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2019年4月25日 (木)

未来を創る教育<03>数学がリベラルアーツの現代化で必要なわけ

★AI社会に加速している現在、産官学あらゆる領域で、リベラルアーツが必要だと叫ばれていることは、周知の事実だと思う。あのスティーブ・ジョブスが、Appleでリベラルアーツを大事にして商品を開発・デザインしていたのはあまりに有名だ。しかし、かといって古代ギリシア時代に戻ろうとは言っていないだろう。

★Appleに限らず、今やIT産業の開発デザインしているデバイスは、ネットワークにつながってはじめて効果を発揮するから、たとえば、タブレットやラップトップは、優れた学習ツールであると同時に学ぶべきオブジェでもある。リベラルアーツとは、数学や音楽、体育、レトリックのような学びの道具でありながら学ぶべき対象であるという二重性を理解する哲学的な着想が肝である。

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★古代ギリシアにおいて、リベラルアーツは、学びの道具であり、つまり思考の道具であり、同時に思考の対象であるという領域を見事に見つけた。しかし、その両義性を明確に意識していたかどうかはわからない。その意識化は、もしかしたら森田真生さんの発見かもしれない。森田さんは、「数学する身体」を 2015年10月に出版した。最近も新著「数学の贈り物」を発刊している。森田さんのファンが増えているということであり、それは数学を基礎としたリベラルアーツの現代化の潮流が水面下でウネリ始めたということかもしれない。森田さんは「数学する身体」の中でこう語っている。

やや わかり にくい かも しれ ない が、 ハイデッガー の 言う こと を、 私 は こんな ふう に 理解 し て いる。 すなわち、 人 は 何 かを 知ろ う と する とき、 必ず 知ろ う と する こと に 先立っ て、 すでに 何 かを 知っ て しまっ て いる。 一切 の 知識 も、 なんら の 思い込み も なし に、 人 は 世界 と 向き合う こと は でき ない。 そこで、 何 かを 知ろ う と する とき に、 まず「 自分 は すでに 何 を 知っ て しまっ て いる だろ う か」 と 自問 する こと。 知ら なかっ た こと を 知ろ う と する のでは なく て、 はじめ から 知っ て しまっ て いる こと について 知ろ う と する こと。 それ が、 ハイデッガー の 言う 意味 での mathematical な 姿勢 なのでは ない だろ う か。(森田真生. 数学する身体(新潮文庫) (Kindle の位置No.283-288). 新潮社. Kindle 版. )

古代 ギリシア の 数学 者 にとって は、 数量 や 形 は、 それ 自体 が 研究 さ れる べき 対象 で ある。 彼ら は、 思考 の 手段 として 数 や 図形 を 用いる だけで なく、 思考 の 手段 として 用い られる 数 や 図形 について、 思考 する よう に なっ た。(森田真生. 数学する身体(新潮文庫) (Kindle の位置No.296-298). 新潮社. Kindle 版. )

mathematics という 言葉 は、 ギリシア 語 の( 学ば れる べき もの) に 由来 する。 それ は 本来、 私 たち が 普通「 数学」 と 呼ん で いる もの よりも、 はるか に 広い 範囲 を 指す 言葉 で あっ た。 これ を、 数 論、 幾何学、 天文学、 音楽 の「 四科」 から なる 特定 の 学科 を 示す 言葉 として 用い た のは、 古代 ギリシア の ピタゴラス 学派 の 人々 だ と 言わ れ て いる。(森田真生. 数学する身体(新潮文庫) (Kindle の位置No.272-275). 新潮社. Kindle 版. )

★森田さんの本を読んでいて、衝撃を受けたのは、このようなリベラルアーツの1つの領域である数学の両義性について気づかされたことである。

★リベラルアーツの領域の中に、たとえばAI(人工知能)というのをいれることは、リベラルアーツの現代版という言い方になるだろうが、リベラルアーツの両義性を哲学的にとらえ返すことをリベラルアーツの現代化と呼ぶのだとスッキリしたのである。

★だからSTEAM×哲学をリベラルアーツの現代化と呼んできたことの意味が、ここにきて明快になったわけだ。

★今、学習する道具はいろいろあふれている。しかし、その道具がどれほど学ぶべきオブジェであるのか。研究すべきオブジェであるのか。その度合いによって、歴史を超えて残るか残らないかが規定される。

★教育のパフォーマンスをあげるには、優れた学習道具をつかうだけではなく、同時にそれがどれだけ優れた学ぶべき、研究すべきオブジェであるのか考えてみることが必要だ。一過性のものをもたされた子供たちは、未来ではそれを応用することができない。いまここで「妥当」でも、古代ギリシアから永遠と続いているリベラルアーツのように歴史を超えた「正当性」があるかどうかチェックしたい。

★いかに「正当性」があってもいまここで「妥当性」のないものは「信頼性」がない。「正当性」「信頼性」「妥当性」のある学習するツールであるのかは重要な問いかけだ。

★数学はその問いに「然り」とシンプルに答えることができる。何せ、生まれながらに知っていながら忘却していたものを取り戻すことができる道具であると同時に、「知る」とは何かを永遠に考えさせるオブジェでもあるからだ。

★そんなことを言っても、現場の授業では大学進学実績を上げるための勉強が優先してしまうのが現実だという方もいるだろう。でも、大学入試で出題されている「数の問題」を見てみよう。現実の合否を決めるための問題であると同時に、「数」とは何かを問いかけてくるオブジェでもある。いつまでも入試悪玉論を唱えるのはやめよう。たいていの問題は自分の中にあるときが多い。

★だから、最近授業リサーチをしていると、数学の先生の中には、入試問題から良問を見出し、生徒とともに解きながら、その解く過程で、数学的思考とは何か?それが解法のどこに反映しているのか無意識ではあるかもしれないが、問いかけている先生方と幾人も出遭う。

★「数」とは何かという永遠の問いを共有し、生徒も目を輝かせて考えている授業。これぞProject。Projectには研究という意味もあるから、その意味で立派なPBL型授業になっている。当事者以外世界の誰も見ることができないシーンに立ち会えたそんな瞬間、感動しないはずがない。




 

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