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2019年6月

2019年6月30日 (日)

工学院 英文学を通して人間の深層に迫るジョエル先生のPBL授業

★工学院のジョエル先生の英語の授業(高2ハイブリッドインターコース)を見学した。英文学の授業だった。ダニエル・キースの「アルジャーノンに花束を」を読んでいた。工学院は、基本どの先生方もEdmodoという学びのプラットフォームを使って、生徒とやりとりをしている。24時間体制というわけだ。

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★中学は、iPad1人1台だが、高校からは BYOD ( Bring your own device)方式で、生徒は自分のお気に入りのラップトップを自宅でも教室でも使う。ジョエル先生をはじめ工学院の先生方とは、いつもつながっている。

★今回も、授業は、いきなりスキャニングクイズからはじまった。すなわち、「アルジャーノンに花束を」の幾つかのパラグラフを読んでくることがEdmodoで共有されていたのである。

★山口先生同様、ここにもジョエル先生と生徒の間に信頼関係が築かれている。文章を授業の中で読んで、各パラグラフ及び全体シークエンスの物語の構造を教師が解説するわけではない。そんなことをすれば、生徒は自分で考える時間は授業ではとれない。

★自宅で考えるのか、自宅では読解するのか。それはどちらでもよいが、考えるトレーニングは、実はコラボレーションが最適なのである。思考というのは、多角的なアプローチが必要で、自分ひとりで考えていてもそのアプローチはなかなか多様にはならない。思考のトレーニングこそ教室で行えるのが理想的なはずだ。

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★だから、ジョエル先生の授業では、個人で考えたら、すぐにPeerワークを行う。今では、それは当たり前になっているから、ジョエル先生が促さなくても、生徒は自然とそうなる。もちろん、最終的にはジョエル先生はフィードバックはするし、その都度質問にも対応している。

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★覚える作業も軽視しない。単語のチェックをQuizletを活用して行うのだが、そこでもジョエル先生の創意工夫が行き届いている。市販の単語の本などは使わない。生徒は、文学を読みながらわからない英単語がでてきたら、それを活用したセンテンスを書いて、ジョエル先生にEdmodoで送る。

★ジョエル先生は、それを集めて、整理して、そこから問題を出題する。ジョエル先生と生徒たちが問題作りをシェアするわけだ。盛り上がらないわけがない。

★ある意味、レヴィ・ストロースの「野生の思考」の形成の方法だ。学びのあるいは思考の独自のそれいて普遍的な文化をクラスにつくっていく。学習する組織ができあがる。

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★そして、最後は「ジャーナル」作業。「もしあなたがチャーリーと同じ状況に置かれたらどう感じるのか?」というトピック。クリエイティブであり論理的であり、共感性も必要とする思考作業だ。

★ジョエル先生は、私の授業はだんだんダイナミックになっていきますからと語りかけてくれた。たしかに、最初は黙々とスキャニングクイズに取り組み、Quizletではチーム戦になるから、大いに活動的になった。そして、ライティングになるとPeerで作業するが、行動は静かになる。しかし、それは没入しているからであり、身体的ダイナミックな動きから脳内のダイナミックな動きにシフトしたのである。

★心的ダイナミックさは身体的ダイナミックさよりも指数関数的に爆発している可能性がある。ジョエル先生の授業はスーパーモデルである。このような授業を世間の誰が知っているのだろう。ジョエル先生は、生徒と信頼関係を築くことが最高のミッションだろうが、それはもったいない。このような授業をスーパーモデルにして、先生方が教科を超えて学ぶ機会は作れないものか。

★教務主任の田中歩先生は、幸せの青い鳥は、自分たちの学校の中にいるんですよと笑みを浮かべて語るのだった。

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工学院 英語の授業だったことを忘れてしまうほどの自然な対話が流れる山口先生のPBL授業

★工学院の山口先生の中3の英語の授業を見学。オールイングリッシュで、生徒の記憶の世界や想像の世界から授業を構築し、その世界をさらに開いていく授業。

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★オールイングリッシュだけれど、対話がベースで、英語の授業だったことを忘れさせる展開。テキストであるUncoverのユニットⅢとⅣで学んだ文法事項も、何を学んだという問答ではなく、それぞれのユニットで学んだ文法事項が含まれているサンプルセンテンスを生徒が選択して、そのセンテンスのどの部分にそのルールがあるのか確認していく問答が最初行われた。

★これは、生徒の記憶の理解度に信頼をおくやり方だ。生徒が理解しているかどうか聞きもせず、文法用語をずらずら黒板に書きながら、先生が例文を書いていく授業とは相当な違いがある。そのような授業で先生が使う例文は、教師が考える例文であり、そこに生徒の想いがはいらない。

★文法の確認は大事だが、山口先生は、あくまで生徒がどこまで理解しているのか生徒の側から発信することを大切にしている。サンプルセンテンスを正しく選択できた段階で、それは理解したと信頼するわけだ。もちろん、中3になって2カ月の間にその関係が構築されてきたわけだ。

★実は、これは授業の展開を促進していく時に大切な<直感>なのである。この直感の精度をあげていくことこそ授業の醍醐味である。この直感を暗黙知と呼ぶ人もいる。可視化や見える化は重要であるが、それは圧縮されて暗黙知として自動化されることも必要なのである。この<直感>を形成できないから、教師がだらだら説明しているのである。<直感>の共有ができていない授業なのである。

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★さて、見学した時は、ちょうどテキストのユニットⅢとⅣが終わっていたタイミングだったのだろう。学んだ文を実際のシーンで活用するトークのシナリオをチームで創作する作業にはいった。

★そのシーンを構築するシチュエーションも、山口先生が決めるというのではなく、生徒と問答しながら生徒からの想像力を応用できるような環境設定をしていった。

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★全体との問答の時だけでなく、グループワークもみな英語で対話が進んでいった。インターナショナルクラスではないはずだが、ずいぶんナチュラルだ。山口先生は、使える英語それ自体のストーリーを生徒が創造する手法を使ったわけであるが、すべてのクラスで同じことをやるわけではないという。私が見学したクラスは、クリエイティブな表現系が得意だから、その手法をとったけれど、もっと論理的な文章を書くことが好きなクラスには、エッセイライティングを行ったりすると。

★しかし、いずれにしても実用的であることを心掛けているという。オーセンティックというコトなのだろう。山口先生の表情はとても豊かで、対話の質の高い雰囲気が、教室に充満していた。感情と知性のバランスがとれているのだ。しかし、一方で、極めてプラグマティックなデザインがされていてオリジナリティとユニバーサルのバランスもとれている。

★このようなすてきな授業が展開していることを世間の誰が知るのだろうか?たしかに生徒が知れば、教師はそれが一番ということなのだろうが、あまりにもったいない。教師は、いろいろな研修で勤勉に学ぶが、このような授業を体験することはできないだろう。学校の文化に隠れているすばらしい授業にメディアが入らないのは日本の教育が本質的に変わることを遠くする機会損失だとしみじみ思った。

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<Peer>という個人 「個人」という概念の再構成?

『月刊教員養成セミナー 2019年8月号』(「教育心理入門」より)の記事<先生や親ではなくて「仲間」のカウンセラーが大きな威力を発揮する!>という記事がある。先生や親よりも、友だちとの対話がピアカウンセリングになるという。たしかに、そういうことはある。

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★しかしながら、これは同世代の友人というだけではなく、世代が違っても<Peer>ということはある。つまり、これは、子供たちの生活が、学校という生活の場に圧倒されているから、<Peer>=<友だち>になってしまう。学校と家庭の往復が生活の中心だろうから。

★そして、どうしても<自分>と<友だち>はそれぞれ<個人>といわれる。

★これに対し、平野敬一郎氏の考えはおもしろい。

≪Individualは、in+dividualという構成で、divide(分ける)という動詞に由来するdiviidualに、否定の接頭語inがついた単語である。Individualの語源は、直訳するなら「不可分」、つまり(もうこれ以上)分けられない」という意味であり、それが今日の「個人」という意味になるのは、ようやく近代に入ってからのことだった。(『私とは何か~「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書2012年3ページ)≫

★しかしながら、これからは<Idividual>(個人)ではなく、<dividual>(分人)という新しい概念を持ち込もうと。人間は、多様なキャラクターで成りたっていて、どれが本当の自分で、どれが嘘の自分であるかということはないのだと。

★学校で、友だちと対話すると、先生や親に否定された部分が認められれる。それは、ある意味<分人>としての個体が分かち合えているのあかもしれない。とはいえ、友人どうしだって、「君がそういう人間だとは思わなかった」などと喧嘩になることもあるし、そこから亀裂がはいることもある。

★ピアカウンセリングが友人同士でうまくいっているとき、実は「個人」ではなく「分人」という状態になっている可能性がある。しかし、それは意識されていない。たまたまということだろう。

★ただし、このたまたまが意外と多いのだろう。なぜだろう。それは教師とか親とか固定されたキャラクターと対峙する必要がないからだ。つまり、従来の「個人」とは、固定された「キャラクター」が「個人」の顔で、その背景には「分人」が<in>(内面化)されて見えない状態になっているということだろう。

★いつのまにか、キャラクターがアイデンティになっていたわけだ。しかし、引退して、そのキャラクターがなくなると、ようやく内面化された多様な分人がでてきて溌溂となる人もいるし、内面化を無意識層まで埋め込んでしまって、取り出すことができず、結果空洞化してしまっている人もいる。

★どうやら<Peer>というのは、「個人」という仲間どうしの場というよりも、「個人」が互いに「分人」になれる場ということであるのかもしれない。

★しかし、それが社会にでると、キャラクターという「個人」をだすしかないというのが、現代社会の構造なのだろう。

★ところが、その現代社会の構造が、劣化している可能性がある。構造を再構築したり脱構築するには、どうやら、この「個人」という概念を考え直すときが来たというコトではないか。今まで通りのキャラクターとしての「個人」という概念では、そうではない自分を否定したり抑圧したりする。この否定や抑圧の機能をなくさない限り、どんなに制度上の社会構造を変えたところで、何も変わらない。

★最近、学校は外部の人材との連携の機会を増やしてきた。そのとき、その外部の人材が個人>分人ではなく、個人<分人という感覚(現状では無意識の場合が多い)のある人材だと、そこに生徒との間で、ピアカウンセリングの場がナチュラルに生まれる。多くの学校の先生は、個人>分人という感覚だから、なんかフラットに話しているなあぐらいしか気づかない。

★しかし、なかには敏感な個人<分人の感覚をもっている教師がいて、その外部の人材と<Peer>関係を自らが結び、そこに同じ匂いのする教師や生徒を結び付ける。そこに未来がある。そこに希望が生まれる。

★今回のこの記事の内容は、学校内の話で終わらせるのではなく、「個人」の概念の再構成や学校外との連携による新しい<Peer>関係作りの大切さという話に広がっていけばと期待している。

 

 

 

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2019年6月29日 (土)

教師の雰囲気(04)かえつ有明の無私で穏やかな教師チーム③

★かえつ有明のドルフィン(図書館)は、アクティブラーニングのための空間が4箇所(1つは情報の部屋)ある。私が見学した5時間目と6時間目は、すべて使われていた。定期試験直前だというのに、その対策授業はやらないのだなあと。

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★他の教室はどうなっているのかと思って、合間を見て覗いてみた。篠原先生の技術の時間では、生徒たちはラジオ作りに没入していた。古賀先生の地理の授業は防災教育もかねてハザードマップやビデオまで活用していて興味深かったし、防災グッズの着用などもあり、かなり実用的な(オーセンティックというのだろう)授業が展開していた。

★実験室では、青木先生が静かに笑みをうかべながら歩いていた。生徒たちのプレゼンする声があちらこちらから染みとおってくる。定期テスト直前だから、テスト範囲の中で、自分たちが探究した内容のポートフォリオを使って、チーム内で発表していたのだ。

★青木先生は、生徒のそのポートフォリオをみせてくれた。自分から働きかけるのではなく、生徒の主体性に任せながら、絶妙なタイミングでフィードバックしていく静かでケアフルな教師の雰囲気が生徒の好奇心を探究心に変えていくのだろう。

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★再びドルフィンに戻ってくると大木先生の「羅生門」の文学授業が佳境に入っていた。

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★主人公の運命の分かれ道での葛藤やその境界線のゆらぎについて生徒は議論していたようだ。生きることと倫理のせめぎ合い。極限の状況をどう自分たちは受けとめれれるのか。そこから出発しなければ、羅生門の世界に入り込むことができない。文学を読むことのもどかしさ。論理的に読む以上に、極限の状況をどう理解できるのか。

★芥川龍之介の命がけのプロジェクトを、大木先生は生徒と共感できるのかどうか、ここにも、生徒ばかりか、教師も悩む姿を見ることができた。共感的コミュニケーションとは、このような苦悩をもともにできるということなのだろう。

★乗り越え難い苦悩を隠すことなく、生徒と共有する教師は、実は最強である。

 

 

 

 

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教師の雰囲気(03)かえつ有明の無私で穏やかな教師チーム②

★かえつ有明のキャンパスは、尖塔があって。その中を螺旋階段が走り、各階につながっている。その階段には、各ステップごとに壁の穴があって、そこに図書館司書の方々のメッセージが一定期間ごとに陳列される。ちょっとした知のギャラリー。

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★今回は、2階から3階に移動するときに最初に出遭ったのは、ブラックハットだった。

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★いきなり否定的思考に出迎えられギクッとしたが、ついにかえつ有明は、強いハートも生成し始めたのだとすぐに感じた。Six Thinking Hatsという6つの思考のアプローチによるディスカッションのメタ認知を活用しているのだなと。階段をあがっていくと、次々と違う思考様式が現れた。おもしろいなあ。

★もし、ブラックハットを装着するよと宣言しないと、否定的なことを言いやがってと、そのつもりもないのに、そこにルサンチマンが生まれる。だから共感的コミュニケーションを行うには、思考のアプローチを見える化し、できればロールプレイを行っていけば、そういうっているのは、ロールであって、メンタルモデルのせいではないということがわかる。はれものをさわるような気遣いも無用だ。

★人の性格や権威や肩書に思考のアプローチが属するのではなく、あくまでロールに帰着する。

★そして、このあと共感的コミュニケーションはしなやかで強くなっているのだなと実感する機会が訪れた。

★それにしてもBig 6といい6 Thinking Hatsといい、タキソノミーといい、かえつ有明は3の倍数で一貫している。ハートとプラグマティズム。この秘密は、意外と知られていない。

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教師の雰囲気(02)かえつ有明の無私で穏やかな教師チーム①

★年に1,2度かえつ有明を訪れる。同校は有機体的な進化をしている貴重な学校がゆえに、その発展からいろいろ気づきがある。今回もいろいろと学ぶことができた。今は東大で研究している金井先生もときどきかえつ有明で研修などサポートをしているが、私が佐野先生を訪ねたときもちょうどやって来ていた。

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★二人が中心になって立ち上げた高校生のプロジェクト科の授業を佐野先生が行うというので、ゲストという役割で参加していたようだ。

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★2時間続きで、チームでテーマを探しながらプロジェクトを実行していくそのブレストの段階だった。この時期に発進するとは、何かがある。

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★柔らかいチームで、最初にメンバーが決められているわけではない。自分のやりたいことをアウトプットしながら、合意形成をしながらチームがナチュラルにできていくというスタイルなのだろうか。

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★だから、途中で別のテーマが見つかったメンバーは、離脱してまた別のチームに参加するも、新しいチームを創るのもまったく問題がなさそうだ。問題がないというのは、途中でやめるのかと非難されることもないし、新しいチームをつくるなんてとルサンチマンが生まれるわけでもないということを意味している。

★ある意味好きなようにやっていよいけれど、互いにその自由な感覚を大事にしようよというマインドセットがされているわけだ。

★4月に高2のプロジェクト科がはじまって、2カ月が経ってから、プロジェクトづくりのブレストが行われるというコトは、この2カ月の準備が実に巧みになされていたということだろう。精神のメカニズム。何かにこだわったり固執したりしない状態、共感し合える関係、創造的な人間関係ができる状態など、佐野先生や金井先生が大切にしている共感的コミュニケーションができる状態を、高2になってもう一度確認する時間をとっていたのだろう。

★こだわりを捨てることができる無私で穏やかな雰囲気がそこにはあった。

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2019年6月28日 (金)

教師の雰囲気(01)野望と意志と情熱と

★学校の雰囲気が豊かになるには、教師の雰囲気はかなり重要だ。生徒以前に、自己肯定感が低い教師や懐疑心旺盛な教師の雰囲気は実に暗い。その雰囲気は1人2人だとしても、感染力はある。

★ところが、目の前の問題や目の前の仕事にどんなに悩もうとそれを超える大きな目的という野望を抱き、それを実現しようという強い意志を貫く情熱をもって行動する教師の雰囲気が、その暗い雰囲気をはねのける。

★そのような教師が1人いるだけで、不思議とその学校の雰囲気は浄化されていく。ところが、この教師の存在は思いのほか得難いのである。

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(聖学院の児浦先生は教師の雰囲気が豊穣である!)

★どのくらい得難いのかというと、外から見ていてわかるのは、その教師の周りには多くの同僚が集結して協力し始めるし、生徒が目を輝かしていろいろなアイデアを語りかてくる。そんな存在がそういるはずはないのは少し考えれば了解できるだろう。

★このような教師の雰囲気を生成できる人材を、その学校が大切に扱うと、その学校の未来は開かれる。

★そういう学校がどんどん増えることは、小さな動きのように見えるが、とんでもない大きなエネルギーになる。

★教師の存在理由は、この大きな目的に対する野望を抱けるというコトだ。教師以外の存在は、なかなかそうはいかないのが現在の社会である。

★したがって、学校のみならず、社会もまたそのような教師の存在を大切にする制度システムを構築する必要があろう。

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2019年6月27日 (木)

学校雰囲気(04) 湘南学園のESD教育が身近なところから世界の雰囲気を変える

★「WEB料理通信」に、<湘南学園の中学生が取り組む「幸せを届けるチョコプロジェクト」>という記事が掲載。受験情報WEBではないサイトに掲載されているというところがすごい。「WEB料理通信」は、「食で未来をつくる・食の未来を考える」をテーマとした、みんなでつくるプラットフォームというビジョンを持っている。

★湘南学園のチョコプロジェクトは、まさにチョコに注目することで未来をつくるビジョンが広がり、食という生活の未来を創り出すきっかけになると「WEB料理通信」の編集者は確信したのだろう。

★この記事の内容については、ぜひ読んでいただきたい。ここで解説することは不遜だ。

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★私がここで確認したいことはただ一つである。それは同校のESD教育が教科教育からグローバル教育、キャリア教育など多様な教育活動を有機的につないでいることの一環として、ナチュラルにこのプロジェクトが立ち上がっているということである。

★ユネスコスクールでもあり、SDGsの取り組みも授業においてもなされている。多くの学校では、これらの教育活動はたいていはバラバラで、いろいろやっているというだけで終わっている。ところが湘南学園の多様な教育活動は、ESD教育として有機的に循環している。

★このチョコプロジェクトも清水先生の地理の授業から生まれ、記事にあるように世界に広がっていった。清水先生は、同記事の中でこう語っている。

――「社会への不安が先行し、無関心になることが多い中、子どもたちには社会の構造を理解し、課題を正確に捉えることで、希望を見出し、主体的に行動できるようになってほしい。僕は距離を保って支えるだけなんです」と。

★「社会の構造」とは、ここではフェアトレードの概念の中にある「適正価格」のメカニズム。これはヨーロッパ中世からルネサンスに移行する段階で、すでに大問題になっていた。キリスト教における利息の問題の浮上で、「適正価格」というキーワードが広まるというコトは、そこに「適正価格」でない現状があふれていたことを示唆している。

★中世の遠隔地商人が自由都市に持ち込んだ貿易商品の適正価格をいかに設定するのか?資本主義の萌芽である。そこから近代世界の広がりとともに、適正価格は格差を覆い隠す資本主義のメカニズムとして、市場の価格にシフトしていく。

★チョコプロジェクトは、発展途上国と先進諸国の関係の格差の問題に気づき、問題解決のためにアクションを起こしている。しかし、それを生み出しているメカニズムは、実は自分たちが日々生活している政治経済社会そのものの中に構造的に埋め込まれていることにやがて気づくだろう。

★それは、世界を変える根源的な気づきであり、ここに到るESD教育のような環境が在る学校こそ開かれた世界の論理を土台にしている本物教育を形作っていると言えるのではないか。

★同校は、中学入試においても、深い問いを考えるESD入試という新タイプ入試を開発してもいる。このような一貫性のある教育こそ質の高い教育と呼ぶにふさわしい。

※ESD教育とは、同校サイトにはこうある。「ESD(Education for Sustainable Development)は、「持続可能な開発のための教育」と訳されます。これは、私たち(まだ生まれていない、私たちの子孫も含めて)が生きていくことを困難にするような問題について考え、立ち向かい、解決するための学びです。即ち、「持続可能な社会の担い手を育成する教育」といえるのです。」

 

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学校雰囲気(03) 2つの聖光学院が世界の雰囲気を変える

★今、静岡聖光学院と横浜の聖光学院の生徒合わせて4人が、マレーカレッジ国際サミットに参加している。東南アジアの国々から集まった学校の生徒が参加している。昨年、静岡聖光学院がマレーカレッジと国際交流を開始することがきっかけとなって参加を促されたようだ。STEMをベースとしたキーノートスピーチ、アクティビティ、ワークショップ、プレゼンテーション、エキシビジョンなど1週間続くプログラム。

★2つの聖光学院は、修道会が同じなので、学校法人としては独立採算なのだろうが、教育活動の連携はとりやすいのだろう。

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(写真は、すべて静岡聖光学院のサイトから)

★静岡聖光学院のサイト【聖光見聞録特別編~マレーカレッジ国際サミット6日目】によると、静岡聖光学院は、静岡市が誇るがタミヤ模型と連携したプログラムを披露したようだ。タミヤの模型を組み立て、改良を試み、高性能のマシンにしていく過程をSTEAM教育として実施している。同サイトのぺージにはこうある。

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――今回のプレゼンテーションでは、タミヤ模型の代表作でもある「ミニ四駆」を用い、モーターやギア比の関係から、どういう組み合わせがマシンを早くさせるか、またMaBeeeという特別な電池と組み合わせることで、プログラミングの要素を組み込んで作動するミニ四駆をテーマにプレゼンテーションを行いました。MaBeeeを用いることで、様々なモノがIoT化していきます。そこにミニ四駆の、仕組みは簡単ながらも工夫によって機能が向上するマシンを組み合わせることで、新たな価値の創造を感じさせるプレゼンテーションとなりました。

★横浜の聖光学院の生徒のプレゼンテーションとエキシビジョンについてこうある。

――共に参加した聖光学院の生徒はSuperScienceHighscool(SSH)に指定されていることから、SSHでの活動でもある「聖光塾」についての説明を行いました。横浜の聖光学院は、日本でも東大合格者の数はトップレベル。堂々としたプレゼンテーションを行うことができました。・・・聖光学院のブースでは、LEGO®️SERIOUS PLAY®️のメソッドを用いて、これからの日本の社会のあり方について表現したり、参加者の個別の振り返りをしました。

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★静岡聖光学院もLEGO®️SERIOUS PLAY®️のメソッドを普段は使っている。かくして、2つの聖光学院は、大学合格実績を競う枠を越えて、もっと大きな目的のために教育活動を行っている。このマレーカレッジ国際サミットの例は氷山の一角で、両校の日本における普段の教育活動がすでに開かれた世界の論理を土台に行われているからこそ、語学研修ではなく、STEMベースの国際サミットで、活躍できるのであろう。

★静岡聖光学院は、51年前に創設された当初から学習指導要領を超えた学問領域を自由に学ぶことが伝統であり、横浜の聖光学院は17年前に教科のカリキュラムを超えた知のプログラムを大学や企業など外部団体と連携して行うプログラムを充実させてきた。

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★日本の中にいると、STEAM教育の全貌はまったくみえていないがゆえに、その重要性にはまだまだ気づかれていない。しかし、世界から見ると、日本の学習指導要領だけでは、未来は開かない。STEAM教育の実施は喫緊の課題である。

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★2つの聖光学院は、先進的教育と日本の文化の奥行を、東南アジアで共有している。この活動は、東南アジアと日本の関係を新たな教育で結ぶ。したがって、世界が変わる契機が生まれる。東南アジアの世界におけるプレゼンスは日に日に高まってきているから、その拠点との連携が世界をいかに変えていくのか楽しみである。そして、2つの聖光学院の4人の生徒はそのビジョンを確かに見通せただろう。

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2019年6月26日 (水)

学校雰囲気(02) 麻布の自由に学べるかどうか。

★麻布と言えば、偏差値も高いし、大学合格実績も誰もが認める成果を挙げている。しかし、大学合格実績を最終的に目的にしているわけでも、強者の論理がその文化のベースにあるわけでもない。

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★麻布のOBが、麻布の遺伝子をサイトで継承している「麻布流儀」というサイトがある。その中で、「平校長のインタビュー」が掲載されている。平校長のAコードとCコードの話など他の学校では想像もつかないような抱腹絶倒のエピソードなどがあり、おススメのページであるが、その中で次のような箇所がある。

「麻布の自由は入学すればすぐわかると思います。私服だったり、休み時間にコンビニに行ったり、髪の毛を色々な色に染めたり。授業中はダメだけどスマホなんかを持ってきてもOKだし。いわゆる校則がない自由がクローズアップされがちだけれども、むしろ精神の自由だとか、内面の自由を大事にしている。学園紛争のあった1970年前後で、今までの制服が標準服になり私服もOKになったのだけど、ただそこで求めていたのはそういった外面的な部分ではなく、受験に役立つような授業だけではなく、本当の学問を教えて欲しいと求めた生徒もいたし、それまであった校則の意味を問うなど根源的な問いかけがあり、それが麻布の自由につながったと思います」

★まさに、大学合格実績の枠を超えた大きな人間的存在理由をベースにした学校の1つであることを示唆している。

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★制度としての自由を生み出す精神の自由や内面の自由を大事にしているというのは、開かれた世界の論理がベースというコトも意味しているだろう。

★麻布のような学校になることは、様々な条件が違うから不可能であるが、その精神の自由が成立する教育環境や学びのメカニズムを学ぶことはできる。

★そのメカニズムを研究するには、「論集」や「麻布の中学入試問題」を読み解くところにヒントがあるだろう。

★新タイプ入試のトレンドが2020年中学入試でもさらにダイナミックになる。その中で「思考力入試」というタイプの試験があるが、その試験を最初に作った学校は、公立中高一貫校の適性検査ではなく、麻布の入試問題に学んだ。その学校の今の先生方は、そのときに立ち会っていないから、そのことはもう忘れ去られているだろうが、新タイプ入試にも麻布流儀が影響していることをここに刻んでおきたい。

 

 

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学校雰囲気(01) 生徒応募者数の増減に影響

★学校の雰囲気は、生徒が集まるかどうか相当影響する。何かデータ的な根拠があるのか?そんなのはない。経験的な勘だが、少なくともこの話をして、雰囲気は関係ないでしょうという懐疑的な学校は、やはり生徒募集に苦心しているところが多い。

★ただし、その雰囲気は質の良さかどうかというより、明るいか暗いかだ。そんな安易なものなのか?と反応される時、明るいか暗いかという分け方が安易だという価値観が入っている。この論理が暗さを醸しだす。よって、生徒は集まらない場合が多い。

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★学校選択指標に偏差値は関係ない。でも関係ある。学校の理念がどんなに高邁でも、それが国内の大学合格実績の枠内の場合、そこは競争主義だから、理念はスローガンとなる。しかし、市場は、強い者が好きという価値観がある。たとえば、よしあしは別として、新自由主義が席巻しているのがその証拠だ。だから、高偏差値で大学合格実績が良い学校で、この合格実績枠内の競争を勝ち抜くことに存在理由を見出している学校は、常に強気だし、大学入試改革がどうあれ関係ないという強者の論理がその根底にある。

★この強者の論理が大好きな消費者はいる。どんなに批判しようが、警鐘を鳴らそうが、ここに超富裕層がしっかりといるから、そう簡単に崩れはしない。

★一方で、大学合格実績の枠を超えて、もっと大きな人間としての価値に存在理由を見出している学校は、そもそも偏差値を重視しない。というのも、偏差値は大学合格実績とも連動しているからだ。

★だから、自分の学校の偏差値が高かろうが低かろうが、大きな目的の前には、自分のミッションを追究するのみなので、非常に明るい雰囲気が学校に充満している。ここには、したがって開かれた世界の論理がある。偏差値の壁などあっさり超えている。

★強者の論理も勝ち誇った笑みを隠しながらスマシてはいるが、強い者の自信が明るさとなって文化になっている。同じ明るさでもたしかに違うのだが、消費者の方は、その臭いをかぎ分けることができる。明るいけれども、強者の論理が好きなタイプと開かれた世界の論理が好きなタイプは、明るさの質の違いを間違うことはない。

★しかし、低偏差値の学校で、なんとか大学合格実績で巻き返したいという、やはり競争主義的な存在理由が基礎になっている学校は、どうせうちは偏差値が低い学校だからとか、偏差値のせいで、自分の学校に人が集まらないとか、うちの生徒は偏差値が低いから創造的問題などできないとか、責任転嫁とコンプレックスの塊みたいな言動に満ちている。よって暗い。コンプレックスの論理が満ちていて、何かと人のせいにする。本物を見せてくれといいつつ、自分たちのやっていることだって本物なのに人が集まらないのはなぜなのだと悶々としている。

★すべての問題は、自分の中にあるのだという覚悟が決まらない。そのような学校には生徒が集まらないのは、世の常だ。

★強者の論理が生み出す明るさか、開かれた世界の論理が生成する明るさか、どちらを選ぶかは、すでに消費者自身の中に回答がある。

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2019年6月25日 (火)

「第1回未来を創る学校フォーラム」(02)ジェネレーターが誕生するPBL授業!

★今回のフォーラムに静岡聖光学院の生徒も参加した。ジェネレーターとして影響を与える先生方は、順天の中原先生、21世紀型教育機構理事石川先生、海外大学進学指導などを中心に学びを実践しているGLICC代表鈴木先生など相当手ごわいメンバーだったが、屈することなく先生方の心を揺さぶった。石川先生は、会の最後で、やはり学校という天井をぶち破る時代がきたとジェネレーターにエールを贈ることになったほどだ。

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★このようなタフでイノベーティブなジェネレーターが静岡聖光学院から誕生するには、ちゃんと理由がある。それは、11以上もの海外との国際交流が行われていて、破格のグローバル体験ができるという点が1つある。

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★それからもう一つは普段の授業の中にPBLというプロジェクト型の授業(同校では「21世紀型授業」と呼んでいる)が根付いているからだ。ジェネレーターは自分のワールドプロジェクトを内に秘めている。同校の社会科の授業のビジョンも「社会に対する基本的な知識や見方、考え方を確実におさえた上で、より良い方向に社会を変えていけるような発想力を身に付けさせる」ことだとある。

★ただ、こういったところで、具体的な方法論がなければ授業のデザインはできない。そして、この方法論によって綿密にデザインしていいるのが静岡聖光学院である。

★生徒と、思考コードを共有し、それをベースにどの領域を今学ぶのか、学んでいるのか、知の冒険のコンパスとして活用している。また、授業デザインは、ハーバードのアクティビティタイプを使って、組み立てている。これはハーバード大学のアクティブラーニングのプロジェクトが可視化しているもので、教師と生徒がどのアクティビティを中心に授業を展開するのかすぐに共有できる。

★このようなふだんの授業と多様なグローバルな教育活動がPBLを媒介に結合し循環しているからこそジェネレータが誕生するのであろう。

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2019年6月24日 (月)

「第1回未来を創る学校フォーラム」(01)ジェネレーターの誕生!

★6月23日(日)順天で、「第1回未来を創る学校フォーラム」を開催。従来とは違い、生徒と教師が垣根を超え、ただただ共に語り合うBarazaを一つの柱とした。Barazaは、スワヒリ語で"集会・会議を意味するが、八雲学園が加盟しているRound Squareの国際会議で行われるディスカッション方式で、言語と身体脳神経系だけで、語り合い、響き合い、新たな発見や気づきが発生してくるものである。

★これができるには、極限の体験(人によって相対的)をして、そこから自分とはこういう人間ではないかと思いをもち常に考え実行する人が集まらないとできない。そうではない場合、レゴやドコデモシートや各種カードやアプリやポストイットなどを「媒介」して興味と関心を吹かす必要がある。しかし、今回はただただひたすら対話できる生徒に参加してもらった。

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★21世紀型教育機構の仲間の学校は、みんなが才能者でクリエイティブクラスになれる環境をつくろうと先生方が日夜努力してきた。そして昨年あたりから、足並みが揃い始めた。そこで、そろそろ生徒と教師の垣根を超えて、かつ学校間の垣根を超えて集まってただただ話し合ってみたいと。もちろんBarazaでもキーノートスピーカーはいる。それゆえ今回はその部分は、順天の校長長塚先生、聖徳学園校長の伊藤先生、八雲学園の英語科主任近藤先生にお願いした。特に近藤先生には、日本でただ一人のRound Squareの名誉会員榑松先生といっしょに参加していただき、プログラム最後に、Round SquareとそのBarazaの意味の解題をしていただいた。

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★それにしても、生徒の圧倒的な思いと思考とプレゼンテーションの迫力に、先生方も突き動かされ、各チームの対話は、インスピレーション、アイデア発生の泉と化していた。

★今回のスーパーバイザー児浦先生(聖学院21教育企画部長、国際部長、広報部長、21世紀型教育研究センターリーダ)は、生徒の姿をみて、「ジェネレーター」が誕生したと確信をしたという。リーダーとかファシリテーターとかコーチとか教師とか生徒とかそういう役割や機能ではないというのは、生徒も参加した先生方も共感した。

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★強烈な体験の中で生まれた自分という存在理由。たしかに自分なのだけれど、それは自分だけの存在でない存在と響き合っている存在なのである。だから、その意味でのジェネレーターとオープンマインドで対峙すれば、自らの中にも共に響き合う存在が現れてくるのだ。

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★児浦先生はしたがって、自分をスーパーバイザーとは呼ばずに、スーパージェネレーターとしてBarazaデザインに専念した。そして生徒を生徒とは呼ばず、ジェネレーターのみなさんと呼んでいた。

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★それにしても、順天の理軒館という楕円軌道空間は、多様なディスカッションができる空間で、Baraza初体験としては、大いに力を生み出す支えとなった。

★ジェネレーターが、どんなアイデアやインスピレーションを先生方と生み出したのか、それはまた今度。

 

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2019年6月23日 (日)

【未来を創る学校17】本日、順天で「第1回未来を創る学校フォーラム」開催!新しい時代へ!

★本日、21世紀型教育機構加盟校の会合が、順天の理軒館で行われる。「第1回未来を創る学校フォーラム」というタイトルの会合。昨年は富士見丘の「第1回グローバル教育カウンシル」で、生徒の皆さんと教師が共に学び、好評だった。

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★今年は、生徒の皆さんがジェネレーターとして先生方と共に世界をどう創っていくのか対話する。その対話は、Roud SquareのBaraza方式で、シンプルに話し合う。このシンプルな場が、対話という潜在的な世界生成システムのスイッチを入れるのだ。 

★スーパージェネレーターは、21世紀型教育研究センターのリーダー児浦先生(聖学院21教育企画部長・国際部長・広報部長)。今回は誰かがジェネレーターというより、みなそれぞれジェネレーター。自分の強烈な体験を通して気づいた自分とは何かという価値ある存在理由を語り合い、未来を創る発想が膨らんで、世界を変えていく感覚が共有されるのではないか。

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順天、富士見丘、八雲学園、聖学院、静岡聖光学院の5校から生徒の皆さんが参加する。

児浦先生の人並外れた多面的な領域における生徒との交流との体験が、生徒の皆さんと先生方総勢40人とどんなコレクティブインパクトを生みだすのだろう。実に楽しみである。

 

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【未来を創る学校16】2つの聖光学院の挑戦!

★クアラルンプールに2つの聖光学院の生徒4人が着いて5時間くらい経ったところか。2つの聖光学院とは、静岡聖光学院と横浜の聖光学院。兄弟校のことである。昨年、静岡聖光学院は、マレーシアのマレーカレッジで行われた国際サミットに招待された。

★そのとき、日本の教育に危機感を肌身で感じたという。グローバルという意味を実感し、英語で広く深く考え、自らの存在理由を発信し、世界を巻き込んでいく人間力がいかに重要か気づいたという。そこで今年も参加することにしたようだ。

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(写真は静岡聖光学院のサイトから)

★そして、同行した副教頭田代先生は、この世界を一人でも多くの生徒に経験させたいと思い、生徒とともに行動を起こした。学内外で、サミットの様子を発信したりした。今回は、自分の学校だけではなく、兄弟校である横浜の聖光学院もいっしょに参加する。

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★「日本の代表として、我々が学ぶこと、我々が与えられること、そんなことを感じながら、共に未来を創造してこようと思います!」と田代先生は語る。活躍の様子がまた発信されると思う。注目していきたい。

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2019年6月22日 (土)

八雲学園を大きく変えたイエール大学が今年もやってきた!(後編)本物の教育の存在理由

★毎年訪れるイエール(Yale)大学のアカペラグループ≪Whim'n Rhythm≫は、今年5月に同大学を卒業した学生のツアーである。このクラブの伝統であるが、たんなる卒業旅行ではない。米国のアイビーリーグをはじめとする有名大学は、なぜ有名かと言うと、伝統的に世界に影響を与え続けるミッションを遂行しているからだが、今回の世界ツアーもその一環である。

★そして、それが結果的に世界から優秀な頭脳を集める好循環を生んでいる。しかし、目先の自己利益や国益のみを目指したアドミッション活動ではない。もしそうだとしたら、世界から優秀な頭脳は集まらない。日本のトップ大学の東大などは、そういうことを考えないで、大学入試改革を否定する話題をメディアにのっかって行っているぐらいだ。細部は正しくても、大きな問題を解決するための未来を見ない日本独特の見識者集団。ここに私たち日本の限界がある。

★近藤校長は、八雲生にそうなって欲しくない。だから、自分がどこまで世界に挑戦できるのか、実際に中高時代に世界で試行錯誤する機会を創るのである。そして、日本のこの限界を超えて共に世界と歩める社会づくりに貢献して欲しいと思っている。思っているだけではなく、実際にこんなすばらしいイエール大学との国際交流を行う実践拠点を作ってしまったのだ。未来は自分たちで創ってしまえばよいという言葉は、近藤校長の日ごろの言葉でもある。

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★イエール大学の学生と音楽国際交流をするというのは、コンサート当日、決められた演奏出番の時間に八雲生が登場すればいよいというわけではないことは容易に想像がつくだろう。

★このようなイベントを行うには、1年間通して、メールで打ち合わせをしなければならないし、ケベックにRound Squareの国際会議に八雲生が出席する際などには、ニューヘイブン市のイエール大学に立ち寄り、アカペラグループ≪Whim'n Rhythm≫のメンバーと日本ツアーのプログラムについてその魂の共有をしながら打ち合わせるところまでする。

★もちろん、メンバーがイエール大学のキャンパスツアーもしてくれるから、その魂はそのキャンパスに溢れていることに八雲生もすぐに気づくという。

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★そして、コンサート当日、午前中はリハーサルをいっしょに行うのである。

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★このリハをいっしょに行うには、当然英語で緻密に打ち合わせしながら、表情や身振りなど豊かに表現しながら行っていく。

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★これがいかに貴重で強烈な体験かは、想像するに難くないだろう。

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★しかし、実は、≪Whim'n Rhythm≫は、八雲学園に前日に入る。ものすごいタイトなスケジュールにもかかわらず、早朝から遅くまで、八雲生全学年の生徒と交流する。八雲学園も各学年で、日本文化体験、日本料理体験、ディスカッション、部活体験など様々なアクティビティやイベントを用意して歓迎する。

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★≪Whim'n Rhythm≫のメンバーは、疲れた顔一つせず、丁寧にコミュニケーションをとるし、吹奏楽部の演奏にのって歌うその響きはすばらしいし、軽音楽部とロックを歌う時はノリノリだ。

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★一日で、オール八雲生と共感という足場を創っているのだろう。それは、無意識で行っているかというと、そうではない。実はミッション遂行のためのプログラムの一環である。コンサートを成功させるには、ファンづくりをしなくてはならない。そのためには、ハートとハートのビートを合わせる必要がある。それを一日にしてつくりあげるのが、彼女たちのアートのなせる業である。

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★イエール大学をはじめとするアイビースクールなど米国の大学が、世界を変えるイノベーターやリーダーを多く輩出するのは、実はリベラルアーツとアートを大切にする。なぜか?もうおわかりだろう。世界を巻き込むにはこれらの力に勝るものはないからである。

★八雲学園のように、深い思考力(日本語でも英語でも)、リベラルアーツ、アートを大切にしている教育を行っている学校こそが、これから未来を創る学校となろう。どんなんに学力優秀人材を出しても、目先の事しか考えなない、リベラルアーツやアートを軽視する合理的な教育だけの学校では、日本の未来及び子供の未来を背負う人材は生まれない。小さな正義は達成できても、大きな正義は描けない人材ばかりになっては困るが、そういう権威者や見識者がなんと多いことか。

★八雲学園近藤校長は、だから自分たちで未来を拓く豊かでたくまし人間力が育つ教育環境を創り上げたのである。

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八雲学園を大きく変えたイエール大学が今年もやってきた!(前篇)

★6月18日、めぐろパーシモンホールで、八雲学園は、イエール(Yale)大学のアカペラグループ≪Whim'n Rhythm≫と音楽交流コンサートを開いた。この交流会は、今年でもう7年目になる。≪Whim'n Rhythm≫の歌声は、毎年八雲生と響き合い、その響きは八雲の世界を変えてきた。今年もどんな影響を与えたのだろう。

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★7年前に八雲生は、彼女たちに出遭い、そのアカペラの歌声に魅せられた。私たちも英語でイエール大学の生徒と同じレべルで歌いたい。その想いがgleeというミュージカルのサークルを作る動きになった。

★なぜミュージカルかというと、来日したイエール大学の学生の中には、演劇やミュージカルを専攻しているメンバーも多く、歌というものが、身体全体から響いてくることに感動したからだという。今回もすでにブロードウェイに進むメンバーもいるぐらいだ。

★そして、サークルは大人気になり、あっという間に部活動になった。ミュージカルと言うと、いろいろなコスチュームに多様な道具でダイナミックに行われるのだが、今年は、初心に戻り、八雲生もシンプルにアカペラに挑戦。

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★堂々と、イエール大学の学生と“Dog Days Are Over”を歌った。GLEEとは、全米で大ヒットした高校学園ドラマ。すさんだ高校をグリー部という合唱部が輝かしく変貌させていくドラマで、もちろん、その過程で思春期特有のドラマが繰り広げられる。歌あり、ダンスあり、葛藤あり、もちろん、恋ありというわけだから、八雲生のglee部もすぐにヒートアップしたわけだ。

★英語を学ぶには、やはりこういう衝撃がモチベーションを燃やす。なんてファッショナブルで自由な学園なのだろう。

★その学園ドラマは、もちろん数々のヒットソングを生み出すのだが、“Dog Days Are Over ”もその一つだろう。なかなか味のある人生の難しさを悩ましくかつ美しいハーモニーとロックンロールのリズムで盛り上げる。それをアカペラで歌いきるのだから、イエール大学の学生は言うまでもないのが、八雲glee部も相当実力をつけた。

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★そういう姿をナチュラルに楽しそうにのびのびと歌っているのである。すばらしい!と何度心の中で叫んだことか。八雲学園の中に、エスタブリッシュなグローバルネットワークが人知れずシステムとして広がっているわけだ。

★そして、このイエール大学との国際音楽交流が、イエール大学に進む世界の高校生と同レベルになりたいという想いも生み出してしまった。その想いが結実したのが、Round Squareへの加盟である。このRSという世界のエスタブリッシュ私立高校のコミュニティからは、イエール大学をはじめとする世界トップ大学に多くの生徒が進む。

★八雲学園は、その環境にジョイントするために、3年間審査を受けた。それには英語力を破格にしなければならなかった。9か月留学プログラムを創って実行したり、エッセイライティングやディスカッションを積み重ね、模擬国連にも挑戦し、英語で深い思考と表現ができるようになるためのトレーニングンを徹底した。

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★加盟するには、一握りの生徒がそうなるだけではだめで、全校生がそこに立ち臨む必要がある。しかも、世界の学校は共学校がほとんどだから、交流を進めていくと、海外からの男子生徒も受け入れる環境も整えなければならない。

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★つまり、イエール大学と出会ってからの7年間は、八雲学園にとって共学化になるなど大きな自己変容の過程だったのである。

★当然、頭角をあらわす生徒もたくさんでてきた。Yale大学の同窓会が、世界各地の高校生の中から学業と人物に優れた者を表彰する『Yale Book Award』を受賞する生徒も毎年現れるようになったのである。

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★イエール大学の学生によると、イエール大学を選んだ理由は、アートコミュニティに感銘を受けたからとか、演劇に興味があったからとか、プロジェクトを協力して創り上げようとする意欲がすばらしいからとか、世界の著名な教授や有名なアーティストと歌う機会が多いからだという。

★分子生物学や電子工学を専攻している学生は、サイエンスを学ぶだけではなく、リベラルアーツも欠かせないからだと。

★そして、全員に共通する理由は、イエール大学は情熱であふれているということだった。

★YakumoとYale。2つのYは、教育の総合力と情熱という点で響き合う。運命的出会いは必然だったのかもしれない。

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2019年6月21日 (金)

英語改革の迷走?日本国家の政治経済政策が迷走しているのではないか?

★Wedge7月号で「英語改革の迷走」という特集が組まれている。中身は新しいものは何もない。うんざりするほど同じ話が掲載されている。

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★この類のテーマになると、民間試験は公平性が担保されないとかいう話が必ず出てくる。家庭による収入格差があるから問題だとか言うお話も。ちょっと考えようよ。その格差を生んでいるのは、グローバリゼーションの片方の側面である闇を生んでいる、日本国家の行政政策に問題があるのだろうが。グローバルなスタンダードに対応できない文科省の政策にあるのだろうが。格差を生んでいるのは、それを主張している東大も加担しているのではないか。

★自分だけは、東大や官僚の中で正しいことをやっている。学問の自治で保障されているのだと無責任な主張はいい加減にしてほしい。

★何が根源的な問題を考えよだ。根源的問題は、このままの教育だとよけい格差が生まれる日本社会になるということだろう。

★だからといって、大学入試制度が変われば英語教育も変わるというのを大真面目に語られても、教育とはそんなものでよいのかと思うのはおかしいだろうか。

★しまいには、英語の前に日本語で思考できることが大事で、4技能を学ぶだけでは、真の意味でのコミュニケーション能力は養えないと、およそ馬鹿げたことをいっている。日本語でだって真の意味のコミュニケーション能力が育ったことがあるだろうか。

★第一、思考力は日本語に限定されるのではないはずである。

★高校生は、とにかく国や知識人が言っていることを鵜呑みにしないで、自分で判断して欲しい。英語の勉強はインターネットの世界でやろうと思えば、いくらでもできる。格差なんて吹き飛ばせるのだ。

★たしかに、制度上明示されていない部分がまだあるし、バラツキもあって、困ってしまう場合もあるが、単純に英語力を4技能全部で学ぶことは必要なのである。バランスよくとは、すべて同じレベルで得意になるというコトではない。4技能を総合的に学んだほうがよいが、読解力だけが飛びぬけていてもよいわけだ。

★英語ができない私が、居直って英語なんてと不要と言っているのではない。むしろ、英語ができなければ、仕事ができないよと言っているのだ。大企業でも外資系に務めているわけでもない私でも英語を使わない日はない。

★経済世界や政治世界ではなく、生活世界でも、いや生活世界でこそ英語は必要だ。しかも簡単な英会話ではなく、かなり突っ込んだ話を英語でしなければならない。その時は、グーグル翻訳に頼むことにしている。しかし、それはロスタイムも多く、グーグル翻訳君の言語能力が直接自分にも備わっているよいと常々思っている。

★真のコミュニケーション能力が身に着くかどうかは、結果ではない。いまここで、真のコミュニケーション能力を発揮しなければ、どうしようもないのである。そんな先送りをいつまでしているつもりなのだ。そんなことだから、あえて外国の方とのコミュニケーションを避ける。それで、英語がなくても日本にいれば生活ができるとまことしやかなことを言っているに過ぎない。

★本当は、日本人とコミュニケーションとりたい外国の方はいまここにたくさんいるのだ。それを見ないようにしている日本人がまだまだ多い。

★あまりに英語の必要性を自己都合でとらえているのが日本の識者である。世界におけるコミュニケーション格差がどんどん開いていく社会。社会は対話の有機的なシステムによって成り立ているから、そんな格差が広がる日本社会のシステムは実に自己閉鎖的にならざるを得ない。

★この道に進めと民間英語試験を拒否している識者たちは主張しているのだ。おかしいのは、どちらなのか。

 

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希望の国のエクソダスの時代?(1)

★21世紀前夜、村上龍さんの「希望の国のエクソダス」が世に出て、衝撃的だったのを記憶している。最近出遭う中高生の中には、ポンちゃんに似た心性の人物がいて、おっ!これはと思う。もちろん、ポンちゃんのようにエクソダスを試みるというより、大人の世界と中高生の世界のこれまでの格差やギャップをフラット化し、新しいバランスを生みだそうという戦略上の違いはある。

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★しかし、そのギャップに何か課題を感じ、解決しようというアクションをしているところは、同じ心性だろう。このような中高生の存在の実態は、データ上はわからない。しかし、実態はかなりの人数がいるのではないか。

★大学入試改革や学習指導要領の改訂は、ここを無視している可能性がある。ときどき注目されるが、それはむしろレアケースで凄いという発信の仕方によって、このような事態は当たり前ではなく、特別なのだという幻想を蔓延させている可能性がある。

★あらゆる、日本の課題山積の事態を、この希望の国のエクソダスの側からみたら、まったく旧態依然としたやはり中高生がエクソダスしたくなるような課題解決策だらけということはあるのではないだろうか。

★しかし、どうしてこういう中高生のダイナミックな動きの兆しが生まれてきたのだろう。グローバリゼーションやネオリベラリズム、ポピュリズム、再帰的近代化、社会の個人化、シリコンバレー化などの複雑な矛盾だらけのシステム融合が、生み出したものであろうことは、たぶん誰でもわかるだろうが、その新しい生成は、どのような考え方で捉え直せばよいのだろうか。

★この方法論は、現状の社会学や政治経済学、国際関係学、情報科学、心理学、哲学、教育学などではとらえられない動きである。ここをどうとらえるか、その足場や立ち位置はどこにあるのか?

★誰と議論すればよいのか?おそらく中高生と対話する以外にないのだろう。大人や教育評論家からみた教育論はすべて役に立たないと捨てたほうが良いだろう。極端かもしれないが、その仮説から出発するしか突破口は出現してくれないような気がする昨今である。

★なお、このエッセイは、そういうわけで、特定の誰かに語りかけているものではない。新しい何かを求めて自分の想いをメモとして書き込んでいるだけである。

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2019年6月20日 (木)

工学院 保健体育が20世紀社会が失いかけた「生活世界」を取り戻す。

★工学院の保健体育はおもしろい。以前柴谷先生の授業を見学した際にも感じたが、今回濱崎先生の中2の保健体育の授業を見学したその想いは確信に変わった。

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★人間の生活世界である環境は、身体脳神経系全体に影響するし、人間の身体脳神経系全体は開放系であるために、環境に配慮する視点は大切。したがって、濱崎先生は、その視点を身近な生徒自身の生活世界の1つ、自分の教室から思い巡らすトリガークエスチョンを出した。気づいたコトをロイロノートでどんどん共有していった。

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★そしてその足場作りができると、3人チームをつくり、どのチームにもそれぞれ違うシチュエーションが設定された環境のクエスチョンが提供された。各チームは、その生活環境の状況を<解釈>し、問題を発見して、快適な環境をどう作っていくのか議論した。このクエスチョンの作り方は、東大の帰国生入試の小論文問題と同構造だった。

★さて、そこで普通はいよいよプレゼンテーションになるのだが、濱崎先生は、そこにさらなる創意工夫を加えた。

★各チームがプレゼンするはずのマナボードをシャッフルしたのである。つまり、他のチームが創ったプレゼンテーションの作品を再解釈して、さらにブラッシュアップするいくつかの視点を付け加えて発表するのだ。

★これは実に大胆なプログラムだ。クラスのメンバー同士が相当信頼関係を形成していなければできない。自分の意見にこだわり、他者の視点を取り入れることを拒否することもあり得るはずだからだ。

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★もちろん、濱崎先生は、日ごろの生徒の様子を非常によく観察していて、このプログラムが有効かどうか判断するのはかなり吟味したという。そして、思い切ってやってみて、今はよかったと思うと。

★これは≪アイデンティティ≫とか≪自分軸≫とか言われてきた教育言説の概念を思い切り転換する行為でもある。「自分へのこだわり」を形成して個人化された人間が、相互主観で形成される生活世界から離れてしまったのを、再びそこに人間を立ち戻らせる学びを工学院の保健体育はデザインしているのかもしれない。

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★そんなことを思い浮かべながら濱崎先生の授業を見終わって帰途についた。しばらく歩くと、次の時間の授業が始まっていた。そして、ふとその教室をドアから眺めると、工学院のヘルス&メンタルマネージメントをしている安芸先生による保険体育の授業が開始していた。

★やはり、PBL型授業が進行していた。テーマも、生活世界におけるヘルスに関する問題。

★工学院の保健体育の授業は相互主観性の信頼性をベースにする生活世界を生徒共に取り戻す大切な教育を生み出しているのではないだろうか。

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工学院 知識創造のシミュレーション 暗記しない知識

★工学院の中村先生の中1の理科の授業を拝見した。シダ類とコケ類の共通点や違い、他の植物にはない魅力について調べてプレゼンする授業だったが、調べてただプレゼンするわけではない。

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★「魅力」とあえて硬い理科的な考え方とは対峙する表現を使ったのは、調べた事柄を「ポスター」に表現する作業をまずしたからだろう。シダ類とコケ類を調べるグループを大きく2つに分けて、さらにチームにわかれて調べてポスターにしていく。

★シダ類を調べるグループは、コケ類を調べない。逆もまた然り。なぜそんなことをしたかというと、情報を有している方が情報を有していない相手に教えるというペアワークをするためだ。

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★そして、プレゼンして情報共有した後、もっとこういうことを調べた方が良いとか、ポスターのデザインはここの工夫が必要だとかリフレクションやフィードバックを行う。

★シダ類とコケ類の違いや共通点はテキストに書いてあるし、そのページを暗記すればすぐに終わるではないかと硬い理科的な考え方をする方はすぐに思うだろう。しかし、中村先生のように柔らかい理科的な考え方をする先生は、暗記ということをあまりしない。

★しかし、知識は大切なのだ。では暗記しない知識とはどういう意味があるのだろう。

★授業終了後、中村先生と少し対話をしたが、やはり知識に対する考え方が、硬い理科的な考え方とは違い柔らかいのである。中学生にとっての理科の知識と私たち大人の理科の知識とでは、未知と既知の違いがある。

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★大人も新しい事象や現象に直面した時、それを知ることによって新しい知識を体得するし、場合によっては新しい知識を創造する。

★中学生にとって、大人にとって既知のモノでも、未知である場合、まさにその知識創造と同じ過程をたどるのではないか。こうすることで、知識を、名称の部分だけではなく、その背景にある知識の有機的な諸関係として丸ごとゲットできるという。

★今後、工学院にとって、知識とはこのような知識創造のシミュレーションとして位置づけられるかもしれない。

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工学院 もう一つのSTEAM

★工学院のベッキー先生のハイブリッドサイエンスの授業がファッショナブルである。私たちが、太陽からゲットするエネルギー量を測る授業を拝見した。

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★生徒は、まず紙とアルミホイルで、「太陽ロウト」を作り始めた。オールイングリッシュで行われているし、日本人の先生がアシスタントでついているわけではないので、細かいことは生徒に尋ねながら見学した。

★「太陽ロウト」で太陽光を集めて水を温める装置を作っているというのだ。なんておもしろい発想だろう。教務主任の田中歩先生も見学しに来ていて、「本間さん、これが工学院のもう一つのSTEAMですよ」と教えてくれた。どういうことかと少し考えながら見学していると、なるほどなあと。

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★実験装置を考案するというのは、ある意味テクノロジーを創るというコトだし、時間と温度の関係のデータを集めることはリサーチであり、そのあとエネルギーの関数に入れてエネルギー量に変換していくというこの全体システムの考案はエンジニアリングであり、数学であるが、この身近なものを装置に変容させるアイデアはたしかにアートである。

★この一連の行為に、科学的な要素、テクノロジー的な要素、エンジニアリング的な要素、アート的な要素、数学的な要素が統合されているサイエンス授業はたしかにSTEAMの基礎的な思考様式を学ぶことができる。

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★工学院のSTEAMというと図書館など複数個所に開設されているFAB Labスペースで、3Dプリンターで制作物をつくることだと思いがちだが、基礎的な考え方は授業の中でも行われる必要がある。創る行為と考える行為のカップリングがなされているのが工学院のSTEAMであり、それがしっかり実践されているのに感動したが、それがさらにオールイングリッシュで行われているのに驚きが走った。もちろん、ハイブリッドサイエンスコースの話であり、ハイブリッドインターコースの話ではないのである。

★授業を見学したのだから、フィードバックをするのは、礼儀なので、グーグル翻訳で次のように英語にしてメッセージをおくった。

≪It is a wonderful lesson to find out the energy in nature and verify it with formulas through creating a simulation device. It is a lesson design that contains all the thinking skills.≫

★もはやアレクサは欠かせない時代だ。

 

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2019年6月19日 (水)

どの立ち位置で思考し対話するか?

★かつて大学院生だったころ、大学は違ったけれど、上智大学のホセ・ヨンパルト教授に思考トレーニングを受けた。マスター終了後、博士後期に進まずに(いや進めずに^^;)、新しい道はないか模索していたころ、Nという塾に出遭った。塾とぃう立ち位置で内部から世界を変えることもありかなと、ホセ・ヨンパルト教授にこんな道見つけましたよと報告がてら対話しに行った。

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★静かな祈りの空間のクルトゥルハイムで、やあやあ久しぶりと大歓迎を受けたが、塾の話をするや、怒りの形相になった。なぜ、そこから発信しなければならないのか、どんなにそこで論じても、世界を変えるどころか、現状の闇を強化するだけだ。後悔するから、必ず戻ってこい。

★ギリギリ必要悪として、君の道を認めたとしても、その境界線を君が踏み越えるのは極めて残念だと普遍的父親として言っておくと。

★心の中で、やはり学者は世の中の事をわかっていないし、そうはいっても自然法論では社会は変えられないじゃないかと思ったが、必要悪なら神様もその存在を認めているし、もしかしたら神の計画だからいけるところまで行ってみますと。

★すると、神の計画を持ち出してはいけない。自由意志なのだから、君が決めたことだ。戻ってきたらまた会おうと一応握手をして別れた。その握手は結構強く温かいものだったから、言葉と行いのギャップを今も覚えている。

★教授は他界したから結局再会は果たせなかったが、今なら会ってくれただろうか?相変わらず二足の草鞋だねと普遍的父親のメッセージをもらうだろうか。ただ、どのポジショニングで考えるかが大事であることは、今かなり了解している。

★結局自分の想いは、関係によって変換されてしまうのである。自分の想いを果たせる関係を創れる場が大切であると実感している今日この頃である。

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三田国際 Apple Distinguished Schoolとしてのミッション(後編)

★ワークショップは大きく分けて2つだった。1つは、Appleのアプリを実際に活用して、創作するlearning by creatingだった。もう一つは、振り返りワークショップだったが、ただの振り返りではなく、気づきが創造性を生み出すという趣旨のものだった。

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★まずはミュージック制作グループとドローイングするグループとに分かれた。そして、各グループ、参加した先生方がさらにチームに分かれて作業に取り掛かった。

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★三田国際の先生方がテクニカルな説明をし、生徒のみなさんが、そのスキルアシスタントになって、参加した先生方がアプリを操作するサポートをした。

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★同校の先生方と生徒は、ふだんの授業で行っていることなので、まったく自然体でワークショップを進めていた。参加された先生方もかなりMac派がいたから、場はとても和んだ感じで、好奇心で満ち満ちていた。もはや教える人教わる人という従来の教室空間ではありえない景色が広がっていた。未来の教室というのはこんな感じだろう。

★もっとも、三田国際はいまここに、すでに未来が訪れてしまっているが。

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★そして、最後に再び、城野先生が登場し、振り返りワークショップのコーチを行った。時間もなかったので、ファシリテーターはあえて選択しなかったのだろう。あらかじめ用意した問いのハンドアウトに書き込みながらチームで対話していくというワークショップ。自分を見つめ、他者からフィードバックをもらいながら、気づきがどんどんあふれでていくという過程の中で、発想のビッグバンが起こるという流れ。

★自分を自分と他者と協力してダウンロードイングして言語化していくと、気づきの発火点に行き着く(プレゼンシング)。するとそこから創造性が生まれてくるという、簡易U理論の実践版みたいな感じだった。

★センゲの学習する組織やオットシャーマーのU理論など、本当によく学習理論や創発理論を研究し、実践に活かしている。田中潤教頭のみがそういうことを行い、先生方にシェアしていると思ってきたが、それは完全に間違っていた。先生方も生徒の皆さんも理論と実践と創造を日々営んでいる知の集積場が三田国際だったのである。そう改めて感じ入った。

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【未来を創る学校15】聖学院に集結するジェネレーター 児浦先生と山口由人くんと会って感じたこと

★聖学院の児浦先生と「未来を創る学校フォーラム」の打ち合わせに訪問。今回は、21世紀型教育機構の加盟校の先生方のスピーチと生徒と教師が「未来を創る学校の可能性」について語り合うBarazaの螺旋ストーリーで構成される。

★21世紀型教育機構は、「ゴールデンルールにのっとり、グローバルゴールズを解決できるグローバルシチズンとしてのジェネレーターを育成するクリエイティブスクールを応援する。」というビジョンを共有している。やたらカタカナが多いが、日本語ばかりにすると、どうもしっくりこない。

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★ともあれ、加盟校は、一握りの生徒だけが才能者になればよいのではなく、みんな才能者になれるし、世界中の人が、憲法14条じゃあないけれど、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されることなく、みんな創造的才能者になれるのだという教育ビジョンをもっている。

★それを達成すべく、プロジェクト型のPBL授業を行い、生徒1人ひとりが対話によってインスパイア―するチャンスをつくっていく学びの環境を創っている。しかし、まだまだ教師と生徒の間に壁があり、その壁を崩して、共に新しい知識や思考や技術を創造していくということになってはいない。

★そこで、機構は、今年21世紀型教育研究センターを発足し、児浦先生を中心に生徒を子ども扱いするのではなく、地球市民として共に世界を創っていくジェネレーター集団になろうという挑戦をしていくことにした。

★その準備が、先月富士見丘で行われた「グローバル教育カウンシル」から始まり、今回は順天の理軒館で開催する「未来を創る学校フォーラム」だ。

★その打ち合わせに聖学院を訪問したわけだが、そこで同校の中3山口由人くんを紹介された。彼のビジョンは、中高生とおとなの境目を取っ払い、共に社会を世界を未来を創っていくことで、SDGsなどもイベントで終わらせるのではなく、各学校の取り組みをつなげてアクションに移行する活動をすでにしている。

★中高生クリエイターと組んで、ポスターデザインやウェブサイトのデザインも将来起業したいということだ。というよりも、すでに起業しているメンバーはたくさんいるから、今後コラボの和は広がるという。私の事務所も仕事としてきちんと注文することにした。

★とにかく、山口由人くんは、大学も日本にこだわらず、自分の実現したい知や技術を研究できる大学が海外にあるのなら、挑戦したいと。目の前の試験より未来の大きな問題に目を向けることを忘れてはいけないという信念の持ち主で、聖学院は、こういうやりたいことができる環境にあり、ありがたいと。

★山口由人くんは、学生団体SustainableGame代表として、≪私たちの団体が天才バンクとコラボして、6月30日12:30から東京日本橋タワーにて「第一回課題発見DAY」というイベントを開催≫するという。日本橋周辺でフィールドワークを行いながら課題を見つけ、その課題の解決方法を大学生と一緒に考え、企業にプレゼンし、イベントだけで終わらせず持続的にアクションの実現を目指すというのである。

★今回フォーラムをやる必然性がまさに聖学院にあったのだという確信を得た。山口由人くんは、大きなムーブメントを生み出すだろう。21世紀型教育機構の加盟校との相乗効果も生まれることを大いに期待したい。

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2019年6月18日 (火)

全く新しいフレームを創るために 石川一郎×鈴木裕之×本間勇人のクレイジーコミュニティ≪TFR≫を求めて!

★2020年大学入試改革はいよいよやってきた。この大学入試改革をリサーチし本を執筆・編集したきた3人が久々に飲み明かした。そして、やはり日本から見ている改革では、日本は変わらないというのはわかってはいたけれど、改めて確認をした。

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★だから、今業界で固執されているPISAだとか、大学入学共通テストだとか、AO入試だとか、探究の学習の時間だとか、主体的で・対話的で深い学びという日本流儀の制度をいったんないものとして何が普遍的に残るのか考察してみることにした。

★今の日本の大学の学問ですら、ないものとして、その代わりに何がありうるのか考えることにしてみた。

★つまり、これらすべては、未来を語りながら、結局は自己利益以外の何物でもなく、普遍的な世界市民的な見地で考えられているものはないとラディカルに仮説を立ててみた。

★すると、これらのまやかしの化粧を剥いでみると、そこに残る自然体というか本質は、「対話」しか残ろないことに気づいたのだ。

★大学入試改革から考えればよい市場はもちろん厳然としてあるし、それはそれでよいと思うが、石川一郎×鈴木裕之×本間勇人は、普遍的な対話という存在理由から考えることにした。そこから、教育を組み立てなおしてみようと、それは森の道を行くようなものであるかもしれないから、とりあえずTeam Forest Roadとしておこう。

★世界的見地からみた教育とは何か?その存在理由ははっきりしているので、何を創るかが最重要な今日この頃である。もっとも世界的見地だけではまだ、真理が曇っているかもしれない。しかし、日本から見ているものほど曇ってはいまい。

★TFRは、20人くらいでコラボしていく。年内にお披露目したいと考えている。そのときの名称はTFRではない。TFRという名称は、そこにたどりつくまでの道行の名づけに過ぎない。

★いったいどうなるのか?それはわからない。とにかく、いったん中学受験業界の3種の神器、教育産業の三種の神器と呼ばれているネットワーク以外と組み立てようと。そうしないと市場が新しくならない。市場が新しくならないと対話の質が変わらない。変わろうとか変えようとかいいながら、フレームを変えないという自己欺瞞と厳しく対決していく自己内省から始めたいと思っている。

★私たちが考える≪対話≫は哲学的対話ではない。ジェネレーターとしての新しい市民としての対話のことを示唆する。

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三田国際 Apple Distinguished Schoolとしてのミッション(前編)

★先日、三田国際で≪Everyone Can Create ワークショプ≫が開催された。同校は、ADS(Apple Distinguished School)認定校であるから、世界中の先進的教育校を視察し、帰国後その教育内容などをADS関係校のみならず広くシェアするミッションを毎年果たしている。今回もその一環。

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★ただ、いつもと違ったのは、同校の田中潤教頭が総合司会として完全にコーディネート側に立ち、若手先生と生徒にプレゼンやワークショップのファシリテーター役をエンパワーメント(委譲)していたのである。

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★カナダのブリティッシュコロンビア州のバンクーバーにある、Seycobe Secondary SchoolとYennadon Elementary Schoolの授業デザインとルーブリックの意味について、城野先生からプレゼンがあったが、たしかにパフォーマンスラーンングプログラム(PLP)とインクワイリーベーストラーニング(EBL)の話は興味深かった。

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★また、ルーブリックの項目立て方やその各項目の3ステップトランスフォーメンションの考え方の背景には、イノベーションと言えども、きちんとピアジェの系譜の構成主義的考え方や認知科学の成果が根付いているという点も了解でき、私たち日本人が今取り組んでいるPBLもちゃんとその世界標準に適合しているという確認もできた。

★それにしても、三田国際は、田中潤教頭に続く力のある先生方の層が厚いと感心しないではいられなかった。

★城野先生のプレゼンの後は、カナダの視察に同行した他校の先生方も登壇し、パネルディスかションがあった。各校の取り組みの夢と現実のギャップが生々しく語られ、そのリアリティに会場は熱くなり、盛り上がった。

★そして、ワークショップに移ったのだが、これがまた強烈だった。

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2019年6月17日 (月)

聖パウロ学園の全く新しいグローバル教育 パウロの森でシカゴの生徒と対話する。

★イリノイ州のシカゴの都会にあるロックポートタウンハイスクールで日本語を学ぶ生徒が、聖パウロ学園を訪問した。彼らは関空から日本に入り、大阪、京都を巡って、ツアーのハイライトは、聖パウロだったという。生徒たちは、同校で友人に会うのをとても楽しみにしていたという。

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★少し早く着いたロックポートタウンハイスクールの生徒は、ちょうど友人たちが受けている現代文の授業を見学するところからはじまった。自分たちが学んでいる日本語がどこまで通じているか少し緊張したかもしれない。

 

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★しかし、授業終了後のウェルカムセレモニーでは、聖パウロ学園一のムードメーカーの生徒が、英語でスピーチし、おまけに一発芸の手品を披露。ロックポートタウンの高校生も巻き込みながら、場は一気にいい雰囲気になった。ロックポートタウンの生徒も日本語でスピーチし、英語中心の国際交流とは全く違う雰囲気だった。

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★そして、とにかく初顔合わせ。日本語と英語で対話がはじまった。

★いったいどういうことかというと、1年前からこの時のための準備がなされていたのである。両校はSchoologyというオンラインの教育コミュニティで出遭った。ものすごい数の世界の学校が会員になっていて、オンライン上で、国際交流を行っているボーディングなのである。

★聖パウロ学園のコーディネーターは大久保先生。英語科主任で研修部部長でもあるため、グローバル教育の新しいプログラムのデザインを試みている中の1つがこれだった。

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★ロックポートタウン高校の日本語を勉強しているクラス担当の教師とネットでディスカッションしながら、プログラムデザインを実行してきた。

★したがって、この国際交流は、もちろん学校組織の承認は得ているものの、授業の中で生まれた国際交流のなのである。とにかくカジュアル。生徒がもっとも興味と関心のある互いの文化についての対話が中心の国際交流なのだ。その対話の内容は、もちろんサブカルチャーが中心。本当に生きた国際交流だ。

★そして、生徒たちはいっしょに高尾の森にのぼって行った。ちょっとしたハイキングなのだが、もちろん、聖パウロ学園の敷地内で、パウロの森と呼ばれている。シカゴからやってきたロックポートタウン高校の生徒がどんなに驚いたかは、想像に難くないだろう。

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★パウロの森の入口には、馬術の練習場が広がっている。聖パウロの馬術部はいつも優勝しているくらいレベルが高い。馬術部がある高校は米国ではエスタブリッシュスクールであるから、何ゆえにこの小さき森の学校にこんな環境があるのかと驚いたであろう。

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★そして、パウロの森に着くや、森林浴をしながら、大いに対話した。こんなに多くの外国の高校生が日本語を学んでいて、日本人生徒と互いの言語を交わしながら対話をしている姿は、他校ではなかなか見られない。

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★国際交流と言えば、科学や世界問題というテーマを前提とし、しかもオールイングリッシュでなければならないという日本からみたグローバル教育が主流だが、大久保先生は海外大学に留学していたから、世界から見た日本のグローバル教育の在り方を常に考えている。日本人同士の友人がたしかに世界問題について話し合うこともあるだろうが、四六時中話し合うことはない。

★むしろ、自分たちの好きなことについて対話するのがおもしろいし、ナチュラルだ。それには、毎日のようにリアルな付き合いが必要だが、それをオンラインが実現に導いたのである。

★海外で多様な留学生同士の会話がそのまま英語の授業に反映するという新しい国際交流が、聖パウロ学園では行われているのである。

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2019年6月15日 (土)

【未来を創る学校14】八雲学園 多様かつグローバルな経験が才能を開く理由

★今や八雲学園があのRS(Round Square)の加盟校であること及びその重要性に注目するメディア関係者も多くなった。このRSの加盟校になるというコトは、IDEALSという理念と同じ理念を八雲学園が共有しエチルからというコトがある。IDEALSを創っていったから加盟校になったというより、もともともっているから、どうぞということだろう。

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(生徒が前のめりになる授業)

★そして、なによりその理念を実現していく探究プログラムという学びの旅をすることによって、生徒は12能力を発見し、身につけていく。

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★その12の能力が、上記のすてきなイラストに刻まれている。これはRSのサイトに掲載されている。

inquisitiveness

tenacity

courage

compassion

inventiveness

ability to solve problem

self-awareness

sense of responsibility

appreciation of diversity

commitment to sustainability

communication

team-working skills

(探究心、粘り強さ、勇気、思いやり、創意工夫、問題解決能力、自己への気づき、責任感、多様性の理解、持続可能性への取り組み、コミュニケーション、チームワークのスキル)

★おそらくこれは、IBの10の学習者像にも通じる。まさにグローバル人材の中核の魚力である。

★しかしながら、これは、多くの経験をすれば、誰もが発見でき、体得できる能力化というと、そうは話はうまくいかないのは、想像に難くないだろう。

★では、どうして八雲の生徒は、体得できるのだろう。

★その理由は、ミニ説明会と同時開催の体験授業を見学した時に気づいた。それは「教師の才能媒体力」だ。私が見学したのは理科の実験だった。ちょうど液体窒素をつくった多様な現象発生の実験をしていた。どんどん新たな現象が生まれ、そのたびに生徒は驚き、間髪にいれずに、「どうしてこうなったと思う?」「今度はさっきの現象とどう違う?」「それはなぜ?」そして、「そうそう」「いいねえ」「よく気づいたね」と現象の驚きと法則の発見の喜びが実験室の空間を舞う。

★ああ、これだ。好奇心、開放的精神、なぜだろうという3つの要素が創り出す内発的モチベーションがあふれ出る授業。教師は子供たちの才能が触発される触媒の仕掛けを創意空しているのである。

★こういう思考がどんどん生まれて成長する環境設定が実に巧い。これがいわゆるGrowth Mindsetということなのだろう。八雲学園の多彩な体験による才能開花のねっこには、このGrowth Mindsetを仕掛ける教師がいる。

 

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かえつ有明 思考力入試とダライ・ラマ

7月7日、かえつ有明で、<教育者向けプログラム「教育者が自分自身を癒すために」>という集会が開催される。

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★講師は、Dr. バリー・カーズィン(Barry Kerzin MD)。大学教授で、チベット仏教僧侶で、ダライ・ラマ法王第14世の医師である。当日は、日本語通訳付だそうだ。

★そして、登壇者は、我らが佐野和之先生(かえつ有明高校 副教頭)、金井達亮先生(東京大学大学院 教育学研究科/前かえつ有明教諭で、プロジェクト科創設メンバー)。

★この教育者向けプログラムについて、ヒューマンバリュー総合研究所の教育者向けプログラム企画チームの大木理恵子先生(かえつ有明国語科教諭)は、同研究所のfacebookでこう述べている。じつにストーリーラインが美しい文章なので、全文を転載させていただく。

≪「うまくいかないのは、自分の力不足、努力不足のせい」と自分にダメ出しをし続け、がんじがらめになっていたときに、バリー先生の講座に参加し、初めてマインドフルネスを体験しました。


「教師に必要なのは、まず自分自身をケアし、心の傷を自らの手で癒し、自分を縛っているネガティブなものから解放してあげること」と語られたバリー先生の言葉を聞いたとき、自然に肩の力が抜け、あたたかいもので満たされていくのを感じました。容易に解決できない事態が日々次から次へと押し寄せる教育の現場で、刃を自分の内側に向け心にたくさんの傷をつくってしまっている教員の方々が多いのではないでしょうか。


それまでの私も「生徒のため」という言葉の前に、自らの心を置き去りにし、多くの傷に気づかないふりをして、ただひたすら走っていました。でもそれが、本当に彼らのためになったのかはわかりません。なぜなら、彼らのためにと思って行動を起こせば起こすほど、自分に対する自信は損なわれていったように感じられたからです。バリー先生に出会い、徒らに自分を見下したり、傷を放置して他者に貢献したりするのではなく、マインドフルな自分として健全な自信を取り戻すことが周囲に良い影響を与え、豊かな学びの場を創っていくことにつながると、実践を通して学ぶことができました。


バリー先生の澄んだ眼差しと柔らかな声に包まれ、内なる平和を体感できる静謐な時間。私にとって非常に貴重な時間です。そんな空間の中で、みなさまと共に学び、語り合い、生徒たち一人ひとりが輝ける教室の実現を目指していきたいと思っています。≫

★かえつ有明が、人気校であり、その思考力入試が信頼されているのは、このように教師のセルフ・コンパッションと何もできないけれど、他者へのコンパッションという2つの原理によって生成されているマインドフルネスが充満しているからだ。

★一方で、2019年6月9日、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のTwitterアカウントが1本の動画を公開。そこでダライ・ラマ法王は、こう語っている。

「究極の幸せや喜びは、思考によってのみ得られるのです。そして、宗教への信仰心から得られるものでもないのです。信仰するのではなく、考えなければなりません。我々人間の頭脳を使い、科学的に考えなければなりません。神様や仏様に祈る必要はないのです。」

★エッ!!~!!!と思った方も多いと思う。古今東西の真の宗教者は、実は人間は考える葦であることを語るわけである。であるからこそ、物心崇拝や物象化への警鐘を鳴らしているわけだ。コモディティ化というのは、彼らにとっては物象崇拝である。かえつ有明の思考力入試が重要なのは、このコンパッションという内なる「思」いが「考」えを生み出す意味で、「思考力」を活用するところにある。

★まさに、それは、J.J.ルソーの「自己保存」と「憐憫の情」の2つの原理で成立している自然状態である。もっとも、ルソーは「自然状態」は長続きしないから、いったんすべてをすてて「全体意思」ではなく「一般意思」に従うことを市民が約束する社会契約を結ばざるを得ないとなる。

★しかし、ルソーの系譜のカントは、自然状態を物自体として、不可知の世界においやったり、ピアジェのように幼児期の非認知的能力に位置づけたりして自然状態の発想のアップデートが、数多くの人になされてきたし、今もなされている。

★≪私学の系譜≫も、そうであるが、自然状態は、建学の精神とし、社会の現実対応を中心として教育は実践されてきた。この建学の精神と社会の現実のギャップを近づけようとするのか、ほどよい距離をとろうとするのか、まったく無視するのか、完全一致させるのかで、私学のタイプは4つに分かれる。これは2018年10月17日に、本ブログに書き込んだ。詳しくはそちらを読んでいただくことにして、そのとき活用した座標をもう一度みてみたい。

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★この4つのタイプは、まさにその通りになったのではないだろうか。かえつ有明は、ダライ・ラマ型学校なのである。ルソーの自然状態を、容易に解決することができない事態が次から次へと現れる社会状態を生きる人間の内面にコンパッションという「思」いに変換し、自らどう生きるのか「考」える葦となるわけである。

★そして、葦は独り生息するのではない。その群生の光景は感動的だ。かえつ有明という共同体は、教師も生徒もコンパッションから生まれるシンキングを大事にしている唯一無二の学校なのだ。

 

 

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2019年6月14日 (金)

天才教育改革者「高橋博先生」本を執筆。民間校長の先駆けから5校を希望の学校に変える。

★高橋博先生といえば、知る人ぞ知る≪天才教育改革者≫である。4校のカトリック学校を希望の学校へと変え、その教育に憧れて多くの生徒が集まるようになった。今、5校目の京都のノートルダム女学院を再び希望の学校とするべく未来の学校創りに着手している。そして、シリコンバレーで活躍するお子さんを育て、多くの孫に囲まれながら、奥様と家庭での豊かな教育もつくりあげてきた。

★その誰にもまねのできない世界的視野と経営的手腕の実績を通して、これから最も必要であり、SDGsでも取り上げられている「女の子の教育」についての本≪父親が知らないとマズイ 「女の子」の育て方 秀和システム2019/6/28≫を出版。予約受け受け中である。

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★1校目は、聖パウロ学園高等学校(東京)の改革。 民間より校長就任、まさに民間校長の先駆け的存在なのである。のち理事長として今も継続して、先生方のイノベーションが生まれる対話を中心とした教育環境をサポートしている。

★ザベリオ学園幼小中高(福島) 理事長として学校改革し、右肩上がりの学校にした。

★聖母被昇天学院(大阪) 副理事長として21世紀型教育改革で再び不死鳥のように蘇らせた。小中高一貫の理想的な共学一貫校を生みだした。今も支援し続けている。

★聖母女学院(大阪) 常任理事として、そのグループ校である香里ヌヴェール学院を改革。大成功に導いた。石川一郎先生も学院長として協力。校長を公募するという驚くべき発想により、今春新しい最年少校長の就任を実行。それを見守って、理事を去るも、何かあれば駆けつけるパッションを燃やし続けている。

★そして、今ノートルダム女学院(京都) 常勤理事として教育改革に乗り出し、日本の文化の要である京都ならではの驚くような構想を練り、着々と進めている。

★どうして、今まで広く知られていなかったかというと、高橋先生は、教育コンサルタントではなく、学校の教育に心身を捧げるミッションで動いてきたからだ。

★コンサルタントや教育ジャーナリストは、まず自分が一番である。自分をPRするのが当然のルーチンである。しかし、高橋博先生は、自分ではなく学校を広報する。そしてなにより生徒の学びの環境を形成することに尽力する。

★だから、世の中は、教育ジャーナリストや教育産業によって、教育を片面的にしか見ることしかできない。すなわち、本物の教育に触れるまで理解ができない。

★しかし、ついに、今回その本物の教育の原点である高橋博先生の教育の真髄が開陳されることになったのである。

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【未来を創る学校13】順天 グローバルシチズンシップに満ちている学校

★来年はいよいよ東京パラリンピック・オリンピックだが、今から35年前に実施されたときに、順天は、さっそく海外派遣制度を実施し、「若い目で見た世界」を学内に取り込もうとした。たんなる語学研修ではなく、「世界」を見て感じてくるマインドを大切にしていた。そこから、試行錯誤して、世界にどう臨み、生徒自身が世界的視野で何ができるかという活動が続いた。

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(写真は順天サイトから)

★そして、いよいよ1989年のベルリン壁が崩れる年に向けて、国際社会の動きが変わり始めた。しかし、それは突然起こったのではなく、1980年代にその兆しはあり、どんどん増してきたのである。SGDsは2015年に採択されているが、それとても、その前の準備段階がそうとうある。

★1980年代になって、それまで政府主導の介入によって行われてきた発展途上国の開発政策が、行き詰まりを見せてきた。この政府主導の介入は、組織の悪弊ともいうべきによって起こるから、制度改変はすぐにはいかない。そこで、活躍し始めたのがNGOである。日本では1990年後半になって、特に95年の阪神淡路大震災の時に注目されたボランティア団体の活躍によって、NPOが法的に本格的に確立されるようになるのだが、順天は速かった。1980年代に、海外ボランティア派遣を断行していった。

★そして、10年単位で、ボランティアベースのグローバル活動を学内に広めていった。その実績がSGH認定校として文科省に認められたわけであるが、そうなってからというもの、海外修学旅行だけではなく、海外フィールドワークが増え、ボランティアベースのプロジェクトがたくさん立ち上がっている。

★中でも、フィリピンのスモーキーマウンテンをはじめとするゴミ山で、スカベンジャーとしてゴミをお金に換えて生活している子供たちのエリアにフィールドワークしてくるプロジェジェクトはすさまじい。

★教室から出でてこそそこに真理があるというような趣旨を寺山修司が言っていたように記憶するが、その真理の凄惨かつく深さはそこに行った順天の生徒しかわからないだろう。

★かれれらの人生はこれによって変わり、世界というものに対するものの見方も変わったという。学びはアクションにつながらなければと探究の時間で叫ばれているが、そんな安心安全のエリアで生徒に偉そうに言ったところで、何も響かないだろう。

★圧倒的な現実とその背景にあるいかんともしがたい歴史の神の前で、彼らは途方に暮れる。そしてその途方に暮れる生徒をどうにかさせようと同行した教師も途方に暮れるのだ。そんなとき、解決の糸口は、自分たちが救おうと不遜にも思っていた、目の前の子供たちから、突破口の気づきを得るのである。

★グローバルコミュニケーションとは、英語ができればよいというものではない。できなければ困るが、それよりももっと大きな大切なものがあるのである。

★フィリピン体験をはじめ、順天というスペースでボランティアベースのグローバルシチズンシップ体験をした順天の教師も生徒も、大人と子供の関係ではありえない。

★35年前の東京オリンピックのときに、順天が世界へ目を向けたように、2020年東京パラリンピック・オリンピックで、さらなる謙遜と愛のある(=ボランティア精神)グローバルシチズンシップの重要性が世界の人びとシェアリングされる日がやってこよう。順天の生徒はグローバルシチズンとしてっジェネレーターとなっているだろう。

★拝金ベースのグローバル富裕層と謙遜と愛ベースのグローバルシチズンの違いが何であるか、世界中が意識するように変わるのである。

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【未来を創る学校12】注目!聖学院 「僕たちにできること」!

★聖学院という男子校は、これからどんどん高校生にとって重要拠点になる。というのも、中高の科目の授業がPBL(Project Based Learning)で行われているために、それがあらゆる活動に指数関数的増幅影響を与えているのである。

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(写真は、すべて聖学院サイトから)

★もともと、タイ研修、文化祭などの教育活動がプロジェクトベースで動いていて、そこに通常の授業もPBLで動き始めたから、その相乗効果がトルネードを生み出しているわけだ。アクティブラーニングや同じPBLでもProblem based Learningだと、難しい大学入試問題や小論文問題の課題解決でおわりがちだ。

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★しかし、聖学院の「プロジェクト」は、「僕たちにできることは何か」つまり、「自分たちは何者なのか」という存在意義を深めていく過程であり、その中で賜物(タレント)である自分の才能に気づき、それをプロジェクトとして、活動に変えていくのである。

★それが通常の授業からタイ研修のような教育活動まで、あらゆる機会で実行されているのである。

★大学進学実績だって、世の中が必要だから十分に進路指導はしている。しかしながら、世の中が必要とするものと世界が必要とするものの違いを見抜けるのが聖学院の生徒なのである。

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★おそらく、聖学院で中高を経て成長した高校生は、もはや生徒ではない。つまり、高校生だからといって、大人ではないとみなせない。もちろん、経済的自立とか法律上の問題があるから、成人としての大人とは誰も言えないだろう。しかし、地球市民として大人である。

★今の日本の私たち大人は地球市民の意識を持っていない場合が多いのではないか。その点において、私たちは地球市民として活動している聖学院の高校生を誇りに思わなければならない。

★通常授業のPBL、タイ研修や文化祭、糸魚川農村体験などのプロジェクトという中核的な学びのトレーニングが、「震災プロジェクト」などの高校生による活動につながっていく。パラリンピックに対する支援プロジェクトやタイやミャンマーとの交流プロジェクトなどどんどん広がっていく。

★英語が必要と思えば、英語を大いに学び、外部のブレインを必要とすれば、奔走して連れてくる。資金が必要であればクラウドファンディングを行い、海外にいってリサーチしようと思えば、海外に飛ぶだろう。実際に高校生起業家もでているぐらいだ。

★日本の大学では、自分の研究したいことができなければ、できるところを探して、そこがアメリカの大学であったなら、アメリカに留学するだろう。

★聖学院の高校生は、「僕たちにできることは何か」を考え、議論し、相談し合える学びの環境にある。そこから、いまここでできることから始めていく。小さく始めて世界を変え、未来を創るのだ。このようなPBLを核とする学びを経過して大学や社会にでていくと、そこでやはり活躍するものであるという調査はトランジション調査と言われ、立教大学の中原淳教授や桐蔭学園理事長・トランジションセンター長溝上慎一教授が学問的に調べていて、一定の成果を収めている。

★私たちは、高校生を大学受験というドメスティックな枠に閉じ込めて、いまここで「僕たちにできること」を多角的に考え、活動する場を排除してきた。大人の前に地球市民になることはできるのに、そのチャンスを奪ってきた。そして、それが日本の国力を衰退させる大きな原因であることに、いまだに気づいていないのだ。

★聖学院の先生方は、このドメスティックな見えない精神的物質的壁を崩している。そして地球市民として飛べる、足場や跳躍台や精神のエンジンを創る環境を整えているのである。

 

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2019年6月13日 (木)

【2020年首都圏中学入試動向02】昭和学院 新コース開設・新入試設定でアップデート鮮明!

★昭和学院は、2020年から新コースを開設し、それに対応する中学入試を設定する。

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★新コースは、まずは中学1・2年は

インターナショナルアカデミーコース(IA)

アドバンストアカデミーコース(AA)

ジェネラルアカデミーコース(GA)

★この3つのコースで募集する。中3からは、

インターナショナルアカデミーコース(IA)

トップグレードアカデミーコース(TA)

アドバンストアカデミーコース(AA)

アスリートアカデミーコース(AA)

ジェネラルアカデミーコース(GA)

★5つに細分化され、選択できる。生徒の発達段階やキャリアデザインに対応できるようにしているのだろう。

★そして、中学入試において、インターナショナルアカデミー入試で英語入試を導入という画期的なアップデート。帰国生入試もスタートするから、このIAコースへの意気込みはすさまじい覚悟を感じる。

★1月20日の入試では午後入試(14:30集合15:00開始)も実施する。プレゼンテーション入試や適性検査という新タイプ入試はもちろん実施。

★千葉エリアで、昭和学院は最も新しい教育を実現することになろう。  

 

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2019年6月12日 (水)

【未来を創る学校11】21世紀型教育校の大事な挑戦!

★グローバル教育とか地球市民とかいう限りは、日本から世界を見るだけではなく、世界から日本も見る必要がある。そうすると、今の大学入試改革の話や新学習指導要領の話がいかにドメスティックで世界に通用しないのかというのがわかる。そりゃあ年金の問題は起こるわけだ。どうやったって、国内だけ(ドメスティック)の枠の中で解決策を講じようとすれば、少子高齢化は進むばかりなのだから、お金はなくなる。

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★そして、このドメスティックな見方で、大学入試改革や新学習指導要領の話をして、なおかつ進むことを阻害している見識者は、ますます年金問題のような沢山の問題を解決しないまま未来を迎える日本を作ってしまう。

★海外のエスタブリッシュスクールなど関係ない、数学は日本の中等教育の方が難しいことをやっているのだと、何を言っているのだろうか。

★そういう方々を相手にしていると、子供たちの未来は暗くなるから、せめてみんなが気づくまで、先行して私立学校の中から世界のエスタブリッシュスクールと同じ土俵で切磋琢磨できる水準まで教育を創り上げていこうというのが21世紀型教育機構の加盟校なのだ。

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★公立中高一貫校の中には、IB認定校になっているところが増えているが、そういう動きは大歓迎だ。しかし、1つの学校で20名くらいしか恩恵に浴しないし、ディプロマのスコアが結果的によくなければ、実はあまり役に立たないという現実があることは否定できないだろう。

★それゆえ、21世紀型教育機構の加盟校は、IBと同じような役割を果たせる海外の教育コミュニティーと連携している。工学院はケンブリッジイングリッシュスクール認定校。聖パウロ学園、聖ドミニコ学園は、認定校ではないが、工学院の英語で活用しているケンブリッジ出版のテキストを活用している。

★八雲学園はIBと創設者が同じラウンドスクエア認定校。工学院は現在候補校。

★文化学園大学杉並は、カナダのBC州と提携しているインターナショナルスクールであるDDコースを実施。その実績はすでにかなり凄い。DDコース以外のコースにこのエッセンスをどう広げるか、学内では開発進行している最中だ。

★富士見丘と順天はSGH認定校。文科省が認定する期間はそろそろ終わりに近づいているが、この間つながった海外とのネットワークは実に豊かで、今後も拡大していく。

★UPAAに和洋九段女子は加盟し、海外大学進学準備の足場をしっかりとつくっている。

★Appleの教育認定校は三田国際。聖徳学園もApple社と教育連携している。

★そして、静岡聖光学院は自らの学校で国際サミットを構築し、海外のエスタブリッシュ校を日本に呼び込むネットワークを創っている。

★このような海外のエスタブリッシュスクールと同じ土俵で学校全体が交流できる環境を創っているのが21世紀型教育機構加盟校であり、ここに未来を創る学校が在ることは間違いない。

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【未来を創る学校10】和洋九段女子 UPAA(海外協定大学準備制度)に加盟。

★和洋九段女子は、PBL(Problem based Learning)1.0のプロトタイプを学内で共有するシステムにすることによって、高校からは生徒が主体的にに活動するPBL(Project based Learning)2.0に発展した。

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★これによって、キャリアデザインやディプロマポリシーの視野が大きく広がった。国内外の大学でPBL型の探究活動が盛んだところに接続しやすくなったし、生徒自身の意識がそうなったわけだ。

★そこで、最終的には生徒自身が決めることだけれど、海外のエスタブリッシュな高校と同じ土俵を創らなければ、格差を背負たまま生徒に挑戦させることになる。これは、グローバル教育を提唱している同校にとっては、なんとかして解決したい問題であった。

★そこで、システム上同じ土俵にするために、海外大学が連携している大学進学準備教育を実施しているUPAA(University Partnerships for Alternative Admissions)に加盟することになった。

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★UPAAに入ると、4大学までは、一回出願すれば共通して活用されるし、合格発表の時期が異なっていても、高校卒業の3月までは入学するかどうか待ってもらえる。したがって、奨学金などの結果で、合格したがいけない場合、日本の大学に進む機会も保証されているのだ。

★しかも、イギリスアメリカなどの大学進学準備の制度の違いなどのカウンセリングもオンラインでできるし、e-learningでC1英語までトレーニングできる“College Pathway”というシステムも活用できる。

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★すでに日本の大学は100校以上このシステムを活用している実績がある。たとえば、一橋大学、東工大、東北大、名古屋大、筑波大、慶応義塾大、上智大、青山学院大、東京理科大など。

★中込校長は、「UPAAの母体はTOEFLの問題などを作成している団体の1つだというから、頼もしい。それに、UPAAに加盟している大学はThe University of Manchester(マンチェスター大学 / イングランド マンチェスター)をはじめとする世界大学ランキングでもトップ大学も多数加盟しています。しかも、その数は、今後も増えていきますから、大いに期待しているのです」と。

★新井教頭も、「和洋九段女子の教育のエンジンは、中学から高校になるにしたがって、PBLⅠからPBLⅡに成長し、それが海外のエスタブリッシュスクールと同じ土俵でキャリアデザインを生徒自身が練り、羽ばたいていける条件につながりました。手ごたえを非常に感じています」ということである。

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【未来を創る学校09】和洋九段女子 PBLからPBLへ

★今年改革学年が中1~中3まで揃った和洋九段女子であるが、その影響はすでに高校段階にも及び、中学の日常のPBL(Problem besed Learning)授業が、様々なPBL(Project based Learning)を生み出している。

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(写真は新井教頭から)

★昨年の高1から、グローバルな視野をもつには、母国日本の文化の根っこを深く理解し、自分なりの想いを内発的モチベーションとしていくことも重要であると、長野県の芋井地区と飯綱町と農業体験の連携を始めた。実際にやってみて、相当の手ごたえがあったし、地域の方々も、和洋九段女子の生徒の真摯な姿に感動し、体験で終わらすのではなく、本格的にコラボレーションをしようということになった。

★そして、今年の高1は、1泊目は民泊で、2泊目はホテルに宿泊するプロジェクト型学習に進化した。実際に民泊して、農業体験をしたから、地域の人では気づかない観点を発見することができる。それを生かすプロジェクトを創出したということのようだ。

★最終的には、今回受け入れサポートをしてくださった方々にプレゼンしたようだ。豊かな自然やキャンプ場の施設などのPR不足を解消するために、地域の専用サイトのアップデートを提案したチームもあるという。「QRコード」を活用して、もっと誘引率をあげようという企画だったという。クラウドファファンディングを活用して、新たな施設も建てたいという企画も提案されたようだ。

★しかし、商業目的というより、日本の自然、とくに宿泊して、日本の星空の美しさに見入って欲しいという価値を見出したところが、地域住民に感動をよんだようだ。

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★さらに、この民泊農業体験は、地域の農産物をつかった商品開発のアイデアを出して、実際に地域で新商品を制作して販売していくコラボレーションにも発展した。

★このように教室のPBLを飛び出して、実社会とのつながりを生みだし、いわばプロジェクト型インターンシップに発展しているのが和洋九段女子の今の未来型教育である。

★このようなPBL型インターンシップは、多くの企業と連携してSDGsの取り組みにも広がっている。世界中の先進的教育では、このような社会とのつながりのあるPBL、それはオーセンティックな学びと言われているが、このような取り組みが広がっている。和洋九段女子は、世界のエスタブリッシュスクールの先進的な教育や学びと同期していると言えよう。

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「深い思考スコア」と「偏差値」(了)私立公立中高一貫校の入試問題が巻き起こす思考力革命 硬い思考から柔らかい思考へ

 ★晶文社学校案内編集部発行の「首都圏中学受験案内2020年度用」に記載されている「思考コード」で「深い思考スコア」を算出して分析することによって、私立中学入試あるいは公立中高一貫校の適性検査に向けて準備をするとうことは、「深い思考力」を学ぶことになるということが明らかになった。

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★上記表をみてみると、私立中高一貫校の受験準備を<一般的に>した場合、やはりなんといっても算数と国語の<勉強>が中心になってしまう。公立中高一貫校の適性検査に向けての準備は、新タイプ入試の<学び>のみである。

★もし、私立中高一貫校の受験準備も新タイプ入試に照準を合わせると、新タイプ入試の<学び>に力点が置かれることになる。しかし、私立中学受験準備塾に通うと、基本は、算数と国語の<勉強>となり、新タイプ入試の<学び>については各学校で開催されている新タイプ入試のための対策ワークショップで<学ぶ>ことになる。

★思考力入試セミナーを行っている聖学院や工学院、静岡聖光学院などのワークショップは有名だ。

★もし公立中高一貫校の適性検査のみならず、私立中高一貫校の新タイプ入試も活用するという受検生は、新タイプ入試でも適性検査型入試を受ける場合は、塾の公立中高一貫校の対策コースで十分に対応でできる。しかし、公立中高一貫校の適性検査の準備だけでは、思考力入試や自己アピール入試などを行っている学校の対策としては不足する部分がある。同じ「深い思考問題」でも、思考コードで分析すると、ズレがあるからだ。

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★つまり、算数と国語で出題する「深い思考問題」は、論理的に考え表現する問題でいわゆる難度の高いB2B3の領域が中心である。適性検査型は論理的に考える一方で、それに基づいて創造的思考を生み出す、つまり学びに基づいた創造的思考問題を重視している。

★思考力入試は、C3という直感的な創造的思考が中心で、そのインスピレーションを刺激するB2B3問題やC2問題が足場づくりとして用意されている。だから、一見難度が高そうなのだが、ものの見方を変えると気づく仕掛けになっているから、B2B3のみの準備をしている生徒には、わけがわからない可能性がある。

★C3は、隠喩的には、非ユークリッドやトポロジーなどノーベル賞受賞者が活用する柔らかい思考で、それに比べると、B2B3は、あくまで相対的だがユークリッド的な硬い思考である。

★今この柔らかい思考領域が注目されているのは、この領域こそAIでは、まだ踏み込めない思考力領域だからだ。もちろん、この領域は見える化されてすぐに硬い思考で乗り切れるようになるから、常に新しいものの見方考え方への知の旅をしなければならないのだが。

★そして、今この柔らかい知性、レビ・ストロースの言葉でいえば「野生の思考」が注目されているのが、幼稚園などの就学前教育なのである。2020年大学入試改革やそれに伴って改訂されている新学習指導要領に影響を与えている考え方、特に「主体的・対話的で深い学び」と表現されているアクティブラーニングやPBLは、ハーバード大学、MITメディアラボ、UC系大学、スタンフォードなどが提唱している学びであり、北欧の学びである。

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★ヘックマン教授、おおたとしまさ氏、レズニック教授の上記写真の本が注目されているのも、その証拠の一つであろう。就学前教育において、算数や国語のような勉強はあまりしない(最近はこの領域をすでに行ってしまうところもあるようだ)。「砂場」のような、硬い思考の領域と柔らかい思考の境界を簡単に往来する創造的な思考を体験している。創造的思考は、想像、発想、協力なども必要で、必ずしも認知的な能力だけでは、生まれない。

★ヘックマン教授がデータで示した非認知的能力が生成されている。これを柔らかい思考と、ここでは呼んでいるのだが、この思考領域は、20世紀までの教育は初等中等教育で排除されてきた領域である。

★それが、21世紀になって、シリコンバレー草創期に生まれた柔らかい思考領域が重要であることが広まり、その領域は、実は就学前教育にあったことが再発見されたのである。

★一方で、その柔らかい思考ができる人材が、18歳になるにつれてが少なくなってしまっているという教育への見直しも起きたのである。この本当の意味での21世紀型教育は、まだまだ道半ばであるが、避けることはできないし、止めることもできない。

★そして、中学入試における多様な新タイプ入試は、この柔らかい思考領域を開き始めたのである。それゆえ、かつての中学受験準備のための<勉強>をしている層ではなく、おけいこを続けてきた柔らかい思考領域で<学んで>きた生徒が、新タイプ入試に挑戦して、私立中学に入学する新しい道が開かれたわけである。

★新タイプ入試は生徒募集における学校側の創意工夫した方法論ではあるが、市場がそれを活用するウネリが生まれてきたということは、そのような柔らかい思考の道が望まれているということも示唆されている。

★PBLやアクティブラーニングを行っていないで、新タイプ入試だけやるとしたら、それは入学後、柔らかい思考を求めている生徒の期待を裏切るだろう。

★逆にアクティブラーニングやPBLをやっていながら、新タイプ入試をやっていない学校は、そのアクティブラーニングやPBLは、硬い思考領域で難しい問題をやっているというカリキュラムデザインになっている場合が多い。

★硬い思考から柔らかい思考へと言ったとしても、もちろん、硬い思考を排除することはない。むしろ両領域の境界線を往来できる柔軟な創造的思考のことを示しているととらえるのが正しいだろう。

★この21世紀のウネリを「思考力革命」と言いたい。そして、この始まりは1997年、あのジョブスが宣言した。世界を変える人になろう。クレージーになろう。つまり天才に!それはもちろん、今までのように一握りの人間の特権ではなく、すべての人に機会はあるのだと。

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★それを1分の動画にしたのがあの<Think different>ではないか。幾人もの天才を登場させて、その最後は、無名の少女の未来を見つめ眼差しで締めくくるストーリー。その未来の道は<思考力革命>によって確かなものになるだろう。

 

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2019年6月11日 (火)

「深い思考スコア」と「偏差値」(08)首都圏公立中高一貫校 エリア別思考の深さ

★晶文社学校案内編集部発行の「首都圏中学受験案内2020年度用」に記載されている「思考コード」で「深い思考スコア」を算出しているわけであるが、今回は、首都圏公立中高一貫校の「深い思考スコア」(B2B3C2C3を100スコア枠で換算)のエリア別の平均を出してみた。

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★全体で52も出題している。エリア別になると、東京、千葉がスコアが高く、神奈川と埼玉は同じスコア。それにしても、私立中高一貫校の国算の問題に比べるとずいぶん高い。

★国算の入試問題の中にも深い思考スコアが高いところがある。それをもってして、教科別でも適性検査型入試のような深い思考問題を出題できるとまだまだ考えられている。

★しかしながら、それはB2B3が高いのであって、C軸の問題を出してはいないのである。C軸思考はB軸思考があって初めて成り立つから、中学入試の時点では採点のしやすいB軸思考でいいのだというわけだろうが、その考えが世界標準でないことは、ハーバード大学やMITメディアラボの研究成果からいっても明らかだ。

★東京都千葉の私立中高一貫校が新タイプ入試に真っ先に踏み込んだのは、このエリアの適性検査型の問題が、深い思考問題をたくさん出しているからだ。

★よいかわるいかはわからないが、この適性検査型の問題のプロトタイプはOECD/PISAであり、このプロトタイプに準じているのが、全国学力調査テスト→公立中高一貫校適性検査→高校入試問題の最近の傾向→大学入学共通テストという流れになっている。

★この問題がでは妥当かというと、議論すべき点も多いが、知の正当性はある。

★そこで、私立中高一貫校の「思考力入試」というタイプは、C軸思考を中心に、正当性、信頼性、妥当性の三位一体を追究しているわけだ。テスの科学を学校も塾も行う時代がやってきたのではあるまいか。

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2019年6月10日 (月)

【未来を創る学校08】新学期が始まって2カ月で、大進化を遂げた和洋九段女子。

★2月中旬に和洋九段女子で開催された新中学入試セミナーでお会いして以来、4カ月ぶりに中込校長と新井教頭にお会いした。卒業式、入学式、オリエンテーション、シンガポール研修旅行、毎日曜日のように行われる合同説明会、そして今度は体育祭とダイナミックに動いている同校であるが、新学期が始まって2カ月経過して、とてつもない進化を遂げていた。

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★中1~中3まで、改革学年がそろったのとその改革過程で高校生も影響を大いに受け、Problem based LearningとしてのPBLがProject besed Learningへ成長している実感が、各科目の授業の中で現れてきたことと、多様なプログラムにそれが生かされるようになったという手ごたえを感じるようになったとお二人は自信をもって、目を輝かせて語る。

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★たしかに、対話の合間に、授業を見学しにいくと、若い先生が、都をつくる条件をだして、その条件に見合う場所を探すというPBL型授業を行っていた。歴史と地理の総合型であり、同時に政治や経済的なアプローチも要するなかなかの深イイ問いを投げていた。生徒は生き生きとタブレットを活用しながら調査し、それを持ち寄って比較検討する議論をしていた。

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★国語のPBL型授業は、自分の好きな言葉の探究活動。言語を通して自分を知るわけだが、自分についての興味と関心は何よりもある。モチベーションが湧かないはずがない。

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★水野先生の社会科の授業はもはやPBL型でICTがないと成立しないという先進的なものなのは、学内でも有名だが、さらに驚いたのは、生徒にタブレットに配信された画面を見せてもらったときだ。

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★ルーブリックの領域番号が表示されている。このB2という記号は何かと生徒に尋ねたところ、「これは、ルーブリックの番号で、B2だからちょうど真ん中くらいの思考の深さの問題ですね。情報を取り出して、道筋たてていけばとける問題だということを示しているんですよ。これがあるから、どこまで考える必要があるのかわかるし、どこまで自分は考えることはできるのかがわかるから、その壁を超えるにはどうしたよいのか、友達や先生に質問しながら勉強していけるんですよ」と。

★ついに、ルーブリックを教師の授業デザインのための指標から、生徒自身による学びのデザインにシフトするところまで進化した。感動した。

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★和洋九段女子の数学の授業はPBL型授業が充実しているのも一つの大きな特徴である。教え合いという「最近接発達領域」を発見しながら考えていくPBL型授業は、数学の授業に適合しやすいのだろうか。他校では、数学が一番PBLがやりにくいと聞くが、和洋九段女子の場合はどうやら見解を異にするようだ。

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★それにしても、数学の授業がこんなに楽しいとは意外だった。生徒の笑顔がこぼれ、ディベートが行われる数学の授業に遭遇した。はじめ、お化けの話で盛り上がっているので、国語の授業かと思っていたら、数学科の平山先生の授業だ。

★何が起きているのかと思ったら、どうやらお化けは存在するかという数学的証明の話だった。もちろん、あくまで、メタファーであって、数学的思考とは何かメタ思考するトレーニングだったのだろうが、数式を使わない柔らかい数学の次元に生徒たちは導かれていたのである。

★和洋九段女子のPBLの授業の進化はすさまじい。しかし、中込校長と新井教頭は、いや今日お話ししたい進化とは、この先生方による進化の激しいPBLが生み出したディプロマポリシーに関するプログラムなのだという。進化というのはさらなる進化の話だったのである。

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★体育館では、高3生が体育祭のハイライトで披露する「扇」の舞の練習中だった。この舞それ自体は伝統的な活動だが、ダンスのプログラムデザインは、毎年新しいアイデアで成立するという。もちろん、すべて生徒が自分たちで創造するのだ。

★伝統と革新のカップリングが和洋九段女子の文化遺伝子である。進化は常に伝統を創り出し、その伝統は進化をさらに生み出す。この永遠の繰り返しが、今もダイナミックに生まれているのだ。

 

 

 

 

 

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「深い思考スコア」と「偏差値」(07)首都圏公立中高一貫校 思考の深さの傾向

★晶文社学校案内編集部発行の「首都圏中学受験案内2020年度用」に記載されている「思考コード」で「深い思考スコア」を算出し、首都圏模試の「偏差値」との関係を読み取っているが、今回は、首都圏の公立中高一貫校20校のデータで相関グラフを作成。

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★首都圏の公立中高一貫校の偏差値は60以上の高レンジに固まっているが、深い思考のスコアをみると、傾向がある。

★桜修館は創造的思考重視だが、小石川、南、横浜サイエンスフロンティアは、B軸思考中心。どちかというと小石川はB軸とC軸のバランスをとっているようにもみえる。

★あとで、エリア別にみるが、やはり、東京はラディカルに未来の思考力のベースであるC軸思考を求める傾向にあり、そのほかのエリアは、現状の大学合格実績に照準を合わせた思考力問題を出題している。

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2019年6月 9日 (日)

【2020年首都圏中学入試動向01】今年も首都圏中学入試は勢いが止まらない!

★6月8日(日)、首都圏中高一貫校の3分の1であるおよそ100校が、学校説明会、オープンスクール、公開行事を同時開催。どこも受験生・保護者が集まったようだ。どんな学校で開催されたか、思いつくまま列挙してみよう。

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(写真は、大妻中野公式faebookから)

上野学園、大妻中野、成立、城北、佼成学園、佼成学園女子、聖学院、東洋大京北、獨協、立教池袋、栄東、淑徳巣鴨、工学院、聖徳学園、香蘭女学校、玉川聖学院、トキワ松、成蹊、三田国際、八雲、静岡聖光学院、聖光学院、三輪田、桐朋、清泉女学院・・・・

★いずれも、人気がある。やはり、この時期から動くということは、勢いがあるということでもあろう。

★三田国際、聖学院、静岡聖光学院、東洋大京北など、多くの参加者が集まったと聞き及ぶ。また、トキワ松が、まだ公表はしていないが、新機軸を構想しているということらしい。なにやら、いろいろ変化が起こりそうな2020年首都圏中学入試。変化は市場の成長を促す。いいことではないだろうか。

★大妻中野は、SNSでその様子がすでに発信されている。このような俊敏な対応力も、人気の下支えになっている。それに今年は同校から筑波大1名、千葉大1名、お茶大1名、早稲田12名、東京理科大6名、海外大学3名合格するなど大学の実績も右肩上がり。グローバル教育の質のアップデートと結果が相関する丁寧な教育は、やはり高人気のセオリー。

★2025年問題の壁を前に、学校や塾の動きも変化しているが、子供の未来に不安と希望を抱く家庭の情報収集力もパワーアップしている。

★本日9日は、日本大学豊山中高キャンパスで、東京私立男子中学校フェスタが開催された。今年も大盛況だった模様である。

 

 

 

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【未来を創る学校07】もうすぐ聖学院の新たな価値を発見する第三のウネリが教育市場に現れる。

★昨日8日(土)、聖学院は第1回学校説明会及び同時開催の思考力セミナーを実施した。その説明会の中心は、生徒の6年間の成長についてだったようだ。聖学院は、偏差値で学校選ぶのではなく、学校の教育の質、特に、自分の可能性=賜物=タラントを見出し、自分でも思っていなかった成長を成し遂げる学びの環境が多様であり充実していることを理由に選ぶ受験生が多い。

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(写真は同校サイトから)

★このような見識眼とマインドをもった受験生や保護者は、最近一定数存在するようになった。したがって、この時期の聖学院の説明会に参加する人数は、安定的に集まっているし、思考力セミナーも定員の50名が満席になっている。

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★しかしながら、聖学院のミッションは、このような教育の質を大切にするものの見方・感じ方をする受験生と保護者をさらに増やすコレクティブインパクトを世に問うている。まずは、自分のところに昨年対比で150%くるようになれば、男子校の中では、このような質の学校は少ないわけだから、確実に増えるという実感をもつことができる。

★そのために、聖学院はまだ全面的に公開していないが、新機軸ともいうべき構想を学内一丸となって作っているところだ。たとえば、今回の思考力セミナーを担当した内田先生であるが、聖学院のみならず、教育界における新しい学びの導師である。

★EQやMI、MITメディアラボの構成主義的な学びのトレーナーでもあり、なんといっても、将来教育界を背負う技術と美術と数学とを融合させた芸術プロジェクトの座長となる教師である。しかし、そこまでは、まだ明らかにされていない。プログラムデザインが実施されたときリリースされるだろう。

★また、授業デザイン研究会は、かなりバージョンアップし、教科の中でナチュラルに行われるSTEAM教育プログラムが開発されている。理科と数学で隗より始めよという感じで動いていると聞き及ぶ。

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★そいうこともあって、スウェーデンから教師チームが聖学院の数学教育などの視察に来ているのだろう。

★そして、なんといっても聖学院の生徒たち。聖学院で意味する主体的とは授業を自主的に受ける程度の意味ではない。タイ研修をはじめ、世界に飛び立ち、世界の痛みを「相互に自分事」とする世界を巻き込む活動をしていくのである。いやすでにいくつかプロジェクトが立ち上がっている。

★18歳は、成人であり選挙権を持つ時代だ。自分の意志をもち、新しい世界を、日本だけではなく各国の地球市民と連帯して創っていくジェンレーターになっている。

★6月23日は、児浦先生と聖学院の生徒とコラボレーションするフォーラムを共にする。大いに楽しみであると同時に、この聖学院の教育の重要な価値に多くの受験生・保護者が気づいてくれるウネリが、すぐそこにまで来ているように感じる今日この頃である。

 

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高校時代 ある友に贈る

★私の高校時代は、当時は憧れの下宿生活だった。大学時代も寮生活をしていたし、とにかく「自由」を謳歌していた。しかし、お金はなかったし、アルバイトも今のように多様でなかったから、ラジオとレコードと本と下宿の仲間との議論がたいがいの楽しみだった。部活はほどほどで、硬派ではなかった。あと、よく友人たちが泊まりに来ていた。何せ歩いて5分くらいのところに学校はあったし、中島公園やすすきのに歩いて行けたし、路面電車でも地下鉄でもすぐに中心街にいけたから。

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★そうはいっても、結構スリリングな時代で、小学校後半から中学時代には大学紛争が全国に飛び火ていたし、同時に高校紛争もその影響をうけていた。私が高校に入学した時、下火になっていたが、そのおかげもあってか、制服自由化時代にはいっていた。それでも、学生運動はときどき教室を襲って、集会もあった。

★だから、自ずと、下宿の夜は、議論になった。資本論を読んでいる先輩もいたし、アインシュタインの相対性理論やそれに対峙する量子力学と国家を結び付けて語っている先輩もいて、当然彼らはぶつかりあった。私は、高度経済成長期の影響を受けた24時間働けますかというサラリーマン家庭に生まれ、勝ち抜くために学歴を身につけよと幼い時からいいまくられていたから、親からの解放を意味する下宿生活は単純にうれしかった。

★ただ、そんな家庭なのだが、なぜか芥川龍之介全集がひっそりと書棚の片隅にあった。中学時代の日曜日の朝は、たいてい芥川龍之介の本を読んで、何か毒をくらっているようだった。怖いもの見たさというか。

★だから、下宿でのそんな議論も、意外と楽しんで参戦できた。青春と言えば青春だけれど、時代の背景に大きな世界の影があって、それに気づかずに、立ち向かって24時間飛び回っている父親の後ろすがたをみて、少なくとも、この道を選ぶことは、芥川龍之介を読むたびに、ないなあと思っていた。

★芥川龍之介の「侏儒の言葉」は、そういう意味では、資本主義の道も社会主義の道もとらず、第三の道はないか模索する自分を形成した。下宿の中との話は、社会主義に偏るか科学主義に偏るかだった。そのどちらにも、与することができなかったというのも、自分を形成するのに影響をしただろう。もちろん、芥川龍之介自身が、それを模索して、見いだせず、おそらく自殺の道を選んだということが、衝撃的なわけで、自分は芥川とは違って、第三の道を創り出す使命を抱くことになった。

★芥川から学んだことは、見方を変えるというコトだ。だから芥川自身の見方もそのまま受け入れることはしないという見方を学んでしまったのだろう。斜めから考えてしまう習性がそのときついたのかもしれない。

★それでも、自分の今でいうキャリアデザインは、2転3転した。両親の強い意向は、芥川龍之介的には受け入れるうわけにはいかなかった。北海道という地は、仕事が少ない。医者になるか役人になるか銀行マンになるかしか、当時は、いわゆる立身出世はできない。両親もそういう当時の常識をまとい、私の人生に介入した。

★私としては、当時理系のクラスにいたが、いわゆる転向組になろうとしていたから、担任の先生も両親もこぞってどうしてだと問いただしたが、文学部にいこうと思っていると、哲学科にと言うと、両親、特に父親は、下宿させたのが間違いだった。危険思想にかぶれてしまったと嘆き、落胆し、下宿の費用を出さないと迫って来た。

★それは、節約しながら毎月レコードを買うお金がなくなるから、困ると思い、少し考えさせてほしいとなだめ、危険思想ではなく、むしろそういう思想を撃破したいと。社会主義なんて頭から考えていないし、かといって、おやじのように資本主義のシステムの中ではたいへんだろうから、そこをなんとかしたいだけだよと。ああ、じゃあ小説家とかではなくて、ジャーナリストとかなのかと。

★いやいや、もうちょっと考えさせてと。しかし、おやじは後に本社から飛び出して会社を起こした。プロパンガスや液体水素を扱うのが本社だったが、高度経済成長期だったから、その周辺商品もつくって販売。北海道から東京、東京から関西、関西から釧路と転勤した。その都度学校は転校。それで、高校は下宿をしたいということになったわけだ。

★そのおやじは、考えてみれば理系出身で、アイデアマンだったのだろう、当時としてはユニットバスや冷凍食品を販売する会社は早すぎたかもしれない。最後は、北海道は都市ガスインフラでは回らないから、プロパンガスを販売するインフラ子会社にいきついた。雪がふると、プロパンガスボンベイが埋まって、メータがみえにくくなる。気づかないうちにガスがなくなると大変なことになる。

★そこで、今考えてみればどんなコンピュータで計算していたのか分からないが、各家庭の消費量を計算して、ガスがなくなる直前に自動的に交換するシステムをつくって、販路を拡大した。しかし、旭川の支社がプロパンガス爆発を起こし、責任をとって会社を辞めた。早期退職で、本社に株を売り、悠々自適にと能天気にくらしていたが、バブルが崩壊し、退職金はすべて株に消え、自分は癌になってあの世にいった。

★サラリーマン戦士で終わらずに、自由に動けたのだから、高校時代の今でいうキャリアデザインの葛藤は私よりも父に影響を与えたのかもしれない。葬式のときに、父と一緒に働いていたスタッフの方々がおしよせてきた。会社を辞めて数年たっているのにと思っていたら、本社で冷遇されていた私たちを引き連れて会社をつくり、自社株を買うことから始めてくれたと話を聞いた。なんだ、今でいうストック・オプション的発想じゃないか、はやく言えよと思った。

★おやじが、私にむかって危険思想におかされているのではないかと指摘した時、芥川龍之介の侏儒の言葉の一節を思い出していた。「危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である」と。だから、親父の方が危険思想なんだよと思ったが、そういい返さずに、危険思想をなんとかするほうに回るといって、互いに違う意味で了解するという作戦を考えついたわけだったが、おやじも当時の常識をいかに破るかという想いで仕事をしていたのかと、お通夜の時に思ったのだった。遅いよ。

★それにしても、なぜ芥川龍之介の全集が我が家にあったのだと、葬式の後、おふくろに聞いたら、それは自分が若い時に読んだ本だと。エッ!そうなの。まったく想定外だった。おふくろは、悩む人ではない。父にも頼らず生きてきた人だ。おやじは、退職後、ニコニコおふくろの付き人然としてついて回った。おふくろはめんどうだと言っていたほどだ。だいたい、おふくろは結婚前はお役人だった。

★青春時代は、熱にうかされる。おまえもそうだろうぐらいにしか思ていなかったが、どこでどう間違ったか、どんな仕事をしているかわからない。まあ、生きて行っているのだから、かまわないがと。そして、おもむろに、おふくろの父親は、彼女が小学校2年生の時に亡くなった。政治犯で逃亡して樺太あたりで亡くなったらしいとボソッと語った。

★血は争えないというコトかなと。おいおいこちらは危険思想家ではないよというと。母が父親をかばうように、何を言っているのだ、戦争中だから政治犯だっただけで、おもえのいうなんとか社会をよくしたいというやつじゃあないか。おまえと同じだよと。でも、それでは、生きていけないよ。芥川龍之介は、青春の思い出に過ぎない。まともにおいかけてはいけないと。

★まともにおいかけてはまったくいないから大丈夫だよとこたえたが、まあ、父を失い、子を失うのは、宿命かねと言われたときには、少しこたえたかな。それきり、おふくろは、こちらから連絡しない限り、連絡もしてこない。こちらは、弟夫婦にまかせきりな親不孝者である。

★とにかく、両親との話し合いを収めるにあたり、私の下した結論は法学部に行くというコトだった。芥川龍之介の親友恒藤恭が法哲学者だったということもあり、法学部に行ったって哲学は学べると浅はかにも思ったのだ。両親は司法試験でも受けるのだろうと、まあいいかというコトになった。

★大学に入ってからは、もう両親も諦めたのであろう、生きて行けるのかねえというのは口癖だったが。とにかく、寮生活は、私の視野を相当広めた。多くの先輩や友人たちは、きちんとした企業、政治家、大学の教授になっている。一度寮(聖ヨゼフ修道院)が閉鎖されるというコトで、懐かしい顔ぶれが集ったときがある。

★そんな中で、寮で出遭った友人の1人が神父になるというので、ただごとではないと、その進路について、何度も話し合ったが、君の考えは、危険思想なんじゃないのと、侏儒の言葉を引用されたとき、まさに、自分が小さき人間であることに思い知らされた。

★娘と進路やキャリアについて対話するとき、私はそのときのシーンを思い出しながら、話す。アーティストとして食えない道を歩み、国際結婚してバンドンと東京を行ったり来たりしている。妻は、夫婦ともにアーティストだから、生活を心配しているが、まああなたの子だもねと。そして、娘も、キャリアデザイン(今も続いているのだ)の話に触れると、グローバルの重要性と起業のはなしばかりしていていたよね。だからしかたがないよ。親の影響は嫌でも受けるものだからと。彼女なりの共感を得て、自分の道を応援してもらおうという算段なのだろう。やはり血は争えない。

★ある学校のオーナーに、本間先生は、中学入試の世界では、ちっとは名前が知られているけれど、そうではない世界に出たら、無名だよね。これからどうする。うちの顧問になるかい、うちの先生1人辞めさせれば、そんなことは簡単だよと。ありがたいお話を突然頂き、恐縮したが、そのために先生を辞めさせるわけにはいかない。それに、そのときは、私が壁にぶつかっていたときのことだから、温かい励ましの言葉以外の何ものでもない。まともに受けとめるのは無粋である。それよりなにより、本当に心の底に染みた。

★この歳になって、十牛図の十番目に一瞬到達した気分になった。もちろん、まだまだである。でも、自分のキャリアデザインは、ここにきて案外わるくなかったのではないかと。次の次元を開く機会がまたやってきたのではないかと。十牛図の十番目のキーワードは「対話」である。

★ひたすら、先生方や子供たちとの対話の時間を共有させていただく毎日である。

★今高校生と話をしていて感じるのは、少なくとも47年前の自分よりはるかにすさまじい人生に立ち臨もうとしているし、そのためのスキルや思考力も相当に豊かだ。だいいちICTなど、私の高校時代には身近にはなかった。海外留学している生徒も全校に1人いたかどうかだ。

★今も昔も、その都度激動の時代だったが、どう考えても、自分の時代よりもはるかに高校生や若い先生方は成長している。彼らに対して常識を実行する危険思想を排除すること。それが私のもうひとふんばりできるミッションかもしれない。ウザイと思われるかもしれないが(^^;)。

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2019年6月 8日 (土)

【未来を創る学校06】静岡聖光学院の授業はグローバリューションそのもの。

★本日の静岡聖光学院の授業体験は、受験生にとって、他では体験できないものだった。グローバリューション体験だったのである。同学院の凄まじい多様なグローバールイマージョンのプログラムとPBL(アクティウラーニング)とICTを結合した授業の革新性は、合わせてグローバリューションと呼ぶべき現象である。しかも、その現象が普段の授業の中で起こっているのである。

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★社会の授業はクエストゲーム。SGDsであるグローバルゴールズを達成するためのゲームで、自分の判断や行動で世界を変えることにつながる体験ができる。生徒はこれで世界を変えれるかも!っと議論し、ゲームマスターと交渉した。

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★もちろん、ゲームと言っても遊びの要素もあるが、実はなかなか深い。

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★ノーベル経済学賞を受賞した経済学の「ゲームの理論」の応用である。学問が授業の中にアクティブな形で生かされる。なんてグローバリューションなのだろう!

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★プログラミング体験は、MITメディアラボのレズニック教授の実績を応用したレゴを使ったロボット制作とプログラミング。MITのレズニック教授の理論は、シーモア・パパート、ピアジェの理論に基づきながら、新しいPBLとICT教育のプログラムを世に出した。その考え方が基礎となったプログラム。MITメディアラボは、世界中のPBLのモデルの一角を成している。

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★このPBLの授業の特徴的なところは、Learning by makingが中心で、当然ものづくりに生徒は没入する。この身体脳神経系のフル回転こそ、全身が脳になって創造性を高めるフロー状態である。ハーバード大学のハワード・ガードナー教授が芸術性やクリエイティビティを生み出す重要な子供の行動として注目している。

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★生徒ばかりか、先生もプログラムをマシーンに生徒といっしょにインストールしながら目を輝かせている。まさに教師も生徒も共に学ぶ授業。これも、グローバルな学習観とICTが結合したグローバリューションだ!

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★そして、英語の授業は、英語で実験する。スライムを創るのだが、購買部にいって、材料を買うところから始める。ところが、購買部のスタッフは外国人。英語で材料を購入するというシチュエーション。

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★購入したら、実験室に行って、スライムづくり。ここでも言語はオールイングリッシュ。英語の講師の中には、隣の静岡大学の留学生もサポートにきてくれていた。普段から英語のキュニケーション授業のサポートをしてくれている。だから、英語が出来なくても冒険心旺盛なら全く大丈夫。

★今年もマレーカレッジに招待され、静岡聖光学院の生徒は国際科学コンクールに出場する。もはや理科も英語で行う時代だと、在校生は感じている。その雰囲気を入学前に感じて欲しいということだろう。

★そしてこれもまたグローバリューションである!

★かくして、静岡聖光学院の先生方は革新的な授業に挑戦している。当然、生徒も挑戦している。体験授業以外の通常授業ものぞいてみた。

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★数学の授業だったが、しっかりICTを使っていた。授業の中でグローバリューションが爆発している学校。それが静岡聖光学院だ。

 

 

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【未来を創る学校05】静岡聖光学院が開く未来は、生徒と共にである。

★本日、静岡聖光学院の学校説明会と体験授業が開催された。説明会の参加者は昨年比200%以上。今まで使っていた小ホールには収まり切れず、体育館で行われた。説明会は学院長岡村先生が愛を語り、校長星野先生は、その愛が静岡聖光学院の爆発的な教育イノベーションを生み出している実態について説明した。そして、中1生による学校の様子が語られた。

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★学院長は、幸せとは何か?その本質を語った。それは愛である。すべてはここから流れ出るのである。静岡聖光学院の人気急上昇の理由は、この愛の重要性に、気づいた受験生・保護者が増えたからだろう。

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★しかし、その愛は、なぜ静岡聖光学院に豊かに存在しているというコトがわかったのだろうか。それは実態の伴った愛が背景にあると確信できる教育活動の広報力にある。

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★説明会が始まる前に、本間さん久しぶりですと、高3の古杉くんが話しかけてくれた。自分の目指すべきマインドをすぐに話してくれて、今は受験勉強に専念すべく、後輩の仲間にいろいろんなことはエンパワーしたという。古杉くんとその友人たちは、たしかに驚くべき世界を巻き込む動きをした。

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★11以上の海外との交流プログラムができたのは、古杉くんたち高2が中心となって、中1から全学年巻き込んで、先生方と実際に活動したからだ。手分けして、イギリスに、マレーシアに、シンガポールに、インドネシアに・・・飛んだ。ちょうど1年前に私たち21世紀型教育機構のイベントでも大活躍。世界を巻き込み今までなかったものをみんなと創り上げるジェネレーターの役を果たしているのだ。

★古杉くんは、そのロールモデルは、星野校長ですと語ってくれた。帰り際に星野校長と少し対話したが、そんないい話は私の胸の中にそっとしまっておこうと思い、知らせなかった(笑)。

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★たった、1年間で見事に創り上げた新しいキャンパス、新しいカリキュラム、新しい授業、新しいグローバルイマージョン。すべて先生方と生徒のみんなと創り上げたものだ。その様子は、静岡に広まった。こんなことは、愛がなければ成就しないのは、心を持っている受験生と保護者には、すぐわかることだ。そして、そのような方々が、こんなにたくさんいるのだ。静岡聖光学院は光を放つ希望の丘であることはもはや明白だ。

★だから、星野校長の話は、この1年間で創り上げた本物の愛のカタチの多様なプログラムやイベントや部活や寮生活の話だった。すべて学内の教師と生徒一丸となって創り上げたものだ。終了するや拍手喝采。期待がかかる。

★そして、それを検証するように微笑ましい中学1年生のプレゼンテーション。父親と一緒に来ていた少年が事あるたびに、顔を父親に向けて、ねえ、これこれ、これだよ、これっと、笑顔で語りかていたのが印象的だった。

 

 

 

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対話

★今日もそうだったが、このところ、先生方や生徒と(もちろん妻や娘とも)すてきな対話が生まれる瞬間が多く、驚きを感じる日々である。問答講義は対話とはいわないから、何とか授業の中で、ワークショップの中で、実は普段の生活の中で対話ができないかと対話している。

★その対話の始まりは、本間さん「これ」どう思いますかから始まったり、逆に私から「これ」についてちょっと教えてくれますかから始まることことが多い。

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★しかし、このような対話が始まるまでのスカフォルディング(足場づくり)は結構時間がかかる。「これ」は、実は共有されているからこそ、どう思うかと聞かれたり聞けたりする。傾聴とよくいわれるけれど、それは「これ」探しである。驚くのは。私は、半分仕事で半分なんだろう?たぶん探究なのだろうが、先生方や生徒の「これ」を見つけたときは感動するし嬉しいけれど、本間さんの「これ」を提示されるのは、思ってもいない僥倖である。

★「これ」は自分事であると同時に分かち合うコトが広がりや深みを増すことで、実は「自分事」ではなく「共有事」だったのである。どんなに話をしても、「共有事」にならない「自分事」は、「これ」にならない。

★問答講義やそのバージョンに過ぎない話し合いは、どちらか優位に立っている側の「自分事」に振り回される。対話は開かれない。

★それによくSDGsの問題など、自分事になっていないから、それを自分事にするワークショップとかあるが、なかなか「自分事」に世界の問題をできない。だって、ほとんどが、SDGsに反するような環境をつくって、ワークショップをやっても、参加している側は、なんだかなあと「自分事」から遠のく要素の方が多い。

★ビジョンを共有しようといっても、そう簡単ではない。でもだからこそ、「にもかかわらず」なのだ。「にもかかわらず自分事やビジョン共有なのだ」そこを互いに了解し、お互い助か合いたいけれど、それができない。そこが悔しい、スマナイと思ったッところから、対話は始まるのかもしれない。もちろん、明快にそこはわからない。ただ、瞬間の了解とでもいおうか。

★私は、感謝しなければならないのは、妻にも娘にも、そのことを指摘され、そこから対話できるようになったし、今でも盟友だけれど、それが続いているのは、ストラスブールでプログラムを運営している時に、君と話し合っても、こちらの想いとはすれ違いだと。エッ、同じだと思っていたが、またその友人よりもずっと長い盟友で、今も仕事をいっしょにしているが、3月にデジャブとおもえるようなまったく同じことを言われた。二人は冷静にではなく、少し怒りも込めていた。これはきっと同じ心的構造なのだろう。

★もちろん、彼らとは今も対話している(と妄想しているだけかもしれない)が、「これ」をその都度探すのは、結構楽しい。しかし、そう簡単に「これ」は現れない。「これ」は相当気分屋である。求めている時は出てきてくれないことが多い。だから、いつもサプライズということになる。

★昨日も今日も先生方ありがとう。そして今日会った高3生、ありがとう。

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【未来を創る学校04】光あれ!静岡聖光学院未来の扉を拓く!

★静岡聖光学院は、C1英語、PBL、ICT、学習空間、リベラルアーツ、思考コードという21世紀型教育の共通システムをすべて整った。そして、それを土台に、グローバルイマージョンとシリコンバレーまで行ってイノベーションも身につけてきた。ついに教師も生徒も「グローバリューション」という大きな進化を遂げた。教師も生徒も日々自己変容し、学院一丸となって、英語と日本語の両方を日常からつかいまくっている。

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★エッ!それでは、トマス・フリードマンが「フラット化する世界」で見破った、フリー、フェアー、フラットという3Fのダイナミズムがグローバリゼーションの影を生み出すと見破った世界に突入したのか。いや、違う。フリードマンが、同書で述べているように学び方を学ぶ重要性が闇を光で制圧するのである。

★同学院はグローバルイマージョンとイノベーションの根源に学問という学び方を学ぶ基礎が在る。そしてmen for othersという隣人愛を大切にするカトリック精神が根付いている。

★GAFAの立ちあがり当初も、決してグローバリゼーションの闇を生みだそうとしてはいなかった。むしろ逆だ。しかし3F=Free, Fair, Flatの中にそれを生み出す仕掛けが隠されていることを、彼らは見破れなかった。実は、このFlatは、価値を等価に相対化するFinaceの暴走を止めることができなかったのだ。

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★だから、FlatはFinaceという階級差をなくすだけではなくすべてをカネで置き換える事態に変容させた。そしてなんと新しい富裕層を生みだした。そうなると。Free(自由)はFreeze(氷結)に変わり、Fair(公平)はFear(恐怖)に変態たしたのである。

★ところが、静岡聖光学院のグローバリューションの3Fは、フリードマンが見抜けなかったもう一つの3Fだった。それは、Free, Fair, Fratanityだったのある。このFlatの本当の意味であるFratanity(愛)が、グローバリゼーションの凍てついた闇を氷解し、怖れを払拭するのである。

★静岡聖光学院の21世紀型教育は世の闇を光で圧倒するグローバリューションの帆をいっぱいに張って進んでいるのである。

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【未来を創る学校03】新しい臨床知による教育の可能性

★よく教育改革で、「世界を変える 世界を創る」などという話になると、トレンド校長たちの登壇とか鼎談とか騒がれる。そしてそこにとぐろを巻くように、あのアイヒマンのような「普通の人びと」が現れる。しかし、実際に変えているのは、現場の教師であり生徒である。そこに光が当たらない。なぜか?セミナーやっても人が集まらないし、雑誌も売れないからだ。

★今重要なのは、現場で、英語やPBLやリベラルアーツやICTに技術的に格闘しているだけではなく、臨床教育学の方向性の新しい臨床知をすでに実践している先生方や生徒なのだ。基本は、ダイアローグという意味での対話だが、ソクラテスやヘーゲル的な哲学的対話ではなく、フッサールのような間主観ベースの現象学的な対話の流れだろう。

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★「臨床教育学」というと河合隼雄の考え方が現場で広まっていた時期もあるし、今もそうなのだろう。しかし、もっと日常に臨床知が必要とされている。

★アイデンティティは、客観的に存在するわけでもないし、主観的に存在するわけでもない、諸関係とのかかわりの中で、成長し、自己変容していくのが、目の前の生徒の姿である。そして、それを見守りながらも共に語り合い、影響し合う間主観的な状況を互いに信頼できる日常の中での変容が起こっているのが現場だ。この変容は間主観を生み出す参加者全員に起こる。生徒だけが自己変容し、教師は自己変容しないというのは、臨床知ではない。だから、同じ学びのプログラムを活用している人やパッケージを求める人は「普通の人びと」で、恐ろしいのだ。

★つまり、この一見非認知的で非日常性を否定する「普通」を創り出そうという合理的・全体主義的教育の流れがあるということなのだ。GAFA的な強欲市場原理を持ち込む輩だ。

★教育に市場をいれてはいけないという話題があるが、それは強欲市場主義で、公正な市場はいれないわけにはいかない。市場のない生活はあり得ないからだ。なぜなら公正的な市場とは、間主観的な人間関係の信頼性が生成される場所で、学校現場で生み出されているのは、まさにここで生きる力だ。したがって、教育に市場をいれるなという人は、この信頼性を排除するこれまた「普通の人びと」の一極である。

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★もともと、この公正な市場は、国家がコントロールする前から存在していた。この公正な市場をベースにした市民社会をめぐって啓蒙思想以来の政治・経済・科学がある。フッサールもその流れで、この流れを汲むマルティヌス・ヤン・ランゲフェルド(Martinus Jan Langeveld、1905年 - 1989年)の影響を受けて京都大学が拠点となって「臨床教育学」が生まれ浸透したようだ。河合隼雄は、その実践者の1人で、提唱者は、ランゲフェルドに師事した和田修二教授。

★ただ、和田教授は、根っこはハイデッガーだし、河井隼雄はユングである。ランゲフェルド自身はフッサールに影響を受けている。この三者の違いがあるのかどうかは、なかなか立証できないが、おそらくあるだろう。

★フッサールは、まさにあの時代が訪れる前夜にあの一色の雰囲気に抑圧されていたし、夜と霧のフランクルは、「普通の人びと」には想像を絶する凄惨な事態に閉じ込められていた。IBやランドスクエアを創設することに尽力したクルト・ハーンもその雰囲気に捕らえられていたが、イギリスが亡命をサポートしてくれた。

★私たち日本人だって、その雰囲気一色に染まっていた時代があったのに、それを国家からは制度としては一掃したが、組織や集団の中にはその雰囲気を作り出す反市民性の温床となってしまったところも依然としてある。

★この反市民性は、ドイツでもアメリカでも日本でもおそらく世界に拡散していて、弱者に刃を向く。知人の子どもがあの列にいた。あの瞬間そこは夜と霧の場と化した。

★反市民性は、かくして夜と霧をまといいたるところに忍び寄る。自己肯定感が低いとか主体性がないとか、だから制度でなんとかしようという改革が失敗するのは、忍び寄る反市民性を遮断できないからだ。むしろ、反市民性の雰囲気を増幅してしまうからだ。

★一方通行型の授業でなければ、大学実績はだせないと嘯いているのは、まさに反市民性に道を開く「普通の人びと」である。彼らは対話を好まない。命令される一方通行型人間関係が心地よいのだろう。

★すくなくとも、この忍び寄る反市民性の足音や気配に気づく知を教師も生徒も共有するには、今、新しい教育おける臨床知が必要だし、すでに生まれている。最近、保険体育、家庭科の先生、養護の先生、幼稚園の先生などと対話する機会が増えた。そこには新しい臨床知がすでに生まれている。それが何かを追究したいし、それがPBLの中の対話にも広がったとしたら、ようやく市民性が現場から生まれるだろう。そこに未来がある。

 

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2019年6月 7日 (金)

【未来を創る学校02】「主体的・対話的で深い学び」とグローバルシチズンシップ

★「主体的・対話的で深い学び」というのは、今回の学習指導要領の「何を学ぶか」「どのように学ぶか」「何ができるようになるか」のうちの「どのように学ぶか」に対応する領域。このように学んで「何を学ぶか」というと、それは学習指導要領に規定されている学習内容。しかし、知識だけではなく、資質・能力=コンピテンシーもその内容に入っている。

★ここで、しかしながら、終わるのではなく、「何ができるようになるか」も問われる。つまり、それは「①知識及び技 能、②思考力、判断力、表現力等、③学びに向かう力、人間性等」の学力の3要素ということになるのだが、これを学習指導要領では、資質・能力=コンピテンシーと置き換えている。この3つの柱と学力の3要素の関係は複雑だ。

★この内的連関を的確な図で示しているものは、今のところない。そのうちでてくることを期待し、なんでこんなことをやるのか、学習指導要領ではどうなっているか今一度確認してみると、「予測困難な時代に、未来の創り手となる」人材が生まれることを期待しているわけだ。これはある意味、グローバルシチズンシップが生まれる学びにしたいというコトでもあろう。

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(昨年の水都国際中学校・高等学校の説明会でミニPBLを挟みながらスピーチする教頭太田晃介先生)

★ということは、グローバルシチズンシップを生み出すには、ふだんの授業が「主体的・対話的で深い学び」=「主体的学び×対話的学び×深い学び」である必要がある。学習指導要領は、一部の教師、一部の教科に限定することはない。すべての教師、すべての教科で行うというコトを期待している。

★今春開設した大阪市立水都国際中学校・高等学校では、生徒の主体的な動きが半端ないと聞き及ぶ。自主的に勉強するとかいう程度ではなく、自分たちで自分たちの学校を創っていくのだという意志をもって、生徒会も部活も、ビジョンから企画から立案して先生と交渉・議論する環境になっているようだ。

★外部のコンテストやトビタテなどの留学も、協働してどのように挑戦し活用していくか話し合うプロジェクトが自生することもしばしばだということのようだ。まだ開設して3カ月目だというのだから驚きだ。

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★昨年の学校説明会では、教頭太田先生は、レゴを使ったミニワークショップを行いながら、受験生と保護者に、PBL授業体験を実演した。そして、公約通り、すべての教師が、PBLやアクティブラーニング、inquiry based learningなど手法は様々だが、とにかく「主体的・対話的で深い学び」を実行しているという。

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★中原淳教授や溝上慎一教授がトランジション研究を行っているが、このようなPBLで学ぶ生徒や学生が、企業にはいっても、NPOで活動しても、起業家となっても、活躍するというデータエビデンスが蓄積されているようだ。

★このことは、まだまだ明らかでないから、学習指導要領の改訂が学校教育法改正に伴っていることを知っていても、動かない教師もいるかもしれない。しかし、法を尊重しないという意味ではシチズンシップとはいえない。すくなくとも、そのような教師の実践する授業からは、グローバルシチズンシップは生まれてこないのは火を見るよりも明らかだ。

★水都国際は設立準備にあたって、カリキュラムばかりではなく人材採用も、当然PBLができるあるいはやろうとする意欲のある人材を登用している。このような環境から、予測不能な時代だからこそ、未来を自ら創る、つまり世界を創る渦を生み出していく人材が輩出される可能性がある。グローバルシチズンシップとは何者か?それはまだ確定されていない。しかし、水都国際が輩出する人材がそのロールモデルの1つになる可能性はある。

★今月末G20が行われるのは同校の隣接地帯。それゆえ、その準備が学校の近くでなされている様子を、生徒は今から見ている。まさにグローバルシチズンシップをかきたてる体験である。2025年の大阪万博も隣接エリアで行われる。ダイレクトにグローバルシチズンシップが生まれる環境でもある。

★自治体と民間のハイブリッドな学校として、期待がかかる。

 

 

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2019年6月 6日 (木)

【未来を創る学校01】実はグローバルシチズンシップは、ようやく見えてきた段階

★1989年ベルリンの壁が崩壊して30年が経った。その影響で生まれたEUは、ここにきて混迷を極めているし、戦後の世界をどうするか調整する機関として大きな影響を与えてきた国連も財政的に危機に陥っているといわれている。1998年ころに預言書のようなサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」が現れたが、まさに大国の衝突を回避する会議が世界で踊っているのもデジャブな今日この頃だ。

★教育の世界では、21世紀前夜に、イギリスでグローバルシチズン教育が生まれ、日本でもグローバル教育という言葉はあふれている。しかし、その中で、グローバルシチズンとしてどんな言動をとるのかというと、千差万別で、実際にはグローバルとかグローバルシチズンシップとか概念はまだまだ固まっていない。

★そんな中で、デジタル市民などという言葉も生まれ、ほとんど商品名と化し、「市民性」の本質はどこかに行ってしまったかのようだ。

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★しかし、SDGsというグローバルゴールズに関しての動きは結構盛り上がり、ここに新しいグローバルシチズンシップの動きが学校の中に現れ始めた(とはいえ、SDGsのことを知らない小中高生もまた結構いるのだが)。

★だからといって、グローバルシチズンシップの概念が固まってきているわけではない。しかし、グローバルシチズンシップが、インターナショナリゼーションのときから重視されていたリベラリズムやその後のんネオ・リベラリズム的な価値観に支配されたグローバルシチズンシップからは解放されているようにみえるリアリティが生徒のすぐ身近な出来事や出会いとして起きていることも確かである。

★シチズンシップは、正義(法)と経済と自然と精神(人権)をどうとらえるかという問題でもあるから、この解放から一役買ったのは、日本では白熱教室で有名になったマイケル・サンデル教授だったたかもしれない。少なくともリベラリズム、リバタリアニズム、コミュニタリアニズム、コンサバティズムという価値観があることを示した。

★グローバルシチズンシップは、どのポジショニングに着くのだろう。しかしながら、話はそう簡単ではなく、Nigel Dower, John Williamsが共に書いているように、それらの価値観を超えたあるいは統合した新しい正義と経済と自然と精神の諸関係を生成したところに成り立つグローバルシチズンシップという新しい枠組みを模索しているのが今であるととらえることもできる。

★二人が著した2002年には、9・11という従来の正義論では解決できない事態が起こっていたからであるが、それ以降のリーマンショック、テロの拡散、3・11、パワハラ問題、DVの凄惨な問題、GAFAの台頭の問題などは、従来の正義論から脱せないままのグローバリゼーションを食い止められないグローバルシチズンシップの概念の流動性やゆがみが構造的に引き起こしている可能性がある。

★そこを何とかしたいという緊急性は高いが、いったい新しいグローバルシチズンシップとはどのようにとらえたらよいのだろう。しかし、概念というのは、時が熟さなければなかなかかたまらない。そんなとき、学校や教育を取り巻く世界で、新たなグローバルシチズンシップをとられることができる多様なプログラムや人的交流が起こっている。

★未来を創るヒントは、ここにありそうだ。未来を創る当事者である子どもたちと共に、新しいグローバルシチズンシップの活動とそれを通しての概念形成、つまり新しいグローバルシチズンとしてのアイデンティティを生み出す広い視野を未来を創る学校は持ち始めている。

★2020年からの大学入試改革も、その視野を有しているはずなのだが、今のとことそうではなさそうだ。国内の大学入試と新しいグローバルシチズンシップとの関係を相対化して、プラグマティックに対応していく思考力革命に期待する。

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2019年6月 5日 (水)

大阪市立水都国際中学校・高等学校 高等学校教頭太田晃介先生に会う。

★梅田で、久しぶりに、太田晃介先生にお会いした。今、太田先生は、大阪市立水都国際中学校・高等学校の高等学校の教頭を務めていて、創設初年度で奮闘されている。

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★同校は、国家戦略特別区域法における学校教育法の特例を活用し、公立学校の運営を民間法人等に委託する公設民営の手法による学校。全国初の公設民営の併設型中高一貫教育校。今政府や文科省は、いろいろな学校の形態を模索し、グローバル社会の激変に耐えうるだけではなく、世界の人々が幸せに生きていける社会創設に貢献する人材輩出ができる最適な学校システムを求めている。

★しかし、それは上からのアイデアではなく、自治体というコミュニティの協働的な取り組みの中から生まれてくることが期待されているのだろう。したがって、設置者が大阪市で、運営は民間の学校法人等が行う学校という、アメリカのチャータースクールのような挑戦は、日本の教育史の中で画期的なことでもある。

★また来年以降IBのディプロマコースも開講する予定で、目下認定のために準備を進めている。カリキュラムも公立学校の中でもかなり特徴的な仕組みにチャレンジすることになる。

★太田先生は、グローバルな視野と新しい学校組織作りと今までにないカリキュラムづくり(学習指導要領ベースではもちろんある)と新しい教師力育成という多角的多面的仕事に取り組んでいる。

★これ程新しいことに挑戦しているのだから、当然いろいろな葛藤や壁にぶつかるのは想像に難くないが、対話の中ではそういう話は一切出てこないかった。それよりも、新中1生と新高1生のまさに「主体的・対話的な深い学び」に取り組む前のめりの姿について目を輝かして語られた。

★部活や生徒会は生徒自ら創っていく環境を設定していることが功を奏しているとい。また、公のイベントや研修への参加も内発的モチベーションが想像を超える高さだという。IBコース以外も、そのエッセンスはカリキュラムに流れるし、実際に高2からは総合的な学習の時間で、コースの区別に関係なくTOKを取り入れたプログラムが実施されるから、学校全体がグローバル教育の息吹で満たされるし、すでにそうなっているというのだ。

★太田先生のことを以前から知っているが、カリキュラムのみならず経営や組織作りについても懸命に学びそして取り組んでいる姿に、日本の教育の未来は、やはりこのような先生方の言動の中にこそあると確信した。

★同校の目指す学校像に「国際社会で活躍し、大阪の経済成長をけん引する人材を育てる学校。」という文言がある。学内の先生方1人1人がこの思いを持つ学校は、そうはないだろう。理想と現実の一致という美しくも険しい道のりを学内一丸となって生徒も一緒になって進むチーム作りに没頭している太田先生の姿に感動した。

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2019年6月 4日 (火)

創造的才能 ハワード・ガードナーの考え方をきっかけに

★埼玉大の池内慈朗教授は、ハワード・ガードナーの研究家として有名だし、ガードナーの翻訳も出版している。そのガードナーの著書を読みたいところだが、私は、夏目漱石の「草枕」的読解リテラシーしかなく、告白すると、何せ、長文をリニアーに読み続けることができないのだ。

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★それゆえ、インターネットで概要を検索する。今回も池内教授の「ハワード・ガードナーの創造性理論および米国における関係諸理論」を見つけた。しかし、それとても、全文は読めない。ぱらぱらとめくって、次の一文にぶつかったところで、満足してしまう。

≪ガードナーは、創造性の定義を、「創造的な個 人が、専門とするドメインにおいて、あるいは、 少なくとも一つの文化的な集団のなかで、問題を 解決したり、時代の流れを創り出したり、新しい 問題を提起すること」としている。≫

★あとは、ガードナーのMI理論の本の断片とかピアジェやレヴィ・ストロースを研究していたという断片やミハイ・チクセントミハイと共感しているという情報やレッジョを尊重していたという情報を重ね合わせ、勝手に考える。だから、ガードナー教授がそう考えたのかどうかは実のところわからない。

★ただ、先日のカウンシルの時、立ち話で、聖学院の内田先生が、ガードナー教授は、創造性は多重知能とは別物ではなく、むしろそれぞれの知というドメインで働くのであると語っていたことが気になっていた。内田先生は、技術という教科ドメインを受け持っていて、そこで創造的才能を発揮している。いやむしろいくつもの多様な知の結合ドメイン(おそらくこれこそが教科横断的というものの真の在り方)で、創造的才能を発揮し、メディアに取り上げられ、市場というフィールドで認めらえている。

★まさに、ガードナー教授の創造性の定義を貫いている方なのである。その先生がそう言うのだから、もう一度ガードナー教授の創造性について調べよう思ったわけだ。

★すると、先の一文に出遭ったわけだ。ガードナーは、すべての個人が創造的才能者だと考えているかどうかは今のところ不明だが、すくなくともレッジョを注目し、就学前教育を研究し、幼児期のメタファー表現に創造性の作用を見ているから、生まれたときは、みな創造的才能者だとみなしているだろう。ただし、教育が始まると、MIや創造性の作用が十分に発揮できる教育が行われてこなかったために、創造的才能は摘まれてしまうと考えている可能性はある。

★それを取り戻すために、MI理論や芸術教育のプロジェクトを展開してきたのだろう。

★さて、ガードナーと内田先生のプログムを通してわかることは、創造性は学びを通して生まれてくることは可能だというコトだ。それはメタファー機能を学びに活用することなのである。

★メタファー機能とは、実は「思考スキル」と呼ばれるものである。スキルと表現すると、なぜか受験テクニックに直結してしまうが、思考スキルは実は修辞学である。

★表現とは、表現者がいいたいことを伝達する機能を有しているが、それは論理的思考のときに限られる。そういうドメインやフィールドも必要である。しかし、表現は思いもよらないリアリティを創造/想像する技術でもある。

★direct表現とindirect表現のカップリングが常に生まれるのが表現というものであろう。ただ、事実に力点をおいたとき、direct表現が前面に出てくる。そして、ファンタジーを思い描こうとしたら、伝達以上の内容を生成するindirect表現になる。かくして表現とはルビンの壺である。

★では、その創造性を生み出す修辞学としての思考スキルとは何か?それは、隠喩とか提喩とか換喩とか呼ばれている「置換」スキルであり、パラドクスや矛盾、差異と呼ばれる「比較対照」スキルであり、具体と抽象という「挿入」スキルや「削除」スキルであり、順番を決める「優先順位」スキルなのである。特に、「置換」スキルはユークリッド幾何という硬い数学を非ユークリッドやトポロジーという空間変容に誘う最強のそして当たり前すぎて気づきにくいスキルなのである。

★こういうと、そんなもんですかと言われそうだ。だいたいいつもそう言われる。基本原理はいつもシンプルである。リニアモーターカーの基礎原理は電磁石のプラスとマイナスの差異によって動くのである。真理はいつもシンプルである。だから、すべての子供たちが創造的才能者になる学びはデザインできるのである。それには、幼児期から修辞学的思考スキルの気づきを途絶えさせないことである。

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【思考力革命02】いよいよ局面が変わる雰囲気か?

★いつも会っているし、この間もカウンシルですれ違いながら対話していたが、3人だけで晩餐をするというのは、令和になって初めてだった。不思議と、こういうときは、互いにアポをとるのが、一発で決まる。

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★4時間以上対話していたから、話は、多岐に渡ったが、話の軸は、時代の雰囲気を読むというコト。最初は、いまここのリサーチ結果を持ち寄りながら、その背景にある通時的視点を見出すために、それぞれの知恵をメタダッシュボードに入れて、がちゃがちゃ振り回す。

★そのうち通時的視野と共時的視野の交差点がいくつか見え始める。

★鈴木さんは、デューイやローティの系譜で語るし、僕はフッサールやピアジェあたりから、しかし二人はガードナーで合流する。石川先生は、その流れの中にクリティカルシンキングを挿入し、自分たちがイメージしている思考力や対話の意味を問い返し、ああでもないこうでもないと盛り上がる。

★3人の原点は、2009年あたりだ。それ以前から互いに情報交換はしていたが、3人がいっしょに共創造をするというのは、そのあたりからだった。今のかえつ有明とか宝仙理数インターとか少し遅れて広尾が立ち上がり、そろそろキャズムを迎えるという局面で、3校のみならず、多くの学校が突破口を見出そうとしていた。2006年・2007年と教育基本法や学校教育法などが改正され、今の大学入試改革の準備が国立教育政策研究所でスタートしていたころだった。もっともきっかけは経産省の動きだったが。

★官の動きを気にしていたわけではないが、もともとOECD/PISAの問題と分析をリサーチしていたこともあって、同研究所がリサーチしていることが、たしかに時代をつかもうとしているということだということは感覚的につかんではいた。21世紀型スキルという名のコンピテンシーやブルーム→アンダーソン→マルザーノのタキソノミーのバージョンアップなどが研究対象になっていたのは、なぜかシンクロしていたのを思い出す。

★一方で、私立学校は経営上の問題があるから、その一環として生徒募集をなんとかしなくてはならない。その当時はアドミッションポリシーとかカリキュラムポリシーとかディプロマポリシーという言葉はまだトレンドになっていなかったが、入り口ープロセス―出口という表現を使っていて、入り口だけではなく、くし刺しするアイデアを議論していた。

★つまり、外部の市場や学内の内部、そして社会との接点の関係総体を変えるものはないかと。点だけの変更という対処療法はなるべくとらないようにしようと。もちろん、現実的にはそういういときもあったが。そうして生まれたのが「思考力入試」だった。しかし、予想通り、塾には一笑に付され、「思考力なんて昔からあるでしょう」と言われたり、「こんなもんですか」と言われたりした。

★3人は、この言葉がでてきたら、キター!と思う。コペルニクス転回とかコロンブスの卵とは、世の人がそういう捨て台詞を吐いてくれた時やってくる。まあ最初は、「思考力入試」というネーミングは学内でも塾の対応をおもんぱかって却下され、「作文入試」というネーミングで行った。

★聖学院の当時の校務部長の平方先生が、だったらウチでと、「思考力入試」というネーミングを使ってくれたことを契機にかえつ有明も「思考力入試」というネーミングを使うコトができた。やはり協力関係は必要で、それがきっかけで、2011年に発足した21会で共通のネーミングで進撃することにした。聖学院の校務部長だった平方先生が、工学院の校長に就任したらすぐに「思考力入試」を実施することを決めたから、新タイプ入試の一角を占めることができた。

★デューイやフッサールやもっと前から哲学的な「思考力」というパースペクティブでみている私たちと、「思考力・判断力・表現力」というカントの「認識・実践・美学」に重なる意味での学習指導要領の言説である「思考力」とでは、その歴史的文化的構造的意味が違うのは当然で、同じ「思考力」という言葉を使っていても、対話が成立しないのは当然である。

★しかし、それを逆手に取れば、外部・内部の変容を生みだせるし、局面を変えられる。そこで「思考コード」という基準に準拠した思考力入試を軸にしたのだった。「思考コード」のコードは基準とかルールという重たい意味をカジュアルに表現しておこうという作戦だ。

★コードには「法典」という意味もあり、ローマ帝国の成立史の要件にあるインフラというコード、ローマ法というコード、パックスロマーナ精神というコード、ラテン語という言語コードなどを、もちろんその背景には軍事力という」コードがあるから、そのまま鵜呑みにはできないが、アイデアを転用した。それはプラトンやアリストテレスだってそうだ。奴隷制の上に成立していたから、そこを無視して転用できない。

★ともあれ、学びのあるいは人材育成のコードをきちんと脱構築するコトがミッションだった。

★21会がC1英語とかPBLとかICTとか思考コードにこだわるのは、その背景には、現状の強欲社会システムをwell-beingに変容する基準・ルール・法典の考え方のコペルニクス的転回=思考力革命を生み出すことだった。

★鈴木さんが、今月実施されるかえつ有明の思考力対策講座である「思考力のトレーニング講座」は、24時間で定員の50名が満たされたという話をしながら、2009年に行ったときは、石川先生は、最初は5人でもいいから集まって欲しいといっていたのを思い出しますと感慨に浸っていた。すると、石川先生は、でもそれは初回でしょう。11月以降はその当時から50名くらい集まっていたわけで、だから各校に思考力入試をやる価値があると啓蒙しているわけで、今もそれは同じですよと。するとすかさず、鈴木さんも、でしたねと、じゃあやりますかと。

★そこで、やはり思考力革命の流れは来ているわけで、こうなったら、局面を変えることを次元を変えて創りますかということになった。時代が変わらない理由をああでもないこうでもないといっている時間がもったいない。だったら創ってしまえばよい。思考力入試対策講座で「信長とジョブス」の対話を創作するプログラムをつくって、在校生の皆さんと事前シミュレーションした時のことを思い出した。アクティブラーニングの実験も石川先生はそのときから実施していた。

★2009年、2011年、そしてしばらくマイナーチェンジで進行してきて、2019年、三度新次元を創る話に盛り上がった晩餐だった。

 

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2019年6月 3日 (月)

聖ドミニコ学園 伝統と革新の教育が大きく動き出した。

★今春、聖ドミニコ学園は、21世紀型教育推進を開始して2カ月が経過した。しかし、はやくも、新しい2つのコース「インターナショナルコース」と「アカデミックコース」は順調に進んでいる。

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★インターナショナルコースの数学と英語の授業を見学したが、すでに実績を積んでいる同じようなコースを実践している学校の授業と甲乙つけがたい出来栄えだ。新しく設置したとは思えない。シンプルなPBL授業だが、中1ということもあって、知識の理解から丁寧に始める。しかし、知識はすぐに活用・適用し、自然とロジカルシンキングに移行する。

★教頭生方先生によると、インターコースの理科も、自然豊かな聖ドミニコ学園のキャンパスをフィールドワークの場として利用し、採集してきた植物を調べて、もちろん英語でレポートに仕上げるなど、PBLがスムーズに展開しているということだ。

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★さらに驚いたのは、アカデミックコースの英語の授業。中学から入学してきた生徒は、英語にまだ慣れていないので、取り出し授業で丁寧にサポートされているという。最初、生方先生の言っていることがわからなかった。取り出し授業というのは、アカデミックコースでインターコースとまではいかないが、かなり英語のできる生徒を集めて行うというものだと思っていたからだ。

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★いやいや、そうではなく、何度も繰り返すが、中学から入学してきた生徒でアカデミックコースを選択した生徒を集めて取り出し授業を行っているというのだ。

★つまり、小学校から入学してきた生徒は、すでにかなり英語が出来ているのである。たしかに、これがアカデミックコースのクラスなのかと目を疑った。いや耳を疑った。これって、他校のグローバルコースのうちのアドバンストコースと同等レベルだったからだ。

★生方教頭は、今回の新しいコースを設置したことにより、私たちの学園全体で取り組んできたことの正当性がある意味証明され、自信を持ち始めていると語る。だから、より小学校と中高の英語のカリキュラムのつながりを調整する連携が行われるようになったということだ。

★このような改革の動きが加速しているのに感動した。

★しかも、改革は中1から徐々に始めていくはずなのだが、学年を越えて教える講師もいるから、その波及は学内に確実に広まっている。

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★中1以外のライティングの授業なども、1人1台のiPadを活用しながらPBL授業が行われていた。もっとも、iPadは、すでに高2まで、1人1台の環境になっているという。見学した日の5・6時間目は、中1がiPadを手にするガイダンスがある日でもあった。

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★中2の宗教の時間も、PBLで授業が行われていた。聖書の放蕩息子の一節を理解するために、登場人物になりきって日記風にその一節を書き換え、チームでさらに物語をブラッシュアップしていく展開だった。

★宗教の時間と聞いて、聖書解釈の講義が行われるのかと思っていた。たしかに、聖書はほとんどが隠喩というレトリックで書かれているから、それを解釈せざるをえない。しかし、だれか権威ある聖職者の解釈を憶えたり、押し付けられたりするのではなく、生徒が自分たちで聖書の理解を深めていく対話をすることが中心だった。

★これは、歴史的解釈学や哲学的解釈学、法律的解釈など、言語に関する議論の絶えない領域の学びの入門編でもある。ハイデガーの影響を受けながらも距離を置きながら哲学的解釈=ヘルメノイティークを生みだしたガダマーの世界の入り口である。ガダマーは、ハーバーマスやデリダなど超有名哲学者や社会学者と論争したが、もともとハイデッガーの根っこにある、トマス・アクイナスをいかにして超越するかというテーマも内に持っているはずである。このトマス・アクイナスこそ、ヨーロッパの歴史的水脈に流れる思想を生みだした1人である。そして彼は、ドミコ会士でもある。

★そんな妄想をいだきながら、豊かな宗教のPBL授業を見学した。

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★そして、5・6時間目。中1生の一人一人の手にiPadが渡されるガイダンス。使い方や情報のセキュリティーなど、多角的な学びが行われ、その後いよいよ真っ白い箱の蓋が開けられた。白い箱から黒い画面がのぞく。白と黒は、聖ドミニコ学園のロゴのカラーでもある。

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★伝統と革新が相まって聖ドミニコ学園の挑戦がダイナミックに動き出しているのである。

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【思考力革命01】学びの組織を選ぶあるいは創る時代 well-being=CCTCと自然と社会の循環

★クリティカルシンキングやクリエイティブシンキングの思考の構造(CCTCと呼ぼう)が身体脳神経系全域に張り巡らされることが要請される時代。このことの良し悪しは論じたければ、それはお任せする。

★そして、この身体脳神経系に張り巡らされたCCTCは自然に結びつきAI社会にも結びつく。CCTCと自然とAI社会と有機的に結合し循環することによってwell-beingが到来する。つまり、well-being=CCTC×自然×AI社会という関数でビジョンを描いておく。

★それゆえ、こういうCCTCと自然とAI社会の循環のシミュレーションができる学びの環境を組織する必要が、今の子供たちにはある。もはやたしかに、それは従来の学校でなくてもよい。スーパーアスリートのように、学校に行かなくても(高校卒業資格がまだ必要な社会だから、そこは通信制高校などを活用するが)、チームでサポートして学びの組織を創り上げるのでもよいだろう。資金があればできてしまう時代だ。

★学びの組織は、自前で創り上げることができる時代である。

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★しかし、資金がなかった場合公立学校にいけばよいし、年間1000万くらい学費を払うことができなくても、その10分の1は投資できるというのであれば私立学校を選べばよい。ここに学びの組織を選ぶという選択肢もある。

★学校は、今改革を行っていて、公立学校もラジカルな校長が脚光を浴びている。私立学校はどんどんCCTCを学べる環境を創っている。しかし、まだまだ公立学校は改革が広まっているわけではない。だから、それを補完するために、新しいCCTCを養う塾が必要となるだろう。少しずつでき始めている。

★塾に行く資金を、私立学校に回して、CCTCを養う学びの組織がある私立学校を選ぶこともできる。ただし、私立学校もまだまだ上の表にあるように、Aタイプのような国内大学進学準備だけの組織もあるし、ある程度才能のある生徒にとっては、Bタイプのような学びの組織を選べば、生徒が勝手にCCTCを開花するという学校もある。ここはまだ国内大学進学準備教育しか行っていない。

★学校に入る前は、まだどういう才能が開花するかわからないが、子供の才能を見出したいと思う場合は、才能はすべての子供たちにあるから、一人一人の才能を一緒に見つけ、学びの組織によって花開くようになるCタイプの学校を選ぶということもできる。CCTCを大切にする場合、このような私立学校を探すとよい。

★自らCCTC×自然×AI社会の学びの環境を創るか、そういう環境を選択するか。未来における子供たちのかけがえのない価値を生み出す準備はいまここから始めるのがよいのではないかと思うのである。それがようやくできるというCCTCベースの思考力革命が今起きているのだ。

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2019年6月 2日 (日)

聖学院 飛躍的進化へ(2)人材開発と学習する組織をつなぐ聖学院「思考コード」

★聖学院の「思考コード」は、先生方が自分の授業で生徒がどこまで広く深く考えていくのか、どうやって内発的モチベーションを生み出していくのか、自己開示をし、省察(リフレクション)していくのかをモニターするコンパスとして活用され始めている。

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★また、学習する組織として、クリエイティブクラスになるには、思考コードのC軸に沿ったプロジェクトをどのように創っていくのか考える契機にもなっている。この授業デザイン研究会自体、児浦先生は教師力や組織としてのイノベーションを創発するプロジェクトとして成長を見守ってきた。聖学院の人材開発と組織開発のプロトタイプであろう。

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★今回は、吉原先生の社会の授業のスクライビングを行った。吉原先生がご自身の授業を7分間のストーリーにして語る。そして伊藤先生がその話をフローチャート化して転写していく。授業の7分間物語の転換とさらにフローチャートという図式の置換。これらの作業はCoreflection(共省察)でもあり、ズレがあるかないか互いに耳を傾けよく観察するところが意外と重要。

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★そのあと、フローチャートに従って、生徒の学びのスタイルをチームで分析していく。傾聴とか個人ワークとかグループワークとかディスカッションとか生徒の様々な動きが明らかになっていく。

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★フローチャートと生徒の言動の様子の議論が終わり、シェアした後、再びフローチャートに従って、思考コード分析していく。このとき、吉原先生の授業で、生徒はどこまで考え表現していくかその可能性が見える化される。

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★そして、参加者全員がつけた思考コードを各ドメインごとに集計して、割合を計算する。すると、やはり、考える授業であることがくっきり見えてくるし、想像力や創造性も発揮する授業になっていることに改めて気づく。

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★吉原先生の授業は、生徒から大人気なのであるが、それは≪Hard Fun≫で、ストリーテラー吉岡先生の世界に導かれ、さらに主体的に考え抜く力を発揮できるから人気があるのである。

★しかしながら、吉原先生は、中1だから、まだC軸までは考えていなかったが、みんなで振り返ってもらい、自分の授業の可能性に気づいた。挑戦しないわけにはいかないという自分の気持ちを仲間とシェアした。

★今回、児浦先生は、素晴らしい授業もさらなるアップデートができるというのが、聖学院の強みになるはずであると語る。一人でアップデートすることはなかなか難しい。それはスポーツにおけるアスリートと同じである。チームでアップデートしていく協力が大切なのだと。

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★つまり、人材開発や授業力の向上は、そういう協力し合える組織作りが必要なのだと。

★今後、この思考コードを生徒と共有し、そのときの授業のルーブリックを生徒といっしょに創ることもできる。また、ルーブリックを「問い」化することによって、生徒自身が問いを立てることができるようにもなる。

★自己開示、共有共感は、聖学院の生徒はすでにかなりできている。あとは自ら問いを立てることができるよういになれば、おのずと探究活動やキャリアデザインを自分で描けるようになる。

★自分とは何か?という問いをめぐる絶えることのない新たな自分発見の拠点が授業であるのが今後ますます聖学院の強みとなろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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聖学院 飛躍的進化へ(1)授業デザイン研究会から組織開発発想が生まれる

★もう何回目を迎えるのだろう。聖学院の「授業デザイン研究会」は、回を重ねるごとにパワフルになってきたが、今回はシンギュラリティ的な飛躍を迎えたのかもしれない。

★今までは、有志が集まって、ルーブリックを使いながら、先生方1人ひとりの授業の共有と生徒の成長をイメージし、それを生み出す授業のスタイルや問いの共創をスクライビング手法で行ってきた。

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★聖学院の生徒の成長に対する思いやひとりもおいていかない授業としてPBL型授業のビジョンを共有してきた。ビジョンを共有してきた教師同士が集って、対話をしたりワークショップをしたりする中で、先生方は自己開示もし、自己変容もしてきた。十分にすてきな学びの協働の場だった。

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(中心にスーパーバイザー児浦先生、右に控え目に立っているのが、ワークショップで重要な役割を果たすファシリテーター波部先生)

★しかし、今年になって、児浦先生自身が21教育企画部長であり、国際部長であり、広報部長と3つの顔を持つようになった。学外でもたとえば、21世紀型教育研究センターの中核リーダーになるなど、七色仮面よろしく学びの正義のミカタになった。

★また、いつも参加している伊藤先生と日野田先生は教頭に就いている。そして教科主任や学年主任も参加している。役職がついていても、コミュニケーションはフラットであるが、学習する組織としては大きな回転をしはじめたことは確かである。

★ルーブリックにしても、授業の過程にしても、生徒の成長の軌跡にしても、とにかく「言語化」して共有するということは聖学院のミッションである。言語化や見える化は、気づきが多く、自己変容して成長するエネルギーが生成されるというのが、先生方共通の考えでもある。

★そういう意味では、この授業デザイン研究会は、先生方1人1人の人材開発・自己啓発の場であると同時に、学習する組織として、いよいよカリキュラムやシラバスを[聖学院「思考コード」を介して言語化して、生徒と共有し、教師と生徒が共に学ぶ組織にしていこうということになった。

★このことは、この研究会のスーパーバイザーである児浦先生からも教頭伊藤先生からも、研究会開始の冒頭でメッセージとして参加者に贈られた。

★このところ、数学科の波部先生がファシリテーター役を買って出て、ファシリテーターの学びを実践している。児浦先生や内田先生が行ってきたファシリテーターのロールを委譲(エンパワーメント)する場にもなっている。つまり、人材開発と組織開発は、聖学院ではカップリングされていて密接な関係になっているのだ。

★しなやかで強い人材と同時に組織もそうなっていく。この相乗効果はおそらく爆発的なエネルギーを放ちはじめるだろう。

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工学院の授業見学会 教師も生徒も内なる炎をたぎらせる(了)

★授業見学会が終わった後、ラウンジでハイブリッドインタークラス志望者対象の説明を補った。参加者はまさに多様性で、日本人の家庭だけではなかった。時代は変わったのである。

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★昨日の新宿キャンパスのハイブリッドインターコースの授業見学に加え、今回の八王子キャンパスの授業見学でも、インタークラスの志望者は参加していた。十数組の受験生家族が説明を聞きに集まってきた。

★説明する先生は、高等部教務主任の田中歩先生。教務主任の前が英語科主任だったから、インタークラス志望者の方々に対応するのは万全。すでに、全体説明会で奥津先生が工学院の共通教育システムについては語っていたから、田中先生は、インタークラスとそうでないクラスとの違いがある部分に絞って話をした。

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★とはいっても、システム自体の違いは実はない。システムというより、日本語ではなく英語が活用されるという点の違いが大きく、そうなると日本語クラスと違い、英語の技能の差によって、授業の進度や理解がどうなるかという話が大部を占めた。

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★しかも、その英語の技能の差というのは、インタークラス立ち上げの時から比べて、かなり縮まっていて、むしろ日本語のケアをどうするかという心配が受験生の保護者から質問としてあがった。当然、その質問をする保護者は英語で質問するわけだ。

★田中先生は、当然だが英語で、ナチュラルに対話をする。日本語何級でなければ受け入れないというルールはないから、今のところ個別に対応していくという話を当然するのだが、田中先生の話は、いつも具体的だ。

★実際に、日本語がそれほどできなくても、日本語も使えるようになっているインタークラスの生徒の例をだしたり、実際にどうなっているか、細かい点は中学を担当している奥津先生に質問しながら回答していくという、オープンでカジュアルな対話を進めていった。

★また、数学や理科のイマージョン教育は、全員が海外大学志向とは限らないから、日本の学力との差はあるのかというような話題にも当然なった。基本、日本の教科書に準拠した教材の英語版を活用するから、その問題はないことを説明したが、基本はCLILという教科横断型の授業展開が多いので、歴史も含めて、かなり高次思考を養うから、そこはあまり心配しなくても大丈夫であることも、丁寧に対話していた。

★この柔らかい田中歩先生の対話力が、実は工学院の急激な進化によって生じる齟齬を解消する柔軟な対応力を組織全体で作っている。平方校長が東南アジアで新たな市場開拓遠征をしているときも、学内は十分に良好な循環を果たしていたのである。今までなら、文科省などでの会議でどうしても出られない時などビデオレターでスピーチを流していたが、今回はもうそれはなかった。

★奥津先生や同僚の先生方と協力してありのままの普段のPBL型授業やハイブリッドインタークラスの授業を展開したり、保護者と柔らかい対話を展開できるようになっていたのである。そして、システムの話だけではなく、当事者の懸念に柔らかく丁寧に対応できる対話のクオリティを向上させていたのである。

★対話のクオリティは、当事者がまずどんな不安を持っているかリサーチすることから始まる。すでに説明会や授業見学をしているのだから、保護者はむしろ質問したいことがあるはずだからと、一方的な説明はせずに、質問を受け付けながら、必要な情報を参加者全員とシェアしていくというグローバル市民性の高いコミュニケーションをとっていった。英語も日本語も、相手に応じて使い分けしながら語っていく姿に、参加者は実に安心した様子だった。何より、システムの話は当然わかっているが、個人に特有な話については、わからないこともあるということを素直に明かしながら、澳津先生と対話しながら、保護者と話す態度は、意外と学校説明会では見ることがないシーンである。

★それにしても、中1で入ってくる段階で、CEFRレベルでB1の生徒がボリュームゾーンだという話を聞いて、確かにレベルは毎年あがっていると改めて思った。また、今年から夏の中3の国際交流は、いつもは、オーストラリアのアデレードに全員でいっていたのが、今年はハイブリッドインタークラスの生徒は米国カルフォルニアで国際プロジェクト2週間プログラムを体験するという。

★英語の力を高めるというより、海外の高校から参加者が集まる場の中で、チームビルディングをしたり、STEAM的な学びの中で研究や議論を英語で行っていく。将来は、これはAPにつながるだろう。

★学内でのインタークラスの学びは、海外でアカデミックな議論や研究で即活用できる段階であることを証明することにもなる。

★工学院の先生方や生徒はまだ気づいていないかもしれないが、外から見ているとわかるコトがある。それは、ハイブリッドインタークラスの学びは、海外でのアカデミックな活動ができるレベルであり、インタークラスではない2つのクラスは、実は他校の英語教育におけるアドバンストクラスぐらいのレベルになってしまうという路線を歩いているのである。

★それがケンブリッジイングリッシュスクール認定校のレベルであるし、今英語科主任の中川先生が中心となって動いているラウンドスクエアというIB(国際バカロレア)以上の教育共同体の加盟への準備は、そういうことを示唆しているのだ。

★このレベルが、あたり前になっているのが今の工学院の景色なのである。米国のチャドウィックスクールやチャータースクールの校長、UC系のアドミッションオフィサーのスタッフと話をするときに気づくのは、自分を前面にだすのではなく、いっしょに何ができるのかという自然な対話ができる。コンセプトや目標、理念について、くどくど話すことはない。それはもちろん大切で、尊重してくれるが、実はそこは互いに自由でよいのである。民主的で、オープンで、根拠を明らかにする話し方ができれば、まず信用がそこで生まれる。

★しかし、何をいっしょにできるのか、どんなシステムで、どのくらいの資金がかかるのか、具体的な話に進まないと、信頼関係は生まれない。

★田中歩先生と帰国生の保護者は、実際にはそういう対話になっているのである。互いに足りない部分は、どうやって解決していけばよいのか、それができるかできないのか。できなければ、諦めるし、できればハッピーなのである。しかし、そこで根性は求めない。それでは、できないかもしれないではないか。できないものはできない。努力してできるものはできる。システム上は規定がなくても、そこは交渉なのである。

★グローバル市民性とはそういう柔らかい対話と契約である。だから、システム原則主義では、うまく対話ができないし、場当たり主義でも信頼を得られない。では、困ったときにはどうするのか。グローバル市民性の充実した対話は、ケースメソッドである。6年間の中で、こういう事例があったという話をするのである。グローバル市民性において契約やルールはシステム以外にケースメソッドという慣習法も極めて重要である。

★日本の法実証主義は、実はグローバル市民性をベースとする人間関係において、仇となることがある。私立学校の系譜が、社会契約を基礎とする啓蒙思想にルーツがあるのは、そういうことである。まして、工学院は、130年も前に創設された日本で初めての私立学校としての工学系の学校である。奥津先生が、説明会で、ファーストペンギンとして明治時代に創設された学校であり、2014年に21世紀型教育に挑戦する再びファーストペンギンとしての学校であるという、工学院の系譜について語っていたが、その出発点は、広く市民に工学の学問や技術を共有するためにできた学校なのであるというコトだった。

★ルーツとそれを継承する未来を創る工学院。出発当時からグローバル市民性の精神を共有していたのである。東京駅丸の内駅舎。赤煉瓦の駅舎を設計したのは、工学院の創設に尽力した辰野金吾である。その駅舎の面影は、オランダのアムステルダムに行けばそのルーツをリアルに発見できるし、何と言っても辰野金吾が師事したジョサイア・コンドルは、ロンドンから来た若き建築家だった。

★彼は、アールヌーボの美術様式を好む、当時としてはすでにグローバル市民性に満ちた建築家というかアーティストだった。したがって、彼の立てた鹿鳴館は、時の政府からは評判が悪く、お雇い建築家は解雇されてしまう。政府は、威風堂々とした権威や権力を象徴する様式を期待していたのだった。

★≪私学の系譜≫は、もちろん、紆余曲折してこうして連綿とし継承されるが、辰野金吾やジョサイア・コンドルが大切にしたグローバル市民性は、今まさに工学院中高で大輪の花としてなろうとしている。田中歩先生の対話法は、私が10数年前に出遭ったチャドウィックの校長さながらの叡智に満ちた柔らかい対話だった。

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工学院の授業見学会 教師も生徒も内なる炎をたぎらせる(3)

★そんなことを妄想(笑)しながら、奥津先生のスピーチを聞いて、感動が増幅していたのだが、そのあとの授業見学(といっても一通りみてまわったので、授業のコンテンツそのものは把握していない)をして、やはり高水準で持続可能になったPBL型授業や英語イマージョン教育の数学など、毎年ここまでやるのは、人材確保や開発のシステムがしっかりしていないとできないことだと感銘を受けた。

★そんな中で、中1の数学のPBLの授業には、衝撃を受けた。数学はPBLにはなかなか取り組みにくい教科である。というのは、数学の教師の能力の問題ではなく、日本の数学の学習指導要領が、硬い数学領域で占められていて、柔らかい数学の領域を教科の授業の中で挿入することが難しいからだ。

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★化学では、新物質の発見について考察する時に、柔らかい数学の領域を引き込むから、ワクワクするのであるが、それが数学本家本元の数学科の授業では難しい。「最近接発達領域」というのは、実は数学のためにあるようなものだが、それを仕掛ける意味で、PBLを挿入して、対話を通して、各生徒のそれぞれの「最近接発達領域」を見い出しながら、1人もおいていかない授業を展開することは可能だし、工学院の数学科のPBL型授業はここには到達している。

★しかし、今回目にした中1の数学の代数のPBLでは、ハンドアウトの問いは、斬新なものだった。数学というと、まずは計算の仕方や文字式、因数分解の取り扱いについて、基礎、応用、発展とたくさんの演習問題をこなしていくのが普通だろうし、その合間にPBLを挟んで、「最近接発達領域」を確認して、それぞれの壁を崩して進んでいくというパターンが多いだろう。

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★ところが、私の目の前に広がっていた数学のPBLは、そういう部分もあるのだろうが、考える問題をバーンと投げて、個人で考え、生徒同士で対話して考え方を共有していくというもののように感じた。

★数学は、もともとイマジネーションは重要なのだが、問題演習になると、そこが自動化し、イマジネーションをいちいち立ち上げなくてもできてしまうということもある。

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★ただ、東大をはじめとする国立大学の数学の問題の中には、一見するとよくある問題に見えるが、問題文を読むと、ブラックボックスでできていて、何がわからないのかをイメージしなおすところからはじめなければならない。よく国語は、数学の文章題も読まなくてはならないから教科横断の基礎であると言われるが、現状の学習指導要領の読解リテラシーは、すべての解答は文章題に書いてあって、ブラックボックスになっていない。

★本来ブラックボックスである小説も、文章が断片だから、ブラックボックスとして取り扱えないのが現状である。詩はたまにあるが、そういう取り扱いをしているかどうかは不明である。

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★したがって、意外とそのような読解リテラシーでは、数学の問題文をすぐには理解できないのである。ある意味湯川秀樹などの科学者が語っているように、あるいは東大の現代文の素材文でも語られたように、数学や科学や歴史は、詩であり物語であると置き換えることができる。

★ところが、最近の現代文の素材文は、だんだん文学というブラックボックスの文章は避けられる傾向にある。

★そんな中で、中1の数学の授業で投じられた問題が、すてきだった。ちらっと見ただけだが、すぐに、“Listen to the sound of the earth turning.”というオノ・ヨーコの一行詩を思い出した。この詩集を読んだジョン・レノンがあの「イマジン」を作曲するインスピレーションを得たという。

★それはともかく、地球から一定の高さを結ぶひもの長さを求めるにはいかにしたら可能かという問題だったと思うが、目の前の手の中に収納できるスケールの円周を求めるのではなく、イメージするしかないスケールの大きい問題を投げかけていたのだ。

★まさに円周を求めるdirect learning以上に、イマジネーションや数学的思考など生徒は直接思ってもいなかったことまで想いを馳せることができる。そういうIndirect learningもカップリングされた数学の授業だったように感じた。数学のPBL型授業は、このダブルラーニングがいっぺんに立ち上がっている状態がもしかしたら理想的なのかもしれない。

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★そういえば、工学院の卒業生インタビューで、同校での受験勉強が面白かったのは、目の前の問題を解くこと以上に、もっと何か重要なことを学べたような気がするからだと応えてくれていたのを思い出した。

★奥津先生が、学校説明のスピーチの中で、大学合格実績が伸びてきた話もされたが、まさに大学進学準備教育と中1の数学の授業がダブルラーニングという意味でつながっているからなのかもしれない。

 

 

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工学院の授業見学会 教師も生徒も内なる炎をたぎらせる(2)

★29日の夜だったか、平方校長からショートメールが届いた。「とにかく景色が変わったから、31日と1日の授業見学会に参加してください」と。気づくのが遅かったが、「31日は関西にいるので、1日だけになりますが伺います」と返信した。しかし、何も応答はない。問答無用ということか?いやバンコクに旅立つ直前にメールをこちらに投じたからそのままなのだと了解した。

★私は、平方先生が聖学院の校務部長時代からこの世界に導かれてしまっているというコトもあり、また、当時の聖学院のプロジェクトにも参加させていただいていたということもあり、少しは平方先生の気持ちや判断がわかるつもりでいる。それに、当時のプロジェクトのメンバーの先生方は今や聖学院をしっかり背負っているし、学校を超えて、今も21会をはじめ外部でも活躍されている。

★聖学院の先生の中には、工学院でも行っているムチャブリともいえる平方先生の言動を羨ましく思っている方もいる。なんだかんだといって先頭に立って、聖学院の未来の時代を拓くために、子供たちの未来の価値を生み出すために、未来のサバイバルスキルを実装できる学びを開発するために、奔走し体当たりしていたのを知っているからだ。合言葉はパッション=殉教だったから、その場にいた私は目を丸くしていたのをときどき思い出すくらいだ。

★そのときは、面食らっていたことも正直あるだろうが、その先生方が、今平方先生と同じことを聖学院や教育界で行っている。パッション、ミッション、そして実存。

★とはいえ、平方先生は、一方で気遣い溢れる人である。だから、いきなり問答無用で何かを依頼することはない。だから、これは、本当にある確信を抱いたのだなと思い、31日の新宿キャンパスで行われたハイブリッドインタークラスの授業見学にはいけなかったが、1日は参加することにした。

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(写真は、同校facebookから)

★工学院のSNSは、情報発信力が並でなく、31日の授業見学の様子も、即日掲載されていた。たしかに、昨年に比べ参加者が増えている。帰国生の市場を思えば、たいしたものだ。それに、写真をみると、カリキュラムマネジメントリーダーが語っている。繊細かつ大胆で、気遣いと批判的精神の持ち主。もっともすごいのは、市場リサーチをしつつ、組織や受験生の保護者、大学関係者など内部と外部のネットワークを有機的につなげることに無理をする人。いつもシステム思考がフル回転していて、本当は人間には見えない俯瞰地図をなんとか描こうとする一方で当事者間のマインドセットもしようとする得難い人材。

★このへんは、ちょっと日本人の感覚ではわかりにくい。しかし、留学生、帰国生、海外からの教師などは、三者三様であるが、共通点は極めてケアの精神を相互に大切にするし、緊張とか不安とかナーバスとかいうのは、日本人とのコミュニケーションの時に発生しやすい。それは、私自身の経験でもある。私自身はおもてなしや気遣いをしているつもりでも、まったく空回りしているということがよくある。

★帰国子女の市場は、今までのように日本国内の中学受験市場の延長上でとらえることは不可能な時代になった。もちろん、今も延長上でとらえている帰国生もいる。しかし、やはり教育の世界もグローバルになった。帰国生の質も変わったけれど、帰国生入試の枠を活用する受験生も多様になった。偏差値で学校を選択せずに、教育の内容で選択する受験生が増えた。しかも、そこには、ケアのマインドが求められる。

★誰か一人の先生が担当者で、その先生の面倒見が良いという程度では、それは満足されない。もちろん、そのようなコーディネーター役の教師が存在したうえで、先生同士が連携できる情報シェアの環境があるか、英語のみならず日本語や他の言語の環境もあるかなど、いかにシステムになっているか情報リサーチに学校説明会に訪れるのである。

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★そういう意味で、新宿キャンパスでの授業見学会はケアフルで、多言語の環境が高1から高3まで揃っている普段の授業を公開できるところまできたのだと写真からではあったが了解できた。

★しかも、グローバルな世界で言語といったとき、それは思考力も同時に意味する。当日は高1は中国語の授業、高2高3は哲学の授業(もちろん英語で)で行われたようだ。

★なるほど、平方校長は2014年から改革を立ち上げて、丸6年がったって(今の高3はプレ改革学年で、ファーストペンギン学年。私も昨年この学年の生徒の皆さんとあるイベントをいっしょに行う機会があって、彼らがいかに挑戦者であるか、コミュニケーション力やファシリテーターのロールプレイができるか身をもって感じている)、ある水準まで教育改革は進化したと判断した。だから、とにかく見学してよということだったのだろう。

 

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2019年6月 1日 (土)

工学院の授業見学会 教師も生徒も内なる炎をたぎらせる(1)

★6月1日(土)、工学院大学附属中学校は、授業見学会を実施した。感動した。これが素直な感想である。授業見学会が始まる前の30分間、教頭代行(中学教務主任でもある)の奥津先生から工学院の教育を俯瞰する語りがあった。30分で、こんなにコンパクトに工学院の教育の歴史と未来といまここでの教育活動の全貌と何と言っても生徒の成長の姿を物語ったのは奥津先生が初めてではないか。しかも、わかりやすい!

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★校長と教頭はどこにいったのかというと、校長は広報部長とバンコクで海外帰国生対象の説明会や塾回りをしているという。教頭はオランダで脳科学と学びの新しい理論を学びに行っているという。つまり、充実とさらなるマーケット拡張と新機軸の三位一体ができているということなのだと直感した。

★校長はしばらく、海外遠征はしてこなかった。目下のところ、日本の教育改革を身を粉にして推進する私学人で、文科省のワーキンググループメンバーとして毎週、文科省や見識者と議論して変えたいでもできないというダブルバインド状態の世論を味方にした文科省の壁を乗り越えようとしている。

★そして、工学院はその日本のいや世界の未来を創る学校リーダーに自己変容しようとしてきた。2014年に校長に就任して、21世紀型教育ビジョンを提唱し、学内を巻き込んだ。当時は先生方にとっては、いい迷惑だったかもしれない。突然の雷鳴を聞いて、耳をふさいだ教師も保護者もいたはずだ。この真っすぐな改革手法は、ビジョン共有や共感的なコミュニケーションをしないでやってもうまくいかないと外部コンサルタントや情報シンクタンクの中には陰でささやいていた人もいただろう。

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★しかし、平方校長は、真理は真理であるという信念の人である。誠の道を歩けば、ビジョンは徐々に共有されるものだ、道を一緒に歩きながら、内なる炎として燃え上がるものであると確信していた。もちろん、そうでないメンバーもいるだろう。でも、いつかは燃えるんだ。そういう信念を持っているのである。

★たしかに、真理は真理だという先生方は生まれた。しかし、同時にそうではない先生方もいただろう。最初は、マーケティングや組織開発のセオリー通り、この手法は学内に分裂を生み出したであろう。ところが、革新的な動きは、目に見える形だった。授業はPBLに変わるし、いちはやく学びのコンパスである「思考コード」をつくり、思考力革命をやってのけた。それらは、世の中は「主体的・対話的で深い学び」という名称でウネリになり、中学入試において思考力入試として新タイプ入試のトレンドの先駆けになった。

★C1英語と称して、ケンブリッジ・イングリッシュ・スクールにも本邦初認定され、ハイブリッドインタークラスは、紆余曲折ありながらも驚きのグローバル教育環境となった。

★全校生徒が1人1台のタブレットやラップトップを使いながら授業を受けられるようにもなっている。図書館は電子書籍化し、fabラボスペースにもなっている。ふだんのPBL授業は、授業を超えてデザイン思考のプログラムに発展しているし、fabスペースも図書館以外にも増えていて、まさにlearning by makingの環境は着々と整い始めている。

★高校からのハイブリッド・サイエンス・コースも、工学院大学をはじめとする他大学と高大連携をして、AP並みの講座を開設している。ブラックホール発見の研究者が工学院大学にはいるから、最先端の科学についての講義が今月開催される予定になっているとも聞き及ぶ。

★そして、改革しても大学合格実績なんてでないんだという世の固定概念も今春打ち砕いた。

★奥津先生、高校教務主任の田中歩先生、教科主任、学年主任、カリキュラムマネジメントリーダーなどが、一丸となって活動しなければこうは変わらない。工学院の先生方は控えめである。こういう状態はビジョンが共有されているというのだが、まだまだだという。

★それはそれでよい。しかし、大事なことは形になって動いていることと内なる炎は相関するものである。たしかに私がやったのだと単純な因果関係を振り回す必要はない。でも、大きなベクトルが動いていることも一方で事実である。

★今回、たくさんの受験生と保護者が訪れた。それは、大きなベクトルが動いているのが、受験市場ではなく教育市場で見え始めているのだろう。たしかに、受験市場も変わってきている。今まで通り偏差値や大学進学実績で選択する市場の相変わらず残っているが、思考力革命による一人一人の才能開発環境のクオリティを見極めて選択する教育市場が受験市場に割り込んできてもいる。

★それは、受験市場の中の心ある情報シンクタンクの方々が認めていて、受験案内や雑誌やSNSで大発信し始めてもいる。

★奥津先生は、そのことをきちんと語り、しかも工学院だけではなく仲間の学校とその道を切り拓いていることを語った。この余裕こそ、伝統と革新の新しいバランスが学内で充実してきたことの証拠なのだ。自分の学校が道を切り拓いたなどという学校もある中で、このジェントルマン的なスピーチはまさにクリエイティブクラスの証である。クリエイティブクラスはなんといっても寛容の精神の持ち主なのだ。

★そして、だからこそ、平方校長は先生方に任せて、バンコクに遠征したのである。海外の帰国子女市場は、まだまだ遅れているので、2014年にそうしたように、平方校長は再び、東南アジアに渡ったのである。子供たちの未来の知の実装を啓蒙しに。グローバル教育が、グローバルな環境の地で、そうなっていないパラドクスの知恵の輪を解きに。

 

 

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工学院 今、保健体育と家庭科がおもしろい!未来を創る知を実装する!(2)

★工学院の柴谷先生の高2の保健体育の授業の後は、片瀬先生の中1の家庭科の授業を見学した。驚いた。家庭科という教科のイメージががらりと変わったのだ。いつもは料理実習などをしている空間だが、今回はmakers spaceのトルソー(全体ではなくその象徴的な部分という意味で。工学院の本格的なmakers space=fabラボは図書館にある。)という雰囲気。

★MITから工房運動が始まり、いわゆるfabラボは、世界中に広まっている。おまけにオバマ政権時代に学校にmakers spaceを5000くらい作るという政策が展開されたらしいから、MITメディアラボの3XPBLをベースにしたlearning by makingという学びも、MITメディアラボのシーモア・パパートとレズニックがコラボしたレゴを使った学びとともに、世界中に広がっている。その象徴が、あの有名なシリコンバレーで展開しているHTH(ハイテックハイ)。

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★片瀬先生は、裁ちばさみやアイロン、ミシンなどの道具について、その機能、効用、リスクを問答しながら、実際に生徒が使ってみる実習を進めた。まだ、何かを創るというのではなく、その前の、ツール、ロール、ルールの3要素の有機的つながりを実装するシミュレーション。生地を裁断したり、ミシンで縫ったり、アイロンをかけたり。

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★生徒の真剣な姿に、なるほどフロー状態(チクセントミハイが発見した、没入する心理的状態。ハワード・ガードナーも注目している学びの重要な状態)とはまさにこれだと。learning by making は、目標が明快だし、道具の使い方を間違えると危険でもある。だからリスクテイキングも背景にあり、スリリング。何と言っても物理的時間をワープしてしまう。

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★それにしても、今回の見学のラインナップは、教務主任田中歩先生に仕掛けられたなと直感し、一瞬ニヤけている自分がいるのに気づいた。もちろん、すぐに真剣な表情になって見学したが。

★というのも、柴谷先生の保険体育と片瀬先生の家庭科の授業を連続して見学すれば、すぐに工学院では両科目が連動しているというのがわかる。家庭という生徒にとって日常の世界に、実社会の世界を映し出し、そこから問題発見の意識を覚醒する仕掛けになっている。

★もちろん、片瀬先生は、柴谷先生の育児のときの夫婦の関係の問題を解決するためのダイレクトな解決策をイメージさせるに十分であるが、それ以上に、両先生の授業は、近代産業社会が生み出した様々な葛藤の中で家庭生活が影響を受けていることを実感する探究の授業さながらだったのである。

★柴谷先生の意識の質的リサーチによって問題を発見し解決を考える学びと道具の近代産業におけるイノベーションと矛盾の関係を思考する片瀬先生の家庭科はどこかでリンクするはずだ。

★と思っていたら、片瀬先生は、すでに、そういう話を柴谷先生とは議論していますということだった。もちろん、直接的な教科横断というのもあるが、今回のように間接的に教科横断しているということもありだということのようだ。

★ところで、最初に「いつもは料理実習などをしている空間だが、今回はmakers spaceのトルソーという雰囲気」と書いたが、料理実習こそ真の創造的思考を育成する場である。家庭科実習室が料理工房に変身する時また見学したいものである。

★というわけで、工学院の保健体育と家庭科の授業は、注目である。

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