PBLの世界(7)創造的思考と批判的思考は、暗黙知とか直観とか無意識とかの復権
★Wedge2019年8月号にこんな特集がある。≪ムダを取り戻す経営~データ偏重が摘んだ「創造の芽」≫がそれで、暗黙知と形式知の循環を経営に生かす論を展開した野中郁次郎氏(一橋大学名誉教授)らが執筆している。平成の企業は、3つの過剰に創造性の芽を摘まれたのだと。その3つの過剰とは、「オーバープランニング」「オーバーアナリシス」「オーバーコンプライアンス」だという。
★3つの過剰が奪ったムダは、≪緊張感ある対話を通じて「われわれの主観」をつくりあげる「知のコンバット」≫の機会なのだと。つまり、これでは、コミュニティやチームの暗黙知から形式知を組みあげ、間主観的な知識創造を行い、再びそれを内面化し、暗黙知を豊かにしていく知のプロセスが生まれない。
★実は、見える化や可視化は大事だが、それを内面化して暗黙知に戻すことをしなければ、形式知は形骸知になってしまう。もともと、この野中氏の発想は、物理学者マイケル・ポランニーの「暗黙知」にヒントを得ている。
★ポランニーと生きた時代は重なるが、大先輩に2人の思想家がいる。ジークムント・フロイト(1856年5月6日 – 1939年9月23日)、アンリ=ルイ・ベルクソン(1859年10月18日 - 1941年1月4日)がそうであるが、フロイトは無意識の発見、ベルクソンは直観を発見した。おそらくポランニーは人文科学的な無意識や直観の概念を、自然科学的なアプローチで「暗黙知」としてとらえ返したのだと思う。
★そして、この暗黙知と形式知の循環の肝である≪対話≫こそ、デビッド・ボームのいう≪対話の一貫性≫に通じるのだと思う。
★この無意識や直観、そして暗黙知などの創造性の泉をムダとして排除したのがデータ偏重主義の3つの過剰だというのが野中氏の論旨だろう。
★そういう意味では、PBLというのは、≪対話≫によって、暗黙知と形式知の循環を生み出す場である。思考と知識の循環と置き換えてもよい。ビジネス的に、日本の経済的低迷を救うのは、この知のコンバットとしての≪対話≫だというのなら、教育においてはそれはPBL授業ということになるだろう。
★もっとも、学校現場は、3つの過小である「ショートプランニング」「ショートアナリシス」「ショートコンプライアンス」で現場の方は逆説的に多重過剰な仕事で混乱している。多様はデータを活用したマネジメントも必要である。それがないとPBLは学校全体で回らないだろう。
| 固定リンク
« PBLの世界(6)聖パウロ学園の大久保先生との対話。グローバル教育の原点クリティカルシンキングに立ち還る。 | トップページ | PBLの世界(8)PBLは、リーマンショック以上のクラッシュを乗り越えるために最小で最大の成長力を生み出す学びのメカニズム »
「PBL」カテゴリの記事
- 聖書・宗教の授業・礼拝 聖ドミニコ学園・聖学院・桜美林・恵泉・湘南白百合・女子学院・普連土など 自己を見つめ世界の痛みに向き合い対話し言葉を紡ぐ(2024.11.26)
- 2025年中学入試動向(13)和洋九段女子 生徒の才能が豊かになる生成AIの使い方勉強会はじまる(2024.11.24)
- 聖学院の教育宇宙(3)すべての教育活動をつなぐ存在としての授業があった <奇跡の男子校>(2024.11.23)
- 聖学院の教育宇宙(2)すべての教育活動をつなぐものが生まれる仕組み化(2024.11.22)
- 聖学院の教育宇宙(1)すべての教育活動がつながっている(2024.11.22)
最近のコメント