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2019年6月15日 (土)

かえつ有明 思考力入試とダライ・ラマ

7月7日、かえつ有明で、<教育者向けプログラム「教育者が自分自身を癒すために」>という集会が開催される。

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★講師は、Dr. バリー・カーズィン(Barry Kerzin MD)。大学教授で、チベット仏教僧侶で、ダライ・ラマ法王第14世の医師である。当日は、日本語通訳付だそうだ。

★そして、登壇者は、我らが佐野和之先生(かえつ有明高校 副教頭)、金井達亮先生(東京大学大学院 教育学研究科/前かえつ有明教諭で、プロジェクト科創設メンバー)。

★この教育者向けプログラムについて、ヒューマンバリュー総合研究所の教育者向けプログラム企画チームの大木理恵子先生(かえつ有明国語科教諭)は、同研究所のfacebookでこう述べている。じつにストーリーラインが美しい文章なので、全文を転載させていただく。

≪「うまくいかないのは、自分の力不足、努力不足のせい」と自分にダメ出しをし続け、がんじがらめになっていたときに、バリー先生の講座に参加し、初めてマインドフルネスを体験しました。


「教師に必要なのは、まず自分自身をケアし、心の傷を自らの手で癒し、自分を縛っているネガティブなものから解放してあげること」と語られたバリー先生の言葉を聞いたとき、自然に肩の力が抜け、あたたかいもので満たされていくのを感じました。容易に解決できない事態が日々次から次へと押し寄せる教育の現場で、刃を自分の内側に向け心にたくさんの傷をつくってしまっている教員の方々が多いのではないでしょうか。


それまでの私も「生徒のため」という言葉の前に、自らの心を置き去りにし、多くの傷に気づかないふりをして、ただひたすら走っていました。でもそれが、本当に彼らのためになったのかはわかりません。なぜなら、彼らのためにと思って行動を起こせば起こすほど、自分に対する自信は損なわれていったように感じられたからです。バリー先生に出会い、徒らに自分を見下したり、傷を放置して他者に貢献したりするのではなく、マインドフルな自分として健全な自信を取り戻すことが周囲に良い影響を与え、豊かな学びの場を創っていくことにつながると、実践を通して学ぶことができました。


バリー先生の澄んだ眼差しと柔らかな声に包まれ、内なる平和を体感できる静謐な時間。私にとって非常に貴重な時間です。そんな空間の中で、みなさまと共に学び、語り合い、生徒たち一人ひとりが輝ける教室の実現を目指していきたいと思っています。≫

★かえつ有明が、人気校であり、その思考力入試が信頼されているのは、このように教師のセルフ・コンパッションと何もできないけれど、他者へのコンパッションという2つの原理によって生成されているマインドフルネスが充満しているからだ。

★一方で、2019年6月9日、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のTwitterアカウントが1本の動画を公開。そこでダライ・ラマ法王は、こう語っている。

「究極の幸せや喜びは、思考によってのみ得られるのです。そして、宗教への信仰心から得られるものでもないのです。信仰するのではなく、考えなければなりません。我々人間の頭脳を使い、科学的に考えなければなりません。神様や仏様に祈る必要はないのです。」

★エッ!!~!!!と思った方も多いと思う。古今東西の真の宗教者は、実は人間は考える葦であることを語るわけである。であるからこそ、物心崇拝や物象化への警鐘を鳴らしているわけだ。コモディティ化というのは、彼らにとっては物象崇拝である。かえつ有明の思考力入試が重要なのは、このコンパッションという内なる「思」いが「考」えを生み出す意味で、「思考力」を活用するところにある。

★まさに、それは、J.J.ルソーの「自己保存」と「憐憫の情」の2つの原理で成立している自然状態である。もっとも、ルソーは「自然状態」は長続きしないから、いったんすべてをすてて「全体意思」ではなく「一般意思」に従うことを市民が約束する社会契約を結ばざるを得ないとなる。

★しかし、ルソーの系譜のカントは、自然状態を物自体として、不可知の世界においやったり、ピアジェのように幼児期の非認知的能力に位置づけたりして自然状態の発想のアップデートが、数多くの人になされてきたし、今もなされている。

★≪私学の系譜≫も、そうであるが、自然状態は、建学の精神とし、社会の現実対応を中心として教育は実践されてきた。この建学の精神と社会の現実のギャップを近づけようとするのか、ほどよい距離をとろうとするのか、まったく無視するのか、完全一致させるのかで、私学のタイプは4つに分かれる。これは2018年10月17日に、本ブログに書き込んだ。詳しくはそちらを読んでいただくことにして、そのとき活用した座標をもう一度みてみたい。

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★この4つのタイプは、まさにその通りになったのではないだろうか。かえつ有明は、ダライ・ラマ型学校なのである。ルソーの自然状態を、容易に解決することができない事態が次から次へと現れる社会状態を生きる人間の内面にコンパッションという「思」いに変換し、自らどう生きるのか「考」える葦となるわけである。

★そして、葦は独り生息するのではない。その群生の光景は感動的だ。かえつ有明という共同体は、教師も生徒もコンパッションから生まれるシンキングを大事にしている唯一無二の学校なのだ。

 

 

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