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2019年3月20日 (水)

学びの組織を開発する先生方と共に≪06≫自己表現の罠に陥らないクリエイティブ・ラーニング

★井庭崇先生の「クリエイティブ・ラーニング 創造社会の学びと教育」(慶応義塾大学出版会2019年2月)は、プロローグで、はやくもさりげなくぐいっと入り込む迫力がある。創造だからと言って、自分の主張や自分らしさをつくらねばならないということはない。むしろそんなことをすると自己表現の罠にはまるよと。

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★そのことを説明するために、村上春樹さん、村上隆さん、久石譲さん、宮崎駿さんなどの言葉や考え方を引用している。この「引用」というのもレトリックで、すでに本書自体がクリエイティブ・ラーニングのプロセスで書かれている。

★井庭先生と私のPBLの集合関係は少し違っている。内包と外延というレトリックの分け方がちょっと違う。そのことは今はカッコにいれておいて、いずれ触れることにして、ここでは、クリエイティブ・ラーニングやPBL(Project Based Learning)などは、数学的思考、物語思考、アート思考の相互関係が織りなしていく過程だと考えていることを示しておくことにとどめる。だから、小説家やコンテンポラリーアートの作家、音楽家、映画監督などを引用することは、これらの思考をフル回転させているということを示唆していると思うのだ。

★もちろん、井庭先生がフル回転させる意識などしていないだろうが。

★数学的思考はどうなっているのかというと、これは、アイデンティティは関数であって、ある一つの格子点に固定されることではないと同趣旨のことを井庭先生は語っているから、構成主義そのものが数学的思考の発想だと思う。

★というわけで、自己表現というのは、自己のアイデンティティをそのまま素直に表現するというのは、危ういということなのだ。学習指導要領の中のコンピテンシーに「思考力・判断力・表現力」というのがあるが、ともすればこの「表現力」が「自己表現力」に すりかえられることがある。

★ここに忍び寄る脅迫観念があると。

★私もそれには半分賛成であるが、幼児期の自分の写真と青年期の写真と老人の自分の写真を見比べて、いずれも姿かたちは変わっているが、アイデンティティを感じるのはなぜだろう。

★関数的な自分としてアイデンティティはあるけれど、そのときそのときで、現れる格子点の場所は違うということではないか。

★しかし、これでも、関数方程式は固定されてしまえば、自己表現の罠に陥ってしまいそうだ。

★ただ、アイデンティティ関数方程式は実際には自分が死ぬまでわからないのである。(1,1)という格子点を満たす関数方程式は無限にあるのと同じである。

★禅の十牛図にしても、量子力学的発想にしても、プロセスにける自分は自分であって今の自分でも過去の自分でもない。ギリギリ未来に生まれゆく自分ということだろうか。

★いずれにしても、クリエイティブ・ラーニングの過程で、刻々と自分は成長し、それでいて未知なるアイデンティティと対話しているわけである。

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