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2019年6月26日 (水)

学校雰囲気(01) 生徒応募者数の増減に影響

★学校の雰囲気は、生徒が集まるかどうか相当影響する。何かデータ的な根拠があるのか?そんなのはない。経験的な勘だが、少なくともこの話をして、雰囲気は関係ないでしょうという懐疑的な学校は、やはり生徒募集に苦心しているところが多い。

★ただし、その雰囲気は質の良さかどうかというより、明るいか暗いかだ。そんな安易なものなのか?と反応される時、明るいか暗いかという分け方が安易だという価値観が入っている。この論理が暗さを醸しだす。よって、生徒は集まらない場合が多い。

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★学校選択指標に偏差値は関係ない。でも関係ある。学校の理念がどんなに高邁でも、それが国内の大学合格実績の枠内の場合、そこは競争主義だから、理念はスローガンとなる。しかし、市場は、強い者が好きという価値観がある。たとえば、よしあしは別として、新自由主義が席巻しているのがその証拠だ。だから、高偏差値で大学合格実績が良い学校で、この合格実績枠内の競争を勝ち抜くことに存在理由を見出している学校は、常に強気だし、大学入試改革がどうあれ関係ないという強者の論理がその根底にある。

★この強者の論理が大好きな消費者はいる。どんなに批判しようが、警鐘を鳴らそうが、ここに超富裕層がしっかりといるから、そう簡単に崩れはしない。

★一方で、大学合格実績の枠を超えて、もっと大きな人間としての価値に存在理由を見出している学校は、そもそも偏差値を重視しない。というのも、偏差値は大学合格実績とも連動しているからだ。

★だから、自分の学校の偏差値が高かろうが低かろうが、大きな目的の前には、自分のミッションを追究するのみなので、非常に明るい雰囲気が学校に充満している。ここには、したがって開かれた世界の論理がある。偏差値の壁などあっさり超えている。

★強者の論理も勝ち誇った笑みを隠しながらスマシてはいるが、強い者の自信が明るさとなって文化になっている。同じ明るさでもたしかに違うのだが、消費者の方は、その臭いをかぎ分けることができる。明るいけれども、強者の論理が好きなタイプと開かれた世界の論理が好きなタイプは、明るさの質の違いを間違うことはない。

★しかし、低偏差値の学校で、なんとか大学合格実績で巻き返したいという、やはり競争主義的な存在理由が基礎になっている学校は、どうせうちは偏差値が低い学校だからとか、偏差値のせいで、自分の学校に人が集まらないとか、うちの生徒は偏差値が低いから創造的問題などできないとか、責任転嫁とコンプレックスの塊みたいな言動に満ちている。よって暗い。コンプレックスの論理が満ちていて、何かと人のせいにする。本物を見せてくれといいつつ、自分たちのやっていることだって本物なのに人が集まらないのはなぜなのだと悶々としている。

★すべての問題は、自分の中にあるのだという覚悟が決まらない。そのような学校には生徒が集まらないのは、世の常だ。

★強者の論理が生み出す明るさか、開かれた世界の論理が生成する明るさか、どちらを選ぶかは、すでに消費者自身の中に回答がある。

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