21世紀型教育の意味(06)「経験」は学びの種である。
★幼児教育から初等中等教育までの教育のシークエンスを、成長の度に出遭う「経験」で描いていったとき、J.デューイが自然=経験という意味で進化論的だし、同時に啓蒙主義的でもあることがわかる。結局、デューイもまたヘーゲリアンから抜けきれなかったのかもしれない。精神の弁証法の比喩は種からから成長する植物という自然の行為であり、この成長過程こそ学びの過程である。
★種は、いかなる条件でも成長し、開花し、実を結ぶわけではない。自然の多様な条件を満たさなければならない。したがって、人間の良質の経験とは、適切な教育条件によって支えられるものであり、なんでもよいから経験をすればよいというものではない。
★しかし、そんな良質な経験は大人になるにつれて、用意されなくなる。用意するのは自分自身である。よって主体的とはいかなる条件でも良質の経験ができるように創意工夫する創造性なのである。
★創造性とは、好き勝手なものを創ればよいというわけではない。デザイン思考が成功するのは、最適でない環境にあって、最適化というデザインをする創造的思考を発揮できるかというコトである。
★人間にとって、最適化とは自然と社会と精神の悪循環を好循環に変換する創造性の働きによってなされる。re-creation。このあくなきループがどこまで広がるシステム思考を生み出す創造性が最適化を生成する。そのrecreationはワクワクするではないか。
★しかし、小学校低学年までは、良質の経験を学校が作りだすことはできる。まだ子供たちは自分でその環境を創ることは難しい。その環境を創ることができるようになるためにも、経験という学びの種を大事につくらなければならない。
★小学校までに良質な経験ができれば、そこには学びの過程、あるいは思考の過程をどこまでも発展させられる知の遺伝子が形成される。
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