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2019年5月11日 (土)

21世紀私学人(02) 香里ヌヴェール学院中学校・高等学校 池田靖章校長

★香里ヌヴェール学院中学校・高等学校も、小学校同様、新校長が就任した。34歳の最年少校長池田靖章先生だ。お話をお聞きしていて、すばらしい対話の持ち主だと感じた。池田校長は、留学経験もあり、社会科の教師であるけれど、英語も堪能、「グローバル」という言説をことさら使うわけでもないが、世界市民的視野が自然体だ。

★日本とイギリスで学び、今はバンドンと東京を拠点にアート活動をしている娘と同じ歳ということもあって、少しはそんな感覚も私も理解できると思っている。もっとも、娘は、たしかにパパは少しは開明的だけれど、日常空間がドメスティックだから、少し気遣わないと思い違いということもあるよと。

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★世界市民的視野を持っている池田校長と同世代の娘の友人たちと出遭うチャンスも多いので、この世代がすでに大いに世界で活躍しているのを知っている。日本と事情が違って、イギリス―アメリカ―ドイツ―オランダ―中国―インドネシア―シンガポールーマレーシアー台湾などには、コンテンポラリーアートの市場が広がっている。

★その市場をWebで連絡を取り合い、交渉して、企画を提案して、展覧会を開いたり、トークセッションをしたり、助成金を獲得したり、マーケットで売買したりしているのは、やはり30代のアーティストたちだ。たいしてお金もないけれど、安いチケット、ホテル、友人の家などを渡り歩きながら、搬入搬出というアーティストというよりは、クラフトマンのような活動をしている。

★アート市場は、やはりスポンサーのハートを持続可能にしなければならない。もはや偏屈なイメージのアーティストは彼女たちの友人にはあまりいない。英語は当たり前で、マレー語も、インドネシア後も、中国語と言っても多様な言語があるのだが、それらを駆使して、共感的な対話を試みる。

★もちろん、アート資本主義というリスクを抱えながら、サバイブするにはどうしたらよいのか、また日本とは違って、忍び寄るアートの自由をコントロールしようという政治的な動きを往なしながら、クリティカルシンキングをアートの中に織り込んで発信もする。

★東南アジアの30代は、もう立派な社会的リーダーである。彼らから見れば、私のようなとっくに60を過ぎた人間は、おじいちゃんだ。私は社会で活躍なんてしていないけれど、周りでは、まだまだ活躍しているおじいちゃんが、日本には多すぎる。どんなにこの30代の人材を応援していると言っても、若者とみなしているうちは、この国は変わらない。

★34歳最年少校長。そんなことを話題にする古いモノサシを壊すことが大切だ。香里ヌヴェールの背景にある理事会は、そんなことを仕掛けたのだろうか。池田校長の柔らかい対話の時間の中でそんなことを感じていた。

★と思っていたら、近隣の寝屋川市や枚方市、交野市、京都の学研都市などの市場調査の話題になると、頭の中にパッーと地図が広がり、人口動態や世代分布、年収層の割合などの相関データが瞬時にでてくる。まさに脳内バーチャルリアリティな話で、おじいちゃんはついていけない。

★たんに社会の先生だからではない。海外における地理学や歴史学は、地政学的リスクをとらえ、政治経済の戦略的な視点を一方で学ぶ。これと紐づいていない教養なんてありえない。ジョブスがApple社でリベラルアーツが必要だと言ったとき、意識しているかどうかはわからないが、欧米人の文化としての教養に対する地頭があるのだ。

★日本の今の教育で、リベラルアーツが注目されているけれど、戦略的な対話に結びついくことはないだろう。戦略的な対話と共感的な対話は、カップリングされているのがリベラルアーツの当たり前の姿である。古代ギリシアにおけるリベラルアーツは哲学的な側面ばかり強調されるが、奴隷制度の正当化理論でもあるのだ。

★共感的コミュニケーションだけ説いている牧歌的な人材がたくさんいる昨今。一方で戦略ではなく、目先の戦術しか見えない人材もたくさんいる昨今。

★どちらも、この国を救えない。あのモモだって両方の対話を使い分けている。共感的な対話と戦略的な対話の両方を学べる授業。それは言うまでもなくPBLだろう。池田先生は、PBLという言説もことさら使わない。それは、あまりに当たり前のことだからだ。大事なことは、教師や生徒と対話をすること。

★香里ヌヴェールの校舎の廊下は長く幅も広い。ある意味対話の広場である。リベラルアーツ的には知のトポスだろう。シリコンバレーよろしく、廊下ですれ違う教師や生徒と対話をしている。校長室にいない校長。廊下を対話の空間にする校長。対話を脳内バーチャルリアリティに変換する校長。

★衰退する日本とか、デストピア日本とか、そんな言葉は、私のようなお爺ちゃん世代がほざいている戯言である。昔はよかったと言っているに過ぎない。

★明治維新のときに、私学人は、明日の未来を信じ希望をもって、サバイブしようとしたし、国づくりをするために、海外にも渡航した。戦後の私学人はそんな活動をしなくなった。そうしなくてよかった時代だからだ。しかし、時代は変わった。再び明治維新のころの私学人が現れる時がきた。池田校長も21世紀私学人なのだとしみじみ感じたのである。

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