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2019年3月22日 (金)

学びの組織を開発する先生方と共に≪08≫構成主義の系譜とクリエイティブ・ラーニング

井庭崇先生は、著書「クリエイティブ・ラーニング」の中で、構成主義の系譜の中に、クリエイティブ・ラーニングを位置づけている。構成主義は社会的構成主義とも当然重なり(ヴィゴツキーがそれゆえ登場してくる)、二クラス・ルーマンの社会システム論ともリンクしている。

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(井庭崇先生が、構成主義の系譜として取り扱っている学者のラインナップ)

★構成主義のおもしろいところは、小さな日常的現象をプロトタイプに一般化する一方で、大きな社会現象のプロトタイプも一般化する。すると、小さな日常的現象と大きな社会現象が、プロトタイプ同士の親和性でつながるという発見・発明操作をする。

★与えられた知識を受動的に脳に焼き付けるというコピペ認知モデルでもなく、あらかじめ脳の中に埋め込まれている認識カテゴリーを現象にあてはめる生得的認知モデルでもない。

★経験と自己及び他者のコミュニケーション(交換)による認識過程が知識を生み出すという気づき(それは発見であり発明でもある)を得る生成認知モデルである。

★ものを創る作業のみがクリエイティブ・ラーニングなのではなく、知識を結果的に記憶したり、その知識を活用して理解する過程も、目に見えないクリエイティブ・ラーニングが行われているのであって、知識と思考を分断する考え方とは全く違う。

★だから、知識がなければ思考はできないという発想もないし、思考ができれば知識は不要であるという発想もない。

★むしろ、子供も大人も、人ぞれぞれが遭遇する未知の領域で、知識を生成し、それをつなぎながら、そのつなぎの試行錯誤の段階で問題を発見し、その問題を解決していくという知の発達過程を繰り返しているのだ。いったんその領域の発達過程が終了すれば、それは丸ごと知識としてデフォルト・モード・ネットワークとして記憶システムに回収されるだけである。

★だから、人によっては、同じ知識でも、記憶システムに回収する創造的対象だったり、デフォルト・モード・ネットワークである記憶システムから引き出す対象だったりするだけである。

★このような構成主義的学習観が、21世紀型教育として広がっていく=つまり、そういう社会システムとして再編成されることによって、ようやく本格的に学びがパーソナライズ化=個別最適化されると同時に、一方でそれゆえ学びの多様性がコレクティブインパクトを与える協働学習として意味を持ってくる。

★こんな感じで、序章の最初の1ページ(同書30p)を読んだ段階で、想いが広がり、先に読み進めない。いつものように斜め読みできないでいる。どこまで読み続けることができるのだろうか。仕事の合間で少しずつ進めていくしかないようだ。

★こうしている間に、気の合う学校の先生方の幾人かは、4日間のレゴ・シリアス・プレイの合宿研修に参加しているようだ。シーモア・パパートやミッチェル・レズニック、ピーター・センゲなどの構成主義的発想も埋め込まれているはずのレゴ・プログラムの経験を通して、構成主義的学習=クリエイティブ・ラーニングの極みを生成している最中。脳が融けそうだとSNSでM的絶叫を書き込んでいる(笑)。すばらしい♪

★もちろんレゴもいいけれど、パターン・ランゲージも構成主義的発想をデザインするメディアである。私のように、井庭崇先生に一人学びながら、発信して共有する自己マスタリーもいいだろう。合宿から帰ってきたら、先生方から情報を聞き、私からは本書のススメを説きながら、ファンクションシンボルを思考コードグリッドに埋めこみながらクリエイティブ・ラーニングのプログラムをデザインしていく方法を先生方と生成していきたいと思っている。できるかどうかはまだ試行錯誤中。いずれ発表できることを期待している。

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