のいじめはクラス外の友人によって撃破され、サバイブしていたと思う。

★小学校高学園から中学までは、釧路で感性豊かな環境を謳歌したが、東京―兵庫県からやってきた賢いヤツと神童扱いで、おやじの仕事も釧路の産業界でも幅を利かしていた時期だから、もともと僕は道産子なんだといってもとりあってもらえず、生徒会長をさせられたり、できたばかりの教育大附属中学に受験することを勧められたりした。相変わらずデブだったので、鼓笛隊で大太鼓をもたされて、釧路の祭りのたびに練り歩かされた。

★いやがることもなく、楽しむことにしていたが、とにかく脱出したいという想いがつよく、幸い中学は高校で札幌で過ごせる見識をもった先生方がたくさんいて助かった。

★1970年代半ばは、かくして札幌で下宿生活を大いに楽しんだ。学生運動の名残もあったし、下宿では娯楽といえば読書とラジオと国家論や哲学を交わす先輩たちに部屋は占拠されていた。

★北海道に残るなら医者か東京に出て東大かという先輩ばかりであったが、今思えば中公の思想全集かブルーバックスを読み漁っている教養人でもあった。本間は企業戦士の息子で、そこから脱却して自分とは何かをもっと考えて行動しないとダメだ。現体制の擁護論ばかりではないかと、今思えば洗脳?だったのかもしれないが、そんな彼らは立派に医者をやっているし、東大を出た先輩は大企業の研究員になっている。

★1970年代後半から1980年代前半までは、東京で寮生活や一人暮らし。そこでは、やがてカトリックの神父になる友人と多くのカトリック学校出身の友人と出遭い、なぜか自由闊達な神父と出遭い、トマス・アクイナスやヘーゲルの洗礼を受けた。

★大学・大学院では、市民社会法の教授と法哲学の助教授と出遭い、世界思想と法制度、法思想の影響を受けた。

★ときは現代思想全盛時代で、法哲学の助教授は廣松渉シューレだったし、なぜか自分が属している学部でないが隣の哲学棟によく遊びに行っていた。生松敬三、丸山圭三郎は、まだ健在だったし、木田元の弟子たちとはよく飲んだ。そんなわけだから、ルソー、ヘーゲル、マルクス、ウェーバー、ソシュール、ハイデッガー、レヴィ・ストロースの議論は日々盛り上げっていた。

★そんな中で、なんでトマス・アクィナスなんて古臭い神学をやるんだといつも突き付けられ、答えるのに苦労したが、当時東大の大学院だった友人が労働経済をやっていて、正義論から交換経済への移行期の研究をしていて、中世の都市経済にすでに、その根っこの理論を形成したトマス・アクイナスの僕の修士論文を読んで、結構凄い発見だと思うよと元気づけてくれた。彼は後に横浜国大の教授になり、最初の著作に未公開論文として僕の修士論文も引用してくれた。学者の道を続けろとエールを起こってもらったが、それにはまったく応えられなかった。

★その中世の都市に資本主義の萌芽が在るかもしれないという発想自体は、シュンペーターとマルク・ブロックに影響を受けた。当時大学院には法哲学というカテゴリーはなく、法哲学の先生がまだ助教授だったこともあり、民事法の法制史の教授に師事したわけだが、歴史と哲学では相容れないところが多く、アナール学派は、受け入れられず、葛藤もあった。

★まして、現代思想はまったく受け入れられなかった。なんで自然法論と現代思想とが親和性があるのかと。またその教授の弟子たちは、だいたい自然法なんて存在しないだろう。神がいないんだから自然法もないだろうと、議論ができなかった。

★説得できるだけの理論を持ちえなかったし、何せラテン語とギリシア語とフランス語とドイツ語を自在につかわなくてはならない学問領域がゆえに、こりゃ無理だと修士論文を書いて外に出た。教授にも、テーマが広すぎるし、おまえの思想なんて100年早いと言われ、ますます学者として無理だなと。

★しかしながら、今思えば、こんな雰囲気から脱出したいと思っていた個人的な経験は、ちゃんと時代の精神に影響を受けていたミーハーな僕だったわけである。つまり、組織論がピラミッド型で抑圧的なシステムが批判され、ゆらぎはじめた時代で、そのゆらぎの先に魅了されていた僕だった。

★そして、同時におやじの会社も右肩下がりになりM&Aの憂き目にあい、おやじは社内ベンチャーで隆々としていたが、子会社のガス爆発事故の責任をとって辞めた。株を全部本社に売り、当時としては高額の退職金をもらって、悠々自適の生活を送るはずだったが、よせばよいのに、バブル突入時期だったので、株に手を出し、あっというまに紙くずになった。

★かくして、僕もおやじも野に放たれた1980年代なのである。しかし、なぜか北海道は生け花全盛で、大師匠のおふくろは飛ぶ鳥を落とす勢い。イタリアにドイツにと、札幌市の国際交流で活躍したり、なぜか自衛隊に招聘されて、米国の部隊と日本文化交流で生け花のワークショップを行ったり、札幌のグローバルスーパーマーケットの福利厚生のために生け花を教えるなどしていた。

★おやじは、自分はスッカラカンだったが、おふくろはいい迷惑だっただろうが、プロデューサ―然として運転手もやりながら全国をついてまわった。大学時代バスケット部のキャプテンだったということで(それを知ったのもそのときはじめてだったが)、当時の部員たちが集まっては飲めや歌えで、東南アジアツアーにも飛び回り、最後は肝臓がんで大往生だった。企業戦士が、社内ベンチャーを経て、フリーターになり、仕事などまったく考えず、飲めや歌えで、病院でもわがままし放題で、友人たちにみとられて大往生。葬式は静かにやるつもだったが、社内ベンチャー時代のスタッフがおしかけてきた。実は本社リストラ社員をひきとってベンチャー企業をやったというのが真相だったという。

★なんと、1980年代は、僕自身やおやじの生活そのものが、社会変動の渦にちゃんと巻きこまれていて、その渦に飲み込まれるか、飲みこまれないように脱出をいかにするか考え行動するかという選択の時代にいたのである。

★そして、僕自身は、大学院時代にバイトをしていた小さな塾を辞めて、しばし何もせず、廣松渉の著作を読み漁り、ある程度開眼するまで働かない宣言をして、部屋に閉じこもった。その小さな塾でおこっていたことは、町田エリアで頻発していた校内暴力や学校の荒廃で、塾に助けを求めてきた生徒たちとの交流だった。塾の中でもそういう生徒を抑圧する経営陣と僕は生徒との狭間にたって葛藤したが、担当した生徒がなんとか卒業したのを見届けて辞めた。

★結婚して一年目の美術教師の妻は、しかたがないねえと。生まれたばかりの娘は、そんなことは知る由もなく、安心してよく泣き、よく乳をのみ、夜はぐっする眠っていた。金じゃない、思想なんだと青臭いことをいって、妻を呆れさせていた日々だったが、その後中学入試の風を思い切りつくった中学受験専門塾に入ることになる。

★要素還元主義から関係総体主義へという輪郭がみえたところで、さすがにそうはいっても稼がなければと。最初は、講師をやりながら有り余る自由な時間を自己沈潜する予定だったが、偶然にも職員にならないかと声をかけられ、その理由がまったく新しいカリキュラムを開発することとホストコンオピュータと模擬試験を関係させて新しい評価システムをつくるのに、力を貸さないかと言われたからだ。

★法哲学の主流は実は当時は言語で、自然言語と人工言語の関係とトポス論がはやっていたということもあり、コンピュータを活用して新しいシステム=ルール(トポスう)を創るというのは興味深かった。塾のイメージがまったく違って見えた。

★中学入試にお金が流れ込む時代だったわけだが、バブル期に富裕層や新興富裕層が子どものための投資先となったのが、1980年代である。この新興富裕層・準富裕層の存在こそが、1980年代の社会変動のプレイヤーだったわけである。もちろん、この新興富裕層・準富裕層の消費活動を支える層もまだまだ活躍していた時代であり、かれらは伝統的な中学選びを支えるプレイヤーだったのである。

★当時は、そんな意識はせずに、とにかく今までにない仕事を創りたいという一心だった。しかし、どうやら1980年代は、社会変動の兆しが身の回りに現れていた時代だったのであろう。

|

2019年8月 9日 (金)

PBLの世界(12)小熊氏の「日本の社会のしくみ」を思考力革命からみた感想

★小熊英二氏の新刊本「日本社会のしくみ」(講談社現代新書2019年8月)を例によって斜め読みした。ビブリオを含め601ページのボリューム満点の本で、とても精読の時間がない。しかし、日本の社会のしくみが改革を起こせない歴史的、社会構造的、心理学的、比較研究的な多様なアプローチを小熊氏の独自の切り口に融合しているため、学問的価値以上にグローバル市民が携帯すべきリソースであろう。

Dsc00045

★私は、グローバル市民というより1地球人にすぎないから、地球人としてこの本を楽しみたいなあと。地球人は、自然と社会と人間の精神の循環を大切にしている。この循環は、時代によって違うし、その時代の終末時には、循環は崩れがちになる。しかし、そのたびに、その循環を新しい制度とイノベーションが、新しい循環として蘇生する。

★小熊氏自身は、601ページのそのほとんどを、1980年代までに形作られた、強いそれゆえに改革しがたい企業メンバーを大切にすることが中核となった社会制度の形成過程を紐解くページに割いている。

★これを読むと、雇用者側も組合側も、各家族のための自己防衛運動はしたが、社会運動につながらなかった、つまり改革を拒むシステムが共謀共同的に出来上がったことが検証されていることに気づく。だから、読んだら、ムカつくかもしれない。

★しかし、1980年代から、この堅固な企業村社会システムにグローバルな波が押し寄せ、一部の企業を除き、破壊されつつあると小熊氏は指摘している。

★この辺は、現代社会論者とあまり変わらない視点である。それもそのはずだ。小熊氏は、この堅固なシステムが壊れつつ、しかし、限定的に強固な企業村社会システムが継続する動きについて書いているページは、601ページのうちの3%しか割いていない。未来を論じるのは、学者としてのは自分の使命ではないのだと。ただ一つ言えることは、「透明性」を貫徹することなのだと。

★これは、ようやく3%ではあるが、知識・論理的思考力どまりであった企業村社会システムベースの日本社会に、創造的思考力という思考コードでいうC軸思考が生まれてきたことを示唆してもいる。つまり、いよいよAB軸思考(知識・論理思考)からBC軸思考(論理・創造的思考)へ移行する思考力革命が生まれ始めている。

★それにしても、最終章で披露されている非正規雇用の賃金政策についての小熊氏の3つの政策カテゴリーは、コンサバ、リバタリアン、コミュニタリアンの正義でつくられている。つまり、サンデル座標のうちリバタリアンを除いた正義観。

★小熊氏自身は、AB軸思考をベースに学問していることを結果的に表明しているわけだ。地球人としてBC軸思考を使う目的は、たとえば、サンデル座標をどう乗り越えるかなのである。というのは、サンデル座標は、普遍的座標ではなく、あくまで強欲近代社会やその修正主義である再帰的近代社会を考える際の正義論なのである。ところが、小熊氏が3%割いているこれからの社会は、循環型近代社会にようやくシフトしようとしている。

★その循環型近代社会において、サンデル座標は成立しない。AIシフトの時代にあって、産業革命以来変わらなかった化石燃料の覇権をめぐる奪取競争がなくなるからだ。正義とは、希少資源の配分政策であり、格差の正当化理論である。

★循環型近代社会は、AI科学による化石燃料からの解放である。格差なき社会である。そこで正義は作動しない。自然法というシンプルな循環型近代社会ルールが残るだけである。そのルールは人が決めるものではない。循環型社会が成立する自然法則なのであるから。これが透明性の貫徹の行き着く姿である。

★いすれにしても、この循環型近代社会形成のための知=BC軸思考は、PBLで生まれることは間違いない。PBLが行われるのは、もちろん、学校に限らない。あらゆる領域でPBLが広がる。このPBLの拡大こそ思考力革命の運動態なのである。

|

2019年8月 8日 (木)

【2020年首都圏中学入試動向04】東洋大京北の人気がとまらない。

★東洋大学京北中学校は、6月8日、7月13日と学校説明会を開催。いずれも前年対比増。6月は138%、7月は140%だった。今春の中学入試も多くの応募があったが、2020年はさらに増える可能性が大。

Keihoku

★7月の首都圏模試センターの「統一合判」における志望者登録数も前年対比111%。やはり、人気の勢いはとまらない。

★哲学教育×国際教育×キャリア教育を丁寧に教育実践している点が評判を呼んでいる。

★哲学教育では、知識を活用する思考力を養うディスカッションや哲学エッセイを書く作業が小まめに行われる。また、読書も必須だ。この学びのプログラムは都立中高一貫校が必ず行っている、新書本探究、小論文指導と共通するだけではなく、世界標準の哲学的思考実験が加わるから、教育の質の高さがわかりやすい。

★また、そのような世界標準の思考力が国際教育に結びついている。このような知識×思考力×国際力が、大学合格実績に直結していることも受験生と保護者を納得させる。

★東洋大(卒業生の40%弱合格する)を中心にMARCHクラスの大学には、いずれほとんどの生徒が合格できるようになるだろう。すでに大学合格実績は右肩上がりのカーブを描いているから期待値は高い。

|

2019年8月 7日 (水)

C世代への対話(1)佐野先生との対話

★先日「PBLの世界(11)2021年以降サバイブするかえつ有明」という記事をホンマノオト21に掲載してfacebookのタイムラインに投稿したら、かえつ有明の副教頭の佐野和之先生がシェアして、次のようなコメントを投稿してくださった。

Dsc07446

≪小さく始めたグリーンな世界が少しずつ広がり始めている。少しずつ、でも確実に。それぞれの緑が他の草原や木々と結びつき始め、新たな循環態系を形成していく。その世界を維持するにはそれぞれがその世界との繋がりを回復して、部分と全体を一致させていく不慣れな作業に意識を向ける必要。弱肉強食の世界で培われたメンタルモデルに自覚的になり、慣れ親しんだその世界観を手放す覚悟を持たないとグリーンな世界に生きられないどころか、その世界の存在にすら気付けないかも。ここからが自分自身のあり方を試されるところ。≫

★今かえつ有明で広がっている世界を、佐野先生は「グリーンな世界」と表現されている。それは広がり「新たな循環態系」を形成していく。それぞれの世界との繋がりの回復と部分と全体の一致が拡張していくというのだ。

★繋がりの回復や部分と全体の一致の作業を「不慣れな作業に意識を向ける」と表現されている。いかに自分たちは、分断と要素分解に慣れ親しみ、全体や背景を見てこなかったのだろう。そのようなルーチンの空間を「弱肉強食の世界」と佐野先生は明言する。

★そんなメンタルモデルを互いに打ち明け、シェアし、そんな根源的なアイデンティティと思ってきた幻想を払拭して、グリーンな世界で生きる本来的なアイデンティティに立ち還るところから佐野先生は、かえつ有明の先生方と≪対話≫してきたのだ。

★それは、たしかに小さく始めたグリーンな世界だった。それが広がった。その推進力は、実はZ世代の生徒だった。デジタルネイティブで、グローバルネットワークを大切にしながら、実は個人の才能や性格や想いをとても大事にする世代にとって、鋼色の抑圧と効率性の世界は息苦しい。

★そんなときに、自分の学校にグリーンな世界があるのだと気づくや、実にその行動は早かった。自分たちで生徒募集を行うワークショップを企画し、異業者交流を企画し、起業のシミュレーションもやった。大学も国内にとどまらず、海外にも目を向けた。

★今もその広がりは他校とのネットワークを広げる動きになっている。どこまでも広がり、ケアフルな仲間とそれらを全部内面化する個人という新しい人間観と新しい世界観が、かえつ有明のグリーンな世界から生まれている。

★進取の気性に富んだ保護者は、自分の子どもがZ世代であることを自覚している。鋼色の分断の世界よりグリーンな繋がりが循環している世界こそ、Z世代には必要だと了解している。それゆえ、佐野先生のいるかえつ有明を選択する。

★しかし、佐野先生は、グリーンな世界の次の世界をおぼろげなら構想している。ダライラマ的世界観。それは宇宙への繋がりの世界だ。自然と社会と精神のグリーンな地球的(グローバルな)世界の復権の次は、循環態の地球の存在を支える宇宙という全体に視野が広がる。世界から考えるから宇宙から考えるへ。そんな世界観が、Z世代の次の世代のC世代には大事なのだろう。

★佐野先生の投稿を拝読して、そんな感想を抱いた。

|

【2020年首都圏中学入試動向03】洗足学園 教育のアップデート 今年も人気

★洗足学園が今年も人気なのは、説明するまでもないだろう。ただ、昨年9月21日のホンマノオト21の記事「洗足学園 今年も人気 その理由の向こうに見える時代のウネリ。」という記事に、いまだにアクセスが多いのは不思議だったので、同学園のサイトを開いてみた。

Photo_20190807081401

★不思議だったというのは、ホンマノオト21の性格上、洗足学園のような超進学校の情報を期待してアクセスしてくるユーザーはいないからだ。進取の気性に富んだ未来志向型の保護者が見る傾向が大だから、洗足学園のように安定的な難関大学合格実績を輩出している学校の情報を探るユーザーは少ないはずだ。

★ところが、1年前の記事をいまだにアクセスしているユーザーがいるということは、何か新しいことを洗足学園が実施し始めたのではないかと思ったのだ。

★それで、サイトを開いてみたのだ。イギリスやアメリカの中長期の留学や研修旅行は相変わらず充実しているし、進学実績もさらに伸びている。模擬国連の拠点校で、その活動も盛り上がっている。

★文句のない教育ではないか。しかし、トピクをみていて、なるほどなあと思ったのは、英語のかなりおもしろい交渉シミュレーション型のアクティブラーニングが公開されていたり、プレ哲学対話のディスカッション型アクティブラーニングが行われていることが公開されていた。

★そして、中3からクロムブックを1人1台もって、授業をうけていく体制が整ったというニュースが掲載されていた。

★高い進学実績を生み出す教育と英語教育はもともと完成していた。この伝統に「アクティブラーニングとICT」の教育イノベーションが加わったのである。

★英語力×PBL×ICT×リベラルアーツの現代化(=STESM×哲学)の教育の質の充実が21世紀の教育の基礎となってきているが、洗足もこの基礎部分を充実しつつ伝統を確固たるものとしていくのだろう。進取の気性に富んだ保護者も洗足の情報を収集するようになったということなのかもしれない。

|

2019年8月 6日 (火)

PBLの世界(11)2021年以降サバイブするかえつ有明

★今年の10月から2020年東京パラリンピック・オリンピック終了頃にかけて、日本の経済減速が懸念されている。隣国のみならず世界の貿易戦争という経済戦争やドイツ銀行破綻の噂や米国のサブプライムローンを思い出すような危うい債権が売られているなどの影響に日本経済は耐えられないかもしれないと警鐘を鳴らす世界的投資家もいる。

Dsc07550

★国家―中央銀行の権力の低下が、AI社会シフト共にやってくるとも心配されている。それはGAFAの動きと国家権力とのせめぎ合いをメディアが取り上げれば取り上げるほど信ぴょう性を帯びてくる。

★そういう中で、進取の気性に富んだ保護者者は、経産省や文科省の政策に右顧左眄することなく、未来を予想し、時代の動きを見ながら、自分の子孫の繁栄を計算する独立者だ。コスパが良くてインターナショナルスクールや世界のエスタブリッシュスクール並みの教育を実践できる学校がサバイブするというのは、彼らにとっては当たり前だ。

★そして、彼らがサバイブできると考える学校のモデルとは、シリコンバレー流儀の学校であることはたしかである。HTHがその代表例であるが、必ずしもHTHだけではない。米国のホームスクーリング、HTHのようなチャータースクール、バウチャーで選択される学校、米国のインディペンデントな私立学校である。

Dsc07533

★つまり、どこか1つをモデルにするというよりは、これらの学校に共通するメタモデルを描いている。

★では、そのメタモデルとは、何か。その典型的なモデルは、「今」のかえつ有明である。かえつ有明は、イギリスなどの研修旅行や長期留学や生徒が主体的に外部団体と連携する活動など頻繁に行われる。

Dsc07481

★それは、他の学校と同様、現状の経済状況で可能であるから問題ないのであるが、経済状況が右肩下がりになり、世界がテロなど治安維持の危機的な状況になたとき、いまここで学校が何ができるかというところが極めて重要になる。

★かえつ有明は、英語とPBLとICTが充実している。他の学校だってそうやっているではないか?そうやっているところもあるが、それは少ない。そして、大事なことは、英語もPBLもICTを活用している生徒の存在である。その生徒は、英語を活用する時に哲学的な世界存在をイメージし実現する活動をする存在なのである。そして、その世界を探り広げ創り出していく思考活動こそPBLで、英語とPBLは関係しているのだ。さらにそのときにサイバー体験ができるようにICTというマシーンを生徒は使う。人間とマシーンは今後共生していくことは必須であり、AIはすでにタブレットやラップトップに搭載されている。

Dsc07496  

★生徒は、この英語とPBLとICTを活用する関係態としての存在を形成していく。このことが、海外に研修しにいったり、PBLを推進している団体に研修しに行くだけでは、ツールとしての英語とPBLとICTを学んできているにすぎず、関係態としての人間存在として身体化された英語とPBLとICTを生みだしているわけではない。

★かえつ有明は、この英語とPBLとICTを身体化し、身体脳神経全体として人間存在を形成している。それが学内でできてしまう環境になっている。それゆえ、サバイブできる学校として、進取の気性に富んだ保護者の間でがんがん口コミになって広がっているのだ。

★もちろん、かえつ有明だって、まだまだ進化できる。英語を帰国生に頼るだけではなく、生徒全員がハイレベルで活用できる程身体化するのは、これからだろう。PBLだって、来週テストだから、テスト対策のためPBLはやらないなどということが、今後はなくなっていくだろう。ICTももっとグーグルドライブやクラスルームのようなプラットフォームを充実し、海外の学校とプラットフォームで議論し合うことになるだろう。

Dsc07579

★だから、アプリも世界で通用するアプリが選択されていくようになるだろう。学校の中で完結するプラットフォームは、コストの無駄なのだという発想になっていくだろう。

★進取の気性に富んだ保護者にとって、かえつ有明を選択することは、自分の子どもの未来の投資になるのである。未来において子供がバリューを高められるということは、市場価値がグローバルシチズンによって認められるということなのだ。

★このような保護者は、バリューを権威によって評価されることを求めない。それはしょせんパワハラであり、マインドに病を取り込むリスクがある。もちろん、その市場は、今の権威や権力がコントロールしているような市場ではない。早晩、この市場は衰退する。今の権力者から見たら、これからの日本や世界の経済は低迷する。

★しかし、進取の気性に富んだ保護者がプレイヤーになる新市場は、権力の支配からは解放されている。そこでバリューを高める力が身に着く学校の1つがかえつ有明であるということだろう。

★世界全体が右肩下がりになるのではない。そういう従来の部分もあるだろう。しかし、同時に新しい経済システムが誕生する。

★従来の経済システムで椅子取りゲームをやって競争で勝ち抜いてきた権力態は、沈みゆくその経済ステムと共に滅んでいく。しかし、進取の気性の保護者は、そこにはいない。新しい経済システムを作る側にいる。すなわちかえつ有明は、その新しい経済システムを生成する人材の学びの場として歓迎されるのである。それがかえつ有明のサバイブする意味である。

 

|

PBLの世界(10)教育改革は、経産省と文科省のダブルバインドとダブルスピークから脱出できるか

★2020年から2040年にかけて、大学入試改革や学習指導要領改訂、未来の教室、ソサイエティ5.0など文科省と経産省は、教育改革のシナリオプランニングを描いている。

★教育とは必ずしも、政府と官僚主導によるものではないはずだが、90%は、ナショナルカリキュラムによってコントロールされているために、そうでない姿をイメージできにくい。それをイメージしやすい立ち位置にいる私立学校でさえも、なかなか自分の立ち位置を全うすることは難しい。

Mlts

★というのも、経産省は、文科省に改革情報を与えながら、文科省と違う路線を用意しているからだ。それは、文科省は90%の公立学校をコントロールするのに対し、経産省は、教育界とつながる企業やNPOをコントロールし、その団体と公立学校をジョイントさせるようにしている。そのジョイントの方法の1つが、企業やNPO団体との連携プロトタイプづくりを私立学校と行うという方法。

★もちろん、経産省と連携する企業やNPOの多くは、自分たちがコントロールされているのではなく、あくまでもコラボしているのだと考えているだろう。そこにかかわる私立学校もそうだ。しかし、今回も未来の教室の取り組みを行っている団体の面々をみていて、ああ、ちゃんとそれを自覚していて、コントロールとコラボレーションという置換という情報操作、つまりダブルスピークを戦略的に活用しているところがあるなあと。

★そのことを具体的に指摘すると、炎上しそうなので、具体名はだすのはよそう。まだホンマノオト21は、この国の危うさを発信していく必要があると勝手に思っているし、その危うさを再帰的近代によって回収し再生産するのではなく、循環的近代によってリスク浄化持続可能性を実践する方法論を模索している私立学校の応援もしたいと思っている。私自身もその方法論を実践する団体をつくっている最中ではある。

★ともあれ、経産省と連携しているというダブルスピークを見破っている団体とそうでない団体は、まず私立学校と組んでプロトタイプをつくり、公立学校に事例として流し込んでいる。

★だから、この政財官学の一蓮托生空間はかなりどうしようもない。

★しかしながら、ダブルスピークを活用する経産省と団体の連携は2通りある。経産省の恐ろしいところは、その両方を仕切っている点だ。もちろん、仕切られている方はそんな自覚はないだろうが。

★どうも経産省のミームには勝海舟のマインドがある。改革を推し進めながら、失業した武士を救済するために動くのだ。だから、改革を推し進めるも、いつのまにか旧体制のメンバーで改革がまことしやかに運営されてしまうのである。

★今回も教育改革をおしすすめながらも、文科省によって変われない保守的な現場を救済する動きをとるように動いている。その象徴がアクティブラーニングを「主体的対話的で深い学び」という言い換えだ。これによって、現場は、一方通行的講義形式から問答型の講義を行えば、対話は保てるし、問答という対話によって主体性も養えるし、問答は深い学びを誘発するとなって、何も変わらないということになるのである。変われと言いながら変わるなというダブルバインド状態が現場では生まれるのである。

★ただ、経産省が流し込んだプロトタイプによって、またエドテックを中心とするそれを推し進めた外部団体との連携によって、教えない授業という置換え表現で、アクティブラーニングを行う学校も出てくるから、経産省としては成功したわけである。

★しかし、経産省は、それで満足するわけではない。今度はアクティブラーニングをPBLと置換え表現してまたダブルスピークを行うのである。これが未来の教室事業の流れである。

★文科省は、この動きは、またPBLと置き換えたダブルスピークだから、自分たちと同じ方向性だと安心しきる。

★そこが、経産省の思うつぼなのだが、経産省のこのダブルスピークは、変わろうとする現場と変わらない現場との格差を鮮明にしようというシナリオなのである。現場では、このことはあまり問題ではない。というのは、統廃合は少子化によってしかたがないから抵抗できないし、あとは税金が形式的平等によって配分されるからである。ここが守られていれば、問題はない。

★しかし、特区活用だとか学校教育法の改正によって、合法的に、公立学校でもほんの少し配分優遇されるところも出てきている。プロトタイプを提供してきた私立学校の中には、この動きに経営上圧迫されているところもでてきているぐらいの本当はすごい勢いなのだ。

★経産省のねらいは、この改革格差を税金配分格差にもっていこうとしているわけである。しかし、これは一気にやるとさすがにヤバイ。そこで、ゆっくり見えないところで迅速に行っている。

★未来の教室では、HTHをモデルに多くの団体が動いている。しかもその象徴がPBLなのだ。そして、探究を中心とする教育活動をPBLの場とすることによって、このような外部団体が学校に入り込めるようにしたのである。探究の授業と教科授業が結びつく図式がシンボライズされているが、本当のところは結びつかないし本当に結び付けようなどとは思っていない。結びつける≪媒介項≫を作ろうとしないのが証である。もっとも外部団体は、HTHのPBLにあるこの≪媒介項≫を認識するフィルターをもっていないから、行動心理学的にアクティビティのつなぎあわせのパッチワークでPBLを構成するから、結びつけると言いながらそうしないダブルスピークをここでもうまく活用する。

★経産省と連携する団体には、二通りあり、改革を推し進めながら、現場は変わらないというダブルバインド状態をつくりだし、そのサポーターとして公立学校に入り込み税金の回収装置をつくろうとする企業が1つ。これはこれで経産省が描いている格差を生み出すシナリオとして必要なのであるが、もう一つが経産省はやりたいのである。そしてそれを自覚している団体がある。この団体の動きはかなり大きい。

★私立学校にとっては、少しヤバイ。特にその団体と同業の団体がバックにはいっている私立学校はイイトコどりされて、気分が悪そうだ。しかし、そこも大学合格実績を出せといわれる塾に占拠されているから、新しい動きは鈍ってしまう。

★経産省が改革モデルにしているのは、シリコンバレーのGAFAである。もちろん、そう公言はしていない。OECD/PISAの情報なども流し、それを学力調査テスト→適性検査→高校入試の適性検査型化→大学入学共通テストという流れまでつくっている。

★シリコンバレーの教育改革は、思考力重視だから、この流れはよいのだと。すると、現場でも、シリコンバレーとくに、HTHはこの大学入試改革の一連の改革とシンクロしているとダブルスピークの効用が生まれているのだ。

★しかしながら、シリコンバレーは、そんな小さな思考力改革程度で満足するはずがないから、シンクロなどするはずがないのだ。経産省はそこも計算済みなのだ。シリコンバレーの仕掛け人はスタンフォードとハーバードとMITである。米国はめちゃくちゃ格差社会である。州によって教育の運営が独立しているから、教育予算としての税金回収額は、エリアの住民が富裕層かそういでないかによって想像を絶する格差がある。

★シリコンバレーエリアやボストンだけでOECD/PISAのテスト結果を出せば、フィンランドや香港など軽く圧倒するだろう。そもそも、シリコンバレーは、ボストンとも違い、PISAをはじめテストなどどうでもよい。

★HTHの事例が中心のMost likely to succeedの上映会やDVDをみて、感動する日本の先生方は、この米国の富裕層の教育改革を見て、感動しているわけであるが、現場に帰って途方に暮れる場合がほとんどだろう。もちろん、それを行えるというか現場に変容させる力をもった先生もいる。そういう先生はそのような改革を行える学校にスカウトされてもいるからなおさらだ。

★しかし、経産省はそんな変容すらも考えていない。もう一度、冷静にトニーとテッドというダブルTが書いた本を読んでみるとよい。経産省がデジタルファーストとダブルスピークで呼んでいることの、本当の姿がわかるだろう。

★いったん幕藩体制を破壊し、新体制で旧体制の人間が生きて行ける勝海舟シナリオプランニングをしているのだ。そのとき残るのは、英語とPBLとICTというあたかも学びのツールとよばれていた≪関係態≫である。実はそれだけでできてしまう学校が残るのである。しかも、それはもはや高校でも大学でもない。中世から創り上げてきた世界の大学を頂点とする教育ピラミッドシステム(もはやコスパが悪すぎる)そのものの創造的破壊がダブルTの目的であり、それはその背景にスタンフォードとハーバードの戦略がある。その戦略をうまくアレンジしたのがミネルバ大学だが。

★経産省が憧れているのは、この世界である。ただし、ダブルTと違うのは、勝海舟のDNAを継承してしまっていることだ。こうなると、俄然、勝海舟と違う路線を歩んだ、明治の私学人のDNAが、経産省とは別路線で、シナリオプランニングを果たすのである。そのような私立学校を応援するし、私も先生方といっしょに実際に創ろうと思っている。

★経産省は、再帰的近代路線がベースだが、本来の≪私学の系譜≫は、循環的近代路線である。格差による排除から、循環による関係創造へ。同じPBLでも創造するものが全く違うのである。

広島原爆の日に思う 8時15分

|

2019年8月 5日 (月)

富士見丘 明海大学GMMサマースクールに参加 オールイングリッシュの大学のPBL体験(3)

★プレゼンテーションのコーディネートは、吉田成利准教授が行いました。各チームの講評は、ハワイ大学のラッセル・ウエノ教授とマレーシアのサンウェイ大学のダニエル教授をはじめ、GMMの教授陣と吉田ゼミのチューター。

Dsc09982  

★今回のテーマは、簡単に言えば、2020東京オリンピックを契機に、日本のインバウンドをどう増やせるかということだが、富士見丘をはじめ参加した高校生は、かなり多面的なアプローチをしました。

★それは、GMMの先生方のある意味ねらい通りでした。グローバルマネージャーとは、ツアー工程やイベント業務を仕切ることもあるでしょうが、それだけが目的ではありません。ツーリズムを通して、都市や国の魅力づくり、環境問題の解決、異文化理解、国際イベントを通しての平和づくり、グローバルコミュニケーションを保障する法整備、世界の格差をいかにケアできるかNGO的なボランティアコミュニティの創設運営、産官学の協働を仕掛けて、新しい時代を拓くビジョンづくりなど、世界の平和と幸せをマネージメントしていくリーダーシップを発揮するコンピテンシーを身に着けることでしょう。

★多角的リサーチ力、世界を巻き込むリーダーシップ、ツーリズムにかかわる国内外の法の整備の知識、インバウンドを相互に生み出すための資本調達の技術などが必要になってくるです。

Dsc09830  

★今回の高校生のプレゼンテーションは、かなりチャレンジングでした。東京オリンピックに世界の人びとを迎え入れるための、現状のデメリット・メリット分析、開催中の問題点の解決、何より終了後の経済ギャップ問題の解決についてアイデアを出し合いました。

★東京オリンピックを契機に日本の観光業を盛り上げるには、日本の文化や魅力をもっと広げることですが、そのためのSNSやアーカイブ、動画の創意工夫については、デジタルネイティブあるいはZ世代ならではの発想でした。

Dsc09892

★ラッセル・ウエノ教授は、プレゼンの構造(ストラクチャー)がわかりやすいとか、グラフや図など多面的なアプローチが説得力があるなどポジティブな講評をしていました。

Dsc09910  

★ダニエル教授も、みなさんは本当に高校生ですか?大学生ではないのですねと驚嘆しながら、動画による広報などICT関連の技術について丁寧に評価しフィードバックしていました。

Dsc09968

★たしかに、プレゼンテーションツールの編集は、実によいデキだした。キーワードでインパクトがある表現をしていたり、動画、図、グラフなどのコンビネーションも説得力がありました。

★しかし、同時に参加者が改めて、アニメや各都市の祭りなど日本の魅力を多角的に共有できたし、英語の教育問題も思い知りました。都市の交通インフラが、まだまだ交通渋滞、大気汚染、交通事故など問題が山積し、海外に比べてWifi環境の不足など課題山積でした。2020年東京オリンピックを契機に、これらすべてはSDGsに含まれる問題ですが、その問題解決につながることこそ究極の東京や日本、そして世界の魅力を創発する試みであることが共有できたサマースクールになりました。

Dsc09995

★最後に、1人ひとり修了証書をラッセル・ウエノ教授から授与し、閉会になりました。

★感動の余韻に浸りながら、帰途に就いたのですが、背後でじゃんけん大会が始まっていました。さすがはグローバルサマースクール。終了後は思い切りはじけるサプライズがあったわけですね。たしかに隣はディズニーランドです。もしかしたら夏休みの特別イベントなどがあるのかもしれません。何が行われているかわかりませんでしたが、真剣に学んだあとは思い切り弾けて遊ぶのもグローバルリーダーシップの手腕です。

|

富士見丘 明海大学GMMサマースクールに参加 オールイングリッシュの大学のPBL体験(2)

★私が見学に訪れたのは、2日目の午後でした。ランチが終わり、最終プレゼンテーションに向けてスライド作成及びリハーサルを行っているところでした。

Dsc09658

★6つのチームに分けれてPBL(Project based Learning)を行っていましたが、昨年までと違いチームのできあがりが違いました。なぜだろう?ふと見ると、チュータが各チームにいました。

Dsc09682
(吉田成利准教授のゼミ生がチュータとして参加)

★GMMの准教授吉田成利先生によると、先生のゼミ生だということでした。今回チュータとして参加した学生は、みな留学生です。GMMがオールイングリッシュで行われているため、日本語ができる学生はほとんどいません。みな英語を使います。

★したがって、チームは英語でブレストからリサーチ、編集をしているのです。そして、留学生はグローバルマネージャーとして、リーダーシップを学んでいるので、プロジェクトチームのサポートは自分たちの実力を試してみる場でもあったのです。チュータ自身が高いモチベーションを燃やしているのですから、それが高校生に伝わらないはずがありません。

Dsc09942

★まして、ラッセル・ウエノ教授の「オリンピックとツーリズム」の講義を聴いて、「日本への観光客数を伸ばすためには2020年東京オリンピックをどのように活用すればいいのか」というテーマを深めるのですから、英語力だけではなく、リサーチ力、クリティカルシンキング、クリエイティブ思考力をフル回転するのです。取り組みに集中するのは当然です。

Dsc09650   

★それにしても、富士見丘の高校生は、みなラップトップを活用して、リサーチをしたり、スライドを作ったり、編集したりします。学校では、全員1人1台の環境(中1から高2)になっているということです。そして、社会では当たり前ですが、現状の学校で、スマホまで使うのはかなり革新的です。

★リサーチやスライドづくりはラップトップで行うのですが、プレゼン用のストリーはスマホを活用しているのです。ラップトップとスマホを活用したPBLが当たり前になっている富士見丘は、ICT活用もかなり革新的です。

Dsc09642

★かくして、プレゼンに向かっての準備は、PBL空間として最適の図書館で、着々と進んでいったのです。

★ちなみに、今回のテーマは次のような問題ともシンクロします。

≪2020 年には東京でオリンピック・パラリンピックが開催される予定であり、2025 年には大 阪で万博(万国博覧会・国際博覧会・World Exposition)が開催されることが決定した。こ うした国際的で大規模なイベントを現在の東京や大阪に誘致し開催することの是非を、過去 に開催された東京オリンピック(1964 年開催)および大阪万博(1970 年開催)と比較しな がら多面的に論じなさい。≫

★この問題は、今年春の東京大学文Ⅱの帰国生入試で出題された小論文の問題です。東京大学も一般生には、このようなハイレベルな問題は出題しません。一般生は世界標準の勉強はしてきていないけれど、帰国生は世界標準の勉強をしているからという、世界の教育時事情の違いを考慮してのことだそうです。

★どうやら、明海大学のGMMの研究や教育の質は、東大が求める帰国生の資質能力に一致しているということでもありましょう。

|

富士見丘 明海大学GMMサマースクールに参加 オールイングリッシュの大学のPBL体験(1)

★新浦安駅徒歩8分のところに、明海大学浦安キャンパスがあります。坂戸キャンパスには歯学部があり、浦安キャンパスには、外国語学部、経済学部、不動産学部、ホスピタリティ・ツーリズム学部があります。両キャンパスとも社会実用的な学部で、プラグマティックな研究が行われていますが、4年前に特別な学部が開設されました。

★それがGMM(グローバルマネージメントメジャー)という学科です。ホスピタリティー・ツーリズム学部に所属しています。この学部の定員全体は200名ですが、そのうちGMMの定員は25名ですから、明海大学が未来ビジョンのプロトタイプの1つとして開設したということは明らかでしょう。

1_20190805072301
(GMMサマースクールは、同大学の教授陣、海外提携大学の教授、GMM留学生が協力して高校生のPBLをオールイングリッシュでサポートする贅沢なプログラムです)

★GMMの特色は、たくさんありますが、なんといっても、専門教科がすべて英語で行われるということと、少人数ですからゼミ形式で、つまりPBL型で授業が行われるということです。PBL型授業は、リーダーシップやリベラアーツが養われる探究の場でもあり、グローバルマネージャーとして活躍するときに欠かせないコンピテンシーを体得できるのです。

★留学をはじめ、グローバルな大学や企業とのネットワークとつながっているということも重要な研究環境といえましょう。このような環境があるため、英語自体の能力はCEFR基準でB2からC1という高いレベルにまで成長して卒業できます。

★この明海大学の1学年25名という少数精鋭のグローバルマネージャーを輩出する学科のエッセンスを体験できるサマースクールが毎年夏に行われています。2日間のプログラムで、1日目の午前中は、ハワイ大学のラッセル・ウエノ教授をはじめ、GMMの教授陣によるキーノートスピーチがあり、ランチ終了後、最終日のプレゼンに向けてPBL(Project based Learning)がスタートします。

Dsc00015

★ランチの場所は、同大学のレストラン「ニューマリンズ」。他大学の学生食堂と違い、ホスピタリティ・ツーリズム学部がある大学として、ホテル並みのレストランです。

★キャンパスはディズニーランド隣接地帯でもあり、生きたツーリズムリサーチができる環境です。

★多くのホテルやツアー会社、サービス業のインターンシップもあります。GMMは、将来的には、そのような組織の中でリーダーシップを発揮できるコンピテンシー、英語によるコミュニケーション能力、そしてリベラルアーツ的な教養を身に着けていくわけです。

★そのGMMのエッセンスを丸ごと体験できるサマースクール。ツーリズムを超えて、グローバルな舞台でリーダーシップを発揮する思考力・判断力・表現力、人間力は何か思い切り学びます。

|

2019年8月 4日 (日)

聖パウロ学園のオープンスクール 多くの生徒が集まり、青春を謳歌し、未来も発見できると期待を高める。

★昨日3日(土)、聖パウロの森に多くの受験生が集まった。オープンスクールが開催。昨年よりも多くの受験生が参加し、予定されていた数を超えた。椅子を新たなに足し、ホールの後方まで一杯になった。ここ3年、ずっと増え続けている。それは、いまここで真摯に教育を行っていること、しかもその教育が生徒自身の未来にとって極めて有益な教育実践であること、さらに少人数制ならではの一人ひとりに合った学びの個人化の浸透などが口コミ評判として広まったからだろう。つまり、生徒ファースト。

Dsc09456  

★オープンスクールは、学校の説明会があり、その後、体験授業、キャンパスツアー、野球部など部活体験と同校が大切にしている「体験」と「思考」のプログラムが展開した。

★説明会のオープニングは、聖パウロ学園理事長・学園長の高橋博先生のキーノートスピーチから。これはたんなる学校紹介ではなく、受験生に20年後、30年後、40年後の激変する社会の中で、どう生きるかを問いかけ、いっしょに突破していこうというビジョンと価値観を共有する内容だった。

★偏差値や学歴社会的な価値観から解放されて、自分のやりたいことを見つけながら、その実現のために必要な人間力と思考力と英語力を3年間で学んでいこうとエールをおくった。いっしょに未来を創ろうよと。

Dsc09481

★高橋先生の話を受けて、主幹の小島綾子先生が、では具体的にどんな授業のメカニズムがあるのか、国語を例にとってわかりやすく解説した。同校では、どの教科も授業はPBL(Project Based Learning)を行っている。たんに問題解決能力を客観的に養うのみならず、自分と社会や世界のかかわりを考えながら、自分だったらどうしていくのかまで思考するという意味で「プロジェクト」というのは大切なのだと。

Dsc09484

★同校のコースは、グローバルクラスとセレクティブクラスがあるが、どちらも英語教育には力を入れている。グローバルクラスの英語力は、海外大学進学準備にも通用するレベル。しかし、国内大学でも、これからはますます英語がどこでも重視されていくから、学園全体で英語教育に力をいれていて、その英語教育の環境とシステムの紹介をした。

★オーストラリア研修旅行、ブリティッシュヒルズ研修旅行、3カ月留学、米国ハイスクールとのライン上の国際交流及び聖パウロでのリアルスペースでの国際交流の話など、2年間の間に、多様なグローバルイマージョン環境があると。受験生は母親と目を交わしながら、ワクワクしている様子だった。

★しかし、なんといっても普段の英語の授業が大切で、それは説明会終了後の「体験授業」でたっぷり味わうことができた。

Dsc09522

★国語の授業では、魅力的なテーマパークを考えプレゼンするPBL授業を行った。

Dsc09527  

★英語の授業は映画を素材に英語で感じたこと分析したことを語り合うPBL授業だった。オールイングリッシュだったが、今回体験授業では、すべてのチームに、在校生1人がチュータとしてサポートにはいってくれていたから、参加者は困ることはなかった。

Dsc09530

★立体図形を素材に、3次元と2次元を往復するおもしろい授業は、英語の教師と数学の教師がコラボしたPBLだった。チーム聖パウロの面目躍如の授業だった。

Dsc09533

★正四面体を実際につくりながら取り組む「アクティビティ」をいれていたが、これは「体験」を「アクティビティ」化して授業に埋め込むPBLの画期的なメカニズムである。講義だけの授業では、「体験」はできないのである。

Dsc09535

★オールイングリッシュで行われるイマージョン形式の授業だったが、数学の教師がサポートしていたから生徒はまったく勇気づけられながら思考に没頭していた。

★かくして、小島綾子先生のスピーチと教育実践が見事に一致していることが、今回のオープンスクールで証明され、受験生も保護者も期待値がますます高まっただろう。

★しかしながら、期待値には裏付けがさらに必要である。小島綾子先生は、高校でのPBLや英語教育は、大学入学準備教育にも役立っていることを強調していた。

Dsc09493  

★2020年に大学入試改革が行われるとはいえ、改革は段階的である。したがって、すべてが思考型入試になるわけではない。そういう現実と聖パウロ学園の理想の一致を緻密に実践していることに関して副校長の紀伊清一先生がスピーチした。

★PBLの特徴は≪対話≫である。そこで生徒は主体的に学ぶ習慣をつけているために、休み時間や放課後、生徒はよく質問にくるという。それは、少人数制の教育を行っているからでもある。生徒が集まらなくて少人数なのではなく、定員のキャパがそもそも1学年80名なのである。東京ドーム9個分の広大な聖パウロの森の中に3学年で240名というある意味贅沢な少人数制学校なのである。馬術部もあり自然の森もあり、欧米のエスタブリッシュスクールに相当する環境だ。しかし、学費は5分の1である。実は世界に目を向ければ、超お得な学校なのである。

★それはともかく、聖パウロ学園の広大な敷地には、世の中にある誘惑される情報や場所がないために、夜8時過ぎまで、集中して自学自習できる環境にある。授業に取り組み、放課後部活に取り組んだあと、ヴェリタスという大学受験対策講座があり、そのあと100分間の学習時間が設定されている。教師も残っているから、わからないことは質問できる。

★夏休みも夏期講座が集中的にあるだけではなく、勉強合宿まである。もともと全寮制学校だから、寮の施設があるのだ。

Dsc09508

★説明会最後は、校長佐々木吉勝先生のスピーチだった。学園の名称は聖人パウロにちなんで付けられているが、改めて聖パウロの精神に立ち還ろうというねらいがあったのだと思う。目から鱗というのは、聖パウロに関係があるというのだ。聖パウロはキリスト教を批判し、迫害する側にいたが、あるとき目が見えなくなった。そこにあるキリスト教徒がイエスのお告げを聴いて訪れ、祈った。

★すると、鱗が目からでて、目が見えるようになったのだという。そして、その鱗は魚のものではなく、蛇のものだったと。つまり脱皮を意味し、聖パウロはそこから回心し、伝道を開始した。殉教するまで各地で説教をしていた。聖パウロがいなければ、キリスト教の歴史はなかったであろうと言われるまでになった。

★この脱皮という自己変容こそ聖パウロの精神なのだと。説明会終了後、佐々木校長と少し話をする機会があったが、そこでPBLのプロジェクトの意味は、まさに生徒1人ひとりが自己の殻を破り大きく成長していく道のりである。だから聖パウロのPBLの背景には、パウロベースドラーニングという意味があるのかもしれないということだった。

Dsc09572   

★先述したが、説明会終了後、体験授業、キャンパスツアー、部活体験。驚いたのは、キャンパスツアーだった。何せ敷地が広いため、敷地についてはバスツアーが行われたほどだ。

Dsc09540

★しかも、バス2台のうち、1台は、高橋理事長自らが運転してツアーガイドを先生方といっしょに行うサービス(奉仕とよばれる)。men for othersの精神をはやくもこういうおもてなしでも実践されていたのである。バスツアーには、教師ばかりだけではなく、ここでも在校生がサポート。今回も、参加した受験生と保護者は、チーム聖パウロを十二分に堪能したに違いない。

|

2019年8月 2日 (金)

週刊東洋経済の特集「中高一貫校」(5)画期的記事の登場 芸術大学進学について取り上げる

★週刊東洋経済7月27日号の特集「子どもが幸せになる中高一貫校」で、次のような記事が掲載されている。それは、進学レーダー編集長井上修氏の署名記事「芸術大への進学に女子校が強い理由」がそれである。大学合格実績という切り口で学校をみるとき、芸術大学進学の切り口を使うというのは斬新だ。

Dsc09409  

(ある女子美術大学生の卒業制作「祖先以前性」から)

★井上氏のように、私立中高一貫校は、主要五教科とか不要教科という言説を使わずに、バランスよく教育を行っているという見方で、大学合格実績をみるとなると、脱偏差値とか脱大学合格実績とかいう風潮を、再び大学合格実績で、学校の教育力をみることができるという流れにすることができるかもしれない。

★たとえば、掲載されているデータによると、芸術大学ランキング4位に吉祥女子、5位にフェリス女学院、13位にカリタス、16位に恵泉、19位に鴎友学園女子とあるが、進学校的な側面だけではなく、しなやかで柔らかい感じだったり自由な雰囲気があふれていたりで、東大や早慶上智、MARCHなどでランキングされても何か違うなあと思ってきたが、芸術大学進学を評価するとなると、とたんになるほど教育の総合力を見ることができるとしっくりくる。

★しかも、21位までのランキングの中で、女子校が16校入っているのに対して、男子校が0校というのは、SGDsのジェンダー問題でないが、この国のキャリア教育には、何か偏りを感じる。日本社会の課題を再確認するのにも役に立つ。

★しかし、何より、井上氏の記事が、経済情報誌に掲載され、芸術と女子校に光を当てているのが画期的だ。というのも、美術手帖2019年3月によると、2018年の世界のアートマーケットの規模は約7兆5000億円。2008年から10年間の間で歴代2位の規模だそうだ。

★そのうち日本のアートマーケット市場は1%にも満たない。市場規模は順に、アメリカ、イギリス、中国で、この3国で総売り上げの84%シェア。

★東南アジアが、日本よりもアートで盛り上がっているのは、中国のギャラリーやオークション企業が進出しているからだ。しかも、最近の新しいアートは、ギャラリートークやアートコミュニケーションは大前提だから、英語は使わないわけにはいかない。中国のギャラリストやアートコーディネーターは、ロンドンかニューヨークに留学しているからということもあるかもしれない。いずれにしても、今後の芸術大学進学準備もグローバル教育を無視できない。

★日本経済は、このままでは工業的なモノ作りだけではうまくいかないだろうから、当然ソフトパワーだといわれているが、そこにはアートもはいっている。つまり、ソフトパワーにはSTEAMの多様な領域があり、それぞれにマーケットがぶらさがっている。STEM教育とSTEAM教育の違いは、もしかしたら、前者がハードパワーよりで後者がソフトパワーよりなのかもしれない。

★今後、女子校がこのソフトパワーとしてのSTEAMのAの部分に人材を輩出する大きな流れになるのかもしれない。日本の国のこの閉塞状況を突破するヒントがこの記事にあるのではあるまいか。

|

週刊東洋経済の特集「中高一貫校」(4)駒込のSTEM入試紹介される。背景に白山4校の動きも。

★週刊東洋経済7月27日号の記事「中高一貫校の入試スタイルが激変し始めた事情 理数教育注目で創造力や思考力試す問題続々」で、駒込の新型入試「STEM入試」が紹介されている。

4_20190802050801

★記事によると、「駒込中では、2019年度からSTEM(プログラミング)入試を導入した。同校でSTEM教育に力を入れているのを受けたもので、算数問題と、実際にビジュアルプログラミング言語「スクラッチ」を使ってプログラミングをする。STEMの力を試す算数では、駅から学校までの経路について考えるものなど、生活の場面に関連づけた内容を出題している」とある。

2_20190802051801

★適性検査型とも思考力入試とも2科・4科テストとも性格が違う。プログラミングという体験や生活の場面で算数をどう使うかという体験が中心ということなのかもしれない。それゆえ、記事では、「駒込中の河合孝允校長はSTEM(プログラミング)入試を「(体験会を通して子どもを)育てる入試」と表現する」とある。

★そして、このような新型タイプ入試を広げるために、駒込で、白山4校が集まって新型タイプの体験会と講演を開催するという。協力・後援は首都圏模試センター。

★このような駒込の他校と差別化しながらも、新型入試の市場を広げようというマーケティング的な手法は、さすがである。どうやら、多様な新型入試は、中学入試の意味を変える局面を迎えたのかもしれない。

|

2019年8月 1日 (木)

PBLの世界(9)工学院のPBLの潜在的力

★工学院は、教師も生徒もいつも忙しい。この時期は夏期講習に、面談の日々だし、高1生のチームは、7月25日からシンガポールで開催されるAsian Student Leadership Conferenceに参加し、見事金賞を受賞し帰国の途に就いているという。続いて8月に中3は2・3週間のオーストラリアや米国研修旅行がある。MOGの下見やUPAAの大学とのコミュニケーションに東南アジアに米国に飛ぶ先生方もいる。

Photo_20190801084801

(写真は、同校サイトから)

★そんな合間を縫って、田中歩先生(田中先生自身、このあとリーサーチのために海外出張が控えていた)は、プロジェクトチームと≪対話≫する時間をつくった。2時間ずつ、2つの時間帯を用意。参加は自由だったが、学校にいるメンバーは空いている時間に立ち寄っていた。

Dsc09402

★クイックダイアローグになるのかなと思っていたら、予想外に深い話になっていた。PBLのやり方というより、評価方法について話し合ったり、カリキュラムにある知識量とPBLのバランスについて話し合ったり。

Dsc09373

★田中先生はいつものワークショップとは違い、テーマはメンバー各人の課題意識に任せて、そこに参加したメンバーで共感的コミュニケーションを行うようにファシリテートしていった。

Dsc09380

★非常に興味深かったのは、PBLを実践しているから出てくる課題意識がほとんどで、目の前の問題というより、PBLを推し進めていくと必然的に現れる発展的な課題だった。

★日本史の授業も、年間通して「外交」「交流」「交換」というアプローチで歴史を切る流れでつくっていくのだという話は、単元ごとの知識をその切り口で関係づけていったらどうなるかという一つの長いスパンのPBLにもなっている。毎時間のミニPBLとその連鎖が年間通じてのPBLになるデザインは、今までにないアイデアである。

★ただ、ある時代がその切り口でアプローチしにくいというような悩みもあり、それについて、家庭科的側面からかんがえたらどうだろうという他教科からの提案もあり、気づきもそこで生まれていた。

★知識に関しては、知識のインプットとアウトプットの循環メカニズムは、教科を超えて共通する部分もあるから、それは解明してみようというプロジェクトも自生的にできていた。

Dsc09386  

★そうかと思えば、教師という職業について改めて考えるという対話のシーンもあった。これはPBLという実践が、その背景に時代の大きな変革の流れがあるから、当然の発想であり、実に感度がよいと感じた。

★それについて、参加者が自分たちの考えをシェアしているシーンは、なるほどメンタルモデルの掘り起こしと共有の場になっていると、田中先生の無手勝流の仕掛けに感動した。

★私の立ち位置は参与的観察者だったわけでが、PBLとかかわることによって、Old Powerの持続可能なイノベーションとNew Powerの創造的破壊のイノベーションの渦の中で、生徒のみならず、教師としての自分自身の未来をどうするのか、自分の価値をどのように豊かにしていくのか真剣に自分に立ち向かう人間の姿をそこに見た。

★人間とは何か。そんな本来的なテーマについて対話が生まれる瞬間をつくる工面を田中歩先生はしているのだとしみじみ思った時間だった。

|

« 2019年7月 | トップページ | 2019年9月 »