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2019年4月 7日 (日)

21世紀型教育の意味(01)文法は必要である。文法不要論の浅薄さ。

★21世紀型教育。歴史的に牧歌的近代を支える教育が、ポストモダンを強化する教育になり、20世紀は、再帰的モダニズムという安心安全というフェイク状況をつくり、その背景にリスクを生みだし、リスクマーケットを生み出す巧妙な人材養成機関としての教育という強欲資本主義極致の時代を迎えた。そこから脱するために、21世紀型教育は出発している。歴史的にはそういう意味があるのであって、もう21世紀だから、目指すのは22世紀型教育だという愚かというか、20世紀末のポピュリズムの制度設計内に汚染された発想を浄化できていない人々がいるのは相変わらずである。

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★それだけ、まだまだ21世紀型教育は市場形成を貫徹していないというコトを示唆しているから、もしSDGsを本気でやろうとしている人々がいるなら、そこをよく考えていこうではないか。だいたいSDGsというのは、新たな活動ではあるが、世界の痛みの問題集であって、人間存在の根本問題なのに、できるだけわかりやすく、表層だけ知ってもらえればよいというビジネスが、つまりありたき姿と現実のギャップを思い知って、どんな課題があるかラインナップを並べる方法を販売しているのだ。

★まったく困ったものだが、それでは、人間存在の根本問題に触れるにはどうしたらよいのか。それは子供たち自身が自分の関心と興味、好奇心をもったところから出発する以外にないのに、子供に任せるのではなく、やはり教師が導かなければと神になってしまっている場合が意外と多く、それはICTを使おうが、ディスカッションをいれようが、21世紀型教育ではない。

★こういうと、教えない教師がいいんだという発想がでてくる。そもそも21世紀型教育は教える教えられるという関係よりも、大人も子供も学び合うコトが前提だから、「教えない」という言説すら使わないのだ。学び合いの中から「好奇心」「興味」「関心」は生まれるものだ。子供に任せられない好奇心などという発想は、学び合うという「対話」をしていないだけのことである。

★ところで、英語や現代文・古典・漢文で、「文法」の授業が、21世紀型教育では不要であるといわれがちだが、それは決定的な間違いである。従来型の英語の大学入試問題のような文法問題を教える必要はそれほどないが、それ以上にもっと言葉の構造を子供と探究していく「文法」の授業は必要だ。

★「言葉」の構造は、人間の根本的な存在を反映しているからだ。最初「記号」に過ぎない「言葉」が「意味」をもつメカニズムは「文法」の授業によって覚醒するわけだ。

★それと好奇心や興味・関心はどうかかわるのか?言葉は「文字」として「絵画」の源であり、「音声」として「音楽」の源であり、「構造」として「関数機能」の源であり、「ミメーシス」として「創造性」の源であり、「抑揚」として「感情」の源泉であり、「声の大小」として「運動」の源泉であり、「コミュニケーション」として「信用」と「気づき」の源泉であり、これら「総体」として「物語」や「ドラマ」、「ミュージカル」、「舞踊」の源泉である。

★母国語であれ、第二外国語であれ、「文法」の授業がワクワクしないはずがない。

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