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2019年6月 6日 (木)

【未来を創る学校01】実はグローバルシチズンシップは、ようやく見えてきた段階

★1989年ベルリンの壁が崩壊して30年が経った。その影響で生まれたEUは、ここにきて混迷を極めているし、戦後の世界をどうするか調整する機関として大きな影響を与えてきた国連も財政的に危機に陥っているといわれている。1998年ころに預言書のようなサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」が現れたが、まさに大国の衝突を回避する会議が世界で踊っているのもデジャブな今日この頃だ。

★教育の世界では、21世紀前夜に、イギリスでグローバルシチズン教育が生まれ、日本でもグローバル教育という言葉はあふれている。しかし、その中で、グローバルシチズンとしてどんな言動をとるのかというと、千差万別で、実際にはグローバルとかグローバルシチズンシップとか概念はまだまだ固まっていない。

★そんな中で、デジタル市民などという言葉も生まれ、ほとんど商品名と化し、「市民性」の本質はどこかに行ってしまったかのようだ。

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★しかし、SDGsというグローバルゴールズに関しての動きは結構盛り上がり、ここに新しいグローバルシチズンシップの動きが学校の中に現れ始めた(とはいえ、SDGsのことを知らない小中高生もまた結構いるのだが)。

★だからといって、グローバルシチズンシップの概念が固まってきているわけではない。しかし、グローバルシチズンシップが、インターナショナリゼーションのときから重視されていたリベラリズムやその後のんネオ・リベラリズム的な価値観に支配されたグローバルシチズンシップからは解放されているようにみえるリアリティが生徒のすぐ身近な出来事や出会いとして起きていることも確かである。

★シチズンシップは、正義(法)と経済と自然と精神(人権)をどうとらえるかという問題でもあるから、この解放から一役買ったのは、日本では白熱教室で有名になったマイケル・サンデル教授だったたかもしれない。少なくともリベラリズム、リバタリアニズム、コミュニタリアニズム、コンサバティズムという価値観があることを示した。

★グローバルシチズンシップは、どのポジショニングに着くのだろう。しかしながら、話はそう簡単ではなく、Nigel Dower, John Williamsが共に書いているように、それらの価値観を超えたあるいは統合した新しい正義と経済と自然と精神の諸関係を生成したところに成り立つグローバルシチズンシップという新しい枠組みを模索しているのが今であるととらえることもできる。

★二人が著した2002年には、9・11という従来の正義論では解決できない事態が起こっていたからであるが、それ以降のリーマンショック、テロの拡散、3・11、パワハラ問題、DVの凄惨な問題、GAFAの台頭の問題などは、従来の正義論から脱せないままのグローバリゼーションを食い止められないグローバルシチズンシップの概念の流動性やゆがみが構造的に引き起こしている可能性がある。

★そこを何とかしたいという緊急性は高いが、いったい新しいグローバルシチズンシップとはどのようにとらえたらよいのだろう。しかし、概念というのは、時が熟さなければなかなかかたまらない。そんなとき、学校や教育を取り巻く世界で、新たなグローバルシチズンシップをとられることができる多様なプログラムや人的交流が起こっている。

★未来を創るヒントは、ここにありそうだ。未来を創る当事者である子どもたちと共に、新しいグローバルシチズンシップの活動とそれを通しての概念形成、つまり新しいグローバルシチズンとしてのアイデンティティを生み出す広い視野を未来を創る学校は持ち始めている。

★2020年からの大学入試改革も、その視野を有しているはずなのだが、今のとことそうではなさそうだ。国内の大学入試と新しいグローバルシチズンシップとの関係を相対化して、プラグマティックに対応していく思考力革命に期待する。

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