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2019年6月21日 (金)

英語改革の迷走?日本国家の政治経済政策が迷走しているのではないか?

★Wedge7月号で「英語改革の迷走」という特集が組まれている。中身は新しいものは何もない。うんざりするほど同じ話が掲載されている。

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★この類のテーマになると、民間試験は公平性が担保されないとかいう話が必ず出てくる。家庭による収入格差があるから問題だとか言うお話も。ちょっと考えようよ。その格差を生んでいるのは、グローバリゼーションの片方の側面である闇を生んでいる、日本国家の行政政策に問題があるのだろうが。グローバルなスタンダードに対応できない文科省の政策にあるのだろうが。格差を生んでいるのは、それを主張している東大も加担しているのではないか。

★自分だけは、東大や官僚の中で正しいことをやっている。学問の自治で保障されているのだと無責任な主張はいい加減にしてほしい。

★何が根源的な問題を考えよだ。根源的問題は、このままの教育だとよけい格差が生まれる日本社会になるということだろう。

★だからといって、大学入試制度が変われば英語教育も変わるというのを大真面目に語られても、教育とはそんなものでよいのかと思うのはおかしいだろうか。

★しまいには、英語の前に日本語で思考できることが大事で、4技能を学ぶだけでは、真の意味でのコミュニケーション能力は養えないと、およそ馬鹿げたことをいっている。日本語でだって真の意味のコミュニケーション能力が育ったことがあるだろうか。

★第一、思考力は日本語に限定されるのではないはずである。

★高校生は、とにかく国や知識人が言っていることを鵜呑みにしないで、自分で判断して欲しい。英語の勉強はインターネットの世界でやろうと思えば、いくらでもできる。格差なんて吹き飛ばせるのだ。

★たしかに、制度上明示されていない部分がまだあるし、バラツキもあって、困ってしまう場合もあるが、単純に英語力を4技能全部で学ぶことは必要なのである。バランスよくとは、すべて同じレベルで得意になるというコトではない。4技能を総合的に学んだほうがよいが、読解力だけが飛びぬけていてもよいわけだ。

★英語ができない私が、居直って英語なんてと不要と言っているのではない。むしろ、英語ができなければ、仕事ができないよと言っているのだ。大企業でも外資系に務めているわけでもない私でも英語を使わない日はない。

★経済世界や政治世界ではなく、生活世界でも、いや生活世界でこそ英語は必要だ。しかも簡単な英会話ではなく、かなり突っ込んだ話を英語でしなければならない。その時は、グーグル翻訳に頼むことにしている。しかし、それはロスタイムも多く、グーグル翻訳君の言語能力が直接自分にも備わっているよいと常々思っている。

★真のコミュニケーション能力が身に着くかどうかは、結果ではない。いまここで、真のコミュニケーション能力を発揮しなければ、どうしようもないのである。そんな先送りをいつまでしているつもりなのだ。そんなことだから、あえて外国の方とのコミュニケーションを避ける。それで、英語がなくても日本にいれば生活ができるとまことしやかなことを言っているに過ぎない。

★本当は、日本人とコミュニケーションとりたい外国の方はいまここにたくさんいるのだ。それを見ないようにしている日本人がまだまだ多い。

★あまりに英語の必要性を自己都合でとらえているのが日本の識者である。世界におけるコミュニケーション格差がどんどん開いていく社会。社会は対話の有機的なシステムによって成り立ているから、そんな格差が広がる日本社会のシステムは実に自己閉鎖的にならざるを得ない。

★この道に進めと民間英語試験を拒否している識者たちは主張しているのだ。おかしいのは、どちらなのか。

 

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