« 八雲学園 世界を世界とともに創る。 | トップページ | 21世紀教師の歩む道(01)21世紀教師は教育ソフトパワーのリーダー »

2019年5月24日 (金)

幼児の学びに思考の種

★最近、幼稚園の先生方と対話す機会が時々ある。幼稚園の先生方は、子供たちの生命を守るために、想像以上の気遣い力を発揮している。1時間いっしょにいただけで、こちらは精神的にも筋力的にもくたくたになる。予測不能な園児の動きに振り回されるからだ。

★しかし、よく見ていると、幼稚園の先生方は、1人ひとりの行動をよく観察し、一見予測不能だと思われる子供たちの言動をちゃんと予測できるようになっている。どこまでは手を放していても大丈夫なのか、一人一人の言動範囲を把握している。もちろん、思い込みという場合もあるから、複数態勢で、見守っている。

Dsc03004

★子供たちは自由の範囲を超えると、すぐに身体的危機に遭遇するから、絶妙のポイントで、声掛かけをしたり、さあ手をつなごうねと行動をとる。手をつなぐことは、絆の確認という心地よさを子供たちは先に体験しているから、そこは危ないからダメだよと言われているのではなく、あなたが大事だよと言われていると体感しているのだ。

★もちろん、ギリギリの身体にかかわる失敗もしなければ、何が危険かわからないから、守るタイミングは実に難しい。あまり先回りしすぎると、規律的雰囲気が蔓延し、幼稚園のおもしろさがなくなる。それでは、子供たちの自由な発想が生まれてこない。

★そういう意味では、砂場はすてきな学びの場である。もちろん、砂場を衛生的に保つという技術的なことは前提だが、そういう安全な砂場では、子供たちは、アーティストだし、建築家だし、ランドスケープのデザイナーだし、見立てをしながら、日常的な生活を再現したりしている。もちろん、そんな意識はないだろうが。

★同時に、砂場で遊ぶと、靴の中に砂が入り、なかなか厄介なことになるというとことを身を持って実感する。すると、こんどは裸足になって砂場に入ることを学ぶ。ところが、砂場から出て、幼稚園の教室に入ろうとすると、砂が足や手にこびりついている。砂場に水まで持ち込むから。

★そうすると、今度は水道で、砂をキレイにおとして、タオルで拭いて、教室に戻るというコトになる。そういう子供たちの行動をじっくり観察し、砂場に危険な物がないか衛生か、管理しながら、子供には自由な行動ができるようにしておく。

★なんて幼稚園の先生は、たいへんなのか。労力というより、創意工夫の連続。創造的な仕事が幼稚園の先生方の仕事であることを実感している最近なのである。

★それにしても、子供たちは、雨が降るとグラウンドに一か所水が溜まるところがあるのを発見するのは得意だ。最近では、砂場ではなく、そこを砂場の替わりにしている。砂を固めるだけでに水を使うのではなく、水たまりをあえてつくって、何を創っているのかわからないけれど、土を柔らくして、掘り続けている。

★ひたすら、協力して、没入して遊んでいるのだ。

★その幼稚園は、モンテッソーリの教育も導入しているから、様々な道具で、認知や感性を育む環境があって、そこでも子供たちの言動はおもしろいのだが、この本来砂場でない場所を、砂場として「同化」し、砂場以上の機能を見つけて「適用」を拡大し、「創造」へつなげていく。

★限られた条件の中で創意工夫する創造性も、限られた条件を超えていく創造性も、両方とも楽しんでいる様子だ。

★そんな遊びの中で、ころぶ子供がいたら、大丈夫?と手をとって起こす倫理性もそこでは垣間見ることができる。

★幼稚園の中では、子供たちの未来の多様な種が生まれている。もし、幼児期にこの多様な体験を通過しなかったら、どうなるのだろう。

★最近、幼児期の教育の重要性が唱えられているが、その意図がわかるような気がする。

|

« 八雲学園 世界を世界とともに創る。 | トップページ | 21世紀教師の歩む道(01)21世紀教師は教育ソフトパワーのリーダー »

21世紀型教育」カテゴリの記事