未来を創る教育<05>自然法の存在を学校に発見 「規律と自由」の枠組みを創造的に破壊。
★学校では、いや世の中もそうだが、いつも規律か自由か、規制か緩和かという話が出てきては、いつも曖昧のまま終わったり、規律や規制を強引に押し付けられたりしている。自由というのはどうも分が悪い。
★ところが、いくつかの学校では、規律ではなく、ルールを自らのシステムとして内面化している生徒たちが、非常にオープンな感じで、きちんと自分の想いを言葉で語っているすてきな雰囲気が広がっている。決められた問いに紋切り型に答えたり、楽しかったです、わかんないですと対話を切ってしまうこともない。
★なるほど、デビッド・ボームの語る対話の一貫性」というものが見えた気がした。実は、コミュニケーションのルールは、もちろん安心安全な状況を創ったり、寛容な姿勢が大事だということや、傾聴するだとか、根拠を語るだとか、他者の良い点を察知するだとか、・・・諸々ある。しかし、それだけではなく、身体感覚の駆動させるセンサーと脳内物質の量、スピードなど身体メカニズムというルールにもつながっている。
★コミュニケーションは社会生活のWell-beingを創り出すシステムにも転換してそのルールはそのまま生きる。
★もしこのルールがなければ、人間関係や社会や精神はズタズタになるだろう。このあらゆる人間の言動と自然のメカニズムと社会システムが一貫したルールによって動いている場合、良い雰囲気=Well-beingを生み出すことになる。
★その状態は当然自由を担保する。しかし、そうはならないのが、世の常であるから、それを是正するために学びではなく規律で抑圧する。しかし、多くの場合、その規律が、前述のルールと真逆の自分の都合の場合が多く、つまりそこに権力や権威が誕生し、暗黒面の支配と相成るのである。
★ルール共有ではなく規律抑圧の組織の雰囲気がよいはずはないし、そこからクリエイティビティはうまれにくい。もっとも、その規律抑圧を創造的に破壊しようとする真正のクリエイティビティが生まれるのは、歴史のパラドクスでもある。
★いずれにしても、規律ではなく、ここでいうルールは、啓蒙思想家が提唱してきた自然法である。自然法はルソーとしては自然状態のものであるが、実際には国家法以外の日常生活を生きる人間の内面に現れるものであるということに気づいた。ある意味、学校は社会と隔絶している部分もあるから、そこが自然状態になっているのかもしれない。
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