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2019年4月 9日 (火)

21世紀型教育の意味(05)「主体的」とは自らの才能を豊かにするアクション

★「主体的・対話的で深い学び」と「探究」というのが、重要なプログラムとして位置付けられているのが新学習指導要領。しかし、これは合体して「主体的・対話的な探究」と置き換えてよい。「深い学び」と「探究」を学びの活動として分ける理由が見当たらない。

★せいぜい前者は「科目の授業」を想定し、後者は「総合的な探究の時間」という領域の違いを表すタイトルの違いしかないと言えないことはない。もしそうだとしたら、そんな壁は取り除いた方がよいし、そうでなければ教科横断なんでできないだろう。

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★ハワード・ガードナーの多重知能理論はあまりに有名だ。IQだけではなく、8つの能力がどうも人間にあるらしいと。このMIに対してさらに情緒面をデフォルメしたのがEI。ガードナーの友人である学者たちはEIという社会的情緒的知性を発展させた。そしてゴールドナーがEIをIQと対照するためにEQと置き換えて、世に広めた。教育心理産業が認定トレーナーを養成する団体を結成して広く深く浸透させている。

★しかし、これって、教科なのだ。言語的能力は、英語や国語だし、論理的数学能力は数学や理科だし、空間能力は図工や技術、絵画、ボードゲームだし、サイバースペースも入れると情報だ。音楽的能力は音楽であり、身体能力は体育である。コミュニケーション能力は社会であり、内省的能力は宗教や哲学だろう。そして博学的能力は学問を超える能力で、各教科の知性を拡充する力だ。

★かくして、ガードナーの多様な知性は、現状の教科授業では行き着いていないが、現状の教科の授業から出発できてしまう。

★もしも、各教科で教科の特性である知性を養うことができたら、それは「主体的・対話的な探究」となろう。しかもさらに圧縮するだら「主体的な対話思考」ということになる。

★対話思考は実は探究と同じことだ。では、「主体的」という言葉が残るのは、どんな意味があるのか。そもそも対話思考は主体的でなければならない。ということは結局「対話思考」プログラムが各教科で行われれば、「主体的」行為も含まれてしまう。

★というわけにはいかない。たしかに、カントが言う認識主体という意味では、「対話思考」に包摂される。サルトル的な実存的行為としての主体も結局弁証法的でなければ成立しないから、「対話思考」に包摂される。ハイデガーの言う存在者が存在への道を回復するという意味でなら、それは対話思考以外にあり得ないから、やはりこれも包摂される。

★それでは、わざわざ「主体的」を付け加えるのは、腹痛が痛い、頭痛が痛いという同語反復になるのではないか。

★いや、それがならないのだ。5タラントもらった人が商売をしてさらに5タラント儲けた人は、タラントを与えたオーナーにほめられ、さらに商売をするように支援される。1タラントをもらった人が地中に隠して、1タラントを守り抜きましたとオーナーに行ったところ、銀行に預かったほうがましだ。増やすことができないならば、その1タラントも取り上げ、増やせる人にくれてやろうという物語がある。聖書で語られていることだ。

★もちろん、これは比喩であって、投資の方法のススメではない。やらない理由をウダウダ述べて、自分の才能を豊かにする行為をしないことを批判しているわけだ。つまり、この譬えは、自らの潜在的な才能を開花し豊かにしていくことが人間の行為であると。つまり、この行為こそ主体的な行為なのである。

★潜在的な才能を拡充していくビジョンは、対話思考にははじめから包摂されていない。対話によって、現状を精神的に豊かにしていくことはできる。そのためのカント的、サルトル的、ハイデガー的主体性は対話思考にあらかじめ内包されている。

★しかし、才能を開花し豊かにしていく野心を対話思考に結びつけることは、21世紀の新しい学びの地平である。

★よって、新学習指導要領は、対話思考によって、生徒一人一人が自分の才能を豊かに開示していくことを目指しているのである。その才能は、IQだけではなくEQもあるし、MIという多重知能に相当する。そしてその多重知能は、それぞれの教科で学ぶことができるはずなのだ。

★これが21世紀型教育の「主体的な対話思考」ベースの授業PBLの本意である。

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