21世紀教師の歩む道(05)田中歩先生と大久保圭祐先生による「CLILを超える意味と効用を考える」講座
★「グローバル教育カウンシル」の4時間目は、工学院の教務主任田中歩先生と聖パウロ学園の英語科主任・研修部部長の大久保圭佑先生による授業。トピクは「21世紀型教育の英語教育 CLILを例にとって」。
★どうして、田中歩先生と大久保圭祐先生がコラボしたかというと、両先生は、学校を超えて情報交換をしながら、世界標準の英語教育を構想し実践しているからである。その情報交換は、ケンブリッジイングリッシュスクール認定校工学院が活用している“Uncover”というテキストを共有するところから始まっている。
★同テキストは、CEFRという今やあまりにも有名になっている英語4技能(CEFRは5つに分けているが)のルーブリックに合わせて編集されている。このCEFRは、2020年の大学入試改革の英語の基準に使われていることもあり、日本ではあたかも英語のルーブリックであるかのように思われているが、もともと欧州評議会で創られた基準で、もともと多言語が当たり前の欧州だったが、特に1989年のベルリンの壁崩壊後の移民の大移動を機に、あらゆる言語のコミュニケーションのレベルを合わせるために作られた。したがって、英語以外にも適応されている。たとえば、欧州で日本語を学ぶ場合もCEFRは適用される。
★そして、“Uncover”は、CLIL=Content and Language Integrated Learning(内容言語統合型学習)というシステムを活用している。CLILのCは、Content=内容、Communication=言語技術、Cognition=考える力、Community / Culture=多様性という4つの要素がシステマティックに組み合わされている学習方法。
★それゆえ、田中歩先生は、“Uncover”を通して英語の授業を行っていくけれども、英語という範囲を超えて、言語という広がりのある授業を行っていることになることを指摘した。そして、そのことの実感を共有するために、各学校で英語と他教科との複数のコンテンツが融合している学びについて情報交換するシェアリングを行った。
★このミニPBLの手法は、ケンブリッジイングリッシュスクール認定校として当然の手法で、2時間目のリヨ校長先生によって行われたカナダのBC州のミニPBLとシンクロする。
★もちろん、対話することが似ているのだが、そのスタイルが似ているからだけだと、日本中で行われているアクティブラーニングは皆同じだというコトになる。したがって、そこに共通点の本意があるわけではない。
★このチームでの対話は、やはり相当盛り上がった。それぞれの学校の創意工夫は多様で、取り入れられるところは取り入れようという意欲が互いにも燃え上がったからである。内発的動機付けが会場を埋め尽くしたのである。
★そして、田中先生は大久保先生に聖パウロ学園の実践例を語ってもらった。大久保先生の授業実践は、オールイングリッシュだし、外国人教師とのコラボ授業も行っている。文法も行っているが、なによりそのルールを活用して対話したりライティングしたりしているわけだ。
★さらに、ICTを活用して動画や画像、グラフや地図を挿入するメディアミックスの授業展開は、生徒の意欲向上のみならず、生徒の視野を拡大する。大久保先生は海外の大学院で学んできているから、このような授業展開は当たり前なのであるが、英語の教師が全員自分と同じ経験をしているわけではない。同じような水準で授業が展開できるように、英語科の会議でミーティングをするが、“Uncover”を活用することで、そのような授業展開にならざるを得ないシステムになっているという。
★もちろん、同書を使えば、みな同じように授業ができるかというと、田中先生は、日々研修が必要になると。これは、今回の講師がみな口をそろえて言ったことでもある。水準を保つには、研修によって各教師の授業力をアップデートすることが必須だからだ。
★授業の展開がそのつど変わるのか?そうではなく、教師力や授業力がアップデートされていくことによって、質の良い授業の展開が安定し当たり前になるからである。
★また、大久保先生は、授業以外にも、グローバルなネットワークをできるだけたくさん生徒の学びの環境につなげる実践例も話をした。この瞬間に、教科を越境して学ぶ環境が広がるというコトを参加者は共有した。
★実は、チームによる対話と大久保先生の実践例という重ね合わせ、レイヤーを重ねると呼んでいるが、CLILという言葉を使う使わないにかかわらず、ああこれだなと腑に落ちる瞬間が生まれる。そのああこれだなというものこそが、CLILということなのである。
★田中歩先生のナチュラルなミニPBLの手法は、CLILという世界標準の大理論を伝えることではなく、それぞれが腑に落ち、気づいた自分なりの理論を生成するプラグマティックな手法なのである。大理論については、当日も紹介があったが、上智大学でCLILを推進している池田真教授の話を聞けばよいわけであり、現場の英語教師はまずマイ理論がコアとして自分の中に生まれ続けることである。
★もちろん、研修が必要なのは、その大理論とマイ理論のギャップを埋めるためである。マイ理論だけだと独りよがりになって、生徒が迷惑を被るからだ。
★両先生は、基本的にはプラグマティックな教師であるが、同時に学術的な理論も学んでいる。しかし、学術的な理論は、やはり専門の学者に任せざるを得ない。学者は、毎日それに専念して研究している。一方教師は、その理論を活用もするけれど、基本は日々の現場の中から生まれてくる創意工夫の実践家である。しかし、真理は真理である。アプローチは異なれども、大理論とマイ理論はどこかで一致するし、相乗効果が生まれる場合もある。
★CLILという理論も、1994年ころ欧州で生まれた。欧州は、言語と思考は密接な関係にある。思考のない言語を学ぶことはできないし、言語のない思考を学ぶことはできない。もちろん、そこをなんとか脱構築しようという哲学やアートは存在する。しかし、それは強烈な言語と思考の関係があるから、組み替えたくなるわけだ。
★だから、欧州では、実は中世のころから、CLILのような学びはあったわけだ。とくに太陽王ルイのころになると、欧州では各国の貴族たちは争ってフランス語を話そうとした。今でいうイマージョン教育が上流階級では当たり前だった。
★近代にはいって、そのような学びが階級を超えて広まってきた、そして1989年ベルリンの壁が壊れるや、そのような学習理論が地球市民に共有されることが、欧州評議会では議論された。なぜならそのような学びを地球市民が手にとれないとしたら、それは欧州評議会のミッションである「人権」に反することだからだ。
★多言語、他民族、多文化、多宗教などの多様性の中で、共有するとなると理論が必要になる。システマティックな言語と思考の学習理論が。こうしてCLILは生また。
★したがって、CLIL以前に同じような学習理論はあったわけで、イマージョン教育はその先駆けでもある。だから、田中先生と大久保先生は、CLILという理論を説明するのではなく、CLILに凝集した学びのエッセンスを共有する授業を今回展開したのであった。
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