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2019年7月23日 (火)

工学院大学附属の校長平方邦行先生との対話

★学校が夏休みに入るこの時期、先生方は猛烈に忙しい。夏期講習や外部の研修会に参加したり、ファシリテーターの役割を演じたり、講演をしたりしているからだ。そんな中でも工学院の校長平方邦行先生は、文科省の教育改革関連のワーキンググループのメンバーだし、日本私立中高連合会の理事でもあるし、東京私立中高協会の副会長でもあるから、会議や講演が目白押しだ。そして、日本全国各地を飛び回る。

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(4月の21世紀型教育機構の定例会で)

★そんなわけだから、互いのスケジュールを照らし合わすと、昨日の夕刻しかミーティングができきないということになり、急遽情報交換・共有することになった。平方先生の話の次元は、国家レベルの話、私立学校の教育の質向上の話、工学院の詳細な教育メカニズム創出の話と多岐に渡る。ついていくのがたいへんだ。

★国家レベルの話で、今現在、喫緊の課題は、各種英語民間試験団体(現在6団体)がそれぞれ「検定大学入試英語成績提供システム」をどのように利用するのかその実施方法の詰めの議論のようだ。

★話に耳を傾けていると、平方先生をはじめとする私学側からのメンバーの発想は、常に原点に立ち還りながら、一貫した実施方法を求めるのに対し、多くの見識者は、法実証主義者だから、法律に定まっていないことは、検討過程の中で変わるのは、当然だという立場のようだ。

★だから、新聞発表で、大学入試改革がなし崩しになっているように映るわけだ。もっとも、そう映るのは、どちらかというと、自然法論的立場で、法実証主義的な立場では、現状に合わせて変更があっただけだとみなす。

★現状の法治国家としての日本の立場は、法実証主義だから、私立学校の魂は、普遍主義で尊重はするが、自然法論の立場を採用することはない。それは、東大初綜理に就任した加藤弘之が、自然法論的立場を捨て、法実証主義的立場に転向した時から変わっていない。加藤弘之のグループメンバーは、法典論争で、フランス的な自然法論的立場を退け、法律進化論を採用していたから、富国強兵・殖産興業を推し進める理念とそれをがっちり守る法律論は、そのとき完成し、基本今も変わっていない。

★しかし、第二次世界大戦後、憲法や戦後教育基本法には、理念上自然法論的な立場が盛り込まれたが、それは、すぐに改正しようという動きになっていった。2006年12月に、教育基本法は改正されたわけだが、実質改正された理念が現実的だったわけで、それが条文として成就しただけだ。

★国家レベルの話と私立学校の今後の行方の話は、複雑に交差する。そのため、整理しながら聞いていくキャパがないのでこちらは苦労する。しかし、それだけ、重大問題が歴史を貫いていて、そこで平方先生は闘っている。

★同時に、学校の経営に対するビジョンと実践も行い、学内の先生方と議論しながら進めてもいる。昨日も新宿キャンパスと八王子子キャンパスとを往復して説明会を実施していた。

★その経営を考える時、平方先生は、教育内容の中核部分である授業のイノベーションを実現している。田中歩教務主任をはじめとする校務メンバーとブレストしながら進めているが、たとえば、終業式の時には、瞬間的ではあるが、平方流儀の授業を味付けする。

★先日は、「おーいお茶俳句大賞」を受賞した生徒を讃え、その受賞できる言語のメカニズムについて、生徒に問いかけたという。ある川柳を一句提示し、これをどう読み取るのか?を問いかけたという。

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★その話を整理すると、その句の解釈のタイプは上記のような4タイプにわけられていた。結局は解釈という言語理解は、置き換えたときの情報の量と質。一般には、ただ事実をそのまま再現する置換だけではなく、その背景にある情報を結びつけて語ると深みを感じるわけであるが、それだけでは、受賞できない。何か思いもよらない異質のものに結びつける変形次元の置換が必要だと平方先生は語る。やはりサプライズは重要だ。

★そして、人間的魅力は、この変形置換という、何か常識的な殻や自分自身の殻を打ち砕くアイデア力にあるというのだ。教科の授業の中で、これは可能であり、ダイレクトに単元の知識を学ぶだけではなく、その単元の知識の関連情報をどう扱うかで、インダイレクトではあるが、殻を破るエネルギーを生み出すコンピテンシーを育むことはできると。それがPBLなのだと。

★今、チーム田中のメンバー先生方とときどき対話して、何か迫力を感じるわけだが、その理由は、こういうことだったのかと気づいた。対話は、最終的には、チーム田中のメンバー先生方の授業リサーチのシートを見ながら、工学院の授業論になっていった。

★彫刻家でもある平方先生にとって、工学院の授業はトルソーである。その全貌を補っていくと、私立学校の教育のカタチ、そして国家レベル、世界レベルの教育のカタチが見えてくるということのようだ。デビッド・ボームではないが、≪対話≫の一貫性とはまさにこのことではないかと感動したのであった。

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